イルマという少女1
「わおおおー!ではっ、あなたは国王さま!国王陛下さまなのですねっ。この国で一番偉い人ってことなんですね!イルマにだってそれくらいわかりますっ。とってもすごいです。わあ~~・・・イルマは、そんなすごい人にお仕えするのですね。これはとっても緊張しますが、精一杯がんばります!」
「ふむ、やる気があるようで何よりだよ。では皆、ここを出るとしようか。すっかり長居してしまった。」
「「はっ」」
「わーいっ、イルマも、」
「駄目だ。」
エルウィンは素早く、イルマの首根っこをつかんだ。
「ぐえっ。」
「お前はまず、身体を洗ってこい。あと服も、そのまま行くわけにいかんだろ。なにか適当なものを借りろ。わかったか?」
「・・・あうう、はいー、そうでした。イルマは、くちゃくちゃなのでした。陛下、いっぱいくっついてしまって、ごめんなさい。イルマのせいで、陛下までくちゃくちゃになっちゃいましたよね?」
イルマは、しゅんとうなだれてしまった。エルウィンに首根っこをつかまれたままである。ゲオルクは思わず笑ってしまった。
「ふふっ、なに、服ぐらい構わぬ。また洗えばよいのだ。では、イルマの支度が整ったら、出発するとしよう。」
自分の粗相を、陛下に許してもらえたんだ!イルマは、わふっと顔をあげ、
「はいっ、イルマは、いっぱい綺麗にしてもらってきますっ!」
しゅんとしていたのが嘘みたいに、一瞬で顔を輝かせた。
「うーん、確かにこれは、陛下のお見立てのとおり、ニワトリじゃなくて犬でしたねー。」
泥遊びをして怒られる子犬の姿を少女に重ねながら、カールは小さく呟いた。
こうして一行は、地下室をあとにしたのだった。
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ロアワルド王国・王都ベネートの大通り。
石畳の上を、騎兵たちに護衛された、二頭立ての小型馬車が走りすぎていく。
馬車の装飾はシンプルなものだが、ゲオルクの生家・ホーエンシュタウファー家の家紋である、星をいただく三つ目の鷲があしらわれている。いつもはゲオルク専用の馬車だが、今日はイルマも特別に乗せてもらっていた。
病院の湯浴み室で身体を洗われ、すっかりきれいになったイルマは、少し大きめだが子供用のチュニックを着せられている。騎士のカールから、こっそりビスケットをお裾分け(餌付け)され、ご機嫌だ。窓から吹き込む風で、まだ少し湿っている癖毛のショートカットが、ふわふわと揺れていた。
イルマは、王都に来るのははじめてだ。
寒村の孤児院で育った少女にとって王都は、初めて訪れる異国のようなものだった。広く舗装された道に、行き交うたくさんの人々、立派なお屋敷に、色んなお店。少女の目の前を目まぐるしく流れていく、窓の外の景色。食い入るように見つめ、わあ~とか、すごいなあ~、とかいっている。
イルマは、変わった服装の人や、目につく看板を見かけるたび、あの人は何の職業の人なんですか~?とか、あれは何のお店なんですか~?と、ゲオルクに説明をねだった。ゲオルクが丁寧に解説してやると、少女は驚いたり、感心したり、きゃあきゃあ笑ったり、おおはしゃぎである。
子供は、こんなにコロコロと表情が変わっても、疲れないのだろうか。興奮ぎみに窓の外を見遣る少女を眺め、ゲオルクはぼんやりと考えていた。
(私がこの娘と同じくらいの年頃の時は、どうだったろうか。私が子供のころは・・・)
ゲオルクの思考が、深く暗い記憶の海に沈み込もうとした瞬間。ちょっぴり能天気なイルマが、それを遮った。
「陛下、すごいです!そういえばこの馬車、全然揺れません!イルマが、孤児院から連れていかれた時の馬車は、もっとガタガタゴトゴトで、気持ち悪くなって大変でしたから・・・。これは、とっても乗り心地がよいです!ふふふん♪」
イルマは馬車の乗り心地にいたく感動し、足をぱたぱたさせて、鼻唄など歌っている。
ゲオルクははっとして、我に返った。・・・いかんいかん、過ぎ去った事など思い出しても、どうしようもないのだ。今は、この少女の処遇を、検討せねばなるまい。
沈みかけていた思考が現在に引き戻された彼は、我が意を得たりと、イルマに説明してやった。
「そうであろう。私はな、何かにつけて生ずる、この長い移動時間が好かんのだ。何とか有効活用できないかと、色々考えていてね。」
そういうとゲオルクは、二人が座っている向かい側の座席を指差した。そこには、無造作にいくつかの本が置かれている。歴史書、数学書、流行りの詩集。音楽に関するものから、この国では見慣れない文字で書かれている、古い羊皮紙の束まで。すべてゲオルクのものだろうか。もしそうなら、彼は本のジャンルは、あまり選り好みしないたちらしい。
「そこで、移動中でも本が読めるよう、ファーレン国の技師に、この馬車を設計させたのだ。魔工学により、馬車の揺れを軽減させている。」
「?ぎし?まこう・・・?」
「・・・まあ、座学に関しては、おいおい勉強すればよい。」
ゲオルクは、イルマに説明するのを諦めた。この少女に勉学を説くのは、少々荷が重いなあなどと、ちょっぴり失礼なことを考えて。
「イルマよ、そなたは、何故孤児院に入ることになったのだ?家族は?」
「はい、イルマは・・・赤ちゃんの時に、教会に捨てられていたそうです。司祭さまが見つけてくださって、それで、そのまま教会の横の孤児院で、面倒をみてもらうことになったって、寮母さんから教えてもらいました。だから、イルマは父様の事も、母様の事も、なにも知らないのです・・・ごめんなさい。」
「ふむ、そうか。悪いことを聞いてしまったな。」
などと言いつつ、ゲオルクは内心、彼女に家族がいない事に少しほっとしていた。
彼は既に、イルマを自身のもとで働かせることを決めていたから、こうやって連れ出してきたのだ。それなのに、実は家族がいて、家に返してくれなどと少女に泣きつかれてしまっては、さすがに後味が悪い。彼女の境遇そのものには、同情していたのだが。
「いえっ、そんなことありません!孤児院では、寮母さんや司祭様はとっても優しかったんですよっ!イルマは楽しかったんです。“星道の書”のお勉強は、ちょっぴり苦手でしたが・・・でも、菜園でのカブ掘りと、キャベツにくっつく芋虫さんを捕まえるのは、イルマがいっちばん上手だったんですから!」
イルマは得意気に腰に手をあて、ふんっと胸を張っている。どうやら、ゲオルクに誉めてもらいたいらしい。
そうかそうか、カブ掘りと虫とりは得意で、勉強は苦手なのか・・・。イルマの得意分野と苦手分野に、一抹の不安を覚えたゲオルクだったが、少女の誉めてほしいオーラに勘づくと、一応、頭をなでてやった。
イルマは、すっかり大好きになったゲオルクに、誉められ(たと思い)、大層ご満悦である。
ふわんと笑顔になると、ぴったりとゲオルクにくっついた。
(えへへへ、陛下とたくさんおしゃべりできて、楽しいなあ。ずっと、馬車に乗っていられたらいいのになあ。)
少女は、そんなことを考えながら、ゲオルクのぬくもりを感じていた。
二人をのせる馬車が、目的地・ウォルモント城につくまで、あと少しーー。