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35.社会は一枚岩ではない

 禅院良夜は斜に構えたふてぶてしい態度で、彼の息のかかった文部科学省大臣、勅使河原公人を見ていた。そこは彼の書斎。目の前にはパソコンが置かれてあり、勅使河原の顔はその画面上に映っている(因みに、就寝前なのか禅院良夜はちょっと可愛いパジャマを着ていた)。リモート越しの勅使河原の映像はやや不鮮明で、表情がよく読み取れなかった。少し気に食わなかったが、それが問題になるような相手ではないと彼は判断する。

 「……ある程度の反発は予想していたが、予想以上だったな」

 と、口を開く。

 大物フィクサーの立場になってから、ほぼ常に余裕の表情で相手に接して来た彼が渋い表情を見せている。

 個人情報の取得を容易にする為の法案の成立。彼の命令で勅使河原が進めていたのだが、それに複数人の政治家や官僚が反対をしたのだ。いずれも禅院良夜が権力を握る事に警戒感を抱いている連中で、法案自体に反対しているというよりも、彼の勢力がこれ以上伸びる事を警戒しての事だと考えられた。

 「だが、逆に言えばこれはチャンスでもある。連中をここで叩き潰す事ができたなら、私に反対する有力な勢力はほぼいなくなる」

 与党の中からも彼らに反対する声が大きく上がった為、彼らは与党を離脱し新党の結成を進めた。党の名前は“革新AI党”。本当は規制改革の効果なのだが、世間的には経済政策の成功はAIによるものだという事になっている。それにより、国民のAIへの人気、支持は共に高まっていた。そのAIにあやかる為の命名である。勅使河原が口を開いた。

 「放送法がありますから、マスコミは表面上は公平に我々の新党の立ち上げを扱おうとしているように見えます。ただ、実際は我々の心象を良くしようと色々と工作を行っているようですな。マスコミが味方に付いている事は大きいですぞ」

 マスコミ関係に強い影響力を持つ官僚は、どちらかと言えば彼の側に立っている。それは当然だった。

 「今はネットのインフルエンサー達の影響力も馬鹿にならないがな。そっちにも注力しておけ。宣伝を怠らせるな」

 早くから彼はネットのインフルエンサー達に注目をしており、目ぼしい者達は既に抱え込んでいたのだ。

 勅使河原の言葉に彼は頷く。

 「世論調査は既に我々を支持する声の方が大きいようです」

 「分かっている。この大きな反発は、多少想定外ではあったが、状況は我々に有利だな。何か懸念点はあるか?」

 それを聞くとやや言い難そうにしながら勅使河原は口を開いた。リモート画面越しでも表情を歪めているのが分かる。

 「……これは飽くまで噂ベースの話なのですが」

 「なんだ?」

 「“AIリアン達”が、我々の邪魔をしようとしていると考えている者達がいます。予想以上に反発が大きかったのも、連中が裏で動いた結果なのだと」

 “AIリアン達?”

 それを聞いて、禅院良夜は少し間を置いた。その言葉を聞いた記憶はあったがよく思い出せなかったのだ。やがて思い出すと、“くだらない”とでも言いたげな口調で言った。

 「それは、世の中の“AIリアン達”が、結び付いて連携し、協力し合っているという都市伝説のことか? 馬鹿馬鹿しい。そんな話あって堪るか。“AIリアン”への偏見が生み出した妄言に過ぎない」

 勅使河原はそれを否定しなかった。

 「ええ。私もそう思います。ですが、それを信じている者達もいるようで。中でも、我々と協力関係にある“全個一体会”という団体は、かつてAIリアン達とひと悶着あったとかで、その存在を疑っているようです」

 「全個一体会?」

 「知りませんか? 選挙でも協力してくれているし、裏仕事も請け負ってくれる。しかも、ほぼ無償で協力してくれる場合もある。色々と役に立つ便利な連中ですよ」

 “ふん”とそれを聞いて、彼はそれに頓着しない態度を見せた。役に立つと言っても小規模な団体なのだろう。高が知れている。

 「それで、その連中とAIリアン達がどうしたって?」

 「なんでも、一度、全個一体会は“AIリアン達”の実在を確かめる為に、一部のAIリアンにちょっかいをかけたらしいのですね。その時はどうも上手く誤魔化されたようなのですが、やっぱりおかしいという話になって」

 「“やっぱりおかしい”って具体的に何がおかしいのか言えるのか?」

 禅院良夜は根拠のない話を真に受けるような男ではない。

 「ええ、その時に連中は少々手痛い目に遭わせられているようなのです。ただ、“AIリアン達”ではなく、個人のAIリアンにですが」

 「なんだそれは? だからどうした?」

 「つまり、“そんな事が個人のAIリアンにできるはずがない”と連中は考えているようなのですな。それで本当は“AIリアン達”がバックにいたのではないか?と。それ以外にも色々と思い当たる節があるようなのですが」

