24.不妊虫放飼
講義を受けている間、日野君は終始無言だった。
ただ、無言でありながら、どことなく僕を圧しているようにも思えた。そう言えば、彼はこの講義を取っていただろうか? 普段は見かけないような気もする。気の所為かもしれないけれど。
講義が終わった。僕は彼から逃れる為にそそくさと席を立とうしたのだけど、そこで「ちょっと良いかな? 訊きたい事があるんだ」と呼び止められてしまった。あまり時間をかけるとゆかりちゃんが迎えに来そうだったので嫌だったのだけど、断れる雰囲気じゃなかった。そのまま僕らは廊下にある休憩所まで向かった。
「――まず、断っておくと、これは僕個人の興味から質問するのであって、僕の所属は一切関係がない話です」
彼は自動販売機でジュースを二本買って、そのうちの一本を僕に差し出すとそう切り出した。ジュースを受け取ると僕は頷く。“所属”というのは大学の研究室の事でなく、“人類の安楽死を願う会”の方だろう。
僕は彼から貰ったジュースの栓を空けると一口飲んだ。甘い。それを見て彼は口を開いた。視線が強かった。
「板前ゆかりさんの様子がおかしい。具体的に言うと、君に対する愛情表現が過剰とも言える状態になっていますよね。何があったんですか?」
僕はその質問に直ぐに答えようとして思いとどまった。彼には先日の全個一体会の件では協力して貰っているから、お礼の意味も込めて答えても良い。でも、自分の恋人の様子の変化の原因を何の理由もなしに説明するのは流石にちょっとどうかと思ったのだ。せめて、納得できる理由が欲しい。
「その前に質問をさせてくれないか。どうして日野君は、そんなにもゆかりちゃんに固執しているのか。ずっと前から疑問だったんだ。僕は彼女の恋人なんだ。それくらい訊く権利はあると思う」
今の彼は機嫌がやや悪いように思える。普通に考えるのなら嫉妬だろう。
「失礼」
と、そんな僕の抗議に反省したのか彼は笑う。ただ営業スマイルのように僕には思えていた。
「僕の所属は関係ないとは言いましたけどね、彼女に興味を覚えたのは、僕が“人類の安楽死を願う会”に所属している事が関係しています。聞いているとは思いますけど、“人類の安楽死を願う会”は“子供を産まない”という方法で人類は自主的に滅びるべきだと考えています。
では、具体的には、どのようにそれを実現させようとしていると思いますか?」
僕はそれを聞いて頭にクエスチョンマークを浮かべた。彼らが人類を安楽死させる為に能動的に動いているとはそもそも思っていなかったのだ。
日野君はにやりと笑う。
「不妊虫放飼という言葉を聞いた事はありませんかね?」
僕は聞いた事がなかった。「ないけど」と言うと彼は続けた。
「不妊化させた害虫を放ちます。その害虫と交尾した野生害虫は子孫を残せない。そのような事を膨大に行えば、特定の地域の害虫を駆除できるのです。“人類の安楽死を願う会”もこれと似たような方法を考えています。もちろん、人間を不妊化するなんて事は不可能ですが、人間の場合、子供を産まない性対象は人間だけとは限りませんから。
AIにセックスパートナーの役割を担わせようとする発想は知っているでしょう? ロボットになるとちょっとハードルが高いですが、仮想空間で理想的な異性をAIに演じさせる事くらいならば現代でも可能です」
その彼の説明で僕は思い出していた。そう言えば、彼はアダルトゲームの会社に勤めていたはずだ。まさか……
僕が察した事を察したのだろう。彼は口を開いた。
「そうです。現実の異性を忘れさせるくらいに魅力的なバーチャル異性を作り出せたなら、人間の未婚率は跳ね上がるでしょう。人間は益々子供を産まなくなる。僕はアダルトゲームの会社に勤めていると言いましたが、それはその為です。“人類の安楽死を願う会”はその点において日本を高く評価しているのですよ。日本はそういった性娯楽サービスにおいてはとても優秀ですからね。日本の“芸者”が世界的に有名になりましたが、それは当時の西洋にはなかった娼婦との疑似恋愛を体験させるというサービスが斬新だったからです。アダルト映像作品の売上げは、日本がダントツで世界一位。当然ながら、セックスパートナーAIの開発においても期待できます」
そこで日野君は一呼吸置いた。そして、辺りを見回してから続けた。
「ですが、この大学の生徒達のようなAIリアン達はそのようなセックスパートナーAIに惑わされたりはしないでしょう? 彼らはいかに魅力的なセックスパートナーAIが生み出されたとしても理性で性欲をコントロールし繁殖し続けるでしょう。AIリアンはAIリアン同士で子供を残すのが普通ですから、その子供もAIリアンになる可能性が高い。そして、もしそうなったなら、人間は数を減少させ、AIリアンは逆に増え続けるのですよ。AIリアン達にならば、戦争もなくせるし、自然破壊を克服する事も可能でしょう。当に理想的な未来と言えるはずです。
