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9.AIは差別をするか? ~ブラックボックス2 交絡因子の排除とリスク分析

 日野晃ひのあきらという男生徒がある日僕を訪ねて来た。講義が終わった後のタイミングで、僕が講義室を出るところを待ち構えていたからちょっと驚いた。

 彼は同じ学年らしい。

 「どうも。AIリアンじゃない生徒がいると聞きましてね。是非、お知り合いになりたいと思って伺った次第です」

 ニコニコと笑っている。

 彼はロングの細い線の綺麗な髪をしていて、顔も美形で明らかにモテそうだった。話し方が異様に丁寧かつフレンドリーで、僕は彼をまるでセールスマンのようだと思った。それでちょっと警戒していたのだけど、“AIリアンだったら、セールストークでも学習してこうなってしまったのかもしれない”と思い直した。

 ところが少し話をしてみてそれは間違いだと分かった。

 「数少ない一般人同士、仲良くしましょうよ」

 そう彼自身が言ったからだ。

 「AIリアンじゃないんですか?」

 驚いて、思わずそう訊いてしまった。AIリアンと言われても納得できるくらいの独特の雰囲気が彼にはある。

 「はい。がんばって勉強して、なんとかこの大学に入学できました。まぁ、面接の底上げがなかったら怪しかったですけどね」

 「それは僕も同じです」と思わず笑って返す。似たような境遇の人だと思うと自然と警戒心が薄れてしまうものらしい。そしてその一瞬の油断を僕は突かれてしまったのだった。それから彼は言葉巧みに僕を誘い、気づくと僕はそのままパネルディスカッションの会場にまで連れて行かれてしまっていたのだった。その日、“大学内で行われているペロブスカイト太陽電池の実験”を巡っての討論会が開かれる事は知っていた。ただ、あまり興味がなかったものだから、それを見に行こうだなんて僕はまったく思っていなかったのに。

 あまりに口が巧いものだから、僕は彼が他人を説得する技術を身に付けたAIリアンではないかと疑ってしまった。本当に普通の人なのだろうか?

 「僕はこの大学で、いずれは再生可能エネルギーの研究に進むつもりでいるんですよ」

 会場に着くとそう彼は言った。だから、このパネルディスカッションに興味を持っているのかもしれない。どうして僕を巻き込もうと思ったのかは分からないけど。

 ペロブスカイト太陽電池とは。ペロブスカイトという材料を用いた太陽電池の事で、柔軟性に優れ、従来よりも少ない光量での発電が可能である上に安価に製造できる為、街中での様々な場所での発電に向いている。“都市がまるごと発電機になる”とまで評されていて、これが普及すればエネルギー分野にブレイクスルーを齎すと期待されている。もしかしたら、ペロブスカイト太陽電池はゲームチェンジャーになって、世界の有り様を変えてしまうかもしれないのだ。

 ただし、もちろん、問題点がない訳じゃない。ペロブスカイト太陽電池は、耐性の弱さと毒性の強さに課題があるとされている。うちの大学では、その課題をクリアする為の実践に近い形での実験研究が行われている。が、そういった新しい試みとなると、反対をする人が現れるのも世の常で、なんでも地球温暖化CO2原因懐疑派の何かの団体が、その実験への抗議活動を行っているらしいのだ。そして今日は、その団体を招いてのパネルディスカッションが行われる事になっていたのだった。

 会場は小体育館のような場所で思ったよりもこじんまりとしていて人は少なかった。暇な生徒か、または近所の物好きがちらほらいる程度。ただお陰で楽に座る事ができた。難しそうな顔をしたおじさんが血走った目をしていてちょっと怖ったけど、ディスカッションが始まる前に外に出て行ってしまった。一体、何だったんだのだろう?

