46.鼠という男
崎森が全個一体会の施設の一室に入ると、女性の悲鳴が聞こえて来た。しかも、それは幼さがかなり残る声質で、おまけにわずかながら甘さも帯びていた。
一瞬、年齢の若い女が連れ込まれてレイプでもされかかっているのではないかと彼は身構えたのだが、直ぐに気が抜けた。男どもが数人集まって、ディスプレイに映ったアダルト動画を観ていたからだ。しかも、ロリコン気味のレイプものらしい。趣味が悪い。
「なんでお前らは雁首揃えてエロ動画なんて観てやがるんだよ?」
と、彼は呆れながら言った。
よく見ると、見慣れない男もそこには混ざっていた。濃い紺色のパーカーを着ていてフードを被り、薄茶色のサングラスをかけ、細かな髭を口周りに生やした不潔そうな怪しい男だった。
「これはエロ動画じゃないよ」
と、それに野戸が返す。
「ああ?」とそれに崎森。
「じゃ、なんだってんだよ?」
するとそれには山井が返した。
「レイプの証拠動画だな。それを皆で本物かどうか検証しているんだよ」
「レイプの証拠動画ぁ?」
それを聞いて彼はますます分からなくなる。どうしてそんなものがここにある?
「ここに映っている女は、渡部葵だよ」
そう言ったのは海原だった。が、その名も彼には分からない。
「誰だよ、そいつは?」
すると野戸が説明した。
「AIリアンの一人で珍しく感情豊かなんだが、一説によると、この女の感情にAIリアン達全体が引っ張られているらしい。この女が世界平和を望んでいるから、AIリアン達は世界平和に動いてるのだそうだ」
その説明に彼は驚く。
「なんだそりゃ? 俺は聞いてないぞ?!」
その返答に野戸は呆れた。
「それりゃそうだろうな。お前は聞いていないよ。上からの説明をほとんど聞き流していたからな」
頭を軽く掻いて、野戸の自分を責める視線を誤魔化すと、「で、それがどうそのエロ動画と関わって来るんだよ?」などと彼は質問した。野戸が答える。
「その“AIリアン達は渡部葵の感情に引っ張られている”って説を検証する為に、闇バイトを雇って渡部葵を襲わせたんだよ。もしそれが本当ならAIリアン達に何らかの影響があるはずだろう?」
「ほー、なるほど」
だから、その証拠動画を皆で観ていたのだ。見慣れないフードの男をやや気にしながら崎森はこう続けた。
「で、検証した結果、やっぱり嘘情報だったんだろう? AIリアンどもになんか変わった動きがあったなんて話は聞かないからな」
それには海原が返した。
「俺らもそう思っていたんだがな」
彼は言い終えるタイミングで、フードを被った男に視線を向けた。
“なんだ? この余所者に何かあるのか?”
崎森が訝しく思っていると山井が言った。
「この鼠って人が、このレイプの証拠動画は偽物だって言うんだよ」
なんだその妙な名前は?
と彼は思う。本名なのか仮名なのかは分からないが、ややケレン味を感じる。スパイ映画にでも出て来そうな名前だ。
「鼠ねぇ? あんた、何者なんだ?」と訊くと、山井が代わりに「うちと関りのある組織の一員だよ。AI操作の専門家で特殊な訓練を受けている」と説明した。ちょっと気に入らなかったが、彼は何も言わなかった。目をやると鼠は口を開いた。
「かなり精巧に作られているが、これはAIを利用したフェイク動画だ。マイナーなエロ動画を基に渡部葵の写真を取り込んで制作されてある。詳細に解析しなければ分からないがな」
「証拠は……」と彼が言いかけると、鼠は彼の言葉に被せて「基になったエロ動画を見つけてある。リアルが売りの裏のアダルト動画サイトにあった」と述べ、そのDVDを取り出して彼に見せた。野戸が続ける。
「で、今、双方の動画を見比べていたところだったんだよ。確かにかなり似ているな」
腕を組むと崎森は尋ねた。
「でもよ、そんな精巧な偽物、作れるものなのか? 雇った闇バイトって何者だよ?」
「雇ったのはただの高校生だよ。そんなものを作れる力はない」
「なら、偶然似ているだけなんじゃないのか?」
彼は詳しくは知らなかったが、裏のエロ動画はかなりの本数が販売されているように思う。似ている動画が一つや二つくらいあっても不思議ではない気がしたのだ。
「闇バイトには無理だ。だが、AIリアンになら可能だ」
鼠がそう言った。
「AIリアンが闇バイトに関わっているって言うのか?」
「そうだ」と答えると、鼠は妙な紙を取り出して彼に見せた。男の写真が貼ってあり、何かしら説明が書かれてある。
「小鳥遊歩。現在、研究員として渡部葵が所属する高校に通っている。この男自身はAIリアンではないが、この男の恋人がAIリアンだ」
