63 借金86,494,000ゴル
クライスラー侯爵邸へ通い出してはや十日。初日以来大した騒動もなく殴られもせずきっちり二人の貴婦人にだけマッサージを行い帰る日々。
二日目のイレギュラーな延長の事もリーバイ様が上手く話してくれたのか三日目以降はお客様がお帰りになられればさっさと帰れと言わんばかりの無視っぷりだ。
このまま順調に二週間と一日が過ぎればいい。
午後の女性専用の営業も順調に進んでいた。平民富裕層に続き爵位を持たない貴族女性の方もチラホラお出でになりマッサージを受けて満足してお帰りになる。
マッサージが美容にも体の為にも良いということは口コミでじわじわ広がり見せていた。
私の横についてマッサージの勉強をしているシャーリーことリリーも大変優秀で覚えがよく、今は足マッサージの研修期間中だ。
娼館の娘達を相手に練習を重ね、マダムにも上手くなってきたと褒められそろそろ足だけマッサージデビューさせようかと話してた。
「足だけとはいえ待合室では出来ませんよ。特に貴族女性は人前で足を出すことをはしたないと思っていますから」
私は最初、リリーのデビューを待合室でサービスとして無料足マッサージをすれば良いのでは無いかと提案したのだがどうも駄目らしい。
「でも女性しか出入りしなんだから間仕切りで見えなくすれば大丈夫なんじゃない?」
女性用マッサージ室は今のところ待合室とマッサージ室、着替えをする部屋の三部屋しかない。
「駄目ですよそんなの。それならマッサージ室はまだ余裕がありますから半分に区切ってお二人のお客様を迎えられるようにしたほうが良いですね」
午後からのお客様が帰った後に片付けをしながらリリーと話し合っていた。私にはまだ貴族の習慣というものがよくわかっていない為こういうところはリリーの意見を聞くほうがいい。
「部屋も簡易な作りだと安っぽくなってしまいますからキチンと改築した方が良いです」
「えぇ〜、衝立じゃあ駄目?侯爵夫人の所でもそうしてるよ」
「駄目ですよ!侯爵家はそもそももっと部屋が広くて豪華な造りで衝立も大きく高価な物で、着替えに使用人二人も付いているんでしょう?ここじゃ私一人なんですから雰囲気も全く異なります!」
もう〜貴族の見栄とか自尊心とかウザい!!私が前世でマッサージを受けていた所じゃベッドの横で自分でスエットに着替えれば良かったから簡単だったのに。
「わかったよ、じゃあ近いうちにマダムと相談して改築のプランを立てる。またジュリアンさんにも話をしておかなきゃね」
「ジュリアンには私から話しておきます。取りあえず何かするのはクライスラー侯爵夫人の仕事が終ってからですよね?」
「そうね、その後もどうなるかわからないから」
大体の片付けを終えて後はリリーに任せて部屋を出た。
早めの食事をとろうと食堂へ行くとキャロが不機嫌そうな顔で私を手招きする。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃない!!」
手にしたトレーをガチャンとテーブルに乱暴に置くと私を隣へ座らせた。
「この前のジョバンニさんの予定の変更の事よ!」
あ、ヤバい。私が怪我したせいでキャロに指名を変更したことがバレたらしい。やっぱりプライド傷ついちゃったかな。
「えぇっと、ごめんなさい?かな」
私が頼んだわけじゃ無いけれど、ジョバンニさんが気を使って下さり、キャンセルするのも遠慮されたのか急遽キャロを指名したのだ。
「かな、じゃない!どうして話してくれなかったの?貴族に酷い目に合わされたなんて私知らなくて……」
そう言ってぎゅうと抱きしめられた。
「気が付かなくてごめんね。怖かったでしょう?」
「キャロ……」
まさかの怒っているんじゃ無くって気遣われ慰められるなんて。
「やだキャロやめてよ、もう時間が経ったし大丈夫だから」
抱きしめられた温かさに鼻の奥がツンとする。私ってこういう事に弱くって……
「何言ってるの、こんな時は友達を頼ってくれなきゃ」
「友達!?」
驚いて体を離した。キャロって私の友達だったの?
