40.助っ人達
「――失礼な子ね」
と、ゆかりちゃんが言った。夕食後、リビングで今日吉良坂君という男子生徒と知り合った事を伝えたのだ。「それにまだまだ子供ね。私の大人の色香が分からないとは」と続ける。
“……大人の色香?
……どこに?”
とは思ったけれど、もちろん言わない。
「とにかく、その吉良坂君って子が協力してくれそうなんだよ。さっきも言ったけど、彼は渡部葵さんに恋心を抱いているみたいでね。頼ってしまおうかと思っているのだけどどうだろう?」
そう相談すると彼女は即答した。
「賛成よ。協力を得られるのなら得た方が良いと思う。
……歩君が渡部さんを守る為に付き纏って不審がられるという面白いイベントがなくなってしまうのは残念だけど」
変な事を言ったのでスルーした。
「だけどさ、彼一人じゃ心もとないと思うんだよ。相手は二人以上はいると考えた方が妥当だ。単独犯は考え難いからね。
それで相談なんだけど、“イリュージョンクリエイター”を彼にもインストールさせてあげるというのはどうだろう?」
“イリュージョンクリエイター”とは、マーキングした相手に幻を見せられるというアインさんが開発したアプリだ。以前の全個一体会との悶着の際に僕が使って大いに役に立ってくれたやつ。
「あれを彼にインストールさせてあげられれば、相手が何人いようが問題ないよ」
ところがその提案をゆかりちゃんはあっさりと「無理ね」と否定してしまった。僕にはちょっとそれが予想外だった。
「いや、あんな強力なアプリを高校生に軽はずみに与えちゃいけないってのは分かるけど、場合が場合だし、それに問題が解決したらアンインストールすれば良いのだし」
「違うの」とそれにゆかりちゃん。
「あのアプリを歩君が操作できたのは、“AI連携能力強化学習方”で十分に脳を鍛えていたからなの。普通の人には無理だわ」
「え? そうなの?」
「うん。あんな危険なアプリが誰にでも使えちゃったら問題があるわよ。大体のAIリアンは使えると思うけど、AIリアンは悪用はしないだろうし」
それを聞くと僕は腕を組んだ。
「でも、なら、どうしよう? 吉良坂君は“喧嘩は強い”って自称していたけど、さすがに限界はあるだろうし」
「身体能力を強化させるアプリくらいなら、インストールさせてあげられると思う。多分、資金的に雇えるのは2~3人ってところだと思うから、喧嘩自慢ならそれで十分に対抗できるようになるはず。
ただ、リミッターを解除するって原理だからやり過ぎると体への負担が大きくなっちゃう。気を付けるように言ってね」
「分かった」
僕は力の強くなった吉良坂君を想像して少しだけ怖くなった。彼、荒々しかったから。そのアプリを使って誰かに乱暴したりして。いや、ま、大丈夫だとは思うけど。根は優しそうだから。
「暴漢を見つけても、一人で対処しないように釘を刺さないといけないな」
単なる勘だけど、彼の場合、むしろそっちの方が心配かもしれない。僕を呼んでくれさえすれば、イリュージョンクリエイターでなんとかできるんだ。
そう思ったタイミングだった。ゆかりちゃんが、
「ところで、実は私の方からも助っ人の紹介があるの」
と告げた。
「助っ人?」
「そう」
次の言葉を僕は待っていたのだけど、ゆかりちゃんは何故か間を作っていた。そして、ようやく口を開いたと思ったら、「まず、始めに断っておきたいのだけど」などと前置きをしてから語り始めた。
「“AIリアン達”は、膨大なネットワークで成り立っているわ。だから、そのネットワークを通じてAIリアンの誰かに助けを求めようと思えばいくらでも助けを求められるの」
「うん。分かっているよ」
それにゆかりちゃんは軽く頷く。
「でも、できる限り、そのネットワークは使わない方が良いのよ。何故なら、AIリアン達が組織化されているって世間にバレちゃうリスクがあるから。そして、それが私達の中の暗黙の了解にもなっている。だからトラブルがあって誰かに助けを求めたい時でも、近くの知り合いに頼むが常なのね」
彼女のその説明を聞いて僕はちょっと不思議に思っていた。なんだか彼女が言い訳をしているように思えたからだ。そして、彼女はこう続けたのだ。
「それで、今回、助っ人を頼んだのは、実はウーパールーパー山岸君なの」
「ウーパー? ……って、ああ、日野君か」
「そんな名前だったかもしれないわ」
「でも、どうして彼なの?」
他にいくらでも頼れそうな知り合いはいるような気がするのに。彼はAIリアンでもないし。
「だって、エロ関係に強いAIリアンなんて滅多にいないから」
そう言われて僕は思い出す。今回の“渡部葵さんを守る”作戦には、エロ関係の生成AIに長けた人材が必要なのだ。そして彼はエロゲ会社でセックスパートナーAIの開発に携わっているから専門家だと言っていい。
「なるほど。それは仕方ないかもしれないね」
そう僕が納得すると、ゆかりちゃんはホッとしたような表情を浮かべた。
多分、日野君がゆかりちゃんを特別視しているから彼女は僕に気を遣ったのだろう。そんなに不安にならなくても、僕は彼女を信頼しているのに。
