43.取引
「――どういう事だよ?」
と、身体の大きな方が言った。
実を言うのなら、小鳥遊先生の「警察は許してあげても良いよ」という発言に吉良坂も驚いていた。これから直ぐに警察に通報するものだとばかり思っていたからだ。
「こっちとしては君らが騙されている事は分かっている。君らを逮捕しても黒幕は恐らくは無事のはずだ。そういう風に準備しているからこそ、君らを雇ったのだろうしね」
その小鳥遊先生の説明を聞いて吉良坂は文句を言った。
「いや、だとしたって警察に連絡して捕まえてもらうのが筋だろうよ? こいつらは悪事をしているんだし。黒幕どうこうは関係ない」
「でも、それで黒幕が捕まらなかったら、ずっと渡部さんは危険なままなんだよ? 黒幕はまた新しい闇バイトを雇うだけで良い」
「だからって、こいつらを許す理由にはならないだろうが!」
それを聞くと小鳥遊先生は、一瞬止まった。そして刹那の間の後で、
「ただで“許す”とは言っていない」
と返したのだった。何か考えがありそうな顔。そして、闇バイトコンビの方に目を向けるとこう続けた。
「取引をしないか? もし、僕らに協力してくれるのなら君らの犯罪行為は不問にするよ」
闇バイトコンビは顔を見合わせる。何かを言いかけたが、その前に渡部葵が「この人達に協力してもらって黒幕を捕まえようって話?」と質問をした。
「いいや、違うよ。その程度で捕まえられるほど甘くはないだろう」
小鳥遊先生の言葉に闇バイトコンビは戸惑った表情を浮かべていた。何を協力すれば良いのか分からないでいるようだ。そこで「おっ! 連絡が来た」と小鳥遊先生は独り言のように呟いた。恐らく何らかのメッセージを受け取ったのだろう。そして「ここから先は彼から説明してもらった方が良いと思う」と続けると、闇バイトコンビ、吉良坂、渡部葵と順番に見回し、「君らも“見える”ようにしておいたよ」と吉良坂と渡部葵に告げる。
――その直ぐ後だった。
ぼんやりとした人影が吉良坂の目の前に浮かぶ。例の幻を見せる技術だろう。やがてそれは急速に像を結び、いかにもモテそうなクールな雰囲気のある男性が現れた。ちょっと吉良坂の嫌いなタイプだった。
「彼は僕の大学時代の友人だよ。AIリアンではないけどね。通信でちょっと離れた場所から参加してもらっている」
小鳥遊先生が言うと、「どうも、日野といいます。今はセックスパートナーAI開発の仕事をしている者です」とその男性は自己紹介をした。日野という男性の登場に闇バイトコンビは顔を見合わせる。小さな方が声を上げた。
「セックスパートナーAI?」
「文字通り、性サービスを提供するAIの事ですよ」
“なにぃ!”とそれを聞いて吉良坂は思う。闇バイトコンビもちょっと興味を惹かれた感じだ。日野がそんなタイプには思えなかったので彼は少しばかり驚いてしまっていた。「ちょっ! 変な男を渡部に紹介するなよ!」と思わず言ってしまう。彼は少しばかり渡部葵を特別視し過ぎなきらいがあるようだ。過保護と言うか。
それを無視して、闇バイトコンビの大きな方が言った。
「そんな奴がどうしてこの件に関わって来るんだ?」
すると、日野は涼しい顔で返した。
「今回、君達は、そこにいる渡部葵さんの卑猥な映像を撮影してくれと頼まれたのでしょう? 君らの雇い主はその映像を欲しがっていると聞きました。なら、君らが警察に逮捕されても次の誰かがまた騙されて、似たような依頼を請ける危険がかなり高いです。しかしそれは逆を言えば、君らが彼女の卑猥な映像の制作に成功しさえすれば、もうそんな犯罪を依頼する事はなくなるという話でもあるはずです」
自信たっぷりの口調。なんだか詐欺師のようだという印象を吉良坂は持った。
小さな方が言った。
「まさか、渡部葵とエッチさせてくれるって事か?」
「な訳ないだろーが!」
ほぼ反射的に吉良坂は彼を殴っていた。渡部葵がちょっと嬉しそうな顔をする。
「先ほども言いましたが、僕はセックスパートナーAIの開発を行っています。つまり、その手の卑猥な映像を制作する専門家だとも言えるのですよ。
現代の生成AI技術の水準の高さは知っていますよね? 渡部葵さんの画像データを取り込んでアダルト動画としてそれを出力すれば、彼女が卑猥な目に遭っているフェイク動画を作成できます」
大きな方が言う。
「つまり、俺らはその動画を依頼主に渡せば良いって話か?」
「はい。あなた達の雇い主はそれで満足するでしょう。あなた達は任務を遂行でき、渡部葵さんの貞操は護られてこれから狙われる心配もなくなるのです。全員にとってウィンウィンだと言えるでしょう」
それを聞くと小さな方が声を上げた。
「でもそれは雇い主を騙せって話だろう?」
変なところで律儀な性格をしているらしい。
それを聞くと日野は首を軽く傾げ、「騙す?」と一言返した。
「騙してはいないでしょう? その雇い主はあなた達に“渡部葵さんの卑猥な映像が見たい”と依頼を出したのですから。動画はフィクションですが、紛れもなく依頼内容の要件は満たしています」
すると大きな方が言う。
「なら、フェイク動画だって事を伝えても良いんだろうな?」
それにはあっさりと「それは駄目です」と日野は返す。
「雇い主に満足してもらう為には、リアリティは重要ですよ。実際に襲った事にしてください。そうじゃなくちゃあなた達も充分なお金は貰えないでしょう」
“それはやっぱり騙しているのじゃないか?”
