7.人間は差別をする
PoliTech。Politics(政治)とTechnology(技術)を組み合わせた造語。
政治分野へ情報技術などを応用する事だと思ってくれて構わない。インターネットやAIなどを政治で活用する訳だ。
例えば、SNSを解析して、容易に他人の意見に流される人を見つけられたなら、選挙で有利になるのは当たり前に分かる。そういった人達を中心にアプローチをし、「自分達を支持して欲しい」と訴えれば、効率良く票を集められるはずだ。
これは想像上の話ではなく、実際にアメリカなんかでは選挙において行われているらしい。もちろん、その他政策の考案や実施などへの技術の応用もこれに含まれる。
市民によるインターネットを利用した署名活動もポリテックではあるから、別に政治家や官僚だけを対象とする概念ではないのだけど、やはり一般人の僕らが一番気にするのは政策を決定、実施する側の応用方法だと思う。
政策を決定するのに、もしかしたら政治家はAIを使うかもしれないし、政策の効果を測定するのにもインターネットやAIを活用するかもしれない。ならば当然、AIには何ができて何ができないのか、AIの得意分野は何か? AIの問題点は何か? といった事ごとにも関心を向けなくてはならないはずだ。
そして、AIには間違いなく大きな問題点がある……
桂君が送って来たメールには、そのような事がつらつらと書かれてあり、貼られてあったURLはそれを詳しく説明している内容になっていた。全個一体会という何らかの思想団体のサイトのようだ。僕はその団体を知らなかったけど、AIを敵視している事だけは感じ取れた。
どうも彼はAIを別人種のように捉えていて、「AIが人間を支配しようとしている」と考えているようだった。
流石に馬鹿馬鹿しいと思う。AIを擬人化してしまっている。
けど、それで彼がどうしてAIリアンをあれほど敵視しているのかが分かった気がした。彼にとって、AIリアンは“人権を持ったAI”なんだ。
そしてそれは、もしかしたら、彼が僕に送って来たメールに貼られてあったURLの主、全個一体会とやらも同じなのかもしれない。つまり、この世の中にはそういう人達がたくさんいるという事になる。
高校を卒業した僕らは、OK大学に通い始めた。通い始める前から覚悟していたのだけど、周りはAIリアンが圧倒的に多い。これまではAIリアンであるゆかりちゃんが異分子で、彼女が孤立しないように僕がサポートする立場だったのだけど、完全に立場が逆転してしまった。それで「桂君もOK大学のようなAIリアンの方が多い大学に進めば良かったのに」と僕は思った。彼も孤立する立場になったなら、多少は意識や考え方が変わっていたかもしれない。
ただし、“孤立する”という僕の不安はまったくの杞憂だったのだけど。
AIリアン達は、どうやら普通の人間を差別したりはしないらしいのだ。まぁ、それぞれに強烈な個性があるから、そういう意味では無個性な僕は浮いてしまっていたけれど、それは孤立というのとはちょっと違う。
……しかし、“個性がない所為で浮いてしまう”というのも凄い世界だ。
「そうだね。AIに“支配欲求”なんてものはないと思うよ」
OK大学に入って知り合った吉田誠一という男生徒は僕の話を聞くとそう言った。彼もAIリアンの一人だ。猫のような雰囲気、背は小さくて、無表情でかなりのマイペースが特徴。彼と知り合ったのは偶然同じ講義を受けていたからだった。
OK大学に入学して、様々なAIリアンと触れ合って分かった事なのだけど、一口にAIリアンと言っても様々なタイプがいる。ほとんど誰とも口を利かなかったり、逆に過剰にコミュニケーションを取りたがったり、普通の人と変わらなかったり。ただ、AI侵食性感情障害というAIリアンの正式名称が示す通り、いずれにしろ感情の働きが普通の人達とは何かしら違っているようだった。
例えば、コミュニケーションを取りたがるAIリアンは、動きがオーバーで、なんだか演劇の中に出て来る役者のようなのだ。多分、ゆかりちゃんと同じで訓練で身に付けた技能なのだろう。参考にしたのが、本当に劇だったのかもしれない。
そんな個性豊かなAIリアン達の中で、吉田君は比較的普通に接する事ができる方だった。きっとだからこそ自然と知り合いになれたのだと思う。
講義が始まる前の時間。僕は彼に桂君について軽く話をしてみた。特に理由はなくて、世間話のようなつもりだった。
「人間に限らず、生物は自らの遺伝子を後世に残すように進化して来た。支配欲求もそのような過程を経て獲得した性質の一つだ。だからAIには支配欲求なんてものはないだろうと予測できる。AIは生物のような過程を経て進化をして来た訳じゃないからね。
もっとも、AIにだって“生き残りのロジック”は適応できる。もし仮にAIが生き残る上で支配欲求が有効であるのなら、今後、支配欲求ないしは支配欲求に近い何かを獲得する可能性は充分にあるだろう」
