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プロローグ1

小説を書くのは、これが初めてです。とても緊張します。

 虚ろな目をした少女は一人膝を抱え、薄暗い窮屈な部屋の中でたたずんでいた。

 部屋というよりも、独房といったほうが、似つかわしいかもしれない。

 よくわからないシミがいたる所にこびりついた石壁と床。重いドアは固く閉ざされている。

 そして室内には少女の他に、薄汚れた藁のベッドと、手桶、ぼろ布以外は、何も無かった。

 幸い、小さな空気窓は空いていたため、少女は昼夜を知ることはできた。

 ここに連れて来られてから、太陽が昇るたび、その回数を数えていた。

 しかしそれが14回目を越えてからは、日にちを数えることも放棄した。もはや、今日が何日目なのか、少女はわからなくなっていた。

 少女は、連れてこられてすぐは、ここから出してと幾度も抵抗した。

 しかしそれも、たちまちなくなってしまう。守衛からこう言われたのだ。「大人しくしろ。さもなければ、お前の居た孤児院が、どうなるかわかっているんだろうな」と。それ以来少女は、ぴたりと静かになった。この部屋の風景を構成する、ただの置物のように。

 

 少女のもとを訪れるのは、死なない程度に、最低限の世話をしにくる守衛だけ。

 ひとりぼっちで、暗くて、不潔な部屋に押し込まれ。

 抵抗する術も奪われた年端もいかぬ少女の思考は、だんだんと麻痺してくる。

 寒い。臭い。身体がかゆい。気持ち悪い。お腹がすいた。お水が飲みたい。フケと脂に覆われて、かちかちに固まった頭は、徐々に思考することを放棄する。

 認知的機能は緩やかに退行し、今の少女はもはや、快・不快を判断できるだけの生き物になっていた。



 少女がこの小部屋に押し込まれ、月の満ち欠けが一周した頃。

 今日は、なんだかいつもと違っていた。どすっ、ばたんと、上階から絶え間なく音がする。

 どたばたと、何人もの足音が、上の階から聞こえてくる。怒声や、悲鳴も聞こえてくる。

 どすんっと、何かが上の階の床に打ち付けられた。振動が、みしりと少女の部屋に伝わってくる。

 そしてその喧騒は、だんだんと少女のもとへ、近づいてくるようだ。

 しかし今の彼女は、そんなことは気にならなかった。自身に危害が加えられないのなら、何でも良かった。


 すぐ外で、ぎゃあぎゃあと騒ぐ男の声がした途端、勢いよくドアが開かれた。

 「おやめください!この娘は無関係にございます!」

 「これで、名簿にない『患者』は8人目だな」

 「ちっ、違います!断じてそのようなことはございません!」


 何やら、もめているようだ。恰幅のよい男が平身低頭、唾を飛ばしながら必死に弁明している。冷や汗と脂汗で、顔はぐちゃぐちゃだ。対するは、数名の兵士に護衛され、涼しい顔をした赤毛の男。


 「どうか、どうか信じてください!」

 「そうだな、コルベ伯。そなたに、この王立病院の運営を委ねたのは私だったな。」


 赤毛の男は、遠い目をしながらそう言った。なにかを思いふけっているのだろうか。

 かたや、コルベ伯と呼ばれた男は、自身の主張が肯定されたとでも思ったのか、そうでしょうそうでしょうと作り笑いを浮かべながら、ハンカチで冷や汗をぬぐっている。赤毛の男は続ける。


 「それがよもや、病院運営の委託費を着服していただけではなく、我が国の人身売買の温床になっていたとはな。」

 「めっ、滅相もございません。そっそうだ、先程の者たちもこの娘も・・・か、患者台帳に、担当者が書き忘れていただけにございましょう。後で私からきつく処分しておきますゆえ、なにとぞ・・・」 

 コルベ伯が、言い訳を始めた瞬間、赤毛の男の表情が、鋭く厳しいものに変わった。

 「自分の罪を部下に責任転嫁するとは、貴族の風上にもおけぬ!」

 「ひっ」


 コルベ伯は怯んだ。聞き苦しい申し開きを遮り、赤毛の男は続ける。

 「この病院の過去10年間の決算書と取引履歴及び金銭受領書の突き合わせを行う。それと、この男の資産台帳もだ。そうすれば、消えた金の流れも見えてくるであろう。沙汰はそれからとする。それまで、この男を勾留しておくように。」

 「仰せのままに!」


 言うが早いか、コルベ伯の退路を遮るように立っていた屈強な騎士たちが一瞬で、彼を取り押さえた。憐れな強欲男は拘束され、ずるずると上階に連行されていく。しかし何やら元気よく、わんわんと叫んでいる。どうやら、赤毛の男への悪口らしい。

 「ちくしょう!あの娘は高かったのに。無の・・・」

 「貴様!口を慎め!」

 「ぎゃっ」


 ガスッという音が聞こえたかと思うと、コルベ伯は静かになった。束の間の静寂が、少女の部屋に訪れた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 「さて、どうするべきか・・・」

