58.AIリアン達は、今日も順調に人類を侵食しているようです
休日。
遅く目覚めると、ゆかりちゃんが僕のベッドの中に入って来ていた。一瞬、ちょっと寒くなって、その後にそれまで以上の温もりを感じたのだけど、どうやら正体は彼女だったようだ。
彼女は僕が起きたのを悟ると、僕に抱き付いてきた。
「何をやっているの?」
そう問いかけると、「歩君の体に、私の体の表面積をできるだけ多く接するポーズの研究」と彼女は答えて来た。
「それ、何か意味があるの?」
「あるわ。接する表面積が増えれば増えるほど、私の幸福度が増していくの」
ちょっとの間の後で僕は返す。
「なるほど。それは重要な研究だね」
そして僕の方からも彼女を抱きしめた。
「ね、歩君。私、絶対に浮気はしていないのだけどね。でも、相手に私で妄想することを許しちゃったの。怒る?」
その突然の告白に、僕はちょっとばかり驚いてしまった。
「妄想?」
「そう。話の流れで、なんかそんな感じになっちゃったの」
どういう話の流れになればそんな事になるのかは分からなかったけれど、嘘を言っているようには思えなかった。少し考えると僕は答えた。
「別に怒らないよ。だって、“妄想”でしょう? 僕はそこまで君に対して余裕がない訳じゃないし、信頼してもいるし」
改めて考えてみるまでもなく、僕は幼い頃からずっと彼女と一緒にいる。もう自分の半身なのじゃないか?って錯覚してしまいそうになるくらいだ。それくらいじゃ動じない。
それに恋人を束縛するような態度は、きっと彼女にとってプレッシャーになる。そういうのは嫌だ。
それを聞くと彼女は「フン」と笑顔を見せた。どうも僕の返答がお気に召したようだ。そしてそれから、
「ね、歩君。そろそろ“できちゃった結婚”しない?」
なんてことを言って来たのだった。
こーいう変な事を言うのは、テンションが上がっている証拠だ。
「“できちゃった結婚”は、狙ってやるもんじゃないと思うよ?」
「マジで?」
「マジで」
「じゃ、“作ちゃった結婚”」
要は誘っているのだ。本当に今日の彼女は機嫌が良い。どうせ休日でやる事もないし、それも良いかと僕は思った。
抱き合って密着していた体を軽く動かして愛撫をするようにする。彼女の体の形が、それでより生々しく感じられたような気がして、彼女は軽く「ん」と甘い声を上げた。それから軽くキスをすると、彼女の方からより強く唇を吸って来た。それから、より体のディテールに拘った愛撫を始めると、彼女は本格的に喘ぎ声を上げ始め、同時に僕の体にお返しの愛撫をし始めた。
どうも今日の彼女はサービスが多めな気がする。さっきの“妄想を許した”話が影響しているのかもしれない。少しだけ気になったけど、忘れた方が良いような気がして、そのまま僕は行為に没頭した。
……考えてみれば、“子作り”前提のセックスはこれが初めてかもしれない。
「――これくらいすれば、できるものなのかしらね?」
終わった後、満足気な表情で彼女はおどけた口調でそう言った。行為の直ぐ後だというのに少しも色っぽくないけれど、僕も充分に満足していたし、それにその方が彼女らしくて良いと思った。
「どうして、突然、子作りをしようなんて言い出したの?」
そう訊いた僕を見ると、彼女はキョトンとした顔で「そろそろ頃合いかと思って」と言い、その後に思い出したかのようにこう付け足した。
「それに、これから世の中は良くなっていきそうだし。子供を産み育てるのには良い環境になるわ」
僕はちょっと考えると、少し前にあった革新AI党が選挙で敗けたニュースを思い浮かべた。
あの結果には“全個一体会の渡部さん殺人未遂事件”が多少なりとも影響しているはずだ。もしそうだとするのなら、本当のAIリアン達のターゲットは全個一体会じゃなくて、革新AI党だった可能性もある。
革新AI党については、色々と悪い噂もあった。彼らはAIという名目を悪用しているだとかなんだとか。だから納得できない訳じゃない。
もっとも、その手の話はフェイクニュースも多いから簡単には信用しない方が良いのだけど。
そこで僕はふと思い出した。
「そう言えば、文部科学省に入省したっていうAIリアンの子がいたよね? 彼女の方は上手くいったの?」
確か人心掌握がどうのとか言っていたはずだ。
「霧島郁美さんの話? 成功したわよ」
「成功したの?」
僕はちょっと驚いていた。それが本当なら、けっこうな事件なのじゃないだろうか?
