52.AIリアンの誰か
小鳥遊歩が渡部葵や、彼女の命を狙う全個一体会の男を追いかけていくと、板前ゆかりは出力していた自分のAIを引っ込めた。フードの男も同様に鼠を引っ込めている。ここにはもう用はないという事だろう。
“歩君を追わないと”
が、そう思って駆け出そうとしたところで、彼女は道を塞がれた。見たこともないサラリーマン風の男が立っている。全個一体会かもしれないと彼女は疑ったが、直ぐに奇妙な点に気が付いた。もしそうだとするのなら、もっと早くに自分を攻撃しているはず。
なんとなく、彼女は察した。この男はAIリアンだ。恐らくは今回の件を仕掛けた内の一人。
――この直感が当たっているとすれば、私を邪魔する意図は……
そう彼女が考えたところで、AIの鼠を操っていたフードの男が小鳥遊歩の後を追う姿が彼女の目に入った。
“……なるほどね”
と、彼女は思う。
そして、彼らの計画には、小鳥遊歩や渡部葵の安全は考慮に入っていないはず。このままでは二人が危ないかもしれないと考え、策を練り始めた。
渡部さん達を追ってしばらく走ると小さな公園が見えた。元から人が少ないのか、それとも物騒そうな連中が入って来たと思って逃げ出したのかは分からないけど、渡部さん達以外には誰も人がいなかった。
「おい! 崎森、止めろ。ここには監視カメラが設置されてあるぞ!」
山井さんがそう言っている声が聞こえた。見ると、崎森というらしい凶悪な顔の男が渡部さんを片手で捕まえている。吉良坂君との格闘で彼もそれなりにダメージを負ったのか、顔からは血が流れていた。
「放しなさいよ!」
青森さんが彼を平手で叩いていたが、彼は平気そうな様子だった。軽く彼女を一瞥すると、彼はもう片手の方の手で彼女の顎に拳を叩き込んだ。すると彼女はそれだけで後ろに崩れるように倒れてしまった。
彼女達の体力は低い。でも、それにしても脆すぎる。
それで僕は察した。
多分、彼女達には身体能力強化ブーストアップの副作用が出ているんだ。肉体の負荷に耐え切れず、弱っている。
「おい! 本当にやめろ! 警察に捕まってしまうぞ? お前だけの問題じゃないんだ。組織全体の問題なんだよ!」
山井さんが彼を説得している。僕はイリュージョンクリエイターを使う準備をしながら、彼らの様子を静かに窺った。説得に応じてくれるのならそれが一番良い。
が、駄目だった。
「アッハッハッハ! 今更、何を言ってやがるんだよ、山井!」
崎森は大きな声で笑うと、両腕で渡部さんの首を絞めようとした。渡部さんは抵抗して暴れていたけど意に介さない。彼女の首を絞めながら続ける。
「もう遅いよ。俺はさっき変なガキを殴りまくったんだ。死んでもおかしなくないって勢いでな。警察には捕まる」
「罪の重さを考えろ! その程度なら、組織への影響は揉み消せる」
「知らねーよ! あいつらは戦争がやりたくてがんばっているんだろう? こいつを殺せば“世界平和”なんて実現されずに済むんだぜ。そういう話だったはずだ。なら、充分な成果じゃないか。もし仮にこれで組織が終わってもよ」
そう言い終えると、崎森は腕に力を込めた。
どうやら彼は刃物の類は持っていないらしい。まだマシだ。けど、相当に力が強いらしい。このままでは華奢な体格の渡部さんは簡単に絞め殺されてしまうかもしれない。
“直ぐにイリュージョンクリエイターを使わないと!”
僕はザシキワラシを呼び出すと、彼に対してハッキングを仕掛けた。が、再び前と同じ現象が。触れないのだ。不気味な予感を覚えて足元を見ると鼠が這っている。辺りを探すとさっきのフードの男が公園の出入り口にいるのを見つけた。こっちを見ている。
“あいつが邪魔しているんだ!”
僕は愕然となる。どうする? このままでは渡部さんは絞め殺されてしまう。崎森という男を無理矢理に止めるか、殴ってでもフードの男を追っ払うか。いや、どちらも僕には向かない。やるべきなのか……
ゆかりちゃんはあいつの鼠を抑えられたんだ。僕にだってできるはず! ザシキワラシで強引にあの鼠達を突破する!
僕は意識を集中させると複数のザシキワラシ達を高速で迂回させ、横から崎森に突っ込ませようとした。がしかし、鼠達のガード範囲は異様に広くてどの方角から攻めても弾かれてしまう。一点を狙って、力技で無理矢理強引に突破しようとしても堅すぎてダメだった。単純に計算能力が桁外れなんだ。
僕は戦慄した。
“なんだ、こいつ? 本当に人間か?”
僕だって、AI連携能力強化学習方で相当に脳を鍛えてあるんだ。これ程までの差があるはずがない。
その時、山井さんの声が聞こえた。
「いいから、やめろって!」
崎森を止めてくれているんだ。彼の腕を掴んでいる。
「なんだぁ? てめぇ、裏切るのか!」
「どっちがだよ!」
このまま止めてくれればありがたいけど、あの崎森とかいう男の戦闘能力の高さを考えると無理だろう。時間稼ぎくらいにしかならないと見るべきだ。
僕は鼠を使っているフードの男を見やった。考える。
“多分、あいつはAIリアンだ。きっと今回の件を仕掛けた奴の一人。じゃなければ、このAI操作能力の高さは説明できない”
だけど、だとするのなら疑問があった。何故、僕の邪魔をするんだ? あいつらの狙いは全個一体会に罪を犯させて排除する事のはずだ。全個一体会の連中はもう十分に罪を犯しているじゃないか。証拠の動画だって撮られている。
“……まさか、まだ足らないと思っているのか?”
