73 借金83,954,000ゴル
スミス様ことベイカー様は侯爵夫人の前でうやうやしく頭を垂れた。
「夫人、ではアメリは私が預からせて頂きますが、いいですね?」
こちらからベイカー様の顔は窺えないが侯爵夫人の顔がピキッとなった。もちろん前からのお知り合いということで、あの日は偵察とか様子見とかでいらしていたといくら鈍感な私でも理解しましたよ。
でもなんで私?
「もちろんよ、その代わり約束は守ってもらうわ」
「承知いたしました。侯爵夫人を社交界へお戻りになるために力添えさせて頂きますし、必ずお力になりますよ。それまでの生活も保証致します」
「出来るだけ早くにお願い。こんな田舎の見窄らしいお屋敷なんてこれ以上一日でもいたくないわ」
苛々と扇を広げたり閉じたりしている夫人と話の内容はよくわかんないけどヤバい事になってる気がする。
今の状況を上手く飲み込めていないなか再びドアが開かれた。
「これはどういう事だグレンダ!!」
侯爵様の後ろでピーターが私にウインクしてくる。
良くやったピーター!ウザいけど。このためにあっさりと引き下がっていったのか、いいヤツじゃないか。
「これは侯爵閣下、どうしてこちらへ?」
ベイカー様が驚きもせずにわざとらしい態度をとる。
「お前こそここで私の妻とコソコソ何をしている?」
ギロリと睨みつけている侯爵様の顔は興奮しているせいか頬を引きつらせ青筋が立っている。
一瞬助かった感じがしたがこれは良くない気がする。
いつでもここから逃げれるようにじわりとドアの方へ移動して行く。
「誤解ですよ、侯爵夫人と私は何の関係もございません。ただマッサージをお願いしようとしただけです」
チラリと私に向けられた目は全く悪びれたところもなく、しかも下手な言い訳が通じているとも思っていないようだ。
早く本気で逃げないとヤバい。
「別にお前とグレンダの事を疑っている訳では無い。妻は金と爵位のない奴に興味は無いからな」
ベイカー様は金も爵位もないのか……なんてことを思いつつ後ろ向きのままドアからじわりと体を出そうとした。
「あぁ、アメリ。少し待っていろ、直ぐに行く」
ベイカー様にそう言われビクついてしまう。
「何を勝手なことを。アメリは私のモノだ、欲しければそれなりの対価を渡せと領地にいるディアス侯爵へ伝えるがいい」
私の姿を隠すようにクライスラー侯爵がベイカー様の前に立った。その瞬間後ろから腕を掴まれ部屋から引き出され驚いて声を上げそうになると口を塞がれた。
「ん、大人しくな」
相変わらず緊張感のない態度でピーターが私をそのまま軽く抱えて連れて行く。
「うぅー、うぅ!」
私的には『何すんのよ!どこに連れて行く気なの?!』と叫んだつもりだった。
「また腹減ったのか?アメリはいつでも腹ペコさんだな」
全く通じて無いピーターに腹が立つが力強く抱えられほぼ無抵抗に暗い廊下を素早く進む。コイツってこんなに行動的な奴だったのか。
月明かりが薄っすらと廊下を照らすなか、迷い無く進むピーター。いつもの彼と違い口数少ないまま建物の裏手らしき場所に出るとエリーゼがそこにいて、私が攫われて来たときに乗っていたのより小さな箱型の荷馬車の御者台に乗っていた。
「遅い!」
エリーゼがピーターを睨みつけ、彼は「うへぇ、これでもめっちゃ急いだのに」とブツクサ言いながら荷台に私と一緒に乗り込み直ぐに馬車は出発した。
やっと解放されて深呼吸する。
「ちょっと!何がどうなってるの?あなた達何者なの?」
問いかけたが誰も答えてくれない!