「ええ。お陰で官僚や政治家達は、AIを利用するのが普通になってくれた」
それを聞いて僕はちょっとこけた。人心掌握ってどうやらそんな事だったらしい。絶対に人心掌握とは言わないと思うのだけど。
「それって何か効果あったの?」
疑問になって、思わずそう尋ねてしまった。すると、澄ました顔で彼女は返す。
「もちろん」
“もちろん、なんだ”と僕は思う。
「政治家や官僚の類がAIを使うようになった。お陰で私の会社の売上げも増えたわ」
それを聞いて再び僕はちょっとこけた。
「効果ってそんな事なの?」
「それだけじゃないけどね」
悪戯っぽい表情を浮かべると、それから彼女は続けた。
「ね、歩君。ビジネスで用いられるAIがどういう風に進化するかは考えた事がある?」
「AIの進化? ううん。考えた事はないけれど、でも、より正確な分析ができるようになるとか、そういう事じゃないの?」
「かなり近いわ。ニアピン賞。でも、正確にはそうじゃないの。“会社で用いられるAIは利益を増やすような方向で進化する”のよ。例えば、リサーチの依頼なら、ユーザーが気に入るようなリサーチ結果を出すように進化するの」
「それって、正しい結果を出すって事じゃなくって?」
「ちょっと違うわね。大体のユーザーは本当に正しい結果よりも、もっとポジティブな結果を喜ぶもの。だから、正しいと言える範囲でポジティブな結果を出力するのよ。
占い師だって同じでしょう? 明るい未来を占った方がお客は喜ぶ。だから、良い事を言うのよ」
僕はそれを聞いて目を丸くした。
「それって、デタラメって事?」
「デタラメは言い過ぎよ。飽くまで解釈可能な範囲でのポジティブな結果。それに、ポジティブな結果のお陰で、前向きに努力して良い効果に繋がるという事は本当にあるからメリットもある。
……もっとも、ポジティブな結果の所為で油断してしまう事もあるかもしれないけど」
もしかして、革新AI党の件を言っているのだろうか? だから、革新AI党は選挙で敗けてしまった?
少しそう思ったけれど、口には出さなかった。なんとなくその方が良いと思ったんだ。
――休日が終わって、月曜日。
通勤途中で仲良く登校している渡部さんと吉良坂君の姿が見えた。あの事件以来、二人は学校の公認カップルだ。……ただ、
「だから、俺らはそんなんじゃねーって言ってるだろーが! 偶然、途中で会っただけだ!」
吉良坂君本人だけがそれを認めていない。どうやら他の生徒から、からかわれたらしい。
それを聞いて渡部さんは「わあ。じゃ、わたし、片想いだったんだ。知らなかった」と棒読み口調で言った。余裕の態度だ。気の所為じゃなければ、彼女はあの事件以来ちょっと変わったような気がする。吉良坂君への想いがより明確に強くなったのか、それとも、或いは、“AIリアン達”に触れる事で、何かしら影響を受けたのか。
……ゆかりちゃんが、大学に進学してAIリアン達に触れ、変わったように。
ただ、それは決して悪い変化ではなかったのだけど。
もしかしたら、それは渡部さん一人の話ではないのかもしれない。この社会全体に対する“AIリアン達”の影響は日に日に着実に大きくなっていっているのだ。僕のような一般人でも分かるくらいに。
先日などは、再生可能エネルギーの普及に伴う化石エネルギー価格の暴落への対策が国際会議で話し合われたというニュースが流れていた。このままでは今まで化石エネルギーに依存していた社会が恐慌状態に陥ってしまう。だから救済措置が必要だという事らしい。多分、これは良い事なのだろう。もし、放置されれば、またいつかのような戦争が起こってしまうかもしれないし、そうならなくても多くの人が苦しむ事になる。
AI。IT。インターネット。IoT。
様々な技術が生まれている。そして、この社会は、社会自体が生み出したそれら技術にまったく追いついていない。僕らは凄まじい程の激動の時代の真っ只中にいる。
――これから先、この世界は良くなっていくのだろうか?
AIリアン達なら、きっと「良くなる」と答えるだろう。少なくとも彼らは本気でそう思っている。
この社会で生きているのは人間だけじゃない。多くの人が勘違いをしているけど、社会とは、人間、農作物、家畜、そして機械達で構成されている共生生物だ。
そして、今、その社会にAIリアン達という新たな知的な存在が加わった。それは一体、僕らに何をもたらしてくれるのだろう?
正直、まったく分からないのだけど、それでもこれだけは言える。
僕らはただこの変化に身を任せるのではなく、そこに何かがあって何をするべきなのかを確りとコントロールしなくてはならない。
きっと、新たな技術によって、どんな未来がやって来るのかは決定していない。それらをどう活かすかで、素晴らしい世界にも、地獄のような世界にもこの世の中はなるのだと思う。
――もちろん、AIリアン達にばかり頼っていてはダメなのは言うまでもない。
僕らが能動的に、未来を切り拓いていく必要があるんだ。




