1. 神の巣は立ち入り禁止
──痛い、苦しい、熱い、やばいやばいやばいやばいやばいやばい……!!!
先ほどまで右腕があった場所にはもう何もない。
無理矢理切断された右腕の断面からは、大量の血液がどぽどぽと溢れ出ている。
頭一つ、胴体一つ、足二本。ここまでは何の問題もない。
しかし、ついさっきまで二本あった腕が、今はたった一本だけ。
体から分離した右腕は、左腕で握っている。
十数年連れ添ってきた大事な腕だ。愛着が湧いているのかもしれない。
──これは死ぬ、間違いなく死ぬ、痛い、やばい、死ぬ、もう無理だ……!!!
あまりの痛みに吐き気と目まいがしてくる。
強烈な喪失感と共に体が冷えていくのを感じる。
それでも、少年は左腕で握り締めた右腕を引きずりながら必死に走った。
──痛い痛い痛い、でも、あのクソ貴族共に捕まったらもう一本の腕も切り落とされる……!!
この少年のような最底辺の平民は、貴族からしたらただの遊び道具だ。
どれほどグチャグチャに壊されても、どれほど残虐に殺されても、誰も助けてなどくれない。
手を差し伸べてはくれないのだ。
腐りきった最低な世界。
──クソ、クソ、俺にもっと力があれば、この運命を変えられるのに……!!
自分の弱さを呪いながら少年は走り続けた。
しかし、ついに力尽きて、血反吐をまき散らしながらその場に倒れてしまう。
ここは森の中。
枝葉の隙間から神々しく日差しが差す。
その荘厳な景色には目もくれず、少年は地面を這いずって近くの岩にもたれかかった。
──やばい、痛みすら感じなくなってきた……。もうダメなんだ、もうすぐ俺は死ぬんだ……
意識が薄れていく。命の灯火が少しずつ勢いを失っていく。
これで終わり。
びちゃびちゃと流れ出る血の音を聞きながら、少年は静かに目を閉じ──
『 貴様、我の寝床で何をしている 』
不意に脳内に響いた誰かの声。
それと共に、少年は一切の身動きがとれなくなった。
瞬きができない。呼吸もできない。
頭から足先まで、ピクリとも動かすことができない。
血液が血だまりに落ちる粘っこい水音も聞こえない。
──は? なんだ、これ……!?
風に揺れていた枝葉がピタリと動くのをやめている。
空を飛ぶ鳥がその場に固まっている。
こぼれ落ちる雨粒が空中に留まっている。
世界の時間が完全に止まっている。
──なんだよこれ……!? 俺はもう死んだのか? それとも死の間際に夢でも見ているのか?
『 どちらも外れだ。 貴様はまだ生きている 』
再び聞こえる低い声音。
少年の視界の先に、黒いもやの塊が映った。
絶えず形を変えるそのもやが言葉を発しているのだと、少年は気付く。
『 その岩は我の寝床だ。 何人も汚すことは許さぬ 』
少年は混乱し、頭の中で疑問を投げかけた。
──お前は誰だ!? 人か、それとも化け物か!?
『 貴様の理解が及ぶ範囲で言えば、神という言葉が該当する 』
その返答に少年は絶句した。
神、という存在が本当に実在するのか。
もし存在するならば、少年はその神とやらに、一言言ってやりたいことがあった。
──お前が本当に神なら一発殴らせろ!!
『 野蛮な小僧だな 』
──俺が理不尽な運命に抗ってるのを高みから見物してるだけの神なんていらねえんだよ!!
少年には救いなどなかった。
周りの景色すべてが敵だった。
世界に嘆き抗う自分を見捨てるような神なんていらない。
──その胸倉つかんで、地に引きずり下ろしてやる!!
『 生憎だが、我はすでに堕天し地に落とされた身。 これ以上落ちることはできぬ 』
すでに落ちるところまで落ちきった。
華やかな天上の世界から、人間という畜生が跋扈する地獄の世界に突き落とされた。
『 しかし、貴様の激情、強固な意志、それらはなかなかに見所がある 』
急に黒いもやが少年に近づき、周りをくるくると回り始めた。
『 強さが欲しいか? 』
──当然だ……!! それは俺がずっと望んでいたものだ……!!
『 命が欲しいか? 』
──当たり前だろ……!! こんな腐った世界に命まで奪われてたまるか……!!
『 そのために、我をその身に受け入れる覚悟はあるか? 』
──この世界をもう一度やり直せるなら何でもいい!!
『 いいだろう、では一度、死んでもらうぞ 』
黒いもやから突如、巨大な口のような構造物が出現した。
──え? ちょっと待っ
グシャッ
少年が疑問を投げかける間もなく、その体は漆黒の口に噛みつぶされた。
少年の人生に黒く重たい幕が下りる。
命の火がかき消される。
意識が流転し、闇に沈む。
神の笑い声が、頭に響く。
次に少年が目を開けたとき、そこには死後の世界が広がっていた。