2-6 崩落再び3
枝野は配下の兵たちに、井戸の水を汲んできて撒くようにと指示をした。
幸田を探しに行くのだとしても、その前に火だけは完全に消しておかなければならない。
特に藁の包みのあたりは念入りに、水浸しになるほど何度も水が掛けられた。一度濡れた火薬が爆ぜることはないだろうが、絶対とは言いきれないからだ。
「よく無事でしたなぁ」
そう呟き、枝野は改めて、水を滴らせた棚の下にある包みを眺める。
「あれも爆ぜておりましたら、さすがに全滅だったでしょうか」
ニヤニヤと笑いながら顎をこすり、起こったかもしれない最悪の事態を、実に楽しそうに呟いている。
質が悪いと横目で見ると、肩をすくめられた。
藁の包みを見つけた時には厳しい表情をしていたから、状況が深刻なのは理解しているはずだ。それでも笑っているのは、配下の手前か、生来の図太さか。
濡れた藁は少し膨らんで、合わせの部分が割れていた。隙間から見えるのは黄色い油紙。そして丸みを帯びたいくつもの玉の形が凹凸になっている。
これで中身が、たとえば非常用の炭だったりしたら大恥だが、枝野の睨んだ通り、炮烙玉で間違いなさそうだ。
四半刻かけて、念入りに水をまき終えた。
砂塵も大方晴れてきて、青空がくっきりと見えている。
小十郎は枝野と並んで空を見上げて、太陽の角度が西に傾き始めているのを確かめた。
やはり何かが起こっている。これだけ待っても誰も戻ってこないのは、あきらかに異常だ。
だが、石銀地区と奉行所の両方で同時に何かが起こるなどあり得るのか?
いや、偶然という言葉は、稀にそういうこともあるからできたのだ。絶対にないとは言い切れない。
いよいよ次の手を打たなければならない。
「……まだ戻ってきませんね」
小十郎がそう呟くと、枝野が「ふう」と息を吐いた。
「お迎えが必要だとは、手がかかる」
それは幸田のことか? 役人衆のことか? ……両方だろうな、と思いながら、小十郎は「そうですね」と適当な相槌をうった。
だからといって、「では」と、枝野本人が行くなんて思わないじゃないか。
引き留める間もなく、さっさと山を下っていく後姿を見送って、小十郎はしばらく呆然とした。
こういう場合は一番上が残るものじゃないのか?
どう考えても責任を押し付けられた感しかないが……何があっても知らないからな。
「……ワシらが何か粗相をいたしましたでしょうか」
低くしわがれた声でそう尋ねてきたのは、昨日頭だと紹介されたひとりで、名は五郎左。よりにもよって、三人の中で一番気が短そうな男だ。
近くで見るとそれほど巨漢というわけでもないのに、着物の下が筋肉でパンパンに張っている。こちらを睨む目つきも猛々しく、人というよりも逆に人を襲う獣のようだ。
もやしっ子の小十郎など、唸り声ひとつで撃退されてしまうだろう。
だがここで怯んだ様子を見せてはいけない。
「そういうわけではない。二日続けてこのありさまだ、事故とは言い切れなくなった」
小十郎は、内心の怯えを厳重に覆い隠し、努めて淡々と、事務的な口調で言った。
「そのほうらの中に、日頃見慣れぬ者が紛れ込んではおらぬか」
一瞬の間の後、五郎左の口からものすごい唸り声がこぼれた。まさに、空腹の獣が威嚇するような声だった。
「どういう意味だ! ワシらが崩落を起こしたとでも……っ」
「そうなのか?」
怖いって! 駄目かもしれない。食われるのかもしれない。
そんな怯えが、小十郎を早口にした。
「ともあれ何者かが火薬を使って起こした事故なのは間違いない。いや、今はその恐れがあるとだけ言うておくべきか。だがこれだけの被害を起こすには相当量の火薬が必要だ。仕掛けた者がどこかにいる。一人二人では足りまい。そのほうは、崩落を意図的に起こした輩を仲間だというのか」
炯々と光っていた五郎左の目が、何かに驚いたようにパシパシと瞬きした。
「……火薬?」
「焙烙玉というものがある。毛利お得意の火薬の武器だ。これまでは水軍で船を沈めるのが主な使い道だったが、最近では普通の戦でも用いられるようになっている。火薬は臭い。今もまだ少し臭うだろう」
広場に集まっている鉱夫たちからは離れた場所で話しているので、小十郎の声は彼らには届いていないはずだ。
だが、五郎左の怒声は聞こえただろうし、皆何事かとこちらを見ている。
その者たちの中に、中腰になってこちらに来ようか迷っている数人がいる。五郎左の目がちらりとそちらに向いたのがわかった。
「五郎左」
獣のような男の表情の中に逡巡があるのを読み取って、小十郎はここぞとばかりに言い放った。
「何人死んだ?」
中腰の男たちに来られたら、ますます多勢に無勢だ。近づかせないように兵らに頼もうとして、小十郎の傍についていた兵が目を真ん丸にして驚愕の表情をしていることに気づいた。
他の兵が立っている位置は、広場の反対側だ。かなり遠い。
これって大丈夫なのかと改めて不安になったが、ここまで来て中途半端なことはできない。
意を決して五郎左見上げる。血走った目と、ふうふうと荒い鼻息……今にもつかみかかってきそうだ。
「……何人殺された?」
怖い。山中で不意に子連れの猪に出くわした時よりも怖い。熊は縄張りに近づかなければ襲ってこないが、あいつらは町中にまで来るからな。
先ほどの倍量、いやもっと大勢の屈強な鉱夫たちが、露骨にひるんだ五郎左のところに来ようと立ち上がっている。
そもそも五郎左だけでも素手で小十郎の首をへし折れるだろう。それなのに加勢? この男に加勢? ……お願いだからやめて。
「放置したら、まだまだ死ぬぞ」
膝が震え始めた。だがここで折れてはいけない。
小十郎は、瞬きもせず五郎左を見つめた。
「手を貸せ」
……頼むから噛みついてくるなよ。心の中でそう懇願しながら。