30.託宣するAI
僕は図書館にいた。
小奇麗で、静かで落ち着いた雰囲気があるのが好印象だ。居心地がとても良い。ただ、小説は少なく、学術書中心の蔵書の所為か人は少ない。
何度か利用させてもらっているこの図書館の多目的室が、昨今のデジタル化の流れを受けて使い難くなってしまったという話を聞いて、もう使わないのかと思うとなんとなく寂しくなって立ち寄ってみたのだ。大学の近くにある図書館だから、卒業すれば恐らく来る機会もなくなる。
ただ、入ってみたはいいけど、特に目的もなかったものだから、直ぐに手持ち無沙汰になってしまって、読む気もないのに難しそうな専門書のコーナーを僕はぶらついていた。自然科学のコーナーを抜けると、社会科学のコーナーが見えて来た。科学史や、宗教の社会史、魔女の歴史といったタイトルの本には少しだけ興味が惹かれた。一体、どんな内容なのだろう?
手に取ろうか迷っていると、「あら」と声が聞こえた。見ると司書の女性が分厚い本を数冊抱えていた。返却された本を、棚に戻そうとしているのだろう。
「この図書館の多目的室はもう使わない方が良いわよ。デジタル管理されるようになったから、安全な会合場所とはいえないわ」
実はこの司書の女性とは知り合いだ。彼女もAIリアンの一人で、名を鈴谷凛子という。スレンダーな体系をしていて、眼鏡越しにも伝わって来る鋭い眼力が印象的。彼女は社会科学関係に強い。AIリアンの中では珍しいタイプかもしれない。
「いえ、その話は知っています。今日は会合じゃないんです。ちょっと記念にと思って寄ってみただけで」
特に本を探している素振りもなく館内を歩いていれば、彼女が勘違いするのも無理はない。
「記念?」と僕の言葉に彼女は首を傾げた。
「もう直ぐ大学は卒業なので、そうしたらここに来る機会もないかと思ったら少し寂しくなってしまいましてそれで」
本を棚に仕舞いながら彼女は言った。
「それはそれは。この図書館の職員をしている身としては嬉しい言葉ですね」
「デジタル管理さえされていなかったら来る機会もあっただろうに、と思うと少し恨めしくもあります。する必要はあったのですかね?」
「そりゃ、あったと思いますよ? お陰で職員の負担は減ります。ま、効率化ってやつですよ。近年の政府のAI活用改革の一環なのですが」
僕はそれを聞くと少し考えてから尋ねた。
「鈴谷さんは、AI活用には賛成なのですか? AIリアン達の中には政府のこの流れを警戒している人もいるようですが」
吉田君以外にも数人からも似たような懸念の声を僕は聞いていた。
「物事にはメリットとデメリットがあるのが普通ですよ…… でも、そうですね。もし“AIの出した結論だから、絶対に正しい。疑うな”なんて風潮が生まれてしまったら、ちょっと…… と言うか、かなり問題だとは思います」
それから彼女は机を指し示すと「ちょっと話しますか?」と言った。「はい」と僕は頷く。これは僕の感想に過ぎないのだけど、彼女は他のAIリアン達とは少しばかりタイプが違っているように思う。その彼女から意見を聞けるのは面白そうだった。
「人間には“宗教を形成する本能”があると言われています」
席に座るなり、鈴谷さんはいきなりそんな事を言った。それがどうAIと関連するのかは分からなかったけれど、取り敢えずは大人しく聞いてみる事にした。
「宗教に入信すると、人はその内容を頑なに信じるようになります。ほぼ盲目的に従うようになると言っても良いかもしれない。宗教的な儀式には実に奇妙に思えるものが数多くあります。水をかけ合ったり、マスクを付けて肌をさらした上で身体を縛り、鞭で叩かれながら村外れまで歩いたり、高い所からジャンプをしたり。
ところが、それら儀式がどうして行われているのか尋ねても、当の人々はその理由を知らなかったりするのです。つまり、盲目的に従っているのですね。そういった儀式のような行為は、何も宗教に限りません。例えば、医療。自然科学の誕生以前に行われていた多くの医療行為にはとんでもない内容のものが多かった。有名なので知っているかもしれませんが」
「はい。血を抜き取ったり、猛毒の水銀を薬として服用させたりってやつですよね?」
「その通りです。はっきり言って何もしない方がマシですね。ですが、それら医療行為には実は“社会的な意味があった”とする主張もあるのです。そういった医療行為を行えば、“特別な処置を施した”とアピールする事ができるでしょう? とんでもな医療行為でも、それがその社会で高度な医療だと信じられているのなら、それは社会的地位の証明になったりもするのです。
宗教的儀式も発想としてはこれに似ています。自然科学的には意味がなくても、それが何らかのシグナルとなり、社会的に作用している可能性は否定できない。それが人間関係を調整してくれているのかもしれない。
