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1.板前ゆかりちゃん

 板前ゆかり。

 ――ゆかりちゃん。

 

 特徴的なショートカットのヘアスタイル。色素の薄い肌。やや大き目の瞳。色は清涼系が似合いそう。

 彼女の外見的な特徴をざっと挙げるのなら、こんな感じ。

 僕、小鳥遊歩たかなしあゆむと彼女、板前ゆかりは幼馴染だ。保育園に通っていた頃からお互いを知っている。その頃から髪型はショートカットだったから、きっと彼女のお母さんの趣味だと思う。僕は彼女と最初から特別に仲が良かったという訳ではない。お互いに仲良しグループの一員って感じで、一緒に遊びはするけど個人的な関り合いはそれほど深くはなかった。

 僕とゆかりちゃんがとても親しい関係になったのは、ある事件が切っ掛けだった。ある日突然、ゆかりちゃんが無表情になってしまったのだ。それまでのゆかりちゃんはよく泣く子で、転んだり、虫が身体についたりするだけで泣いていた。恐らく保母さん達からは迷惑がられていたと思うのだけど、その日を境にそれが変わったのだ。

 彼女はほとんど泣かなくなった。転んでも、いたずらっ子に虫を付けられても、嫌いなピーマンがお弁当に入っていても。泣かないだけじゃなく、ほとんど笑いもしなくなった。怒りも。つまりは感情の動きが乏しくなってしまったのだ。

 ただ、多少は戸惑ってはいたけど、幼い僕らはそんな彼女と変わらず一緒に遊んでいた。がしかし、それから少しずつ彼女と距離を置く子供が増えていった。何故かゆかりちゃんがいる僕らのグループに加わらなくなっていったのだ。一人、また一人、別のグループで遊ぶようになっていく。その当時、仲良くしていた子が別のグループで遊ぶようになったので、僕もなんとなく離れた。

 そして、そうしてゆかりちゃんは、とうとういつの間にかに独りぼっちになってしまったのだった。彼女が一人でボール遊びをしている姿を今でもよく覚えている。

 

 ピンク色のドッチボールくらいの大きさのゴム製のよく弾むボール。てんてん、とそれが転がっている。ゆかりちゃんはそれを拾うと、保育園の壁に向かって投げ、跳ね返ってまた転がって来たボールをまた拾って投げる。

 まるで何かの作業をしているかのような、単調な動作だった。少なくとも彼女が楽しそうにしているようには思えなかった。

 

 “どうして、誰も彼女と遊ばないのだろう?”

 

 僕は疑問に思っていた。

 特に彼女が悪いことをした訳じゃないはずだった。そんな話は聞かないし、感情が乏しくなってからの彼女は、むしろ前よりも周りに迷惑をかけない子供になっていたから。ただちょっと変というだけで。

 そしてある日、その僕の疑問は解けたのだった。

 

 「……歩。保育園にゆかりちゃんって女の子がいるでしょう?」

 

 母さんが僕にそう訊いて来た。僕が頷くと母さんはこう続けた。

 「その子と遊んじゃダメよ?」

 それに僕は驚いてしまった。だから、「なんで?」と尋ねたのだ。

 すると母さんはこう答えた。

 「その子はAIリアンになっちゃったのよ。だから、遊んだらダメ」

 「AIリアン?」

 「半分、AIになってしまった人間の事よ。何をするか分からないわ。だから、関わっちゃダメなの。危ないから」

 

 その母さんの説明で、どうして皆がゆかりちゃんを避けるようになったのかを僕は理解した。きっと、皆、こんな風に母親か父親かのどちらかに言われて、それに従っているのだろう。

 

 その次の日、相変わらずにゆかりちゃんは独りで遊んでいた。ピンクのゴム製のボールを保育園の壁にぶつけている。よく弾むボール。誰も彼女に関わろうとしない。これはその時に初めて気が付いたのだけど、保母さん達ですらも彼女を避けているようだった。

 真っ暗な空間で、ただただボールを壁にぶつけては拾う彼女の姿を、その時僕は幻視した。

 その空間の外に、彼女以外の皆はいて、彼女を“いない”事にしている。

 

 ――何かが、

 ――何かが、物凄く嫌だった。

 

 それから自然と、僕はゆかりちゃんに近寄っていった。彼女の投げたピンクのボールが偶然に僕の傍に転がって来て、僕はそれを拾った。ボールを拾った僕を、彼女は不思議そうな顔で眺めていた。そんな彼女に向けて僕は言った。

 「一緒に遊ぼう」

 それを聞いた彼女は、信じられない物を見るような目で僕を見た。と言っても、瞳をわずかに大きくしただけだけど。

 その瞬間、彼女がいた真っ暗な空間はなくなっていた。木漏れ日が綺麗だったのを覚えている。一筋の風が流れる少しの間の後、彼女は小さく頷いて僕の言葉に「うん」と返した。表情に変化はなかったけれど、なんとなく彼女が喜んでいるような気がした。そして僕らはキャッチボールをした。

 それから僕らは毎日一緒に遊ぶようになった。キャッチボールだけじゃなく、一緒に絵本を読んだり、お絵描きをしたりもした。つまりはとても親しくなったのだ。その所為で僕は他の子達との距離が離れてしまったけれど、仕方ないと思ってあまり気にしなかった。僕は元からそんなに皆で遊ぶのが好きって訳でもなかったんだ。