荷馬車は前のと違い荷台から御者台に繋がっていてエリーゼの姿も見える。夜道で馬車を猛スピードで走らせるエリーゼが馬に鞭を打つ。
「援護は?」
「今いないのよ、多分近くにいてこっちの情報も掴んでるはずなんだけど」
ピーターとエリーゼは通じ合っているようだが私にはさっぱりです。
「話し聞いてる?誰なの?」
「あ、もう来てる。速いなぁ」
また無視され、ピーターが馬車の後方を見て感心したように言った。
「チッ、ぼうっとしてないで追い払いなさいよ!」
「無茶いうなよ、俺は魔術なんて使えねぇんだから」
二人の焦りように戸惑いながら後方を見ると遠く小さな光りが見えた。まだ離れているがどんどんと距離を詰めてくるその灯りが急にツイっと近づき直ぐに大きな火球となり馬車の横手にある木に当たった。
「「きゃあ!」」
「うわぁっ!」
木がひしゃげる音と爆発音がし、バラバラと木片や小石が降ってくるのと同時に巨大な炎をあげてそこら一体が一気に燃え上がった。
「やべぇー、本気だアイツ!」
「今更何言ってるのよ!」
手綱を上手く操り驚く馬を抑えながらもエリーゼは馬車を走らせ続けている。
「直撃はさせないはずよ、アメリがいるから」
「いや、今のは危なかったぞ。加減間違えたんだろ、また来たぞ」
ピーターの言葉通り、今度は反対側の木が爆発音と共にボワっと燃え上がった。
「さっきよりは小さ目だからちょっと反省したんじゃないか?」
「いい加減答えてよ!このまま何もわからないで死にたくない!」
私の言葉にやっとピーターが目を向けてくれた。
「追われてるんだよ」
「それはわかってる!」
相変わらずとぼけた奴だ。
「追手はウォーレン・ベイカーって男よ」
エリーゼが答える。
「それも薄々わかってる、うわっ!」
また火球が飛んできて今度は斜め前方に落とされエリーゼがそれをうまく避けた。グラついた馬車の中でピーターがガシッと支えてくれてる。
「で、あなた達は本当は誰?」
「私はリーバイ様の個人的な部下」
前を向いたままエリーゼが答える。
「俺は爺様たちの情報屋で……」
爺様……ってことはご隠居クラブに色々と流してるのはピーターだったか。
話している最中に急に馬車と並走して馬が二頭現れた。一頭にはベイカーが、もう一頭は誰も乗っていなかった。
「ディアス侯爵に雇われてもいる」
そう続けたピーターは私を抱えたまま空の馬に飛び乗った。
っていうかお前ダブルスパイだったかぁー!
「ギャー!!」
私が悲鳴をあげ宙に浮かんだ直後に馬車は燃え上がり街道をそれ木にぶつかった。
「エリーゼ!そんな……」
大破した馬車を置き去りにそのまま走り続ける二頭の馬。
「危なかったですよ、攻撃強過ぎです」
ピーターが私を抱えたままで手綱を握りベイカーに話し掛けている。
「お前こそ勝手な行動をするな」
「だって外にでたらあの娘がいて、俺ってあっちからも金もらってたんでつい」
馬を凄い速さで駆けさせているとは思えない緊張感のないピーターにベイカーがちょっと苛ついた顔をした。
「裏切るんじゃ無いぞ」
「わかってますよ、どうせ直ぐに追い付いてくるとわかってますから。俺は人を見る目があるんで」
凄いでしょう?っと言わんばかりにドヤ顔をする。本当に馬鹿だコイツ。だけど抜け目ないのも本当だな、エリーゼを出し抜き私を攫ってベイカーとこのままディアス侯爵の所に連れて行かれるのだろうか?
薄っすらと空が白みだしても、休むことなく馬は走り続けた。ピーターの後ろに座らされ馬に乗せられているだけだが飛び降りる事なんて恐ろしくて出来ない。飛び下りたところで逃げ切れるはずないし。
逃げられないままピーターにしがみついていたが太陽がてっぺんを過ぎもう限界に眠いと思ったとき、街道をそれた人気のない場所にポツリとある一軒家の前でやっと止まった。
「馬も限界だな」
ベイカーの言葉にホッとした。
ピーターに馬から下ろしてもらうとクラクラする頭で辺りを見回した。予め用意してあった場所らしく隠すように建てられた小屋の中には食料などの荷物が置かれていた。裏には代わりの馬が繋いでありそこへ乗ってきた馬も繋ぐ。
「アメリも限界ですよ、このままじゃ馬から落ちる」
足に力が入らずへたり込む私を見てピーターが言う。
「自分の足はマッサージで治せんのか」
ベイカーに鼻で笑われムカッとする。
医者じゃ無いんで!やわらげる事が出来るだけです!




