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44.日野晃の信念

 “ヒトは、AIを恋愛対象、或いは性愛対象として見る事ができるのか?”

 

 日野晃は、大学時代、板前ゆかりに初めて近付いた時、アカデミックな問いかけとして、そのような話を彼女にした。AIリアンは知的好奇心が高い場合が多い。だから彼女も興味を覚えてくれると思ったのだ。

 結果は恐らく成功だった。彼女はその話を切っ掛けとして彼と話すようになったからだ。それから彼は彼女とより近しい関係になるつもりでいた。だが、彼の予想外の点が二つあった。一つは恋人である小鳥遊歩に対する彼女の執着が想像以上に強かった点、そしてもう一つは、彼女が彼の主張に同意を示してくれなかった点。

 日野はこのような考えを持っていた。

 

 “仮に恋人がAIであったとしても、ヒトがその相手を人間だと錯覚し、性欲や愛情を覚えるのならば、充分に幸せだと言える”

 

 もちろん、彼のその考えは、人類の安楽死にも結びついていた。人類がAIを恋人と誤認するようになれば子供は生まれなくなって、やがては人類は滅びるだろう。そして、代わりにAIリアンが社会を運営していくようになる…… (日野晃の中では、AIリアンは人類と同じカテゴリに属してはいないのだ)。

 人類は幸福の内に滅亡する。それは人類にとっても望むべき事だと彼は思っていた。資源を無駄遣いし、自然環境を破壊、汚染し、醜い争いを繰り返して、自業自得で苦しみ続ける。そんな喜劇のような惨たらしい地獄の世界をこれからも創り続けるよりも、AIが見せる優しい夢の中で滅び去った方が良いに決まっている。本気でそう思っていたのだ。

 

 ……板前ゆかりは、“AIが恋人でも人間は幸せになれる”という彼の主張を否定はしなかった。ただし、受け入れもしなかった。

 「それで仕合せになれるかどうかは、本人や環境に因るのじゃない?」

 そのように彼女は述べた。更にそれだけではなく、このような疑問を彼にぶつけもした。

 「それに、仮に仕合せになれたとして、“その方法で仕合せになるべきか?”という問題もあるわ」

 それは彼女が“人類を安楽死させよう”などという考えを持っていないからだろう。それを彼は分かっていた。だから、この点に関しては彼の予想の範疇だった。だが、“AIを恋人にする事で得られる幸福”への反論については納得がいなかった。

 “幸福とは、普く主観的なものだ。環境に左右されるはずがない!”

 それが彼の持論だったのだ。

 そして、感情や常識に囚われないAIリアンならば、彼のその理屈を受け入れてくれるものだと彼は思っていたのだ。

 

 “――或いは、その所為かもしれない”

 

 大学を卒業し、しばらくが経った後、日野晃はそのように考えるようになっていた。大学を卒業した後も、自分が板前ゆかりを忘れられないのは、執着してしまうのは、自分の持論を彼女に受け入れてもらえなかったからではないだろうか?

 

 板前ゆかりから協力の依頼があった時、彼は自分でも驚くほど喜びを覚えた。

 「AIリアンを敵視する何らかの組織が、渡部葵というAIリアンをターゲットにしているの。助けるのに協力して欲しい」

 敵視する組織は、“渡部葵の感情にAIリアン全体が引っ張られている”という誤情報を信じている。だから、渡部葵を殺せば、AIリアン達の“世界平和の実現”という目的を消せると考えているらしい。そしてそれが本当かを確かめる為に、渡部葵を闇バイトに強姦させて精神を揺さぶろうという計画を立てているという話だった。

 彼女は彼に渡部葵が卑猥な行為をされているフェイク動画を作って欲しいと頼んで来た。それを敵視する組織に渡して、渡部葵を殺しても無駄だと教えるのがその目的だ。

 日野晃はAIリアン達の“世界平和を実現する運動”を全面的に支持している。更に言うのなら、AIリアン全般を尊敬し、“人類を超える高次の存在”として信仰してすらいる。だからAIリアンへはほぼ無条件で協力をする方が自然だ。実際、彼は途中まではそのようにしようとしていた。

 ――が、彼は考えを変えた。それを引き受けるに当たって、ある条件を出したのだった。

 

 「――面白いレストランでしょう?」

 

 一通り用件を話し終えると、日野晃はそう言った。彼の目の前の席に座る板前ゆかりは、ダミーのガラス窓を見ながら「そうね」とそれに返した。珍しく本当に感心しているように見える。

