71 借金83,954,000ゴル
アメリの後を追い馬を走らせていた。
ピアスから聞こえる声で無事だということはわかっているが、乱暴に扱われている事に歯がゆい思いをする。
「総隊長、奴らはディアス領へ向かっているんですかね?」
ガイオが馬を走らせながら街道が東西へ枝分かれした道をどちらへ進むのか確認してくる。
侯爵邸があの様に荒れた状態な事を考えるとクライスラー侯爵は既に国外脱出を進めている可能性はある。だが代々続いて来たクライスラー家をそう簡単に捨てる事が出来るのだろうか?
「何処へ向かっているか知らせはまだ来ないのか?」
ゲルタが直ぐに後を追っているはずだが流石に無理か。
ガイオと二人で分かれ道の手前にある木陰に馬をつなぎ連絡を待つことにした。
「応援部隊の方へ早く知らせがいくんじゃないですか?」
ゲルタの他にも潜入させている部下はいるが連絡先は近衛隊の方へ行くことになっている。お互いに魔術具を扱える者を置いており、俺とアメリの様に一方通行の通信では無い為もしかしたら既に詳しい情報が入っているのかも知れない。
「お前、部隊へ行って聞いてこい」
「無茶言わないで下さいよ。総隊長を一人にして行方がわからなくなったら俺は公爵様に酷い目にあわせられます」
「命までは取られないさ」
イライアス様はそんな事でガイオを罰する事はない。ただ……
「総隊長だって知っているでしょう!公爵様のあの嫌味地獄……」
ガイオが遠い目をしているのは仕方が無い。イライアス様は部下が失態をおかすと数時間に渡り吐き気をもよおす程あげ足をとり嫌味を浴びせかけたあげくにそれに応じた処罰を与える。
部下の中には処罰をもう一段階キツくしてもいいから嫌味地獄をなんとかして欲しいと懇願してきた者がいるほど精神がヤラれるのだ。アレを止められるのはベリンダだけだ。
だが今回はそのベリンダも頼れない。アメリが俺の目の前で攫われたと知ればイライアス様に援護してでも俺を追い詰めるに違いないからだ。
ベリンダは情の深い女性だ。自分はあくどい輩に嵌められ命まで危うい目にあったが、今では立場を利用してイライアス様のお役に立つ一方で、騙され連れて来られた女性達を助けたり娼館で働かせたりしている。紫苑の館で働く女性達の殆どは自らの意志で娼婦となった者が大多数だ。
効率よく金を稼ぐことを選んだ者。それは借金の為であったり、誰かの為、何かの為に体をはって稼ぐ女達。この世の中で女性がそうそう大金を手に入れる事が出来る職業は少ない。腕っぷしがいいなら冒険者や私設の剣士もあるが普通の女性には難しい。せめて金があれば商売を立ち上げる事も出来るだろうがその金が無いのだからどうにか稼ぐしかない。
そんなベリンダが今回の作戦に積極的なわけはない。騙されるとわかっている親子にわざと知らせず利用しようとした結果が攫われたなんて言えない。取り返すまでは顔を合わせることが出来ないし、そもそも取り戻すまで引き返す気もない。
「あ、来たようですね」
街道の分かれ道の方から土煙をたて一頭の早馬が近づいて来る。ガイオは予め決めてあった合図を送る。早馬に乗った男は一見普通の旅人に見えるが合図に気づくと速度を緩めて馬を止めた。
「どっちだ?」
「東です、その先も東」
ガイオの問に簡潔に答えると余計な事は言わず手を差し出す。小さい布袋を投げ渡すと男は直ぐに引き返し来た道と違う西の方へ行った。
「東ってことはクライスラー領ですね。アイツには念の為ディアス領にいる仲間の元へ向かわせる手筈になっています」
伝令役はただの雇われ者で詳しい作戦を話さず簡単な仕事だけをさせ情報の漏れを防いでいる。
直ぐに馬に乗り込み分かれ道の東へ急いだ。
馬車と騎馬では速度が違う。数台の馬車ともなれば行き先がわかっていれば騎馬で追いつく事は容易い。相手だってそこのところはわかっているだろう。
「そろそろ追いつくでしょうね」