 人数が少ない。地球温暖化CO2原因懐疑派とやらの勢力はどうやらそれほどでもないらしい。もしかしたら、ノイジーマイノリティというやつなのかもしれない。

 “しかしなー……”と、僕は思う。

 「……身の程知らずですよね」

 日野君が言ったのを聞いて、僕は少しだけ驚いてしまった。僕が心の中で呟こうとしていた言葉だったからだ。

 「どうしたのですか?」

 僕の驚いた顔に気が付いたのか、彼が尋ねて来る。「いえ、別に」と僕。「なんだ、同じ事を考えたのかと思いましたよ」と彼。やはり見透かされている。

 少し笑うと彼は続けた。

 「論戦で、自分達の知能を遥かに凌駕するAIリアンに勝てると本気で思っているのですかね? 連中は」

 僕は曖昧に頷く。

 似たような事を思ってはいたけど、どうにも彼の言い方は反対派の人を下に見ているようで鼻についた。

 彼は続ける。

 「自分達よりも遥かに優れた存在が正しいと結論出した事なのだから、大人しく従えば良いのに」

 僕は“違う”と心の中でだけ反対した。

 言いたい事は分かる。でも、それはそれで危険思想のように思えたからだ。AIリアンを敵視し差別している人がいる一方で、崇拝している人もいる。彼はその一人なのだろうか?

 やがて壇上にパネルディスカッションのメンバーが登場した。反対派は三人。いずれも中年男性で少し太っていた。対して大学の研究室側は一人だけだった。紺野という名の大学院生であるらしく、狐のような雰囲気がある。簡単な挨拶が終わると議論が始まった。

 

 反対派の一人が口を開く。

 「世の中には昨今の地球温暖化、気候変動の原因はCO2だと述べている人がたくさんいます。

 がしかし、それら主張は本当に正しいのでしょうか? どのような検証が行われたのか、もしあるのなら説明していただきたい!」

 それにあっさりと紺野さんは返す。

 「十分な検証は行われていませんよ」

 意表を突かれたのだろう。反対派の三人は顔を見合わせた。紺野さんは続ける。

 「正確には“行えない”のです。地球は一つしかありませんからね。検証を行おうにも実験も調査も十分にはできません。地球に似た惑星が他に無数にあって、それぞれで実験や調査ができるのなら別ですが、残念ながら観察できる範囲にある惑星でそれが可能なのは金星くらいでしょう。

 金星は地球に似た惑星だと言われています。がしかし、金星の表面温度は460度と非常に高温です。では、どうして金星はそのように温度が高いのか? 地球との違いは何なのかと言うと、CO2の濃度なのですね。これが地球温暖化の原因がCO2であるという説の根拠の一つになっています」

 反対派はもちろんそれに反論する。

 「それは十分な根拠と言えるのですか?」

 すると今度もあっさりと紺野さんは認めてしまった。

 「言えませんよ?」

 再び三人は虚を突かれたようだった。紺野さんは続ける。

 「“金星の気温”と“CO2濃度”。これは時系列のないデータです。“CO2の濃度が上がった→金星の気温が上がった”といった時系列のデータがあれば、CO2と気温の間に相関関係が予想できますが、そのようなデーは存在しません。

 また、地球では“CO2濃度が上がった→気温が上がった”という時系列のデータがありますが、このデータは“交絡因子の可能性の排除”ができていません。交絡因子というのは、ちょっと説明が難しいので“その他の要因”とでも思ってください。

 よって、これも地球温暖化の原因がCO2であるという因果関係を示す十分な証拠にはなり得ません」

 その紺野さんの説明に反対派の三人は戸惑っているようだった。

 「それでは何故、あなた方は再生可能エネルギーの研究などをしているのですか?」

 一人がそう言う。紺野さんは軽く笑った。

 「簡単です。リスク分析をすると、明らかに再生可能エネルギーの普及によって、CO2排出量の削減をするべきだと分かるからです」

 「リスク分析?」

 三人は不思議そうな顔を見せた。彼らにとっては聞いた事のない発想だったのだろう。

 「仮にCO2原因説が正しかったとしましょう。すると、CO2を増やし続けたら、地球全体が深刻な事態に陥ります。非常に危険だ。この場合、CO2排出量の削減は必要ですね。反対にCO2原因説が間違っていたとしましょう。この場合、CO2排出量の削減は必要ではなくなりますが、それ以外のデメリットはありません。コストがかかるだけです。

 CO2原因説が正しいかどうかは不確かです。ですが、それでもリスクを考えるのならCO2排出量の削減はやっておいた方が良いのは明白なのです」

 反対派はそれを聞いて目を剝いた。明らかに不機嫌になっている。ただ反論は思い付かないのだろう。しばらく迷ってから怒鳴るように言う。

 「再生可能エネルギーの普及はコストがかかるじゃないか! これは経済的な損失ではないですか?!」

 涼しい顔をして紺野さんは返す。

 「いいえ、経済的にはプラスになりますよ?

