2-4 崩落再び?
兵たちに使いに行ってもらって半刻ほど経った。
小十郎は枝野と表面上はにこやかな会話を続け、互いの腹の探り合いをしていた。
正直しんどい。
余計なことを言わないうちに止めたいのだが、ぐいぐい来られるので無下にもできない。
そしてそれは再び起こった。
何の予兆もなく、ドシンと地面が揺れる。
小十郎はまともに立っていられず、その場で両手をついてうずくまった。
低くゴゴゴゴと唸るような振動が継続的に続く。
その場にいる全員が動かず様子をうかがっている間に、屋外からいくつもの怒声と、野太い男たちの絶叫が聞こえてきた。
パラパラと、詰め所の屋根に雹か小石かが打ち付ける音がする。
再び、ドシンと地面が揺れた。
山が割れた。誰もがそう思ったに違いない。
バキバキバキと木が裂ける音がする。目で見えるほどぐわんと天井の梁がたわみ、建屋全体が軋むのがわかった。
ここにいては危ないと、おそらく全員が思っただろう。室内にいた五人が一斉に詰め所の入口に向かって走り出す。
先頭にいた兵が勢いよく戸を開けたのだが、その向こうの情景に皆が「うっ」と呻いた。
昨日同様、もうもうと砂塵が立ち込めている。それだけではない。なんだこの臭いは。
小十郎は袖口で鼻と口とを覆った。砂埃が煙のようにこちらに向かってくる前に、ぎゅっと目を閉じ、昨日の二の舞を逃れようとする。
ドン! ドン! ドン!
連続した大きな音、いや振動が、足の下から響いてきた。
また崩落か? 地震かもしれない。……いや、どちらにしても、こんな風に連続した音が聞こえるものか?
それにこの臭い。何故こんな……ものが腐ったような臭いがする?
「火薬だ」
枝野がそう呟く声が、妙にはっきりと耳に残った。
火薬? 聞き馴染みはないが、知っている言葉だ。
父が討ち死にした戦で、毛利は焙烙玉を使って総大将の本陣を燃やしたそうだ。焙烙玉につかわれているのが確か火薬だ。
つまりどういうことだ? これは地震でも坑道の崩落でもなく、毛利が鉱山を奪おうと攻撃を仕掛けているのか?
そんな馬鹿な。たとえ焙烙玉を大量に持ち込んだのだとしても、敵兵の影ひとつないこの状況で銀山を奪えるものか。確かに大森の町には間者が増えているそうだが、それだけではとても足りない。少なくとも、山吹城を落とす程度の兵は必要だ。
そこまで考えたところで、はっとした。
……いや待て、火薬を持っているのが毛利だけとは限らないぞ。隠し銀を運び出すために、誰かがこの状況を作ったとか?
一番に考えつくのが福屋家だった。福屋の姫君が本城家嫡男の正室になったのは先代の頃で、それ以来両家は協力して鉱山の開発にあたっていた。
流通販路のある大森の町方面と仙ノ山の北東あたりは本城家が、石銀地区および山の南西あたりは福屋家が、かつてはそれぞれ個別に坑道を掘っていた。
協力するようになって長いから、小十郎にとってはまとめてひとつの鉱山という認識だったが、本当は違う。
採掘した銀について、両家の配分がどのようになっているのか、詳しいことは知らない。だが欲を出したのかもしれない。隠し坑道の件も、福屋家が関わっているのなら納得だ。
昨日と今日の騒ぎが福屋家によるものだとするなら、石銀地区の兵たちは敵とみるべきだし、本城方の兵の詰め所であるこの場所は一番に狙われるだろう。
そこまで考えたところで、痛いほどに腕を掴まれた。抗う間もなくずるずると、入口の方に引きずられる。
しまった。目を開けてはいけなかったのに。
小十郎はたちまち瞼を差す痛みに顔をしかめた。
揺れはそれほど感じなくなっていたが、砂塵は目と鼻の先もわからないほどに視界をふさぎ、大勢が騒いでいる気配はするものの、ボロボロと涙がこぼれて何も見えない。
小十郎は詰め所の外に引きずり出され、勢いよく突き飛ばされた。右半身を地面に打ち付け、顔も擦りむいたのがわかる。痛い。
「伏せろっ!」
耳元で怒声が響いた。幸田の声だった。訳も分からず仰ぎ見た小十郎の目には、建屋の屋根が斜めに傾いているのがおぼろに見えた。
「いやはや、運がよかった」
そう言いながらニコニコと笑うのは枝野だ。
「危うく全員ぺちゃんこでした」
はっはっは……と笑うその声色は上機嫌で、よくこの状況で笑えるなと周囲の顰蹙を買っているのに気にもしていない。
「それにしても……」
詰め所が燃えている。火などなかったはずだが、もはやほぼ全焼だ。
建物が崩壊したのは兵の詰め所だけだったが、そこから火が出たので隣の帳方のほうにも盛大に燃え広がっている。
小十郎は、鼻をひくひくと動かしている枝野をちらりと見て、この男が飲み込んだ言葉の続きを想像した。
……火薬か。厄介なことになってきた。
ものが腐ったような臭いはまだかすかに漂っていて、兵の中にはそのことに気づいた者も多そうだ。戦に出たことがあるなら、大概わかるのかもしれない。
「いやはや、困りましたな」
小十郎が、少しでも帳面を持ち出せないかと帳場の回りをうろついている間中、枝野はずっとその後ろをついてきていた。
ついてくるなら手を貸してくれてもいいのに、笑顔で「困った、困った」と言うだけで、火のついた建屋に入らせてくれない。
小十郎の安全の為か、うがった目で見れば帳場にあった書類を燃やし尽くしたいのかもしれないが、実際にまだ火薬がどこかに隠されていたら一瞬でお陀仏なのは確かだ。
小十郎が諦めの溜息をつくと、枝野は再び「はっはっは」と笑った。
本当に何がおかしいのだろう。
枝野はこちらの不審などどこ吹く風、異様なほどの満面の笑みで口元を覆った。
「楽しいではないですか」
「……何がですか」
「火薬ですぞ、火薬。毛利か、あるいは」
「枝野殿」
一応口元を覆う必要性は理解しているようだが、声を潜めてはいない。
小十郎は慌てて遮り、さっと周囲を見回した。
詰め所前の広場にはすでに大勢が集まり始めている。見たところ、昨日ほどの怪我人はいないようだ。そして、兵も鉱夫たちも不安そうな顔をしているだけで、少し距離があるこちらの会話を気にする様子はない。
「いやはや、困りましたなぁ」
楽しいのか困ったのかどっちだよ。
そう問い詰めたくなったか、ギリギリで堪えた。隙を見せたら、喜んで聞かれてはいけない類の話をしてきそうだ。
それにしても、この男の保護者はいつ帰ってくるのだろう。幸田は兵を引き連れて、坑道を一周見回ってくると出て行ったが、どうせならこいつも連れて行ってほしかった。