48.まだ渡部葵さんは狙われている
「あのね、あゆむん」
ある休日の午後、部屋で寛いでいると、ゆかりちゃんが入って来てそう話しかけて来た。
“あゆむん”
彼女とは20年近く親密なお付き合いをし続けているけど、“あゆむん”呼びをされたのは初めてだった。ちょっと逡巡してからそれに合わせて返してみる。
「どうしたの、ゆかりん?」
すると、真顔で、
「何をふざけているの? 歩君」と返されてしまった。「いや、君から振って来たんだよね?」とそれに僕。
ただ、ツッコミを入れつつも気が付いていた。こういう風に彼女がおどけて話しかけてくる時は、大体まずい事が起こった時なんだ。何かトラブルかもしれない。
「それで、本当にどうしたの? 夕食の材料を買い忘れていたとか?」
すると、彼女はおずおずと口を開いた。
「実は渡部葵さんの件なのだけど」
「渡部さんの? 闇バイトの二人組からの報告では、上手く騙せたみたいだって事になっているみたいだけど」
「それが騙せていないみたいなの。いえ、時間が経って気付かれた…… と言うか、教えられたのでしょうね」
なんだかゆかりちゃんはとても言い難そうにしていていた。
「教えられたって誰に?」
「多分、AIリアンの誰か」
――AIリアンの誰か。
それを聞いて、僕は察した。元々はAIリアンを敵視する団体を罠に嵌める為に、AIリアンの誰かが計画した事だったんだ、渡部さんを狙わせるというのは。あのフェイク動画で騙せてしまったら、その計画が頓挫してしまう。その“AIリアンの誰か”が、何もしないはずがない。
「しかも、前回は渡部葵さんを凌辱しようとしていたけど、今度は彼女の命を狙おうとしているみたいなの」
「どうしていきなりそうなるの?」
「分からないけど、“AIリアンの誰か”が、“私達が渡部葵さんを守ろうとするのは、それだけの価値が彼女にあるから”とでも言って説得したのじゃないかしら? きっとその団体は元より血の気多い人達だろうから、やり易かったのだと思う」
「それって、誰情報なの?」
騙す理由なんてない気もしたけど、誤情報かもしれない。
「アインさん経由だけど、大元は不明。でも、敵を排除したいAIリアン達は私達を動かしたいだろうから、その為に伝えて来た可能性が高いわ。情報自体は信頼してしまって良いと思う」
それを聞いて「そうか」と僕は呟く。
ここ最近、世間では与党である自民党の分裂と解散総選挙が話題になっていた。勅使河原という政治家が自分の所属する自民党に反旗を翻し、革新AI党という政党を立ち上げたのだ。
――もしかしたら、それと関係があるのかもしれない。
いや、分からないけど。
とにかく、その情報は信頼するべきであるような気がした。
そうなると、当然、渡部さんを守る手段を考えないといけない。もちろん、僕一人では渡部さんを守り切れない。また吉良坂君を頼るしかない。ただ、今回の相手は規模が大きいだろうから、彼の協力だけじゃかなり心細いし彼自身の身も心配だ。せめてタイミングだけでも分かれば良いのに。
「いつ、どんな手段で渡部さんが襲われるか分からない。ちょっと厄介だね」
僕がそう不安を口にするとゆかりちゃんが言った。
「それについては案があるの」
「案?」
「そう。こっちが一方的に利用されるのじゃ、不公平だわ。私達を利用しようとしている“AIリアンの誰か”にも協力してもらいましょう」
それに、僕は首を傾げた。
一体、何をする気なのだろう?
学校で吉良坂君に「渡部さんが狙われてる。しかも、今回は命を狙われているらしい」と伝えると彼は目を丸くした。
AI連携能力強化学習方の実施の時に声をかけたのだけど、それを彼は俄かには信じられなかったようで、
「どこの誰がどんな理由で狙うんだよ?」
と、尋ねて来た。
ただ、「前の闇バイトの時だって本当だっただろう? AIリアンからの情報は信頼できるんだよ」と言ってから、
「AIリアンを敵視している人達っていうのはけっこういてね、渡部さんはAIリアンの中でも特殊だから、きっと目を付けられてしまったのだと思う」
と説明を付け加えるとなんとか納得してもらえたようだった。AIリアンが差別の対象になっているのは周知の事実なんだ。
「“AIリアン達”全体が繋がって不定形な組織を形成していて、世界平和を目指しているのだけど、それを邪魔しようとしている団体がいるんだ。その団体は渡部さんを殺せば“AIリアン達”が世界平和を目指さなくなると勘違いしているんだよ」
と、説明できれば一番なのだけど、まさかそんな説明する訳にはいかない。恐らくは信じてもらえないだろうし。
もし、これを説明した上で、“渡部さんを殺せば、AIリアン達が世界平和を目指さなくなる”という情報が、その権謀術数の争いの中で、AIリアンの誰かが流布した誤情報だと知ったら、彼はどう思うだろう? 想像すると少しだけ胸が痛んだ。
……とにかく、納得した吉良坂君はAI連携能力強化学習方で知能を鍛えるモチベーションを大きく上げ、無事にイリュージョンクリエイターを使えるレベルにまで知能を上げる事ができた。まだちょっと操作は覚束ない感じなのだけど、それでも複数人から襲われても幻を見せれば対抗できるだろう。相手を行動不能に陥らせる事は無理でも、自身と渡部さんを守るくらいはできる。もっとも、以前僕が一度、イリュージョンクリエイターを使っているから、相手の団体もそれくらい把握していて対策をしている可能性が高い。イリュージョンクリエイターだけじゃ不十分だろう。だから僕らは“対策の対策”も考えていた。
そして、そうして僕らは準備を整えていったのだった。
「――準備ができたのなら、こっちから仕掛けるわよ」
と、僕が吉良坂君がイリュージョンクリエイターを使えるようになった事を伝えると、ゆかりちゃんは言った。相手が仕掛けるのを待っていたら不利になる。24時間体制で長期間警戒し続ける訳にはいかないからだ。絶対に集中力は切れる。
ならば、わざと隙をつくればいい。そうすれば相手から攻めて来てくれるはずだ。“はずだ”と言うよりも、それを意図的に“AIリアンの誰か”に伝えて、相手を動かしてもらうのだけど。
「かなり雑な作戦で良いわ。むしろ、雑な作戦だからこそ良い」とゆかりちゃんは言った。彼女によれば、だからこそ、“AIリアンの誰か”に伝わるのだそうだ。
話し合った結果、その“雑な作戦”は、買い物イベントで決行する事に決まった。渡部さんとその友達の青森さんの二人で洋服を買いに行ってもらって意図的に隙をつくり、そこを敵に狙わせるのだ。僕としては渡部さんと吉良坂君のデートにするべきだと主張したのだけど、
「絶対にやらなねぇからな!」
と、吉良坂君に断られてしまった。
渡部さんと彼とのデートって事にしておけば、自然と渡部さんを守れて良いと思うのだけど。いつまでも照れ続ける訳にはいないのだし。
「こんなんだと、先が思いやられるよ?」
そう言ってみたけど無駄だった。
何故、そこまで頑ななのだろう?
因みに渡部さんも「ねー? そう思うでしょ?」なんて言っていた。
――なんにせよ、そうして作戦当日になったのだった。




