38.闇バイト
「相手も馬鹿じゃないはずだから、いきなり命を狙うなんて真似はしないと思う。だから、まだしばらくは平気だと思うのだけど」
ゆかりちゃんがそう言った。
「でも、“しばらく”って言っても、その“しばらく”がどれくらいかは分からないのだよね?」
夕食後に僕らは“渡部葵保護”について話し合っていたのだ。
場所は彼女の部屋。一緒に暮らし始めてからも彼女の部屋は殺風景だけど、白を基調とした落ち着いた雰囲気があって僕は好きだ。彼女はパソコンを立ち上げていて、リモート会議の画面が開いている。通話相手はアインさんだ。
僕の質問に「そうね」と答えると、ゆかりちゃんは画面に映っているアインさんのアイコンに目を向けた。その微妙な間でアインさんは自分に話を振られていると判断したのか口を開く。
「だから、監視をしておくのよ。わたし達がつくった監視AIで。何かあったら、わたしや板前さん、小鳥遊君に瞬時に連絡が行くようになっているわ」
ちょっと考えると、僕は訊く、
「“何かあったら”って、その時はもう手遅れなんじゃないですか?」
学校の帰り道やなんかに暴漢に襲われたのじゃ無意味だ。駆けつけられない。
「言い方が悪かったわ。“何か”っていうのはそういう意味じゃない。尾行されたりとか、渡部葵さんの情報が調べられたりとか、そういう怪しい気配があれば通知されるの」
「なるほど」とそれに僕。
それなら間に合うかもしれない。突発的な犯行以外は、だけど。ゆかりちゃんが続ける。
「“歩君に守らせようとしている”って前は言ったけどね、正確には“歩君とその周りにいるAIリアンに守らせようとしている”って意味だから。つまりはチーム体制」
僕はそれを聞いて幾分安心した。いや、ま、まだ安心しちゃいけないのだろうけど。
「それと、それ以外にもネットを監視しておくわ」
「それ以外?」
「渡部葵さんを狙っている連中が、いきなり自ら手を下すとは思えない。だから、何かしらの犯罪を他の誰かに依頼すると思う」
僕はそれを聞いて違和感を覚えた。
「“犯罪を依頼”って、そんなの簡単に引き受けてくれる人がいる訳ないじゃないか」
しかも、殺人依頼なんて。
ところが、ゆかりちゃんはそれに「それがいるから世の中困ったものよね」などと返すのだった。
「いるって……」
「歩君だって知っているじゃない。ニュースでよく取り上げられているんだから」
それを聞いて僕は直ぐに気が付いた。
「ああ、そうか。闇バイトか」
「そう」
何処の誰とも知らない人間からの犯罪の依頼。普通の人間ならば、まず間違いなく断るだろう。だが、そういう依頼を引き受けてしまう“珍しい人間”が極稀にいるのだ。ネットが普及する以前の時代には、そういった“珍しい人間”を探す事は非常に困難だった。ところがネットが普及してから以降は、それが比較的容易になってしまった。広範囲に瞬時に低コストで行える情報発信。それにより、いかにも甘そうに騙った犯罪依頼と、それを請ける人間達が現れてしまった……
いわゆる“闇バイト”である。
「楽に大金が稼げるバイトがあるんだよ」
学校からの帰り道で、H谷はI田からそう言われ「本当かぁ?」と疑いの声を上げた。もし、そんなものがあるのなら誰でも大金持ちになれるだろう。と言うか、そう言っている当の本人が貧乏なのだ。彼はI田にお金を少しずつ貸していて、合計で2万円くらいにはなっている。返せていないからには、金がないのだろう。
ところがI田はそれから「まぁ、疑うよなぁ」と言いつつポケットの中から1万円札を取り出したのだった。H谷はそれに目を丸くする。I田は高校生だがバイトも何もしていない。いや、偶にするのだが、一か月も経たずに「つまらない」と言って辞めてしまう。そういう将来が心配な奴なのだ。親からの小遣いも少ないから、I田が一万円札を持っているのは非常に珍しい。
「お前、それ、どうしたんだよ?」
H谷が驚いているのをI田は楽しそうに眺めながら返す。
「へへー。だから、バイトしたんだよー」
「バイトって、お前、直ぐに辞めちまうじゃないか」
「バイトって言っても、まだ2回、しかも1回1時間もかかってないバイトだけどな」
H谷はそれを聞いて眉をひそめた。
「なんだそりゃ? 肝臓でも売ったのか?」
そんな割の良いバイトがあるはずがない。彼はそう思っていたのだ。