例えば、村で何か決めなくてはいけない事があったとするでしょう? 議論がまとまらなくて分裂しそうになっていたとしても、“巫女による託宣でこのような結果が出た”となれば村全体が従ったりする。自然科学的にはナンセンスでも、社会という基準で捉えるのであれば役に立っています」
「はぁ、なるほど」と僕は深い間を取ってその長広舌に返した。こんなに話す人だったのかと少し意外に思う。
「昔の魔術の類を調べると、実はちゃんとタネが分かっているものもあるのです。早い話が手品だったのですね。“詐欺だ!”とそれを糾弾する人もいそうですが、社会的な合意を形成する為のものと解釈するのであれば、認められる側面も出て来るはずです。
“宗教”或いは、それに類似するものの人を縛る力は非常に強力です。例えば戦争ですが、戦争を行えば、当たり前ですが死ぬ可能性すらあります。ところが宗教を用いれば、その戦争に兵士を比較的容易に参加させられるのですよ。
近代に入り、宗教を用いなくても戦争に兵士を参加させられるようになりましたが、ヘロインなどの薬物を兵士に投与していたりもしています。宗教による心理効果がなくなったからかもしれません。もっとも宗教時代にも用いられていたケースもあるのでしょうが。
そして、“宗教”という言葉を用いてきましたが、宗教の名を冠していなくても、それに近い心理状態が人間には存在してもいます。アイドル歌手に熱狂する人々、インフルエンサーの言葉を簡単に信じてしまったり、スポーツチームの過激なファンが暴動を起こしてしまったり…… これらも宗教による興奮状態にとてもよく似ていますね」
それを聞いて僕は思わずこんな感想を言ってしまった。
「“宇宙空間にいったら、物は落ちて来なくなるから位置エネルギーは嘘だ”って主張したインフルエンサーを知っていますよ。隕石が猛スピードで落ちて来るからその考えが間違っているのは明らかなのに、頑なに曲げないんです。多分、位置エネルギーを計算する計算式で、重力加速度が変数になるから積分しなくちゃいけないって事を理解できていなくて、地球上での簡易な計算式でそのまま宇宙での位置エネルギーを計算しようとしたのだと思うのですがね。
それを聞いた時僕は、“この人のインフルエンサーとしての地位はこれで落ちるな”って思ったんです。流石に擁護できないくらいに馬鹿な事を言っていますから。けど、その後もその人は影響力を失っていません。そういうのもなんとなく宗教っぽいですよね?」
鈴谷さんは軽く頷く。
「多分、似たような心理が働いているのだと思います。教祖の予言が外れて却って信仰が厚くなるという現象が知られているそうですが、そういうのに似ていますね」
それからこう続けた。
「いずにしろ、宗教を用いなくても、似たような心理効果は存在するのです。盲目的に何かに従ってしまう心理。そして、その“何か”の位置にこれからの時代はAIが付こうとしているのかもしれない、とも思うのです。
“AIが言っている事だから絶対に正しい。疑うな”
まるで宗教における託宣でしょう?
そういう宗教的な心理には、もちろん、メリットもデメリットもあるのですが、それを分かっていない人が多いのかもしれない。
自然科学の根本的な考え方の一つに、反証主義というものがあります。これは簡単に言ってしまえば、“検証できる構造を持った理論を科学と呼ぼう”という考え方ですね。検証できないのであれば、それが正しいのか間違っているのか分からない。だから、“検証できる”事が重要なのです。逆説的ですが、“どんなに疑っても正しいと認めるしかないからこそ科学は正しい”のですね。
この反証主義を持ち出すのなら、“AIは絶対に正しい”というのは非科学的です。そして、当然ながら、それはAIの主張が正しいか間違っているのか検証できなければいけないという事でもあります」
僕は大きく頷いた。
「つまり、“AIをブラックボックスにしてはいけない”という話ですよね?」
そんな話を、随分前にゆかりちゃんとしたような気がする。
「その通りです」と鈴谷さんは応える。そして、「ところが、今、日本政府はAIをブラックボックスにしたまま、AIの主張の正しさを検証する術を作らずに、AIの活用を進めようとしているのです」と続けた。
僕はそれにも頷いた。
――それは、つまりは、いくらでもAIの悪用が可能だという事でもある。だって疑う事を許さないのだから……
「私は“AIリアン達”の活動にそれほど深くは関わっていません。少し応援する程度。ですから、これくらいの助言しかできませんが、とても心配はしているのです。どうか、よろしくお願いします」
それから彼女はそう言って深く頭を下げた。僕は恐縮してしまって、「いえ、そんな頭を下げたりしないでください」と言ったけど、それから「分かりました。できる限りがんばります」と確りと応えた。
……もっとも、ここ最近は、僕も“AIリアン達の活動”の蚊帳の外だ。ゆかりちゃん達は、何かをやっている雰囲気がありそうなのだけど。