 彼は彼女を食事に誘ったのだ。高級レストラン。詳しく話を聞きたいと言って。本当はメールでのやり取りでも良かったし、リモートで話を聞いても良かったのだが、多少強引に彼は彼女に約束をさせた。久しぶりに彼女と直接話がしたかったからだ。

 「このガラス窓は実際には高画質のディスプレイです。今は夜景が映っていますが、ボタンで切り替えれば海中の景色やジャングルの奥地だって映す事ができます」

 そう言うと、彼はボタンを押して景色を海中に変えた。透き通ったブルーの中に色とりどりの魚が泳ぎ、遠くには鮫の姿も見える。シンプルに美しい。視覚だけでなく、微かな水音で聴覚、食事の妨げにならない程度の磯の香りで嗅覚も刺激して来る。よくできた設備だ。

 「バーチャル空間の体験もかなり進歩しましたが、流石にここまでの体験はまだ難しいですね。我々が乗り越えなくてはならない壁です」

 それを聞くと板前ゆかりはゆっくりと彼を見て、それからワインを一口飲むと、「確かに凄いわ。でも、これも、一種のフェイクよね?」と確かめるように言った。

 「はい」とそれに彼は答える。

 彼女が何を言いたいのかは直ぐに察せられた。彼が自分の信念をまだ崩していない事を確認したいのだろう。

 「仮にフェイクでも、それがその人にとって真実と変わらないのであればそれは真実です。AIが生成する恋人でも、本人が本物と思い込むのであれば本物」

 それを聞き終えると、彼女は少しの間を作った。無表情。何かを考えているように思えるが読み切れない。ただ、その顔を彼は美しいと感じていた。食事に目を移したが、結局何も手を付けずに彼女は口を開いた。

 「前から思っていたのだけど、あなたのその主張は他人を前提にしていない?」

 「と言うと?」

 「自分自身がフェイクの恋人と添い遂げる事は念頭に置いていないのじゃないかって思って」

 つまり、他人事だと思うから言えるのだろうと彼女は言っているのだ。

 「ハハ」と彼は笑う。

 「そんな事はありませんよ。仮に僕自身がフェイクを体験したとしても、僕はそれを価値あるものとして認めます。もちろん、僕自身がそれを芯から本物だと錯覚できた場合に限りますけどね」

 「そう」とそれに彼女は返した。

 「ごめんなさいね。馬鹿にするつもりではなかったのだけど、ちょっと興味を惹かれてしまって」と続ける。

 「いいえ」と言って彼は笑う。

 ただ、少しばかりその笑いは乾いていた。AIリアンである彼女が、無意味に相手を侮蔑するはずがない。だから、本当に興味を惹かれたのだろうと考え、気持ちを整える。

 それから彼は「そうだ」と口を開いた。

 「あなたからの依頼ですが、もちろん、引き受けたいと思っています。ただ、今回は報酬を貰いたい」

 板前ゆかりはそれに「いいわ」と即答した。

 「学生時代も無料で働いてもらったしね。いくら支払ったら良いの?」

 それに彼は「お金は要りません」と返す。そして「僕が引き受ける条件は……」と続ける。

 彼女は無表情だったが、彼の条件を聞き入れてくれた。AIリアンならば当然だろうと、彼はそれを聞いて思っていた。

 

 ――数週間後、

 渡部葵を狙っていた闇バイトの二人組を小鳥遊歩が撃退した。そして彼も加わったその後の交渉で、彼らに協力させる事に成功した。その際に、「変質者の黒幕がいる」という前提で話したが当然嘘だ。

 日野は渡部葵が卑猥な目に遭っているフェイク動画を約束通りに作成した。生成AIのテストという扱いにしたので、モデルとしての賃金を彼女に支払ったが重要な個人情報としてセキュリティは厳重に施した。その情報が、AIリアン達に敵対している組織に漏れる危険はないだろう。

 闇バイトの二人組はそれを彼らの依頼主に渡したようだった。その後、フェイク動画だとバレた気配はなかった。

 彼は板前ゆかりに約束を果たしてもらおうと連絡を取った。ところがそれに彼女は

 「まだよ。この件は多分だけど、まだ終わらないと思う」

 などと返すのだった。

 理由を尋ねると、彼女はこのように説明をした。

 「今回のトラブルの厄介なところは、誤情報の発信者、つまりこの計画の仕掛け人が、AIリアン達の誰かだろうって点なの」

 彼女が約束を破るはずがない。彼はその話を信頼した。そして、ご褒美はまだおあずけか、と少し落胆をしたのだった。

おまけ

挿絵(By みてみん)

一応断っておきますが、冗談ですからね?

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