61 借金86,812,000ゴル
殴られる!と思い咄嗟に腕で顔をかばった。
「……支払いはするから、三十分だけでもマッサージをしてちょうだい」
そう言って返事も聞かずに衝立の向こうへ行った。
ほぉ~〜、ビビったぁ!絶対にまた殴られると思ったが何故か躊躇したようだ。リーバイ様が注意してくれた事で思いとどまったのか、賠償金を払うことが嫌だったのかはわからないけれど取りあえず痛い思いはしなくてすんだ。
ゲルタをみると黙って頷いたので三十分の延長は仕方が無いと諦めて準備をした。
侯爵夫人の三十分だけのマッサージが終了して起き上がって頂くと使用人が水の入ったグラスを差し出した。
私は少し後ろに下がり夫人がベッドから離れるのを静かに待っていると何となく視線を感じた。見られてる?
「あの方と、どういう関係なの?」
えぇっと、突然だけどリーバイ様の事だよね。チラッと顔を上げると目があってしまう。
「は、はい。関係と言われましても……マッサージのご用命を頂くだけです」
「紫苑の館でってことね。そこへは借金で?」
「はい、父が失踪致しまして私がそれを背負わされました」
なんでこんな事を聞いてくるんだ?何か怪しまれているんだろうか?
「あの方はどれくらいの頻度で紫苑の館を利用されているの?」
これって答えていいんだろうか?紫苑の館のお客様ならリーバイ様がシャーリーさんの一番客で通い詰めているってことは有名なはずだけど。
助けを求めてゲルタを見ると瞬きで頷いた。ある程度は話していいってことか。
「あの、私が話したという事は内密にお願い致します。お客様の事を他へ漏らす行為はマダムに叱られてしまいますから」
念の為少しもったいぶったように話す。
「えぇ、勿論よ」
侯爵夫人が微かに口の端を上げた。
「リーバイ様は決まった日ではありませんが週に四日から五日はいらしているようです。私の仕事場は主に一階ですので詳しくは存じません」
「同じ娼婦を指名して?」
「はい、紫苑の館ナンバーワンのシャーリーという娘を」
「泊まりで?」
「はい、早く来たり遅く来たりはありますが来店すれば翌日の昼まで」
侯爵夫人は気に入らないという風にピクッと頬を引きつらせた。これってリーバイ様の下半身事情を調査しているんだろうか?
「わかったわ、もういい」
そう言って着替えるために衝立の向こうへ行った。
ゲルタと顔を見合わせ帰り支度を素早く終わらせサッサと部屋を出た。
「あれって、どゆこと?」
「いいから、黙って早く馬車へ」
ゲルタに急かされ綺羅びやかな廊下を進んでいた。
すると前から執事らしき男と昨日見た護衛と同じ騎士服を着た男を従えた白髪交じりの男性貴族がこちらへ歩いて来た。
私達は慌てて道具を端へ寄せ礼をとって頭を下げたままやり過ごそうとしていた。すると通り過ぎたと思った直後その三人が足を止めた。
「見かけんな、誰だ?」
急に声をかけられ戸惑っていると執事が答えた。
「奥様がお呼びになっているマッサージとかいう施術をする者です」
どうやらこの男性がクライスラー侯爵らしい。
「あぁ……また流行りの。今回はどれくらいだ?」
「それが……」
執事が侯爵に耳打ちでなにか告げるたようだがよく聞こえなかった。
「アレにしては珍しいな。お前、何をしているのだ?」
……誰も答えない……えっ、私?と思った瞬間に肩を掴まれ体を起こされた。
「侯爵様の質問に答えろ」
護衛騎士の男がそう言って侯爵様の方へ私の体を向かせた。
厳しい顔つきで歳は五十がらみだろうか。侯爵婦人よりかなり年齢が上なのは聞いていたが二十は違うようだ。灰色の瞳の冷たい目つきに少しでも逆らえば切り捨てられそうでゾッとする。
「は、はい!マッサージという施術で体の痛みを和らげるものでございます」
「痛みを和らげる?そんな事で人が呼べるのか?」
疑い深い顔をして執事に問う。
