70 借金83,954,000ゴル
目を覚ますと大きく伸びをした。昨夜は侯爵の計らいにより狭いながらも部屋を与えられ久し振りにベッドで眠る事が出来たのだ。
同じ部屋の反対の壁側に置いたベッドに私を見張る為ピーターがいたがこれまで数日馬車の中で一日中一緒だったため衝立て一つで気にもならなかった。
この衝立ては昨夜の侍女が用意してくれた物だ。やっぱり彼女は私に必要以上に親切な気がする。普通侍女というのは貴族に仕える貴族の娘だ。侯爵夫人の侍女ともなればそれなりの者だと思うがそんな身分の方が私に親切だと少し変な感じがする。
「起きてる?朝食よ」
例の侍女が早朝からあらわれた。衝立の向こうでガァーガァーとイビキを立てているピーターがその声で起きたようだ。
「ふぁ……おはよう。エリーゼちゃん」
なるほど侍女はエリーゼというらしい。エリーゼは気の強そうな切れ長の目を一瞬衝立の向こう側にむけると私の方へ来た。
「おはようございます、昨夜は侯爵様にお話下さりありがとうございました。お陰で命拾いしました」
朝食を受け取りながら言い損ねていたお礼を言った。
「いいのよ、本当の事を言っただけだから」
ニコリともせずエリーゼさんが言う。
「エリーゼちゃん、俺の分は?」
衝立てに手をかけながらピーターがこちらに来たがヘラっと笑っている彼に対してエリーゼさんは無関心な目を向ける。ピーターは平民のはずだから貴族の子女であろうエリーゼさんに対してちょっと無礼な気がするが大丈夫なのだろうか?
「私がここにいるから自分で取って来たら?」
「えぇ〜冷たいなぁエリーゼちゃん」
「馴れ馴れしくしないで、早く行きなさいよ」
対等かのようにやり取りする二人を不思議な気持ちで見ていた。だけど余計な事は聞かない方が良いとこれまでの経験上わかっている。
「あの……」
「なに?」
ピーターに向けたのと同じ様な眼差しが私にも向けられちょっと怯みそうになる。
「こ、ここはどこなんですか?」
これくらいは聞いてもいいだろう。
「……別荘よ。随分使われていないみたいだけど」
場所は言わず建物の事だけ教えてくれた。それ以上は言うつもりは無いと言うことだろうか?
「侯爵夫人の具合はいかがですか?」
一晩経てばかなり楽になっていると思うが個人差があるので気になっていた。
「今朝はそこまで痛がっていらっしゃらないみたいよ。吐き気も収まっていたようだし」
それを聞いてホッとした。侯爵夫人の自業自得とはいえ長引けば私の身の安全が揺らぐ可能性があるだろう。
エリーゼに促されベッドに腰掛けて渡されたサンドイッチをモグモグと食べ始めた。
「髪がボサボサね」
そう言っておもむろに櫛を取り出し私の髪を梳きはじめた。
「大丈夫です、そんなことまでして頂かなくても」
驚いて避けようとしたが睨まれて逆らえなくなった。
「侯爵様に言われているの。身ぎれいにさせておけと」
エリーゼさんの話によれば私を馬車に閉じ込めて置くことは命じたが思っていたより扱いが悪かった事が昨夜ピーターが話した事によって判明したらしい。
「アイツがもっと早く報告していれば良かったのに」
エリーゼさんがそう言って私の耳たぶに触れた。振り向くと視線があってしまい見つめ合ってしまう。
「あの……」
エリーゼさんは切れ長の目を細めると私の耳に触れている指を優しく滑らせた。その顔が凄く綺麗なような……
何故だかドキっとしてしまう。私ってそうなのだろうか?
