2.歩君は頭が良いの
幸いにも、ゆかりちゃんが成長すると共に世の中のAIリアンに対する偏見は少しずつマシになっていった。国は啓蒙活動の成果だと主張したけど、僕は違うと思っている。きっとそれはAIリアン達の社会的地位がその知能の高さ故に自然と向上したからだろう。一番分かり易いのは、学歴かもしれない。
AIリアンは頭が良い。ペーパーテストの類は特に得意だ。ならば当然、AIリアンの学歴は高いのが普通になる。そしてレベルの高い大学にAIリアン達が集まって来るようになると、レベルの高い企業に就職をするようにもなって、自然地位も高くなった。そればかりかAIリアンが自ら起業して成功を収める場合もあった。結果として、AIリアン達は世間から一目置かれる存在になっていったのだ。
もっとも、差別や偏見の根は深い。社会的に重要な存在にAIリアン達がなっても、いや、だからこそなのかもしれないけど、彼らを危険視する人は多い。詳しくは知らないのだけど、思想団体によってはAIリアンを敵視してすらいるらしい。
ただ、いずれにしろ、ゆかりちゃんに対する世間の目は幾分かは柔らかくなった。母さんも、もう僕に「AIリアンとなんか付き合うな」とは言わなくなった。
“将来、有名企業に彼女が就職したら助けてもらえるかも”
なんて打算がもしかしたらあったのかもしれない…… とも考えたけど、流石にそれは邪推が過ぎるだろう。
そんな世間の傾向に加えて、高校生の頃には、ゆかりちゃんはある程度のAIリアン用の処世術(?)のようなものを身に付けていた。
「振りでもいいから、もう少し笑ったり怒ったりした方が良いよ」
それは或いは僕が彼女にそう言ったからなのかもしれない。中学三年の頃だった。教室で無表情な彼女を不気味がるクラスメイトが嫌だったから、僕は彼女にそう言ってみたのだ。彼女が軽く首を傾げたので、
「ほら、その方が皆とももう少し仲良くなれると思うから」
と続けた。すると彼女は、「歩君も、その方が嬉しい?」と訊いて来た。「まあ、嬉しいかな?」と僕は返す。
正直に言えば、もうとっくの昔に僕自身は彼女の無表情には慣れていたのだけど、彼女が僕以外の他の皆と上手くやれるようになれたなら嬉しいから。
「なら、練習してみる」
その時の彼女はきっと上機嫌だったろうと思う。何故なら、僕の天然パーマを指でくりくりと弄り始めたからだ。彼女は機嫌が良いと、よく僕の髪の毛を弄るのだ。なんか知らないけど。
それからしばらくが経って、少しずつ彼女は表情を変えるようになっていった。時折、的外れな場面で笑ったり、怒ったりしていたけど、直ぐに修正していた。どうやって練習したのかを尋ねてみたら、「ロボットの表情プログラムをインストールして参考にしたの」とのこと。「それは他の人に言わない方が良いよ」と僕は忠告をした。『やっぱり、ロボットじゃないか』とか言われそうだと思ったのだ。
兎にも角にも、世間がAIリアンを受け入れ始めたのと、そうした彼女自身の努力によって、彼女は昔に比べれば孤立しなくなっていたのだった。
高校。
僕はそれなりに勉強をがんばってそれなりに学力レベルの高い高校に進学していた。それは半分はゆかりちゃんの為だったのかもしれない。中学時代、学校ではまだ彼女はほとんど僕としか関りがなくて、はっきり言って僕に依存していた。それで僕が進学する先を彼女も選んでしまいそうだったので、僕は懸命に勉強をしたのだ。AIリアンである彼女は、レベルの高い学校に進学しなくちゃ世間に認めてはもらえない。僕の所為で、彼女や彼女の家族に辛い想いをさせる訳にはいかないと思ったんだ。
ただ、無事に高校に入学できた後でそれは変わった。AIリアン用の処世術のようなものを身に付けた彼女には、僕以外にも友達と呼べる人ができていたし、同じ学年に一人、上の学年にもう一人で合計二人、高校には彼女と同じAIリアンがいたのだ。そして、ゆかりちゃんはそのAIリアン達と少しばかり交流があるようだった。
僕はちょっとの寂しさを覚えつつも、やっぱりそれに安心していた。
“――これで彼女も心配いらないな”
そう思った。
特に意識していた訳ではなかったのだけど、自然と僕は勉強にあまり力を入れなくなっていた。多分無意識の内に、“ゆかりちゃんのレベルに追いつくのは無理”と思って諦めていたのだと思う。
きっとAIリアンでしか入れないようなレベル高い大学に彼女は進学するのだろう。差別されているAIリアンが、この世の中を無事に生き抜く為には、“高学歴”という肩書が必要だからそれは仕方ない。残念ながら、それに僕は付き合ってあげられない。いや、付き合いたいけど、付き合えない。
高校一年の二学期だったと思う。一緒に下校していると、ゆかりちゃんが勉強に熱心じゃない僕の態度に気が付いたのか、「どうしてあまり勉強しないの?」と尋ねて来た。
僕はそれになんと応えようか迷った挙句、「ゆかりちゃんほど、僕は頭が良くないからね」と答えた。「不相応だと思うんだ」と。
すると彼女は唇を一文字に結んでから「歩君は頭が良いわ」と言って来た。
「いや、でも、AIリアンに比べれば……」と困った僕が返すと、彼女は「知性は一種類だけじゃない」とやや食い気味に返して来た。
気のせいじゃなければ、ちょっと怒っているようにも見えた。
「単純計算の速度と正確さだったら、人間はファミコンにも勝てない。けど、そのファミコンには人間ならば容易にできる立ち上がったり物を掴んだりといった動作処理はかなり難しい」
「ファミコン?」
「大昔のゲーム機の名前」
それから彼女はちょっと遠くを見た。その視線の先には森だか林だかがあって、風に大きく揺れていた。それを指差しながら彼女は言った。
「植物には知性があるとも言われている。化学物質や音などで互いに連絡を取り合い、微生物を介して栄養をやり取りしてすらいるなんて事を言っている学者もいるの。でも、その知性は当たり前だけど、人間のそれとは全く違っている」
「うん……」と、それに僕。
なんだか分からないけど、彼女が何かを僕に必死に伝えようとしている事だけは分かった。
それから彼女は「縦に3本、横に2本、交わるように線を引く」と言いながら空中に格子模様を指で描いた。
「この線の交点の数を数えると6になる。これは3×2の計算をやっているのと同じなの。筆算と同じ要領で桁数の大きな計算にも応用できるから、画像イメージ処理能力に長けた知的生物がもしいたら、かけ算の解き方をこれで教える社会を形成していると思う」
それからゆっくりした動作で彼女は僕の顔を眺めた。
「歩君は頭が良いの。AIリアンとは違う知性なだけで。AIリアンよりも優れている部分だってたくさんあるわ。分かった?」
僕はそれに「分かったよ」と答えた。すると彼女は笑顔を作った。練習してできるようになった表情だけど、それから彼女は本当に上機嫌になったようだったから、きっと偽物じゃない。
取り敢えず、彼女の機嫌が直って僕は安心をしたのだけど、結局何を彼女が伝えたかったのかは分からないままだった。