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6.わがまま

 「へー、板前がお前に同じ大学に進んで欲しいって言って来たのか。とんでもないわがままを言うな、あいつ」

 

 ――休み時間。

 小鳥遊君のクラスメイトが彼の話を聞いて呆れたようにそう言った。小鳥遊君は眼鏡型デバイスで何かを熱心に読みながらそれに「ああ、とんでもないわがままだ」と返す。

 「AIリアンの学力に合わせるのに、こっちがどれくらい大変なのかが分かっていないのじゃないか?」

 それには答えず、小鳥遊君は熱心に何かを読み続けていた。

 クラスメイトは尋ねる。

 「ところでお前はさっきから何に熱中しているんだよ?」

 小鳥遊君はそれに「勉強」と一言返す。彼はそれを聞いて表情を固まらせた。“まさか……”と思っているようだった。そんな彼の心中を予想してか、小鳥遊君は続ける。

 「ゆかりちゃんは、今までに僕を困らせるようなわがままをほとんど言った事がなかったんだ。その彼女がわがままを言った。しかもあんなに必死な表情で!」

 言い終えるとまた熱心に眼鏡型デバイスに映った文字を読み始める。

 “応えない訳にはいかない!”

 そんな彼の様子から、クラスメイトは強い決意を感じ取った気がした。そして、それから“マジか? 本当にこいつやる気か?”とでも言いたげな、信じられないようなものを見る目つきで彼を見つめたのだった。

 

 ――ゆかりちゃんと同じ大学に進む。

 そう決めた僕は、母さんに頼んでネットで受講できる塾と契約してもらった。母さんは驚いていたけれど、どうやら僕がゆかりちゃんの為に彼女と同じ大学に進もうとしている事は直ぐに気が付いたらしかった。そしてその上で協力してくれた。彼女と同じ大学を目指す事自体は悪いことではないし、多分何を言っても無駄だと思ったのだろう。

 オンライン塾ではAI教師が僕の学力を分析して適切なカリキュラムを組んでくれた。いつでも受講できるオンライン動画、分からない点を質問するとAI教師が答えてくれる。科目によるけど、数学の公式なんかは、“導き方の発想”そのものをイメージとして直接頭に届けてくれたりもした。そのオンライン塾には人間の講師もいるけれど、飽くまでサポートだ。単純に学力を伸ばす事だけを目標にするのならとても優れたシステムだろう。

 「学校でも、もっと取り入れれば良いのに」

 と、塾のシステムを経験した僕はそう思った。テストの作成、実施や採点などでは、オンラインやAIを導入しているけどまだ一部に過ぎない。理由は単純。文部科学省が「予算を削減される」と反対をして来たからだ。オンライン授業やAIを導入すれば、当然ながら教師の数を削減できる。すると予算が削られてしまう。社会の将来や人々の生活を犠牲にしてでも自分達の利権を守りたがる性質を持った役人達は、この件についてもその性質を遺憾なく発揮してしまったという訳だ。困ったものだ。

 もっとも「直に教師が教える“机間指導”にこそ価値がある」という彼らの言い分も、一部なら納得できないこともない。学校の教師にはただ単に勉強を教えるという以外の役割もあるからだ。“教育”というのは子供を社会へ適応できるよう、また社会を支える役割を担えるよう育むことこそが重要で、それはただ単に勉強を教えるのとは違う。

 ――けど、だからこそ、勉強を教える役割に関しては、もっとインターネット技術やAIに任して効率化し、それ以外の部分を人間の教師が担うようにすれば良いのではないかと思う。

 ただでさえ、教師が不足しているのだし。

 ただし、最近になってそれが変わる兆候が出始めてはいる。ポリテックなどと言われているけど、教育分野に限らず、インターネットやAIなどの先進技術をもっと積極的に政治に応用しようという流れがようやく日本でも生まれ始めているんだ。

 まぁ、まだまだ、どうなるかは分からないのだけど。

 

 ――勉強を始めて数か月、僕は早くも“壁”にぶつかっていた。

 成績は順調に上がっていて、学年で10位以内くらいには入るようになった。だけど、どうしたってAIリアンの人間離れした計算能力や暗記能力には及ばない。長距離走で車に勝てる人間なんかいるはずがない。気分としては、そんな感じ。