「違うって、だから言っただろう? 楽に大金が稼げるバイトがあるって」
それを聞くと彼はI田が見せびらかしている1万円札を奪った。I田は「何するんだ?」と文句を言う。
「“何するんだ?”じゃ、ねーよ、金が入ったのなら返せ。お前、俺に2万くらい借りているだろうーが」
そして、手を出して「あと、1万だ」と彼は続けた。I田は何故か腕組をしてから、「返してやっても良いが」と見下すように言う。
「それは俺の次のバイトをお前が手伝ってからだ」
「はあ?」とそれにH谷。
やはり見下したような態度でI田は言う。
「実は人が足りないんだよ。あと一人は必要でな。で、お前を誘ってやってんだ」
H谷は「なんで威張っているんだ、お前は」とツッコミを入れてから尋ねる。
「バイトってなんだよ? そもそも、お前は何をやったんだ?」
すると彼はあっさりと「前の2回は空き巣だったな」と答えたのだった。
「空き巣~?」
と、それを聞いてH谷は驚く。
「馬鹿! お前、それ、泥棒だぞ?」
そして、そう当たり前の事を言った。
「ああ、」とそれにI田は頷く。
「誰もいない家を知っている人がいてな。簡単に盗めるんだよ。で、金庫とか、財布とか盗んで渡したら金が貰える」
それを聞いて、H谷は頭を抱えた。
“これ、闇バイトだ!”
「馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたが、そこまで馬鹿だとは思ってなかったぞ。騙されているに決まっているじゃねーか」
貰った額よりも、盗んだ額の方が遥かに大きいのは言うまでもない。大きなリスクを冒してわずかしか金は貰えない。絶対に割に合わない。
「でも、今まで誰も捕まってないらしーぞ。先輩が言っていたんだ」
「そんな話信じてるのかよ?」
「信じているよ。実際、俺は捕まってねーじゃねーか。調べてみたが、被害届も出ていないみたいなんだよ。そういう事情のある家ばかり教えてくれるんだ」
I田は両手を広げ、“俺を見てみろ”といったジェスチャーでそう言った。
「闇バイトで捕まった連中なんて山ほどいろうだろう? ニュースでやっているじゃないか」
「そーいうのはほんの一部なんだよ。むしろ捕まっていないケースの方が多いんだ」
I田の言う事にはもちろん根拠も証拠もない。が、断言されてしまったら、なんだか正しいような気がしてしまった。
「で、何をやれって言うんだよ? 空き巣か? それなら人は必要ないよな?」
それを聞くと、I田はにまーっとイヤらしい笑顔を浮かべた。そして、
「女の子を襲うんだよ」
と、嬉しそうに言ったのだった。
「女の子を襲う~?」と、それにH谷。
「なんだそりゃ? それこそ絶対に警察に捕まるぞ?」
「いや、それが大丈夫らしいんだよ。ま、ちょっと乱暴して? それを撮影するんだが、その映像をバラまかれたくなかったらって脅せば何にもできないんだと。それに万が一警察に通報されても、AIリアンの子だから、警察も真面目には捜査しないらしいんだ」
その説明にH谷は大きく頭を振った。
「待て! よく分からないぞ? そもそも、それでどうして金が貰えるんだよ?」
「それがさ、その子がエッチされているのを見たいって奴がいるらしいんだよ。そいつが金を出すのだと」
「なんだ、その変態ヤローは!? 気持ち悪りいな!」
「でも、そのお陰で、こっちがエッチできるんだぞ? 冷静になって考えてみろよ。その上、俺らは金まで貰えるんだ。こんなに甘い話は滅多にないぞ?」
H谷はそれを聞いて思う。確かにもしそれが本当なら逃す手はない。“もしそれが本当なら”だが。
「やっぱり、俺は信じられない」
そう彼は言いかけた。が、そのタイミングでI田はその襲う予定の女の子の画像を「これがその女の子なんだけどな」と見せて来たのだった。
彼の目の前に女子高生だろう女の子の画像が現れる。
ロングの髪型で、純粋そうな可愛い笑顔。AIリアンと聞いていたから、能面のような女の子だと勝手に思い込んでいたのだが、まるで印象が違った。
はっきり言って、好みのタイプだった。
“この女の子とエッチできる?”
彼の反応を予想していたのか、I田はにんまりと笑う。
「この女の子と、エッチしてみたいだろう?」
何かに操られるように、H谷はあっさり頷いていた。