そう僕が思った瞬間、鼠使いのフードの男がにやりと笑った気がした。多分、僕の予想通りなのだろう。
僕は歯ぎしりすると、AIリアンの彼にはAI操作術では敵わないと認め、スマートフォンを取り出し、崎森を撮影し始めた。全個一体会の犯罪の証拠を残せば、フードの男は引いてくれるはずなんだ。
崎森が山井さんを殴り飛ばすのがスマートフォンのカメラ越しに見えた。その後で彼は再び渡部さんの首に手をかけた。殺すつもりだ。既にかなり弱っている彼女は抵抗ができなくなっている。
“これで十分だろう?”
フードの男に目をやったが、彼はまだ鼠を仕舞わなかった。
「いい加減にしてくれ! 渡部さんが殺されてしまう!」
僕は叫んだけど、フードの男は何も反応をしない。
その時だった。
「おい! こっちの公園に誰かいるぞ! 女の子が倒れている!」
そんな声が聞こえて来たのだ。
――少し前、
『ウーパールーパー君。出番よ』
板前ゆかりは、日野晃に連絡を取っていた。彼はそれを受けると『オーケーです。何をすれば良いのですか?』と返す。
『時間がないから手短に話すわ。
渡部さん達があっちに逃げて、全個一体会がそれを追いかけた。私は道を塞がれて通れない。多分、通行人達に証拠の動画を撮らせれば、渡部さんは殺されないで済む』
それを聞くと彼は『分かりました』と返した。
『イリュージョンクリエイターで、僕の幻を周りにいる人達に見せてください。もちろん、音声も通るようにお願いします。説得してみますから』
『ありがとう』と彼女はお礼を言うと、同時にアインに連絡を取った。
『アインさん。どうせ私達の会話に侵入して聞いていただろうから分かっているでしょう? 認識阻害装置が働いているから、通行人達は全個一体会を認識できません。なんとかなりませんか?』
アインから直ぐに返答がある。
『オッケー。やってみるわ。通行人に仕掛けたイリュージョンクリエイターをオンにしたままにしておいて。小鳥遊君に連絡を取って、その接続をそのまま彼に引き継がせる。私が協力すればいけると思う』
『ありがとうございます』
お礼を言って、通りに目をやると日野は既に通行人を説得し始めていた。
『大変ですよ。女の子が殺されそうなんです! さっき、あっちに女の子が逃げていったでしょう? 殺人犯から逃げたのですよ!』
何人かの通行人がそれを聞いている。
「そう言えば、そんな女の子がいたな」
「男もいた」
「白いドラゴンを撮ったはずなのに、変な男達と女の子達が映っているんだよ。その女の子ってこれかなぁ?」
などなどと、口々に言っていた。
日野はタイミングを見計らって彼らにお願いをする。
『皆で助けに行ってはくれませんか?』
通行人達は顔を見合わせた。やや戸惑っているようだった。その反応を受けて、彼はこう続けた。
『特別な事はしなくて良いんです。ただ、スマートフォンで撮影するだけで。犯罪の証拠が残ると分かれば奴らは手出しできなくなります。それに、もし、撮影できればきっとSNSでバズりますよ。そういう動画は報道番組が高値で買い取ってくれるらしいので金にもなります』
そこで声が上がった。
『オレ、行こうかな?』
ただし、それは本物の声ではなかった。板前がイリュージョンクリエイターで聞かせた幻聴だった。が、その偽物の声に釣られて「よし、行こうぜ」、「私達も行こう」と次々と声が上がる。
そして彼らは一斉に走り出したのだった。
僕は目を白黒させていた。
突然、たくさんの人達が現れたからだ。そこでアインさんから連絡が入る。
『詳しい説明は後でするけど、その人達は認識阻害装置の影響があるから、全個一体会を認識できない。けど、イリュージョンクリエイターが既に仕掛けられているの。今、それを君に接続しているところ。それで、渡部さんが襲われている幻をその人達に見せられない? そうすれば、全個一体会の連中を撮影し始めるはずよ』
僕はなんなとく察した。きっと、ゆかりちゃんが何かをしたんだ。
それから僕は直ぐに崎森が渡部さんの首を絞めているシーンを思い浮かべた。ついさっき見たばかりで、印象深く残っている。イメージするのは容易かった。すると直ぐにこんな声が上がったのだった。
「本当だ! 本当に女の子が襲われているぞ! 首を絞められている!」
どうやら成功したらしい。
そして彼らは一斉に崎森を撮影し始めた。山井さんを殴り飛ばした崎森は、それに構わず渡部さんの首を絞めていた。
鼠使いのフードの男がにやりと笑うのが分かった。これなら十分という意味だろう。周囲にいた鼠が消える。これでイリュージョンクリエイターが使えるはず。
が、その瞬間だった。
「この野郎!」
そう声が響いて、鼠使いは誰かに殴られていたのだ。見ると、それはなんと吉良坂君だった。どうやらボロボロの状態で追いかけて来たらしい。本当に凄い根性だ。
「板前さんに聞いたんだよ! お前が邪魔しているってな!」
もう彼は邪魔はしていない訳だけど、これくらいの罰が当たっても良いような気はした。自業自得だ。




