14.“敵意”の気配
大学二年になった。
家庭教師のアルバイトは続けていた。お金を稼げるって事だけが理由じゃない。誰かに何かを教えるのは、想像していた以上に面白かったんだ。
それに、これについては多少は不謹慎なのだけど、僕が学生時代にやっていた“AIとの連携能力強化による知能の底上げ”方法。それを生徒達に試す事ができていたのだ。一応断っておくと、生徒からの要望だった。「先生はどうやって受験勉強していたのですか?」と尋ねられて、僕が執った過酷な方法を教えたら、「自分も試してみたい」と言われたんだ。
もっとも、AIリアンのサポートはないから、僕の方法そのままという訳ではなかったのだけれど。
試してみると「流石にきつい」と言われたので、試行錯誤してもう少し楽なやり方を探していった。その内に生徒達の負担と学習効率のバランスが取れた方法が掴めるようになって来た。
それで知的好奇心が刺激された。
この方法を伸ばしていけば、AIを活用した学習方法に革命が起こせるかもしれない。
それを思い付くまで、僕は正直に言って、どの学部に進むのかまるで決めていなかったのだけど、それで教育関係の学部に進んでみようと思うようになった。“AI連携能力強化学習方”の研究が、そのまま卒業論文にできそうだし。
ところが、教育学部でその研究を進めていると、奇妙な嫌がらせメッセージが届くようになってしまったのだった。
『人間をAIにする研究は今すぐやめろ』
『非人道的な人体実験はするな』
『人間の頭を弄りまわすな』
等々。
僕の研究内容は大学のサイトで公開しているからそれで知られてしまったのだろう。――いやいやいやと、僕は頭を抱えた。
僕はそんな研究はしていない。もちろんデメリットはあるだろうけど、そんな事を言い始めたら何もできないし、被験者になってくれた生徒達の合意は取っている。
アインさんに相談しようかと迷ったけど、大事にはしたくなかったので止めておいた。放っておけばいずれ治まるだろうと思っていたんだ。
が、メッセージは止まらなかった。どうも匿名掲示板などで、僕への悪口が書かれるようになったようだった。もっとも、それに関しては、幸い炎上のような事にはならなかった。仲間内の自作自演っぽい書き込みだけ。ほとんど無視されていたようだ。
なかなか嫌がらせが治まらなかったものだから、僕は個人の犯行ではなく、組織的な犯行なのではないかと疑い始めた。ただ、もしそうなら、その組織はあまり頭が良くないか、逆にかなり高度な頭脳を持っているかのどちらかという事になりそうだった。
“メッセージによる嫌がらせ”は、証拠が残りまくる。しかも被害者側がそれを持っているから、消そうと思ってもかなり難しい。だからかなり迂闊な連中か、僕には考え及ばないような高度な戦略があるかのどちらかになる。
……まあ、普通に考えれば、考えなしに行動しているようにしか思えないけど。
そんなある日だった。夜中、家庭教師のアルバイトを終えて帰り道を歩いている時、誰かに尾行されている事に僕は気が付いたのだ。変なメールが頻繁に届いてるから、普段から警戒をしている。怖くなった僕は足を速めた。すると後ろの気配も速度を上げた。タイミングからいって偶然には思えなかった。僕を尾行しているんだ。
少し考えると僕は曲がり角を曲がったところで立ち止まった。目の前の道にはコンビニエンスストアがあって、もし襲われたら直ぐに逃げ込める。人もそれなりに多い。その場所なら安全のはずだった。
僕を追いかけて曲がり角を曲がって来た何者かは、僕の姿に驚いたようだった。僕が待ち構えているとは思わなかったのだろう。道が暗くて顔までは見えなかったけれど、仕草で驚いたのが分かった。人数は一人だけだった。もしかしたら隠れている可能性もあるけれど、少なくとも大人数ではないだろう。
僕は驚いている人影に向けて、「あなたは何者ですか?」と言いつつライトを向けた。
『相手の姿形は重要な情報だから、暗闇でも視認できるようにしておいた方が良い』というゆかりちゃんのアドバイスを守って(だから彼女は、以前、中国人犯罪者組織に囲まれた時にペンライトを持っていたんだ)、僕はライトを携帯していたのだけど、それが功を奏したようだった。