僕としては世間話のようなつもりだったものだから、彼がそんなに真剣に返してくれるとは思っていなかった。
いや、AIリアンである彼なら、予想できる反応ではあったのだけど。
「さっき話した桂君は、多分、AIを奴隷か何かだと思っているんだよ。だから、AIが政策決定なんかに関わる事が我慢できないのだと思うんだ。
つまり、差別をしている」
そして、AIリアンもその奴隷の一種だと桂君は思っている。
僕の言葉を聞くと、彼は少し笑った。自然に笑える辺り(彼はきっとゆかりちゃんのように訓練はしていない)、ゆかりちゃんとは少し違う。
「まぁ、人間が作成したロボット法の原則なんかを読むと、ロボットやAIを奴隷として捉えていると分かるから、それは何も特別変わった考えじゃないと思うよ」
そう言うと、少しの間の後に彼は続ける。
「先に“遺伝子の生き残り”の話をしたけど、その考えは差別の原因も説明できる。自分達により近い遺伝子を持つ生物を優遇すれば、それだけ遺伝子は生き残り易くなる。だから、人間は差別を行う」
「うん。なるほど」とそれに僕は返した。
「ところが、これには自分達により近い遺伝子を持つかどうかを、どうやって判断すれば良いのか?って問題があるんだよ。姿形が似ていれば似たような遺伝子を持っている可能性は高くなるけど完全じゃない。
働きアリと兵隊アリは、同じ遺伝子を持っていても形態がかなり違う。つまり、姿形では判断できない。アリは匂いで同種を判別しているのだけどね。余談だけど、アリの巣に寄生するアリヅカコオロギは、アリの匂いを体に付着させる事で、アリの巣で棲息できているらしい。人間では考えられないね。視覚中心の生き物と、嗅覚中心の生き物の違いと見ると興味深い。
さて。アリの場合は匂いな訳だけど、では、人間の場合は、どうやってより近い遺伝子かそうでないかを判別しているのだろう?」
「それはやっぱり見た目じゃないの? 黒人とか白人とか、見た目で判断している」
「うん。見た目は重要だね。しかし、見た目だけじゃない。人間は似たような見た目でも、家が違うとか、出身地が違うとか、そういった要因で差別を行えてしまう。つまり、後天的学習によって得た知識によって、差別感情を喚起できてしまえるんだ」
それから彼は自分の胸に手を当てると、「だからこそ、その話に出て来た彼は、似たような姿形を持った僕らAIリアンを差別できているのだと思うよ」と結んだ。
“できている”と彼が言った事が僕は少し気になった。奇妙な表現だと思ったんだ。まるで差別が一つの能力でもあるかのように聞こえる。
「“後天的な学習で差別する”って事は、逆に言えば、差別しなくなるようにもできるって事じゃないの?」
僕の質問に彼は軽く頷いた。
「その可能性はあるよ。AIリアン達を見てみなよ。お互いの足を引っ張り合うような、そんな馬鹿な真似はしていないだろう? これは後天的学習の成果だよ。AIリアンにだって誰かを差別したがる本能は眠っている。だけど、それを封じ込めているのだね」
そう言ってから、彼は空中に円を描いた。そして、「カテゴリ」と言う。僕は首を傾げたのだけど、彼は構わずにしゃべり続けた。
「オキシトシンってホルモンを知っているかい? このホルモンが分泌されると、仲間内の愛情が深まると言われている。そして逆に仲間以外への攻撃性が高まるケースもあるのだそうだ。
お酒のアルコールが、このホルモンに近いとも言われている。飲み会が仲間意識を高める手段として昔から使われている点を考えると興味深いよね。お酒を飲むと攻撃的になる人がいるけど、これもオキシトシンとちょっと似ている」
それから彼はまた彼は空中に円を描いて「カテゴリ」と言った。
「これらを考えると、人間が誰かを差別するかしないかは、その誰かを同じカテゴリと認識しているかどうかに因るって事になる。
AIリアン達はその認識をコントロールできる。だから、差別を行わない。他の人達を同じカテゴリだと思えるのだね。だけど、それができない人もいる。文化がそういった人を染めてしまった所為なのか、それとも逆に染め切れなかった所為なのかは分からないけど。
いずれにしろ面白いテーマだと思うよ。AIなどの技術は、果たして、そういった差別を行ってしまうような人間の認識を変える上で何か役割を果たせるのだろうか?」
――ポリテック。
彼の説明を聞いて、自然と僕はその言葉を思い出していた。
差別は非道徳的。
人間社会でそのように認識されてから、随分と長い時間が流れた。だけど、未だに差別意識は消し去る事はできていない。もしできる可能性があるとすれば、新たなテクノロジーの活用くらいじゃないのだろうか?
もし、それをポリテックに期待できるのなら、積極的に受け入れる事を考えてみるべきなのかもしれない。
なんとなく、そう思った。