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32.孫ポジション狙い

 朝の出勤前、ゆかりちゃんと一緒に朝食を食べていた。珍しいというのは言い過ぎだけど、多分、三日ぶりくらい。一応断っておくと別に喧嘩をしていた訳じゃない。これはなんとなく決まった僕らの生活ルールと言うか、慣習のようなものなのだけど、朝食はパンと野菜とデザートと牛乳で、十分くらいで準備できるように常に用意しておく(足りなくなったら気が付いた方が補充する)、それで朝それぞれが出かける前にさっと食べるというスタイルで、つまりは“朝食を準備して一緒に食べよう”なんて事はやっていないのだ。偶然出かける時間が同じなら一緒に食べるけど、それ以外では個別で食べる。彼女は在宅ワークも多いから、あまり揃わない。だから三日ぶりだったのだ。

 その朝食の席で、なんとなくテレビのニュースを流していた。二人とも特に観ていた訳ではないのだけど、ま、BGM代わりだ。ニュースでは政治の話題を取り上げていた。最大与党の自民党が分裂の危機なのだそうだ。政治におけるAI活用に意欲的な文部科学大臣、勅使河原公人が自民党に大して反旗を翻したのだとか。

 AIの活用の為に、勅使河原大臣は個人情報の収集を容易にする法案を通すのに積極的な動きを見せているのに対し、それに反発をしている他の自民党の面々や野党などが猛批判を繰り広げていて、遂には勅使河原大臣が仲間の与野党の政治家達を集め、新党の立ち上げを画策し始めたと解説者が言っていた。

 「なるほどねぇ。まー、AIに大して不安になるのも分かるけどさ」

 と、それに対して僕はなんとなくぼやいた。ずっと前に図書館で聞いた鈴谷さんからの忠告を思い出したのだ。

 すると、それに反応してゆかりちゃんが言う。食パンをはむはむ食べながら。

 「別にあの人達は、AIへ不安があるから反対している訳じゃないわよ」

 妙に確信に満ちた口調。

 ちょっと不思議に思ったものだから、「じゃ、どうして反対しているの?」と訊いてみた。すると彼女は「権力争いよ。いわゆる“政争の具”ってやつ」とまた断言した。

 「勅使河原大臣の裏にいるフィクサーや、そのフィクサーに与する官僚なんかに利権を奪われたくないって反発しているのよ。無事に権力争いに勝った暁には、今度は自分達が個人情報の収集を容易にする法案を通そうとするかもしれないわ」

 ちょっと考えると僕は尋ねた。

 「それって、文部科学省に就職した仲間のAIリアンから手に入れた情報?」

 ここ最近、僕は蚊帳の外だけど、ゆかりちゃん達が何かをやっているのは確実なのだ。そういう情報を得る為に、仲間の誰かを文部科学省に就職させたのかもしれない。するとゆかりちゃんは、食パンを牛乳で流し込んでから、

 「違うわよ。それくらいの話なら、他のAIリアン仲間から入って来るの」

 と淡々と返す。

 「へー」とそれに僕。なら、どうして、仲間を文部科学省に入れたのだろう?

 「彼女にはそんなスパイみたいな危険な真似はさせられないわ。真偽不明の陰謀論じゃなくて、実際に人が死んでいる世界だから。彼女の入省は、もっと安全な任務なの」

 またちょっと考えると僕は尋ねた。

 「“人心を掌握して欲しい”のじゃなかったの?」

 そんな事をしようとしているのなら、充分に危険な目に遭っていそうに思えたのだ。それに彼女は「そっちは上手くいっているみたい」とあっさりと返す。

 「人心を掌握するのって、そんなに簡単にできるものなの? それに、それって危険じゃないの?」

 出る杭は打たれる。普通は警戒されるように思う。

 「聞いた話では、簡単にできているみたいよ。しかも、警戒もされていない」

 

 ――いやいや。

 

 それを聞いた時は、冗談だろうと僕は思っていた。だって普通はそんな事はできないだろう。だけど、どうやらそれは冗談じゃなかったみたいなのだった。

 

 文部科学省の職員達の前で、AIリアンの霧島郁美が挨拶をした時、職員達は軽くカウンターパンチをくらっていた。

 ……世界的には優秀なAIリアンを政府の要職にも起用する流れがある中で、日本においては一向にそれが進んでいない。そんな批判を躱す意味も込めて、今年度はAIリアンを一人、文部科学省でも採用するという話は聞いていた。女性職員だという話も聞いていた。だから彼らの多くは、まるでロボットか能面のような顔をした暗い女性が入省して来るものだとばかり思っていたのだ。

 が、霧島郁美は可愛かったのである。アイドル歌手や女優だと言われても信じてしまうくらいに。実際に彼女は大学時代は演劇グループに参加していて、しかも人気もそれなりに高かったようなのだが、彼らがそれを知るはずもなかった。