「はい、どうやら美容にいいとか首の痛みが和らぎ寝付きが良くなるなどの噂を耳にしております。奥様が招いた貴婦人方も絶賛しながらお帰りになられておりますから多少は効果があるかと」
そうなのか、と侯爵様が感心したように頷き、執事が続けてなかなか予約が取れない事、侯爵夫人が知り合いを通じ優先的に予約をとって他の上位貴族にここでマッサージを受けさせていることを話した。
クライスラー侯爵は少し考えている様子を見せたが直ぐにまた歩き出すと私達から離れて行った。
「はぁ……」
一気に緊張が切れてぐったりとしていたが「まだよ!」とゲルタに突かれ馬車へ急いだ。
館へ帰るとすぐにマダムの執務室へ向った。ノブに手を伸ばすといきなりドアが開き手を掴まれ引き入れられた。
「わぁっ!なに……」
ぐにっと頬を手で挟まれ上を向かせられる。
「殴られてないか!?」
間近に蒼い瞳が迫り慌てて頬にあてられた手を振りほどいた。
「いきなりなんですか!大丈夫です、殴られてませんから!」
そう言っているのにまだしつこく怪我が無いか色々点検してくるリーバイ様がちょっとウザい。
「それで、どんな感じだったの?」
騒ぐリーバイ様と違い落ち着き払ったマダムがそう話し始めるとやっとリーバイ様も冷静さを取り戻した。
「今回も一度手を上げかけましたが何とかとどまった、というところです。そこからの話はお聞きでしょうが……」
そこでゲルタが言葉を切るとリーバイ様が先を促した。
「なんだ?気になることがあるのか?」
ゲルタの視線が私に向けられるとマダムが退出するように言ってきた。
はいはい、内密のお話ですね、わかりましたよ。
どうせ急いで午後の準備をしなければいけない為すぐに部屋を出た。
女性専用マッサージ室は既にリリーが準備を整えてくれていて、時間ギリギリだったが部屋に入ると直ぐにお客様を迎える事が出来た。
一人目は御隠居クラブ会長マルコさんの夫人でやっと噂のマッサージを受けることが出来たと少し興奮気味だった。着替えて直ぐにマッサージベッドにうつ伏せになったが施術中ずっとお喋りが止まらなかった。私はマッサージを受けている時はいつも夢うつつな感じで殆ど話すことはなかったが、時々お喋りを楽しみながら受けるお客様もいる。
「本当に気持ち良いわね、ずっとお友達と話をしていたの。夫達ばかりがこの施術を受けているのはおかしいってね。私達女性こそこれを必要としているのにねぇ」
「ありがとうございます。会長様にも他のお客様をご紹介頂いたりいつもお世話になっているんですよ」
「いいのよ、自分が新しい物を広げているっていう自慢みたいなものなんだから」
どこの世界でも流行の先端をいくのは自慢のタネらしい。そこは平民とか貴族とかは関係ないんだね。
「最近はクライスラー侯爵様のお屋敷へ派遣マッサージをしているんでしょう?」
「え、えぇ、よくご存知で」
会長さんから話を聞いているのか、平民にも普通に出回っている話なのかはわからないがこれって漏れていい話なの?
側にいたリリーを見たが軽く頷いたので大丈夫のようだ。
「何でもクライスラー侯爵夫人はかなり吹っ掛けてるみたいよ、ここだけの話。お屋敷に呼んだ貴婦人に実際の値段より多く請求しているみたい」
「えぇ!?そうなんですか?」
それは聞いていなかった。コールマン伯爵は確かご自分で支払いをして、お客様をもてなす為に利用してくれていたはずだ。
「クライスラー侯爵家は今かなり大変みたいだから小銭でも必死に稼いでるんじゃない?」
一体いくら上乗せしているんだろう。あんまり高額だと誰もマッサージを受けに来な……あぁ、そうか。他の派遣予約はうけていないし、午後の時間は平民もしくは下位貴族用としている。上位貴族夫人はここには来れないから今はクライスラー侯爵家に行くしかない。だから正規の値段は知らないんだ。それに多少高くても上位貴族はお金を出すだろう。
プライドが高いからね。




