17.支配という概念に縛られた連中
「嬉しいですね、君が僕の研究室を訪ねてくれるなんて」
日野君が頬を上気させてゆかりちゃんを真っ直ぐに見つめている。僕は完全に無視だ。僕は彼に話しかけようと思ったのだけど、それで躊躇してしまった。ただこれは意図的にやっている訳ではなさそうだった。彼は本当にゆかりちゃんしか目に入っていないんだ。どういう経緯かは不明だけど、既に彼は彼女と知り合っているらしい。ひょっとすると、僕に近付いて来たのも彼女が切っ掛けなのかもしれない。
ところがゆかりちゃんはそんな彼に対し「ごめんなさい。どなただったかしら?」なんて返すのだった。少しの間の後でこう続ける。
「……えっと、たしか、ウーパールーパー山本君だったかしら?」
「違いますよ」と日野君。
「ウーパールーパー佐藤君?」
「うん。とりあえず、“ウーパールーパー”から離れましょうか?」
「ごめんなさい。人の名前を覚えるの苦手で……」
「うん。まず、“ウーパールーパー”は人の名前じゃないと思いますよ?」
ゆかりちゃんの態度はちょっとおかしかった。いつもの天然(?)ボケじゃなければ、わざと日野君を避けているようにも思える。
「あのー…… ゆかりちゃん。あんまり失礼な事は……」
僕は流石に可哀想だと思ってそう言いかけた。するとそこで初めて日野君は僕の存在に気が付いたらしく「あれ? 小鳥遊君じゃないですか。君も来ていたのですね」なんて言う。ちょっと心が折れかけたけど、言葉を続けようとした。が、その前にゆかりちゃんが僕を遮るように言う。
「そう言えば、ウーパールーパー君は既に企業で働いてもいるのよね? それで私に協力を求めたのだっけ?」
「ウーパールーパーじゃないですけど。はい、働いていますよ」
それを聞いて僕は「へー」と感心した。どういう扱いかは分からないけど、学生をしながら企業に勤めるなんて大したものだ。
「やっぱり、再生可能エネルギー関連?」
再生可能エネルギーに興味があるからこそ、この研究室に入ったのだろうし。ところがそれに彼はこう返すのだった。
「いいえ。エロゲの会社です」
僕は言う。
「今直ぐにゆかりちゃんから離れろ、このブタ野郎」
ゆかりちゃんが言った。
「歩君。流石にちょっと失礼よ」
僕らは日野君にこの研究室に来た経緯を説明した。
「なるほど。全個一体会ですか」
なんて彼は言う。
「知っているの?」
「聞いた事がある程度です。でも、確かにああいった連中なら、再生可能エネルギーを嫌ってゲスなことも平気でしそうですね。僕も協力しますよ。連中が何かするようなら言ってください」
どうにも彼は、全個一体会のような偏った思想を持つ集団に詳しいようだった。どうしてなのか、ちょっと気になる。
「連中は根本から愚かなんですよ」
しかもかなりの偏見がありそうだ。
「ま、話して理解を求める機会があれば随分と変わりそうだけどね」
なだめる意味も込めてそう言ってみた。しかし無駄だったようだ。
「どうでしょうね? そもそもそれをさせないように上からコントロールされているでしょうし、話して分かるのならとっくに人類はもっとずっと良くなっているはずです」
――人類?
なんか話が大きくなって来た。
「太古、自身の欲をコントロールできるようになる事のメリットを仏教の始祖、ブッタは唱えました。その考えは早くから西洋にまでも伝わり認められもしましたが、結局は人類は欲を抑えられずに戦争が何度も起こった。仏教徒が自ら戦争を起こしたケースだってありますしね。
仏教に限らず、道徳や倫理で欲深な人間を戒める思想は珍しくありませんが、それでも数多くの愚かな行いを人類はし続けて来ました。
“そういった連中”に話が通じないのは、歴史が証明していますよ」
それを聞くと紺野さんが言った。
「でも、これから先は分かりませんよ。インターネットを介して様々な情報が集められます。今はまだ個人が受け取る情報には偏りがありますが、AIを利用すればいずれは公平に情報を扱えるようにもなるかもしれません。
IA。知能増幅という発想もありますしね」
しかしそれにも日野君は反対した。
「知能増幅ですか。僕は悲観的ですね。知能が驚くほど高くても、愚かな目的の為にその知能を使った人間なんていくらでもいるじゃないですか。
結局は、どんなに知能が高くなっても、“己の価値観”を疑える能力を人間が身に付けられなくちゃどうにもならないのですよ。しかも一人や二人じゃない。数多くの人間にそれができないといけないんだ。
“人類を滅ぼすリスクを冒してでも、戦争で勝利したい”
“金が欲しい”
“権力が欲しい”
そういう価値観を持った人間がたくさんいるからこそ、核兵器がこれほど多く造られたのでしょう?
知っていますか? 世界中で軍事力の為にどれだけ多くの資源が割かれているのかを。もし仮にその資源を、環境問題改善や生活改善に充てられたなら、この社会をユートピアにだって変えられるのですよ? こんな馬鹿馬鹿しい話ってありますか?
人類は自ら地獄のような社会を生み出し、自業自得で苦しみ続けているんです。はっきり言って、狂っているようにしか思えない」
彼の説明を聞きながら僕は思っていた。以前、彼と話した時、彼は信仰のようなものをAIやAIリアンに持っていると僕は感じた。でも、それは少し違っているのかもしれない。彼は人類に対する憎しみ…… いや、“諦め”の裏返しとしてAIやAIリアンを信仰しているのかもしれない。
ゆかりちゃんが言った。
「協調行動の方が、敵対し合う行動よりも強いわ。お互いに助け合う方が、互いの足を引っ張り合う関係よりも強いのは当たり前の話だもの。実際、戦争ばかりしている地域はあまり社会発展していない。
なら、長い時間はかかるかもしれないけど、いずれは協調行動が生き残るはずだわ」
それを聞くと、日野君はとても機嫌良さそうに笑った。
「適者生存! 素晴らしい。確かにその通りですね。協調行動を執る者達ばかりが生き残るように促すのが一番なのだと思います」
日野君はゆかりちゃんの意見に同意した訳だけど、何かニュアンスが違っているような気がしないでもなかった。
「“支配という概念に縛られた連中”
そういう連中を変えられるなんて思わない方が良い。自然淘汰にかけるしかないと僕は思うのですよ」
日野君はそれからそう言った。
どうにも、やっぱりニュアンスが違っている気がする。
支配という概念に縛られた連中。
それから僕は思った。
本当に日野君が言うように、そういう人達は協調行動が不可能な程、遠く離れた存在なのだろうか?