ガイオが走る速度を少し緩めて前方の遥か先、数台の馬車が走っている様子を目にして言った。
「恐らくアレだろう。近づき過ぎるのは不味いがアメリがどれに乗っているのかとゲルタの位置が知りたい」
「暗くなるまで待った方が良いっすよ」
もどかしいがガイオの言う通りだ。馬車から十分に距離を保ちながら日が暮れるのを待った。
どうやら小さな町でクライスラー侯爵は今夜の宿を取るらしい。十分な部屋が確保出来なかったのか、それとも宿代をケチったのか四台中二台の馬車は町外れに野宿するようだった。
アメリのピアスから聞こえるわずかな情報を頼りに夜陰に紛れ馬車が見える位置まで移動する。慎重に行動しなければウォーレンの奴に見つかると厄介だ。
ウォーレンはミスカ領との小競り合いを収束させる為に起こした作戦を決行する際に一番手こずった男だ。
バシュクート国的には我々アーバスキング国と全面的に戦争を起こす気は無かっただろうが、産業として奴隷を出荷出来なくなることは避けたかったようで出来れば勝てないまでも負けたくは無いという算段だったろう。
だがそのもくろみは脆くも崩れ我が国が圧倒的に勝利し、国内の奴隷制度の撤廃、以後奴隷の輸出入禁止、奴隷の使用禁止と厳しい法が制定された。
通常ならこれに打撃を受けるのはバシュクート国でありミスカ領のはずだがこの時期からクライスラー侯爵領の衰退が著しくなっていった。ミスカ領と国境を堺に密かに奴隷の密輸を行っていたのはディアス侯爵だけでは無くクライスラー侯爵も噛んでいたのだ。
アーバスキング国内の離れた場所である二つの領地を拠点に奴隷の販売を行っていた事は調べがついていたが、ディアス侯爵はそれまでの蓄えがあったのかそれほどの落ち込みは窺えなかった。
もしかするとクライスラー侯爵はディアス侯爵に一杯食わされているのかも知れないが、いまだに関係が続いている事を考えればその事に気づいていないか、気づいていても抜き差しならんほどズブズブな関係かと思われる。
「それ以上は危険ですよ」
馬車に徒歩で近づこうとしているとガイオが引き止めて来た。
「ここじゃ様子がわからん」
「近づき過ぎてもしウォーレンがいれば気配をさとられます。いつも冷静に対処しろって言ってるのは総隊長でしょ。それとも作戦変更してアメリをスパイとして使うのを止めますか?」
ガイオのニヤついた顔が気に食わん。だが確かにそうだ。これ以上近づけばアメリに危険が及ぶかもしれんし、本来のスパイとしての活動も出来なくなる。今は盗聴器に耳をすませ危険かどうかを判断すべきだろう。そう思っていると急に名を呼ばれた。
『リーバイ様、聞こえてますか?アメリです』
どうやらやっと一人になったらしく盗聴器の使い方を思い出したようだ。傍にいないのにヒソヒソ声が耳元で聞こえなんだかくすぐったい気がする。
『今はどこにいるかわかりません。でも馬車の中で袋に入れられたままです。
荷物がいっぱい入った馬車に乗せられていて、今夜は町外れに野宿だそうです。貴族様は町で泊まるそうです。
あっ、それから私の側には荷物番のピーターって男がいます。今はいけど』
早口で話す様子が目に浮かび頬が緩んでしまうが最後の話に固まってしまう。
ピーター……男がずっと側でアメリを見張っている事はわかっていたがコイツが馴れ馴れしくてずっとムカついていた。
「総隊長、何をニヤついたりムカついたりしてるんですか?なにか聞こえているんっすか?ねぇ〜ねぇ〜」
じっと隠れて監視しているだけの状況に飽きたのかガイオがしつこく絡んでくる。
「うっさい!」
肘を腹にめり込ませてやると静かになった。
「酷い……聞いただけなのに……」
アメリのピアスを盗聴出来ているのは俺だけだ。他の誰も出来ない大事な仕事を邪魔するんじゃねぇ!
そのまま耳をすませていたがある時点で一旦魔術具に魔力を送り込むのを停止した。
確かにバケツは無いよな。