「ご飯持って来た!一緒に食べようぜ」
ノックも無しにピーターが入って来ると見つめ合う私達を見て固まった。
「えぇー!俺も仲間に入れてよ〜、のけ者なんてズルい」
ピーターの叫びを聞いてエリーゼさんがムッとした顔をすると黙って部屋を出て行った。ちょっとホッとしたような、惜しかったような。
閉じられたドアを見ながらピーターが私の横に腰掛けた。
「怪我させるなって言われてたから男を近づけなかったんだけど、女は良いのかなぁ?」
真剣な顔して私に聞かれても困るんだけど。
「どちらにしても俺は目を離すなって言われてるから……いざという時は見てても良いよね」
ナニかを想像してデレきった顔でそんな事を言わないで欲しい、本当に変な奴。
「それより侯爵様にもっと早く私の劣悪な環境を報告してくれても良かったじゃない」
「無茶言うなよ、そうそう下っ端の俺が侯爵様にお目通り出来るわけ無いだろ。指示通りに動く、聞かれた事に答える、っていうのが使用人の勤めだろう」
正論過ぎて何も言えねぇ。命があるだけましってことか。
午後からも移動する気配は無く小部屋に閉じ込められたままだった。ピーターは衝立の向こうのベッドでこちらに背を向け横になっていて、あれで給料が発生しているなら私の見張りってかなり効率の良い仕事のようだ。
暇な私は部屋に一つだけある窓から外を眺めていた。嵌め殺しの開かない窓は屋敷の裏手に面していて、王都から離れた事がない私にとってここは知らない土地だが目の前に広がるのは見慣れた屋敷を囲う塀だけだ。
王都にあったお屋敷同様ここの別荘も手入れは行き届いて無く、二階にあるこの部屋から見下ろした範囲内でも地面は膝上位の高さの草がぼうぼうに生えっぱなしで塀も下の方は苔生している。暇過ぎるので草刈りでも命じてくれないかなと思ってしまうほどだ。
屋敷を囲う塀は二階より少し高い位で外の様子は見えない。仕方なく雲が流れる空を見るしかないのだが、ふと気配を感じ視線を下げた。
「……っ!」
叫びそうになったがグッとこらえた。
なんと目の前の塀の上にいつの間にか人の頭だけが現れ私を見ていた。その人は顔の下半分を覆っていたマスクをクイッと下げる。
『ゲルタ!無事だったのね』
すぐ近くで寝ているピーター気づかれないように口パクで話しかけた。ゲルタはコクリと頷き人差し指を口の前に立て静かにするように指示してくる。私も頷きここが開かない事を知らせようと窓を指差し首を横に振る。彼女もそれを理解したのか軽く頷きキョロキョロと屋敷を調べるように見ていた。
やった!これで帰れる。
ホッとして静かに息を吐くとそっと両肩に手をのせられた。
「何か見えるのか?」
ピーターがいつの間にか後ろに立っていて話しかけてきたのだ。
「うわぁ!」
ビックリして振り返るとそのまま窓を背に肩を押し付けられる形になった。
「おいおい、ビックリし過ぎだろう。落ち着けって」
ピーターは私を見下ろしヘラっと笑った。
「なんか悪巧みでもしてたのか?」
そのまま窓の外へ視線を向けられゲルタが見つかるんじゃ無いかと焦ってしまう。
「なっ、何も無いよ!あなたが急に話しかけて来るから心臓が止まりそうだっただけ!」
押さえられている手を退かそうとしたが全く動かない。
「退いてよ!」
見下されて腕の中に閉じ込められた感じがして一瞬恐怖を感じピーターの胸を力いっぱい押したがそれでもビクともしない。
「機嫌悪いな、お腹空いたのか?」
顔を近づけて来たので余計に怖くなってきた。ヘラヘラしているけどコイツは男で敵側の人間だった事を急に思い出す。
「退いてってば!」
とにかくここから脱出しようとピーターの腕の外側にある肘下の手三里というツボにぎゅっと指を押し込んだ。
「イテッ!」
そうだろう、ここはわかりやすくて痛いツボ。頭痛にも肩凝りにも腕の使い過ぎにも効くんだけど結構痛い。
ピーターが一瞬怯んだすきに脱出し自分のベッドの方へ逃げた。
「何だよ今の」
顔を歪ませて腕を擦りながら聞いてくる。どうやらゲルタの姿は見なかったようだ。
「腕の疲れなんかに効くツボよ。お疲れなのね」
「あっ、そうだ。今日はまだマッサージしてもらって無かったやってくれよ」
いつもと変わらない様子にホッとしてピーターのマッサージをすることにした。
それにしてもどうやって助けてくれるんだろう?