 自宅の部屋で、成績表を眺めながら、僕は苦悩していた。このままじゃ、ゆかりちゃんと同じ大学には進めない。

 なんだか桂君の気持ちが分かったような気になった。こっちは必死に勉強しているのに、ゆかりちゃんはあまり努力をせずに好成績を収められるんだ。こんなの、不公平じゃないか。

 もっとも、彼のようにAIリアンを「人間じゃない!」と糾弾する気持ちにはならなかったけど。ただその代わり、桂君の事を思い出して、僕にちょっとしたアイデアが浮かんだのだった。

 ――桂君。彼はAIリアンだけじゃなく、どうもAI全般に強い警戒感を持っているようだった。だからこそ、AIと協力する“ケンタウロス・モデル”が苦手だったのだろう。そして、世間にはAIリアン並とは言わないけど、かなりの学力を持った人もいるらしいのだ。過去、AIの登場以前では有り得ないような。果たしてそんな人達はどうして現れたのだろう?

 「――そもそもAIリアンは、どうしてあんなに頭が良いんだ?」

 僕は子供の頃からゆかりちゃんと一緒にいるから分かる。AIリアンはきっと本来はAIとの親和性が極端に高いだけなんだ。計算能力や暗記能力は元々高い訳じゃない。

 「もしかしたら、ゆかりちゃんはAIとの連携で頭脳が鍛えられているのじゃないか?」

 AIと強く結び付いて色々と考える事で、AIリアン達は頭脳が鍛えられているのかもしれない。桂君は自分の限界…… つまり、人間の限界を感じ取っていたようだった。それは自らAIを拒絶していたからなのかもしれない。“AIに人間の限界を引き上げてもらう”という発想がなかったんだ。

 「試してみる価値はあるかもしれない」

 そう考えた僕は、ゆかりちゃんに協力を依頼してみる事にした。

 

 「で、勉強で試してみたい事って?」

 

 僕の部屋にやって来たゆかりちゃんはどことなく嬉しそうにしているように見えた。考えてみれば、彼女が僕の部屋にやって来るのは随分と久しぶりだ。

 「うん。AIとの連携なんだけどね、それを僕と同時にゆかりちゃんもやって欲しいんだ。できれば、僕の足りないところをサポートするような感じで」

 「具体的には?」

 「計算問題を協力して解いたり、短編小説のレビューを協力してやったり…… 取り敢えずは短編小説のレビューを書こうか」

 もちろん、短編小説のレビューを書くなんてテストはない。だけど、AIとの連携の訓練って意味なら充分に有りだろう。

 手順はこう。

 短編小説を僕が読んでAIにも内容を伝える。もちろん、使うAIは僕が契約している“ザシキワラシ”だ。登場人物の性格や行動の意味、または作者の意図の予想なんかは僕がやり、文体の分析はAIが行う。そして、最後にそれら結果を統合してレビューとして仕上げる。ゆかりちゃんには、それらがスムーズにできるようにサポートしてもらうつもりでいた。

 説明すると、ゆかりちゃんは「分かった」と言った。

 「歩君の部屋で勉強を手伝ってって言うから、良い点数を取れた時にエッチなご褒美が欲しいのかと思った」

 「アハハハ」とそれを聞いて僕は笑う。

 「それはそれでとても魅力的な案だけどね」

 できれば今からでも予定を変更したいくらいだ。

 

 それから僕らはナノマシンカプセルを飲んだ。なんとなくその方が効果がありそうな気がしたから。

 飲んで数十分後、体内にナノマシンが馴染むのを感じながら、僕は短編小説を手に取って読み始めた。僕の脳を通じてAIは短編小説を読み取っているはずだった。普段は眼鏡型デバイスの隅に現れる顔の赤い子供の姿のアイコンが、今は視覚イメージで頭の中に直接現れていて、寝そべりながら本を読んでいる。僕の読書ペースではAIにとっては遅過ぎるだろうな、と余計な事を気にしつつ読み進める。読み終えて、さぁ、AIと連携協同作業の開始だ、と思った…… のだけど、そこで「待って」とゆかりちゃんから声がかかった。

 「何?」と僕。

 すると、それから、なんと驚いた事に彼女は無言のまま座った姿勢の僕に抱き付いて来たのだった。そして、僕の目を見ながら、おでことおでこをこつんと当てる。

 「……あの、本当に何?」

 ドキドキしながら僕は尋ねた。時折突拍子もない行動を見せる彼女だけど、今回は特に予想できなかった。すると彼女は無表情のまま「この方がサポートし易いかも」などと淡々と答えるのだった。