相手の顔が見える。三十代くらいの男性で、眼鏡をかけていた。中国人ではなさそうだった。そして、一度も会った事はないし学生にも思えない。
僕は眼鏡型デバイスで男の姿を録画すると、直ぐに「ザシキワラシ」と呟いてAIを召喚した。「今、録画した彼の姿を検索して。可能なら分析も」と命じる。それと同時にゆかりちゃんに「この男に尾行されていた」というメッセージと共に画像を添付して送る。
その男性はどうするべきか迷っているようだった。僕は手の平を向け、「コンビニを見てください。ここには目撃者がいます。それに今あなたを検索にかけてもいる。下手な事はしない方が良いですよ」と警告した。
軽はずみな行動で警察に捕まったら、下手すれば一生ものの傷になる。相手だってそれくらいのリスクは分かっているはず。なら、犯行を思いとどまらせる事もできると思ったんだ。
逡巡はしたようだった。が、それから直ぐにその男性は消えた。
僕はホッと胸を撫で下す。
どうやら無事に済んだようだった。
男性が消えた後でザシキワラシから報告があった。
『画像に一致する人物は特的できませんでした。また、分析についても、この画像だけでは三十代くらいの男性としか分かりません』
「オーケー。ありがとう」と、僕はそれに返した。“説得が通じて本当に良かった”と、それを聞いて僕は思った。
その日、その男性(或いは他にも人がいたのかもしれないけど)が、僕に何をするつもりでいたのかは分からない。けど、僕への嫌がらせは組織的なものだとその事件で僕は確信を持った。その事件を境に、僕への嫌がらせメッセージがピタリと止まったのだ。
――リモート会議が開かれた。
全員、アイコンはなく、シルエットで表現されただけの手抜きだけど、機能としては十分だった。セキュリティ対策もばっちりだ。
そこにはゆかりちゃんとアインさんと僕が参加していた。僕の身に起こった事を伝えると、ゆかりちゃんが相談した方が良いと場を設けてくれたのだ。
AIリアン達は僕らが想像するような組織じゃない。頼ろうと思えば、そのネットワーク内にいる様々な人を頼れるけど、こういう場合に対応する役割を持った人は明確にはいない。だから、個人的な繋がりで誰かに相談するしかないのだ。
ゆかりちゃんが言った。
「歩君を尾行していた男が、歩君に嫌がらせをしていた組織の一員と考えてまず間違いないと思う」
「根拠は?」とアインさん。
「歩君がライトを向けたら、その男は大人しく退散した。そればかりか嫌がせも止んだ。多分、私が中国人犯罪グループの時にやったパフォーマンスが効いたのだと思う。それで連中は素性がバレたと恐怖した」
“パフォーマンス”というのは、ゆかりちゃんが中国人達の顔だけで名前や年齢などを当てていったように見せかけた例のハッタリの事だ。
「でも、あの中国人犯罪者組織は僕らから手を引いたって言ってなかった?」
僕の疑問にはアインさんが答えた。
「中国人達は手を引いているわね。でも、あなた達と彼らの遭遇した時の情報は他の組織にも伝わっている。だから、板前さんがやった事も知っているのよ」
「つまり、あの男は全個一体会の一員ってこと?」
「もしくは、その周辺の近い組織の一員。あなたが送ってくれた画像で調べてみたけど、候補が多過ぎて何者なのかは絞り切れなかったわ。眼鏡をかけていた所為で、光が反射して目がよく見えなかったってのも大きいけど」
いずれにしろ、何かしらの組織が僕をターゲットにしているという事だ。
ゆかりちゃんが言った。
「多分、まだ私達AIリアンが、組織として行動しているかどうか疑っている段階だと思う。だから、歩君に対して拙いやり方で嫌がらせをして揺さぶりをかけた。どうAIリアン達が動くのか観ようとして。歩君を尾行した人は、きっと捕まっても問題ないような下っ端だと思う」
アインさんが頷く。
「だから、嫌がらせメッセージの主を辿っても無意味。下手に刺激すると何をするか分からないし、逆恨みして来るかもしれないからこのまま放置が正しい選択」
ゆかりちゃんが更に言った。
「でも、きっと、このままじゃ済まない。多分、連中はまた何かやって来ると思う。対策を考えないと」
なんだかちょっと物騒な事になってきた。
……やれやれ、と僕は思った。