 母さんに彼女と遊んでいるのがバレて怒られたけど、それでも僕は彼女と遊び続けた。そのうちに母さんも諦めたようだった。

 ゆかりちゃんは基本的に無表情だったから、僕をどう思っていたのかは分からない。けど、嫌われてはいないと思っていた。

 僕が彼女と遊ぶのは、ロボットと遊んでいるようなものだと一部の人達は思っていたようだった。“AIリアンには感情がない”なんて誤った風説が流れていて、「子供ならではのアニミズムだよ」なんて言う大人も中にはいたけど、僕は信じなかった。

 絶対にそれは間違っている。AIリアンにだって感情はあるんだ。確りと。

 「“一緒に遊ぼう”」

 高校生の頃だったと思う。昔話になって彼女が僕をそうからかってきた。もちろん、それはあの日、僕が独りで遊んでいた彼女に話しかけた言葉だ。

 「からかわないでよ」と僕が言うと、「だって、嬉しかったんだもん」と彼女は返した。「今でも鮮明に思い出せるくらいに」。それを聞いて僕はとても照れてしまった。

 

 「あの子はAIリアンなのよ? どうなっても知らないからね!」

 

 幼い頃、母さんはそんな事を言っていたけど、僕にはゆかりちゃんが僕に何か悪い事をするなんてまったく思えなかった。

 それは何の知識もない子供の直感だったのだけど、それでも後に僕はその直感が正しい事を知った。

 

 幼い僕は、ほとんど理解していなかったのだけど、ゆかりちゃんがAIリアンになってしまったのは、ナノマシンカプセルを飲んで、脳直結インターフェースを構築したからであるらしかった。

 

 ――人間の脳を直接インターネットに接続し、脳から直接アクセスを行う。それにより、インターネットから情報を取得したり、AIからのサポートを受けたり、サイバー空間にフルダイブを行ったりといった事が可能になる。

 SFの世界では随分と昔からあるお馴染みの発想だけど、当然ながら、これを実現するハードルは極めて高い。脳を直接繋げようと思ったなら大手術が必要だけど(因みにこれを侵襲的手法と呼ぶ)、当然ながら大きな危険が伴うし、機器の故障などが起こればその度にその危険な手術を何度も繰り返さなくてはならなくなる。だから、手術を行わずにヘルメット型のデバイスを頭に被り、脳活動の計測を行ったりする手法(因みにこれを非侵襲的手法と呼ぶ)が考え出されたのだけど、当然ながらこれではできる事は限られてしまう。

 その為、人類はナノマシンに脳とインターネットを繋ぐ役割を担わせる方法を考え出した。

 ナノマシンを膨大に含んだカプセルを飲むと、それが脳や神経にまで移動してネットワークを形成し、脳とインターネットを接続してくれるのだ。定期的にナノマシンカプセルを飲み続けなくてはならないけど、不具合の修正やアップデートも比較的楽に行えるというメリットもある。

 この技術が大きなブレイクスルーとなり、人類はSFの物語で夢見た、脳から直接インターネット空間やその他機器との接続が可能になる世界を手にしたのだ。

 つまりは、脳直結インターフェースの時代の到来である。

 

 ……もっとも、これは良い事ばかりではなかった。ナノマシンカプセルの摂取による健康被害だって起こったし、人がインターネットの世界に埋没し依存してしまうという問題もより深刻化した。ただそれでも、脳を直接インターネットなどに接続する恩恵の方が遥かに上だった為、その技術は瞬く間に社会全体に広まっていったのだけど。

 それに、多くの健康被害は原因である脳直結インターフェース自体によって、直ぐに改善していった。インターネットを介してAIが原因を調査分析し、治療方法を見つけ出していってくれるのだ。

 ただ、これには例外があって、全ての症状に適応できる訳ではなかった。

 何故なら、そもそもそれを“症状”と呼んでしまって良いのかも分からなかったからだ。病気でないのなら、治療するのはおかしい。人にとってはその“変化”を、“人類の進化”と表現していたりもするから……

 

 AIリアン。

 

 そして、そんなどう扱うべきか分からない“変化”の一つにそれがあった。

 AIリアンを危険視する人もいる。だけど、それは全くの誤解だ。

 AIリアンというのは俗称で、正式にはAI侵食性感情障害の罹患者(?)の事を言うのだけど、この状態になった人は、普通の人間よりもむしろ攻撃性が低いらしいのだ。自己コントロール能力が高いので暴走もしないし、協調行動の方が己も含めた社会全体にとって利益になると理解しているからそもそも誰かを攻撃しようともしない。

 ……もっとも、合理的に判断して、攻撃した方がメリットが高い場合はどうなるか分からないのだけど、そんなのはAIリアンでなくたって同じだろう。

 それでも一部には彼らを病気…… “異常”と表現したがる人もいる。それは、やっぱり、自分と異なった存在を恐れる生物としての本能が働いているからなのだろうと思う。

 

 AIリアン達は知能がとても高い。合理的思考に優れ、計算能力は通常の人間を遥かに凌駕している。そして、AIとの親和性も高く、ネットを介してのAIとの連携も極めて効率的にやってのける。

 多分、彼らは普通の人間よりも優れている。一部の人達は、きっとそれも気に入らないのだと思う。

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