 「それ本当?」

 そんな話、聞いた事がなかった。

 それを聞くと彼女はにっこりと笑い、「分からない」と答えた。その笑顔が作ったものなのか、それとも自然と出て来たものなのかは分からなかった。ただ、少なくとも、彼女がとても上機嫌である事だけは分かった。

 そしてそれから、僕らは抱き合ったまま“勉強”を開始したのだった。

 

 ……もし誰かが僕らを見たら、絶対に勉強をしているとは思わないだろうけど。

 

 僕の頭の中をAIが弄っている。同時に僕もAIの電子頭脳を触っていた。はじめ、どう情報を交換すれば良いのかすら分からなかったのだけど、ゆかりちゃんが『こっちよ』とヒントを示してくれるお陰で徐々に感覚が掴めていった。

 僕とAIを彼女が繋げてくれている。

 僕の分析とAIの分析を交換し、互いに補い合って一つの結論に向って行く。情報の糸の束と束が絡み合って、一点を目指していくイメージ。

 “辿り着いた”

 そんな感触があって、目を開いた。

 すると、僕の頭の中にくっきりとレビューのイメージが形になっていた。過程は明確には思い出せない。けれど、それを作ったのが僕とAIだという実感だけは確かにあった。後はそれを文章にするだけ。それも問題なくスルスルと行えた。

 僕は出来上がったそれをテキストファイルとして、ネット上の僕のパーソナルスペースに保存した。深い満足感。物凄く長い時間に思えたけど、十分くらいしか経過していなかった。

 

 結論から言うと、その“AIとの連携協同作業で脳を鍛える”という勉強方法はとても上手くいった。物凄く疲れたけど、勉強と言うよりは筋力トレーニングをしているかのような感覚に近くすらあったけど、とにかく、僕の計算能力や暗記能力は跳ね上がったのだ。

 ただし、正直に言うと、この方法は見た目以上に過酷であまり進んでやりたいとは思えなかった。“バイクに紐を付けて、無理矢理に高速で走らされているような感じ”と言えば分かり易いかもしれない。仮に一般的な勉強方法…… 否、訓練方法と言った方が良いと思うけど、とにかく、一般的な方法にするのなら、もう少し楽にする工夫が必要だろう。

 僕がその辛い方法を執り続けられたのは、はっきり言ってゆかりちゃんのお陰だった。訓練の時はいつも抱き合うから…… その温もりが心地よくて。まあ、なんと言うか、あれだ。つまりは、ゆかりちゃんの“エッチなご褒美”作戦が上手くいったって事なのだと思う。

 ……彼女がどこまであれを本気で言っていたのかは分からないけど。

 

 ――そして、高校三年の三学期。

 僕は目出度く、ゆかりちゃんと同じOK大学に合格する事ができたのだった。もっとも、大学側はAIリアン以外の生徒を歓迎していて、面接の得点がかなり上乗せされていたはずだから、そのお陰もあったのだとは思うのだけど。

 

 OK大学の合格が決まった次の日だったと思う。例の桂君が僕の教室を訪ねて来た。彼の成績は僕ほどではなくて、それなりにレベルの高い大学に進みはしたようだけど、AIリアン達が通うような所ではない。

 つまり、彼の感覚で言うのなら、僕の方が“勝った”事になる。

 勝ち負けの問題ではないと思うのだけど。

 それで僕はいつかのように絡まれるものだとばかり思っていたのだけど、彼は意外にもこんなような事を言うのだった。

 

 「お前がAIリアンの行く大学に進むなら、言っておく事がある。……いや、違う。頼みたい事があるんだ。ポリテック。AI技術の政治利用は問題点だらけなんだ。お前にはなんとかそれを止める為に動いてもらいたい」

 

 そう言われても、僕には何の事かまったく分からなかった。僕がピンと来ていない事を察したのだろう。彼は「後でメールを送る! URLを貼っておくから、それで勉強してくれ」とだけ言い残して去っていった。

 僕は桂君にメールアドレスを教えてはいないのだけど、どうやって手に入れたのか、それから本当に彼からメールが送られて来た。

 そのメールを読んで、僕は彼が彼なりに真剣に物事を考えていたのだと知った。ちょっと、ゆかりちゃんの件だとか、行動には問題があったけど。

 そのメールには、ポリテックに対する不安が問題点と共に綴られていたのだ。

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