だからこそ、僕らはAIリアン達と協力関係を築こうとしているのです。“人類の安楽死を願う会”とAIリアン達の目的の少なくとも一部は同じのはずですから」
“人間を滅ぼす? AIリアンだって人間じゃないか”と僕は言いそうになったけど口をつぐんだ。彼らにとってAIリアンは人間じゃないのだろう。きっと人間より上位の存在だと思っている。そして、その説明で“なるほど”と僕は思ったのだった。彼らがAIリアンに好意的で、協力し合おうとしている理由がようやく理解できた。
がしかし、そこで何故か彼は肩を竦める動作をするのだった。
「ところがです。このOK大学に入学して、僕にとって想定外の事例が見つかったのですよ。板前ゆかりさんです。彼女はAIリアンでありながら、普通の人間である君に惚れているじゃありませんか。もちろん、AIリアンが普通の人間をパートナーに選ぶというケースもあるのですが、少なくとも僕の知っている限りでは、全て普通の人間の方がAIリアンに依存しています。AIリアンの方がパートナーに依存しているというケースは聞いた事がない。
だから僕は板前ゆかりさんに興味を覚えたのですよ。彼女はAIリアンとして何か特殊なのかもしれない…… それで彼女に近付いたのですがね」
そこで何故か彼は言葉を濁した。少し逡巡してから口を開く。
「いえ、正直に言いましょう。僕はAIリアンである彼女に選ばれたいと思ったのです。僕はAIリアンは人間を超えた存在だと思っています。そのAIリアンから選ばれる! なんと光栄な事でしょう!
自分で言うのもなんですが、僕は女性にはモテますからね。板前さんが、普通の人間をパートナーとして選ぶようなAIリアンならその可能性は充分にあると思っていました。ですが、彼女は僕を選んではくれなかった」
再び言葉を止めると、彼はまじまじと僕を見つめて来た。そして、その視線は僕に対する敵意に近い何かを隠してはいなかった。
「板前さんが選んだのは君だった。もしかしたら、君は僕が恋愛的な意味で君に嫉妬していると思っているかもしれませんが、だからそれはちょっとばかり違っています。AIリアンである彼女が僕を選ばず、君を選んだのならば、それは正しい判断のはずだ。僕が彼女のパートナーになれるだなんておこがましい。
ただ、やはり君は羨ましい。
その僕にはない“何か”を持った君を僕は羨ましがっているのですよ。恋愛的な意味ではなく。ただしそれは敵意ではありません。むしろ僕は君を尊敬すらしているくらいなんですから」
僕はその彼の告白を聞いて、少しばかり困惑してしまっていた。
「いや、評価してくれるのは嬉しいけど、それは買い被りだよ。ゆかりちゃんが僕を選んだのは単に幼馴染だからで……」
それを聞くと彼はにっこりと笑った。
「それは知っています。あなたが孤独だった彼女を助けたのでしょう?」
……なんで知っているのだろう?
「ですがね、AIリアンはそんな事くらいでパートナーを選ぶような非合理的な存在じゃないのです。彼女が君を選んだのには、それ相応の真っ当な理由があるはずです」
僕は彼の言葉に違和感を覚えた。世間一般のAIリアンに対するステレオタイプな見方は“感情がない生き物”だ。でも、僕の印象はまるで違っている。AIリアン達は充分に感情的だと思う。
「そんな事はないよ。確かに合理的思考をするけど、昨日だって彼女はとても興奮していて……」
だから昨日の彼女について彼に説明したのだ。あの時の彼女は情欲に支配されているように思えた。そして今日もその興奮状態を引きずっている。
ところが僕の説明を聞き終えても、日野君の態度はブレないのだった。
「いえ、一見はそう見えたかもしれませんが何か理由があるはずです。抑制していた君への感情を、解放させた切っ掛けがあったと考えるべきでしょう」
そう断言する。
それで僕は何だか自信がなくなってしまった。よく思い出してみる。そして彼女が僕が“全個一体会を見逃したのが一番かっこ良かった”と言っていたのを思い出したのだった。
ひょっとしてあれかなぁ?
と、思う。
「きっとそれですよ」
何も言っていないのに、日野君がそう言った。そしてそれで、彼のゆかりちゃんの変化に対する疑問は解決したのか、もう質問はして来なかった。
余談だけど、ゆかりちゃんの興奮状態は、それから一週間くらいかけて徐々に治まっていった。ただ、それからも、以前よりも彼女のスキンシップは多くなっていたけど。
ただ、それが本当に日野君の言うような理由なのかまでは僕には分からなかった。