 GDPを求める計算式は、『消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)』ですが、再生可能エネルギーの普及をこれに当てはめると、投資が増え、輸入が減るのでGDPが増えると分かります。更に言うと、エネルギー自給率が増えるので安全保障上もメリットがありますね。化石エネルギーなどの価格が高騰したとしても影響を受けなくなります」

 紺野さんが言い終えると、反対派の三人は何も言わなくなってしまった。恐らく“相手が悪い”と悟ったのだろう。

 化石エネルギーや原子力などの利権団体はライバルになる再生可能エネルギーを潰そうとしてネガティブキャンペーンを行っている。そのネガティブキャンペーンを信じてしまって、再生可能エネルギーを攻撃している人が時々いるみたいだけど、彼らもきっとそんな人達なんだろうと思う。

 ただ、きっと、深く考えている訳じゃないから底が浅い。だから直ぐに反論ができなくなってしまったんだ。

 彼らが何も言わなくなると、それでパネルディスカッションは終了した。

 

 「いやぁ、圧巻でしたね。さすがはAIリアン! 人間なんて相手にならない!」

 終わった後、会場の外に出た日野君は、興奮冷めやらぬといった様子だった。やはり彼はAIリアンを崇拝しているらしい。

 「“人間なんて”っていう言い方は止めてくれよ。AIリアンは人間だ」

 彼の言い方が気に食わなかった僕は、思わずそう返してしまっていた。すると彼は“意外だ”とでも言いたげな表情で僕を見た。そして確認するように口を開く。

 「なんでそんな事を言うのです? 君だってAIリアンの方が素晴らしいって思っているのでしょう?」

 それを聞いて僕は頭にクエスチョンマークを浮かべた。

 「どうして、そうだって思うの?」

 「だって、君はAIリアンを恋人にしているのですよね? だから僕は君に興味を持ったんですよ。AIリアンが恋人に選んだ人間は果たしてどんな人なのだろう?って」

 そう言った時の彼の目は、なんだか僕を人間以外の何か別のものとして見ているように思えた。ひょっとしたら、研究対象として観察でもされているのだろうか? どうやら彼も普通ではないらしい。AIリアンではないかもしれないけれど。

 

 その日、家に帰った後、僕は少しばかり悩んでいた。

 パネルディスカッションで聴いたリスク分析の話が頭に残っていたんだ。

 リスクを考える。

 中国人の犯罪組織がある場所だからといって、中国人を犯罪者と考えてしまうのは間違っているのだろう。

 けど、リスクを考えるのなら、そう想定しておくのは正しい判断なのかもしれない。仮にその中国人が犯罪者でなかったとしても、避けておけば何も起こらない。

 もちろん、それにもデメリットはある。差別を生み、被害者を生んでしまう。

 安全を得られるというメリット。と、差別を助長してしまうというデメリット。果たして、どちらを優先させるべきなのだろう? 仮にAIがこれを判断するのなら、果たして“差別を生む”というデメリットを考慮する事はできるのだろうか?

 実際、AIが偏った結論を出したという事例は数多く存在する。採用試験で白人を優遇したり、黒人の再犯率を高く見積もったり。もちろんそれは、学習元のデータに偏りがあったからなのだけど。

 何が正解なのか分からないまま、不安に駆られ、僕は眼鏡型デバイスでなんとなくゆかりちゃんにメッセージを送った。今日、彼女はアルバイトをしているはずなのだ。

 『バイトはどう? 忙しい?』

 中国人の彼に問題がないかとは訊けなかった。もし、彼女が暴力を受けていたらどうしよう? しばらくして返信があった。

 『大丈夫。今日は暇』

 そのメッセージに安心をしつつ、“やっぱり人間は弱いなぁ”などと僕は思っていた。

・おまけ

挿絵(By みてみん)


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