 とにかく、AIリアンに差別的な思想を持ち、入省して来たらいびってやろうと思っていた意地の悪い職員連中の気勢はそれで随分と削がれてしまったのだった。ただ、それでも職員の一人は、嫌がらせに入りたての新人では絶対にできない仕事を振ってみたりしたのだが、それに素直に彼女は「分からないので教えて欲しいです」としおらしい態度でお願いをして来て、嫌味を彼が言っても苛立った態度など微塵も見せず、彼が仕事のやり方を教えるととても可愛らしい笑顔でお礼を述べ、自然な言葉遣いで「凄いです。頼りになるのですね」と彼を持ち上げる事も忘れなかった。

 妻や娘に馬鹿にされ、普段、家で肩身の狭い想いをしている彼にとって、その彼女の言葉や態度は心が癒されるようなトキメキを覚えるに充分だった。こうなって来るとAIリアンだと分かっていながら、彼女を憎むような気持ちにはなれない。何しろ外見は完全に何処かのアイドルで、性格も良く、自分に好意を向けて来ているのだ。しかも、軽くスキンシップをするくらいでは、彼女はセクハラだなどと騒ぎ立てたりしなかった。むしろ笑顔で返してくる。

 彼の彼女への好感度は爆上がりしまくっていた。

 用もないのに彼女に近付き、仕事のアドバイスをしようとする。感謝されると気分が良くなり、やがては仕事を手伝いすらするようにもなった。そして、他の職員が彼女と親しげに会話をしていたりしたら嫉妬を覚え、挙句の果てには、彼女に気に入られようとご機嫌取りまでする始末。

 これが彼一人の話だったなら、それほど大きな影響はなかったかもしれない。が、彼ほどとは言わないが、彼に近い状態に陥っている職員はまだ他にもいたのである。そして彼らは互いをライバル視していた。“ライバル”と言っても、一体何のライバルかは分からないが、とにかく対抗心を燃やしていた。

 そうして、文部科学省内の一室は、霧島郁美を中心にして、妙な空気ができあがるに至ったのである。

 ……これは、ある意味では、霧島郁美が“人心を掌握しつつある”と言っても良いかもしれない。

 少々、一般のイメージとは異なるかもしれないが。

 

 もちろん、これは凡そはAIリアン達の計算通りだった。霧島郁美の風貌は、“世界の孫クラス”とまでは言わないが、それでも高齢者に受けそうな可愛い顔立ちをしている。守ってあげたいと思うだろう。

 つまり、孫ポジション狙いである。

 実際に、彼女に対し、孫や娘のような感情を抱く職員は少なくなかった。ただ、同時に性的に惹かれてもいるようだったが。孫娘惹かれ率は60%、性的に惹かれ率は90%(ただし、男性職員に限る)といったところ。

 霧島郁美は、文部科学省への入省に際し、相手の脳のナノマシンネットワークに微細に介入にして、曖昧ながら、多少は感情を掴み取れる能力を装備していたのだが、それはその能力による計測結果である。

 もちろん彼女はその能力を単なる情報収集の為だけに使ってはいない。自分の表情や態度、行動で相手がどのような心の動きを見せるのかを計測し、それによってアプローチを微妙に変化させていた。演劇グループに参加し、演技の実力を磨いていた彼女には、それは容易だった。言うなれば、カンニングをしているようなものなのだが、だからこそ、彼女は職員達の人心を掴めたのである。

 

 とにかく、AIリアンである霧島郁美の存在は、そのような理由で、文部科学省内で警戒心なく受け入れられていたのだった。

 

 ……朝食を食べ終えて、僕らは出かける準備をした。玄関で靴を履いているゆかりちゃんを見ながらふと思い出す。

 “安全な任務”

 ……AIリアンがどっかの省庁に就職する任務を、彼女は確かそう言っていた。もしかしたら、だから以前僕にお願いして来たのだろうか? 安全だと分かっているから。

 なんとなく、靴を履き終えたゆかりちゃんを、僕はいきなりハグした。

 我が家のちょっとしたルールのようなものに、“一日一度はハグをする”というのがある。それにより愛情がより深まり、維持する効果が期待できるのだそうだ。それを決めたのはゆかりちゃんだったから、「そうしないと愛情を維持できないの?」と僕はからかった。すると彼女は「ううん」と首を振り、「これはね、わたしが歩君を大好きな事を、わたしの身体に教える行為なの」と返して来た。

 ……なんか、ちょっと嬉しかった。

 だから僕らは一日に一度はハグをしているのだけど、その時のそれは、そんなルールとは何の関係もなかった。でも、彼女は僕の気持ちを分かってはいなかっただろう。

 それから、ついでだと言わんばかり、僕は彼女にキスもしてやった。分かっていないだろう彼女が愛おしく、またちょっと憎らしくもあったから。

 キスをした僕に彼女は、「これ以上は、その気になっちゃうからストップ」と言った。実際、ちょっと僕はその気になりかけていた。

 我が家のちょっとしたルールのようなものに、“特別な理由がない限り、一週間に一度は行為をする”というものもある。けど、もちろん、その時のその気持ちに、そのルールはまったく関係がなかった。

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