16.再生可能エネルギーの効果
ペロブスカイト太陽電池研究室では、リーダー的な立ち位置にいる紺野さんが自ら僕らの相手をしてくれた。お茶まで出してくれて。僕は恐縮してしまったのだけど、ゆかりちゃんは普段と同じだった。まぁ、予想できた事ではあるけれど。
事の経緯を説明すると「わざわざありがとうございます」と、紺野さんはお礼を言った。細い狐のような印象のある目を更に細くしている。
さっきまで何らかの薬品を扱っていたのか、紺野さんは白衣を身に纏っていた。落ち着いた着こなしが穏やかな雰囲気によくマッチしている。理想的な年上の男性といった感じ。僕はこの人には好印象を持っていた。あまりAIリアンという気がしない。
「“全個一体会”ですか。私は初耳ですね」
自分で持って来たお茶をすすりながら彼はそう返すと、「まぁ、こういう研究をしていると色々な人達が色々な事を言って来ますから、もしかしたら、その内の一つにはいたかもしれませんが」と続けた。
「これが具体的な資料を閲覧する為のキーです」
ゆかりちゃんがメモを差し出す。
「メッセージで送っても良かったのですが、一応、セキュリティを考慮しました。どうせ近くですから」
そのメモを「どうも」と受け取りながら、紺野さんは言う。
「この件、火田君も絡んでいますよね? 彼は何と言っています?」
「威力偵察の為に狙って来る可能性があるのは、直接、“AIリアン達が組織的に行動している”と述べた私かその近くの人間…… ただ、連中がもう少し頭が良かったなら、リスクとリターンのバランスを考えて、もう少し意味のある相手をターゲットにするだろうという事でした」
“火田”というのは、OK大学のOBで、今はAIが大半の執筆をしている通信社で働いているのだそうだ。一応マスコミ関係という事でその方面とも繋がりがある。
「なるほど。だから、有望な再生可能エネルギーを研究しているこの研究室をターゲットにする可能性が高い、と」
「そうです」
軽く頷くと、紺野さんは「しかし、AIリアン達に組織性がある事をバラしてしまうなんて大胆な事をしますね、板前さん。火田君、ちょっと怒っているのじゃないですか?」と続ける。
「クマショーック」と、それにゆかりちゃん。ちょっと、これは、意味が分からなかったけれど。
頭を軽く掻くと紺野さんは言った。
「その全個一体会なる団体が、本当に戦争を望んでいるのなら、確かに再生可能エネルギーは邪魔だと思っているかもしれませんね」
「どうしてですか?」とそれに僕。
「戦争とは言ってしまえば、“資源の奪い合い”です。ですから、もし仮に資源を生産できるようになってしまえば、戦争をする必要がなくなるのですよ。再生可能エネルギーは、その資源の中でも特に重要なエネルギー資源を生産する技術ですからね。普及されてしまったなら戦争をする動機がなくなってしまいます」
「なるほど。それじゃ、より一層邪魔される訳にはいきませんね」
AIリアン達の目的が、“世界平和”なのだとすれば、再生可能エネルギーは肝になる技術という事になる。以前、吉田君が言っていた“戦争が起こる条件”の一つは、間違いなく資源の枯渇だろう。
それに紺野さんは頷く。
「まー、そうなんですがね。私はその件に関してはそれほど心配はしていないのですよ。多少の嫌がらせはあるかもしれませんが、問題なく再生可能エネルギーは普及していくのではないでしょうか」
「何か“良い動き”でもあったのですか?」
「はい。ま、これを“良い動き”と言ってしまうのもやや不謹慎なのですが、“国の借金”が膨大に膨らんでいるでしょう? その問題を解決するのに、再生可能エネルギーの普及はとても効果的なのですよ」
そう言うと、紺野さんはノートパソコンで“加速する円安”というネット記事を僕らに見せて来た。
「借金が膨らんで起こる事の一つが、通貨価値の下落です。通貨価値が下落すると、物価が上がって実質的に借金が減りますから、これは“借金の踏み倒し”であるとも言えます。
そして、借金が膨らんで起こる主な事のもう一つが増税。
本来なら、経済成長によって増えた税収で国の借金を返すのが理想なのですが、それに失敗をして税収が伸びなかったので増税によって借金を返すのです。これは徴税権によって借金を踏み倒していると言えますね。
今の日本は既にこの段階に入っています。当然ながら、これをできる限りマシにしたいと思うでしょう。そして、その為には“国内でエネルギーを生産する事”が有効な手段になるのですよ」
ゆかりちゃんがそれに頷いた。
「円安になると輸入品が高くなって、国富が外国に出て行ってしまうけど、国内でエネルギーを生産できるようになればそれが抑えられるし、それによってGDPも上がるから、税収も増えるのですね。つまり、国の借金が返せる」
「正解。その通りです」と紺野さんが応える。
「だからでしょう。ここ最近、国の関係者でも再生可能エネルギーを歓迎する動きが目立っているのですよ。もっとも、利権団体の成長もセットになっているようですがね」
「なるほど。なら、それほど心配いらないのですかね? 紺野さん達のペロブスカイト太陽電池の研究は妨害されたりしない? 余計な心配でしたかね?」
「なに、それでも暴走する連中というのはいるものですから、こういう報告はありがたいですよ。その全個一体会というのがどういう連中かは分からないですし」
紺野さんが気を遣ってくれてそう言ってくれているのだ思って、僕はなんだかちょっと居心地が悪くなってしまった。誤魔化すように言う。
「しかし、それにしても凄いですね。専門の知識だけじゃなく、経済の知識も持っているだなんて。ま、ゆかりちゃんもだけど」
国の借金と再生可能エネルギーの関係なんて僕には想像もできなかった。今更だけど、AIリアンとの知能の差を感じる。すると紺野さんはこんな事を言ってくれた。
「いえ、それを言うのなら、君の研究だって十分に凄いと私は思いますけどね」
「僕の研究って、“AI連携強化学習法”の事ですか? 知っていたんですか?」
「はい。大変に興味深く拝見させていただきました。IA。Intelligence Amplifier。知能増幅などと翻訳されますが、あなたの研究はその一種と見做せるのかもしれません。機械が著しく発達を遂げる一方で、人間の知能はそこまで大きく発達をしていない。その穴を埋める意味でも、大変に価値があると言えるでしょう。
そして、AIリアン達は誰もあなたのような方法は思い付きませんでした。我々にはない発想力をあなたは持っていますよ」
多分、これはお世辞じゃない。尊敬している紺野さんから褒められて、僕は大いに照れてしまった。
「いやぁ、偶々思い付いただけですよ」
実際にゆかりちゃんのお陰で偶然に発見できたようなものなのだけど。無意識に、頭を掻く。
しかしそれから紺野さんは、「まー、IAの発想を気に入らない人もいるでしょうがね。この研究室にも一人います。彼はAIリアンではないのですが」なんて言うのだった。
そして、そのタイミングだった。こんな声が聞こえて来たのだ。
「あれ? 板前さんじゃないですか」
聞き覚えのある声。
それは以前この学部のパネルディスカッションに僕を誘った日野晃君だった。