 それを聞いて、彼は益々その話を馬鹿にした。

 「それは、ただ単に自分達がやったヘマを、都市伝説の所為にしているだけなのではないか?」

 「その可能性はありますな」

 それを受けると、「もういい」と彼は言った。どうにも真面目に議論するような内容であるとは思えない。

 「とにかく、このまま新党結成を進めてくれ。大きな懸念点はない。次の選挙で大量議席を獲得する。もちろん、与党になれたならそれがベストだが、そうでなくても構わん。高い影響力を持ちさえすれば、そこからいくらでも切り込んでいけるからな」

 「分かりました」とそれに勅使河原は応える。そして「失礼します」の声と伴に通信を切った。

 通信が切れて静かになると、彼はその静寂に少しの心細さを覚えた。そして、“AIリアン達”の噂話を思い出す。もしそれが真実であったのなら、どのような対抗策を考えれば良いだろう? 不定形で、高度な知能を持っている途轍もなく巨大な組織。噂話によれば、それはそのような組織であるらしい。まるで巨大なアメーバが極めて高い知能を持ったかのような。常識的な手段では、恐らく対抗できない……

 そこで彼は自分を笑った。

 

 “馬鹿馬鹿しい。そんな組織が存在しているはずがない”

 

 予想以上に反発が大きかったのは、ただ単に社会は一枚岩ではないのが普通だからだ。むしろそれが健康な社会の当たり前の有り様ではないか。もっともその“健康な社会の当たり前の有り様”は、彼が権力を握り、世の情報を自由に手にいられるようになれば変わっていくのだろうが。

 彼はにやりと笑うとAIリアン達の事は忘れ、パソコンの電源を落としてから書斎を後にした。

 

 「――また、“AIリアン達”か?」

 

 崎森が馬鹿にしたように声を上げた。

 全個一体会の会合で、お偉いさんの何人かからその単語を耳にしたのだ。

 最近になって、全個一体会は禅院良夜という大物フィクサーへの支援を強めているらしい。その禅院はAIの活用を目指している奴だから、会の思想とは真逆だと彼は考えていたのだが、どうもそれは表面上の話であり、禅院は“AIを使っている”と嘘を言い、実際はAIの活用などするつもりはないのだとか。だから会はこの大物フィクサーを支持しているのだ。

 もっとも、嘘かもしれないが。

 そもそもが、社会主義を憎んでいるはずの右翼団体が指示している政治家が、何故か社会主義の団体とつるんでいたり、右翼を名乗る経済学者が、いつの間にか社会主義を標榜していたりもするからこの業界は訳が分からない。

 神道ってのは“自然崇拝”がその基本だと聞く。が何故か、その神道を信仰しているはずの連中が自然をまったく大切にしていない。そういう連中に反対している連中の方が、逆に自然保護を訴えている場合すらある。

 思想で動くのか、利害の一致で動くのか、権力が生み出した指示系統がこんがらがって滅茶苦茶になっているのか。

 腑に落ちない事ばかりだ。

 崎森には何がなんだかまったく分からなかった。重要な部分は隠され、ほんの一部の情報と上からのお願い…… 指示が下されるだけではそれも当たり前。だから、下々の連中の顔色がどうなっているかくらいしか彼には見えていなかった。しかし、その点で言うのであれば、ここ最近になって、全個一体会が再び“AIリアン達”への警戒を強めている事だけは彼は実感できていた。

 会の集会などで、政治家や官僚やその他有力者達が、禅院良夜への反発を強めているのは、AIリアン達の所為だと騒ぎ始めたのだ。嘘だか本当だか分からない情報を集め、ああだこうだと議論をしている。そして、「禅院良夜の為には、AIリアン達を抑えなくてはいけない」と気炎を揚げていた。

 多分、役に立つのか立たないのか分からない指示が、そのうち自分にも飛んで来る。彼は大きくため息を漏らした。

 役に立つと分かっているのなら、協力してやっても良いが、どうにもAIリアン関連は気乗りがしない。役に立つとは思えないからだ。

 少なくとも、そう彼自身は思っていた。

 だから彼は、どうやってそれを拒否しようかと頭を悩ませていたのだ。一応、彼も全個一体会の一員ではあるから関係をこじらせたくはないのだろう。凶悪な面相を面倒くさそうに歪めていた。

 

 「……こいつがもうちょっとくらいは、自分が気に入らない事にもやる気を出してくれる奴だったら良いのにな」

 

 それを見て野戸は愚痴をこぼした。

 崎森のそんな様を彼は近くで見ており、その顔色から、崎森のやる気のなさを察したのである。

 ……崎森は能力だけならとても優秀な男なのだ。特にその特殊体質は、AIリアンに相対するのには有効であるはずだ。ちょっとばかり性格に難があるが、もし協力してくれるのであれば心強い。

 が、崎森は面倒くさそうに話が自分に及ぶのをなんとか避けようとしている。そんな態度を観て、「これは無理かな?」と彼は残念そうに呟いた。

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