と、吉良坂は思ったが口には出さなかった。
「もしかしたら、雇い主に罪悪感を覚えているのですか? でしたら、余計な気遣いです。相手はあなた達を捨て駒にしようとした連中なのですから。気にする必要はないでしょう。
それに、どんなフェイク動画でも、それを真実だとその人が信じるのなら、それは真実なのですよ。ならば、フェイクかどうかなど些末な問題でしょう」
“どうにも詭弁くさい”
と、それを聞いて吉良坂は思った。詐欺師のようだという自分の印象は正しかったのではないかと考える。
「そのフェイク動画だけで、雇い主が満足するってどうして分かるんだ? もっと他の渡部の動画が見たいって要求して来るかもしれないだろう? なら、渡部は安全になるとは言い切れない」
だから彼はそう反論したのだ。が、それにもあっさりと日野は返す。
「実は他にも似たような依頼が出ているようなのですが、いずれも一回だけで満足して終わっているのですよ。どうも今回の件の黒幕は、“綺麗なもの穢す”という行為に執着するタイプの変質者のようでしてね。だから多分、渡部さんも大丈夫でしょう。フェイク動画を渡せば、渡部さんが穢されたと考え満足するはずです」
“本当か~?”とそれを聞いて彼は思う。と言うよりも、もしそれが本当だったなら、それこそ警察に通報するべきじゃないのだろうか? そんな変態ヤローは、さっさと捕まえないと被害者が増え続けてしまう。そう彼は考えたのだが、そのタイミングで日野はこんな事を言う。
「犯人の特定に関しては心配しないでください。AIリアン達が動いているようですから、いずれ何らかの手段で解決するでしょう。例え警察に捕まらなくても」
まるで彼の心中を読んでいるかのようだった。やはり何か騙されているような気分になる。それから日野は闇バイトの二人を見据えると言った。
「さあ、どうします? 僕らの提案を呑んでくれるのならば、あなた達は警察に捕まらず、任務を遂行でき、お金も貰えます。もちろん、今後二度とこんな闇バイトの類には手を出さないと誓ってもらいますがね。
僕らの提案を断るのなら、仕方ないですが警察に通報します。今後、明るい人生が待っているとは思わないでください」
半ば脅しのようだったが、闇バイトコンビに選択の余地があるはずもなかった。大して悩みもせずに顔を見合わせると二人は「分かった。その提案を呑む」と答えた。
それを受けると、小鳥遊先生が吉良坂と渡部葵の二人を見て言った。
「こんな感じでまとまったけど、どうだろう?」
吉良坂は「チッ」と舌打ちしてから続ける。
「今更聞くなよ。もうまとまった後じゃねーか。……まあ、別に良いよ。殴られたけど、こっちも殴ったし、それに渡部は何にもされなかったしな」
本当は彼はフェイク動画とはいえ、渡部葵が穢されるシーンを変質者に見られるのは嫌だったのだがそれは言わなかった。
が、その後で渡部葵は、
「縛られる時とかに、この二人にオッパイは揉まれたけどね」
と続けたのだった。
それを聞いた瞬間、ほぼ反射的に吉良坂は闇バイトの二人を「この野郎!」と言って殴っていた。
「――おい。なんだよ、あの幻を見せる何かは?」
事が済んだ後、吉良坂は小鳥遊先生にそう尋ねた。闇バイトコンビは住所を押さえ、連絡手段を確保した上で解放した。もう逃げるのは無意味だから心配はないだろう。小鳥遊先生はやや動揺しつつ答えた。
「ああ、あれもAIリアン仲間に作ってもらったアプリの類でね。市販はされていないよ」
「そんな事は訊いてねーよ! なんで、あれを俺らにくれなかったのか?って訊いてるんだよ。あれがあったら何の心配もなかったじゃねーか!」
「ああ。あれはね、普通の人にはちょっと扱うのが難しいんだよ。僕はAI連携能力強化学習方で脳を鍛えているから使えるけどね。だから、吉良坂君には使えないんだ」
「なら、渡部にやれば良かったじゃねーか。AIリアンなら使えるだろう?」
吉良坂は実は少しばかり小鳥遊先生も疑っていたのだ。彼が騙しているとは思っていない。だが何かを隠しているような気がする。さっきの日野という男との連携。準備が良すぎる。だから少し探るつもりで訊いてみたのだ。
「渡部さんは性格的に向いていないんだよ。攻撃的なイメージをしなくちゃいけないのだけど、渡部さんの場合、できないでしょう?」
それを聞いて彼は渡部葵を見てみる。キョトンとした不思議そうな表情。“確かに、こいつだと可愛いヘビとか出しそうだな”と彼は思った。
「分かったよ。じゃ、俺がAI連携能力強化学習方を受ければ使えるようになるんだな?」
「充分に鍛えればね」
と言った後で小鳥遊先生は「使えるようになりたいの?」と訊いて来た。
「仕方ねーだろ! また渡部が狙われないとは限らないんだから!」
それを聞くと、何故か渡部葵は嬉しそうに声を上げた。
「吉良坂君、AI連携能力強化学習方を受けるの!? やった! これで同じ大学に行けるね!」
「なんで、そーなるんだよ!?」
と、吉良坂はツッコミを入れた。
話のピントがずれている。
ただ、それから彼は思い出す。彼女が矢鱈と彼にAI連携能力強化学習方を受けてもらいたがっていた事を。
“もしかして、一緒の大学に行きたかったからなのか?”
そしてそう考えて、少し顔を赤くした。