それに反応して野戸、海原、山井の三人が顔を見合わせた。この三人は、一度小鳥遊歩と争って酷い目に遭っているのだ。
「恐らく、AIリアンがお前らの雇った闇バイトを撃退、説得をして渡部葵が凌辱されているフェイク動画をお前らに渡すように仕向けたのだろう。闇バイトの立場からすれば、警察に捕まらなくて済む上にお前らからの報酬も貰える。断る理由がない」
崎森はそれを聞いて「ほー」と言った。拳を握りながら続ける。
「その話が本当なら、その闇バイトは俺らを騙したって事になるな。やっておくか?」
野戸が宥めた。
「止めておけ。実は騙したとも言い切れないんだよ。闇バイトへの依頼内容は“渡部葵が襲われている卑猥な動画の撮影”だったからな。変態趣味の男の依頼って事にしてあるのだが。だから、渡部葵の卑猥な動画さえあれば要件は満たしているとも言える」
「チッ」と崎森は舌打ちをする。鼠が続けた。
「とにかく、AIリアン達がこっちに誤情報を流そうとしたって事は、“渡部葵の感情が、AIリアン達全体に影響を与えている”という話の信憑性が増したと考えて良い」
「なんでだよ?」
「AIリアンには感情がないんだ。殺されるのならまだしも高が凌辱されるくらいなら無視をするさ。コストもリスクもかける価値がないと判断するからな。コストもリスクもかけて動いたのなら、渡部葵の話が本当だって事だろう。秘密を守りたかったんだ。
――渡部葵には殺す価値があると判断するべきだろう」
ちょっと考えると崎森は尋ねた。
「それ、確証はない話だよな?」
「ないな」
「なら、もう一度、確かめてみれば良いのじゃないか?」
また闇バイトを雇って襲わせれば良い。
「再度似たような事をやられるだけだろう。それに何度もやっていれば警戒はより強くなっていく。警察が本気で動く可能性もあるしな」
それを聞いて崎森は黙った。
理屈の上では、渡部葵に殺す価値がある事を彼は認めていた。もし、その話が本当だったなら、渡部葵を殺せばAIリアン達は世界平和の実現に向けての動きを止めるという事になるからだ。いつものように、仮に成功してもほとんどダメージを与えられないような作戦ではない。コストとリスクに見合ったリターンがある。
が、何か彼は乗り気がしなかった。それは理屈ではなく感情に起因していた。今回の件ばかりではない。彼はAIリアンに対しては何故か敵意が沸かないのだ。
彼が悩んでいると海原が口を開いた。
「一応指摘しておくが、その小鳥遊歩って男は一部ではAIリアンって事になっているぞ。認定は受けていないがな。つまり、隠れAIリアンである可能性が大きい」
もちろん、海原がそう言ったのは自分達が小鳥遊歩に酷い目に遭わされているからだ。
鼠は頷く。
「その話は聞いている。それで小鳥遊歩の経歴を洗ってみたが、高校生までは間違いなく一般人だった。が、高校時代に独自に“AI連携能力強化学習方”を開発して自身に施している。その後は半AIリアン化した可能性は捨て切れない」
崎森はそれに反応した。
「なんだ、その“AI連携能力強化学習方”ってのは?」
野戸が嘆息する。
「本当にお前は真面目に話を聞かないな。小鳥遊歩が開発して、普及しようとしている知能強化方法だよ。AIとナノマシンネットワークを利用するようだ。“学習法”なんて付けて印象を良くしようとしているようだが、脳の改造だと俺達は考えている」
「なんだそりゃ? なんで、そんなのがまかり通っているんだよ?」
海原は肩を竦めた。
「さあな? ただ、小鳥遊歩本人は“AI連携能力強化学習方”を受ければ、AIリアンの知能の高さに迫る事ができると謳っているらしいぞ。人類の皆がAIリアン並の知能を身に付けられれば、戦争などといった非生産的な活動はしなくなり、軍事の為の資源をもっと有用な事に使えるようになるのだと」
「ほー。なかなかムカつく話じゃねぇか」
「因みに、今回のターゲットの渡部葵もこの“AI連携能力強化学習方”を気に入っているようだ。自分の恋人の男子高校生に受けさせているみたいだな」
それを聞き終えると、崎森は何故か急に「アッハッハ」と笑い始めた。
「自分達AIリアンの方が上だって前提の胸糞悪い考えだな、それは」
そして、それから大きく口の端を歪ませると彼はこう言ったのだった。
「おい、野戸。なんかやる気が出たぜ。今回の話、俺も加わってやるよ。その渡部葵ってムカつくAIリアンを殺すのを手伝ってやる」
「何を威張ってるんだよ、お前は」と、それを聞いて野戸は返したが、それでも彼が加わってくれる事を頼もしく思っていた。