「それでね。なんか、彼の方から久しぶりに歩君に挨拶をしたいらしいの」
「それはその方がいいかもね」とそれに僕。彼と協力し合うのは随分と久しぶりだ。挨拶くらいはしておいた方が良いかもしれない。僕が了解すると彼女は即座にスマートフォンを取り出した。それでリモート会議のアプリを開く。空間に画像が浮かんだ。彼女が“歩君と話せるわ”とコメントをしてコールをかけると待ち構えていたのか直ぐに繋がった。
『やあ、久しぶりですね、小鳥遊君』
と、声が聞こえる。
懐かしい声だ。相変わらずに、透き通った雰囲気がある。
僕は「久しぶり」と返してから「君はゆかりちゃんとは連絡を取り合っていたみたいだったけど、僕とはさっぱりだったね」と続ける。すると彼はハハハと笑った。
『そりゃね。彼女は魅力的な女性で、君は男ですから』
「それを聞いたら、流石に僕もムカつかない訳にはいかないなぁ」
ゆかりちゃんは僕の恋人だ。その僕の前で堂々と言う事じゃない。ちょっとだけ、張り詰めた空気が流れる。ゆかりちゃんが珍しく不安そうな顔をしたような気がした。が、一瞬の間の後で、
『アハハハハハハ! ごめん、ごめん。ちょっとした冗談ですよ』
と、そう日野君は言ったのだった。
『板前さんはAIの専門家ですし、仕事上でも少しだけ繋がりがある。色々と意見を貰いたくて、連絡をしているだけです』
本当かどうかは置いておいて、ここは引いておくべきだろう。
「冗談はやめてよ。僕はゆかりちゃんを信頼しているけど、それでも嫉妬しない訳じゃないんだから」
僕がそう言うと、『ええ、分かっていますよ。しかし、いつまで経っても愛が薄れませんねぇ。感心します』と彼は返した。
「そりゃね。子供の頃からの付き合いだもの。もう愛し合っている状態で、固定化しちゃっている」
それに彼は『生物的には別の相手を欲するのが普通なんですがね』などと言った。
「僕はきっと脳のバソプレシン受容体が多いんだよ。それが多い人は一途になるのだそうだから」
『そうですか。それを聞いて安心をしました』
そう言うと、また少しだけ彼は笑った。社交辞令のように感じなくもなかったけど。そして、それから僕らは渡部葵さんが襲われた時の対応と段取りについて軽く話し合った。ただそれは、前もってゆかりちゃんから聞いていた作戦の内容と大差なかった。ちょっとだけ、彼がどうしてあんな挨拶を僕にしたがったのか気になったけど、考えても仕方ないと思って忘れる事にした。
「――吉良坂君、そんなところでどうしたの?」
下校時、
吉良坂康介は突然振り返った渡部葵にそう話しかけられて大いにビビっていた。隠れて見つからないようにこっそりと彼女を見守っていたつもりだったからだ。
小鳥遊先生から、「僕から渡部さんに君が守ってくれるって話しておこうか?」と言われたのだが、彼はそれを断っていた。「自分で言うから良い」と。ただ結局言わないで、こうしてこっそりと守っていた訳だが。
「小鳥遊先生から聞いているだろう? お前が狙われているって話を。だから、ちょっと気になっただけだよ」
彼は顔を真っ赤にしてそう言った。
渡部葵は首を傾げると、「それって吉良坂君がわたしを守ってくれるってこと?」と尋ねた。
彼としては誤魔化したつもりだったのだろうが、まったく誤魔化せていない。
「そうだよ! 悪いかよ!」
と、変な返しをしてしまう。
すると彼女はにんまりとした笑顔を見せ「へー、ありがとう」と感謝をした。それを受けて彼は少し驚く。
「お前、狙われているって話は信じていなかったのじゃなかったのか?」
小鳥遊先生からはそのような説明を受けていたのだ。
「ん- 信じていないって言うか、どっちか分からないって感じ。事情がよく分からないんだもん。でも、どっちか分からないのなら守ってもらった方が良いでしょう?」
それは彼も彼女と同意見だった。小鳥遊先生の恋人がAIの専門家で、AIが監視しているサイトで、偶然に彼女を襲うという闇バイトの依頼を見つけたという説明を受けたのだが、どこまでその情報が信頼できるのかは疑問に思っていたのだ。
ただ、
「仮に誤情報だったとしても、毎日、君が彼女と一緒に登下校するコストくらいしかかからない。それに対して、もし本当だったら、彼女は襲われてしまうんだぞ? どっちが賢い選択なのかは明らかじゃないか」
と、小鳥遊先生に説得をされたのだ。
彼がそれを引き受けたのは、先生の意見が理に適っていると思ったからでもあったのだが、それだけではなく、“守る”という建前で毎日渡部葵と一緒に登下校できるからでもあった。つまり“コスト”と、小鳥遊先生は表現したが、それは彼にとって、まるでコストではなかったのだ。
「ふふーん」
歩き始めると、渡部葵はそんな声を出して笑った。
「なんだよ?」
と、彼が尋ねると、
「だって、これから毎日、吉良坂君と一緒に登下校できるって事でしょう? 嬉しいなって思って」
彼女はそう彼が思っているのと同じ事を言ったのだった。
「うるせぇ!」
と、彼は返したが、にやけた顔を隠せてはいなかった。