 赤毛の男は思案していた。

 先刻の、コルベ伯の言っていた『あの娘は高かった』というのが気になっていた。

 この娘を購入した際の値段の事であろうが・・・目の前の少女は、不潔で、ぼろを着せられており、表情がすっかり抜け落ちてしまっている。もはや、もとの顔の美醜すらわからない有り様だ。

 あの強突張りの男がみせた執着は何だったのだろう。考えを巡らせていたところ、


 「ここは空気が良くありません。ゲオルク殿が、これ以上ここにいてはなりません。」

 「そうです。後の事は我々にお任せを。お早く馬車にお戻りくださいー。」


 護衛の騎士たちが声掛ける。確かに、ここは不快だ。空気は淀み、目が痛いと錯覚するような異臭がしている。おそらくもう何年も前から、この王立クラルス病院の地下室では、人身売買が横行し、憐れな民達が監禁されていたのだろう。悪臭は、目の前の娘からだけではなく、壁や床からも漂っていた。一朝一夕で染み付いたものではないだろう。


 もっと早く気づけていれば・・・と、ゲオルクと呼ばれた赤毛の男は、自身の未熟さを感じていた。

 王立病院の書類監査は定期的に行われていたし、前回は問題無いはずだった。

 いや、問題無いように装われていたというべきだろう。

 元々、男爵家だったコルベ伯は、商売で伯爵位まで成り上がった家系。会計・帳簿のエキスパートだった。彼にとって資料を偽装するなど、造作もないことだったのだろう。

 書類監査は、文官が複数人で行い、最終決裁をゲオルクが承認する、というものだった。今回偶然、ゲオルクの承認の段階で、患者数に対し生じた費用の矛盾を発見できたのだ。

 ああ、このような事になるなら、書類監査だけじゃなく、抜き打ちの実地検査も義務付けるべきだったなあ・・・と、ゲオルクはひとりごちた。

 ゲオルクにとって、コルベ伯は貴重な支援者でもあった。自身の立場から、コルベ伯に気を使ってしまった部分が全くないとは言えない。

 要は、自分は甘かったのだと、ゲオルクは後悔した。これではまるで、自分がこの娘を不幸にしてしまったようなものではないのか。だからなお一層、この娘の事が不憫に思えた。


 だからこれは、少女の境遇に対する憐憫から生じた、ほんの単なる気まぐれのはずだったのだ。


 「いや、この娘のことが気になってな。・・・そうだ、この娘、引き取り手がいないなら、うちで働かせるのはどうだろう?ちょうどこの間、洗濯女が一人、退職したはずだろう。」

「~~~~!・・・っはぁあ。なりませんぞ。ゲオルク殿の御身をお守りつかまつる私に言わせれば、いくら洗濯女といえども、このような・・・素性のわからぬ娘を、屋敷にいれるわけにまいりませぬ。」

 「そうですよー。隊長のおっしゃるとおりです。まーた、カイン導師に怒られちゃいますよ。」


 隊長と呼ばれた男は、「てめえ後先考えず何言ってんだ!」とシバきたいのを押さえつつ、なんとか無難になだめようとする。そんな二人のやり取りを察して、笑いそうになった年若い兵士も、一応隊長に同意を示した。なんだか一言多いような気もするが。案の定、若い兵士は、隊長に小突かれている。

 しかし今日は、このゲオルクと呼ばれた赤毛の男、罪悪感もあってか、ちょっぴり強情だった。

 

 「まあ、よいではないか。この国の民は、私にとって大切な財産なのだ。不幸な娘は飢えることなく、我らも新たな洗濯女を探さなくてすむ。実に効率的だな。」

 「確かに効率的かもしれませぬが!この得体も知れぬ娘が、ゲオルク殿に危害を加えるような事がないとも限りませんぞ」

 「娘の素行については、ローザに監督してもらえばよかろう。それに・・・たとえこの私であっても、この程度の小娘であれば遅れをとることもなかろう?なあ、エルウィンよ。」


どうやらゲオルクは、自身の主張を曲げるつもりはなさそうだった。


 「・・・はああ。そうですか。そこまでおっしゃるならば、どうぞお気に召すままに。」


 エルウィンと呼ばれた男は、ため息をついた。

 この人、ゲオルクは昔からこうなのだ、他人の意見を求め、熱心に耳を傾けるところもある。しかし、自分がこうと決めたら絶対に意思を曲げない。どんなに抵抗しても何かと理由をつけて、押し通して実現してしまうのだ。

 ゲオルクとの長い付き合いのなかで、エルウィンは自分の忠告が意味を為すか為さないか、さじ加減をよくわかっていた。そして今回は、これ以上の問答は無駄だと諦めて、ゲオルクの主張を受け入れる事にしたのだった。


 「・・・ありゃ、お小言が、ローザさんの分まで増えちゃいましたねー。」

 「そうだなカール。我らは必死に止めたのだと、ローザ女史にせいぜい弁解することとしよう。」

 カールと呼ばれた若い兵士の軽口にエルウィンは、ただただ同意するのだった。

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