0.人類が仕合せになるのに戦争は必要ない
「人類全体が平和な社会を実現する為の鍵は、女性が好む男性のタイプと、再生可能エネルギーと、翻訳技術だと思うのよね」
ある日、彼女、板前ゆかりちゃんは、そんな事を僕に言った。
“訳が分からない”。
そう思った人は安心して欲しい。僕も、訳が分からなかったから。
(間)
『一人当たりの仕合せ指数×世界の総人口 = 資源×技術力×仕合せ係数』
AIリアン達は、人類全てが仕合せになる社会を実現したいと思っている。そして、またそれが可能だとも思っている。
僕が具体的にそれをどうやるつもりでいるのかを尋ねた時、AIリアンの一人である板前ゆかりちゃんは、そのような計算式をさらさらと書いて僕に示して来た。そして、「これを満たすようにすれば良いのよ」とそう言った。
まるで、さも当然の事のように。
左辺は全人類の仕合せ量を数値として表現したもので、だから、一人当たりの仕合せ×総人口で求めている訳だ。そして右辺はそんな社会を実現する為に必要な資源とその活用方法を表現しているらしい。全く同じ資源と技術力を持った社会でも、人々がどんな文化を醸成しているかによって仕合せ度は変わって来るだろうから、“仕合せ係数”という項目を設けたようだ。
科学的思想の骨はシンプル化する事なのだそうだけど、これは流石にシンプルにし過ぎているのじゃないかと僕は思った。多分、この計算式の各項目の値の数値化なんて無理だろうし。
僕が戸惑っていると彼女は無表情で淡々と、説明を加えて来た。
「人類全てが仕合せになれるようにする為のアプローチは主に二つあるわ。一つは資源量を増やし、技術力を高めて物質的な豊かさを手に入れる事。資源量を増やす事は難しいけど、人類に利用可能な資源を増やすという意味なら、再生可能エネルギーや宇宙開発や廃棄物の再利用などがこれに当たる。そしてそれら資源を充分に活かす為には技術力が必要だから、その発展にはとても意味がある」
「うん。分かるよ」と僕は答える。まぁ、常識的な説明だろう。だけど、それから彼女はこう言うのだった。
「でも、本当に重要なのは、もう一つのアプローチの方なのかもしれないの」
「もう一つのアプローチ?」
「そう」
彼女は頷くとまた語り始めた。
「一人当たりの仕合せ指数。これは可変よ。もしも、この世の全ての資源を一人占めにしなければ仕合せを感じられない人がいたとしたなら、先の式を満たす事は不可能。逆にささやかな事だけで充分に仕合せを感じられる人ばかりなら、簡単に満たせる」
そこで彼女は少しの間を作る。無表情な瞳を、ちょっとだけ涙が潤したように思えた。
「再生可能エネルギーなどで、人類に利用可能な資源量を増やす事はできる。その利用可能な資源を有効利用し、人類全体が豊かに暮らせるようにするだけの技術力も既にある。資源を無理に奪い合う必要は、だからないの」
僕はその彼女の言葉に「うん」と頷いた。
「――人類が仕合せになるのに戦争は必要ない」
つまりはそういう事なの。
とでも言いたげな表情で、彼女はそう告げた。
――人類が、人類自身をどうコントロールするのか?
そしてそれはそういう事でもあるらしかった。
まさかそれが、冒頭の彼女の台詞につながっているとは、その時僕は思っていなかったけど。