「何よ、私が友達じゃ不満なの?」
「ち、違うわよ!私って、友達とかあんまりいなくって」
子供の頃なら少しは近所の子と遊んだが働ける年になると遊ぶ時間なんてなかった。しかも父と二人の商店だから同僚なんてもんも居なかったから。
「私の片思いだったのね、酷い」
言葉とは裏腹に笑顔でそう言ってくれるキャロ。
「違うの、戸惑っただけ。その、ありがとう、心配してくれて。でも誰からいつ聞いたの?」
「勿論ジョバンニさんからよ、昨日」
昨日?ってことはまたジョバンニさんから指名があったのか!
「仲がよろしいようで、良かったね」
キャロは急に頬を染めると恥ずかしさを隠すように食事を始めた。
「別にそんなんじゃ無いけど。色々話せないことがあるみたいだけどアメリが怪我したってことだけ教えてくれて。友達なんだろうって」
仕事上色々な客を相手にしているキャロはあまり深く話を追求してはいけないことをわかっているようで、それ以上は何も聞いてこなかった。
「なんの力にもなれないけど愚痴くらい聞くよ」
そう言ってくれ嬉しくなった。
キャロと話して機嫌良くスタンダードの時間になった。
前室へお客様を迎えに行き名前を呼んだ。
「ご予約頂いているスミス様」
呼びかけにすくっと立ち上がったのは若い男性貴族だった。今回が初めての男は私の事を上から下までジロッと確認した。
勿論スタンダード営業の今はB級ねずみ色のそそらない格好をしている。微かに鼻で笑われたような気がしたが気づかないふりをして部屋へ案内する。作戦的には成功なんだけど毎回ちょっと傷ついちゃうんだよね。
「今回は初めてということですのでご説明からさせて頂きます」
着替えを済ませて頂きお決まりの説明をしたあとマッサージベッドにうつ伏せになって頂く。
ベッドに上がり肩から背中、腰へと押しながら体の状態を探る。待ち合いで見た格好では小金持ちの貴族って感じに見えたが思っていたより筋肉質でしっかりとし体つき。歩く姿もキビキビとしており何か訓練を受けている方のようだ。
「スミス様は騎士をなさっておいでですか?」
ベッドから下りると脇へ立ち背中の片側をゆっくりと押しながら聞いてみた。
「あぁ、以前はそうだったんだが今は辞めて家を継いでいるんだ」
「そうだったんですね。ですが体を鍛えることは続けていらっしゃるんですね」
触った感じで体が凝っているというより筋肉を解す方がいいと感じた。
「先程から押したり擦ったりしているがそれでわかるのか?」
スミス様が不思議そうに言う。
「そうですね、そんな詳細に分かるわけではなく体格がよく無駄のない均等な筋肉は優秀な騎士の方に多いと聞いたことがあったものですから。スミス様は優秀な騎士だったのですね、今も鍛錬を続けていらっしゃるなんて」
リーバイ様が特に凄い体をしている。剣を握る大きな分厚い手も力強くて……あやややや、仕事中に私は何を考えているんだ。
「体が凝っているというより筋肉を解す感じのほうが良いようですのでそのように進めていきますが、痛かったら仰って下さい。我慢されると良くないので」
「あぁ、わかった。頼む」
そこから血流が良くなるように解して行き特に足を丁寧に仕上げていく。あお向けになった後、腕から首へ解して最後に頭を揉んでいく。
「はい、お時間です。お疲れ様でした」
起き上がったスミス様にグラスの水を差し出し、マッサージの後の注意事項を話して終了となった。
着替え終わったスミス様を玄関までお送りしていく。
「本日はありがとうございました」
ペコリと頭を下げるとスミス様がスッとチップを渡してくれた。
「想像よりずっと良かった。噂以上だな」
「痛みいります。またのご来店をお待ちしております」
姿が見えなくなってからチップを確認すると三万ゴルもあった。
やったー!見かけによらずお金持ちだったのかこれまでのチップ最高額だった。良い人だ!
その後も気分良く一人のお客様をマッサージしスタンダードは終了。
この調子ならもっとスタンダードの人数を増やしてもいいかな。スイートは当分の間一見さんは入れないとマダムがの言ってたしそれならスタンダードを三人に増やしても何とかなるんじゃないかな。クライスラー貴族邸に通うのも後五日だけだしね。




