60 借金86,812,000ゴル
ブクマありがとうございます
目が覚めると見慣れぬ部屋にいた。
えぇっと……ジュリアンさんに整えてもらった私の新しい部屋、だよね。
目を瞬かせ起き上がるとグンと伸びをした。お腹が減っている気もしないし顔を洗って鏡を覗く。
あれ?ピアスの色が変わってる。昨日付け替えた時は気づかなかったな。何故だろう?
着替えると時間だったのでマダムの部屋へ向かった。
「おはようございます」
いつも通りにマダムとリーバイ様とゲルタとユリシーズがいて一斉に振り返り私を見た。
な、なに?
「起きたのね、おはようアメリ、気分はどうかしら?」
マダムが気遣うように私に声をかけてくれる。
「別に変わりありません」
と言ったあとリーバイ様と目があい昨夜の事をぼんやりと思い出す。
「あの、昨夜はご迷惑をお掛け……しました?」
リーバイ様の部屋とは知らず勝手に入ってしまいお酒を頂いた事までは覚えている。
「疑問形ってことは覚えてないか。二日酔いは……無さそうだが顔色が悪いな、ユリシーズ」
指名されたユリシーズがサッと戸棚から小瓶を取り出し私に手渡した。私が言ったわけじゃないんだからムッとした顔を向けるのは止めて欲しい。
「これは……ポーション、ですよね?」
「あぁ、飲んで行け。体力が無ければ踏ん張りがきかんぞ」
そうは言っても二十万ゴルのポーションを平民の借金持ちの私にはそんなに簡単には飲めない。
「別にそれほど疲れは感じません」
なのにこんな物に払うお金は……
「良いから飲んで……あぁ、約束通り俺が払うから」
「有り難く頂きます!」
払ってくれるなら頂きますよ、はいはい、そう言えば何だか体が怠い気がする。
持っていた小瓶を勢い良くクビっと一気に飲み干す。
「うぇ〜、不味い」
余りの味にブルっと体を震わせた。わかっているが記憶を上回る不味さでポーションが喉を通っていく。
「昨日の今日でクライスラー侯爵家に行くのは躊躇われるだろうけどしっかりね」
マダム・ベリンダがいつになく真剣な表情を私に向くてくる。
「は、はい。そうでしたね。クライスラー侯爵家へ行かなくてはいけませんよね」
別に忘れていたわけでは無いが考えないようにしていた。
あれ程の扱いを受けた所へ再び向かうことはかなり恐ろしいが、受けてしまっている予約をキャンセルしては今後の運営の信用問題になる。
それにこのまま行かなければ何となくクライスラー侯爵夫人に負ける気がして何故だか嫌だ。
「今から断ったって良いんだぞ。そうしたいなら俺が直接侯爵夫人に話をつけに行くから」
そんな事をすればリーバイ様がまた侯爵夫人と対面することになる。それってムカつくかも。
「いえ、大丈夫です。行くと決めたのは私ですから」
ムッとした気持ちを隠して営業スマイルをリーバイ様に向けると微妙そうな顔をされた。
「わかった、だがゲルタからは離れるな。ゲルタも、目に余るようだったら何を置いても逃げて来い。アメリの身の安全が最優先だ」
「目に余るとは昨日程度ですか?」
「いや、もっと前で構わん。手を上げた時点で帰って来い」
リーバイ様がゲルタと侯爵夫人の対応について話しているがそもそもの目的を見失っている気がする。
「多少は目をつぶらないとディアス侯爵との繋がりを見つける事が出来ないのでは無いですか?」
一瞬静まりかえった部屋の中、マダムが一つ咳払いをした。
「アメリの言う通りでしょう。ディアス侯爵とクライスラー侯爵はこれまでそれほど親しくしている様子は伺えなかったけれど、クライスラー侯爵家の財政悪化を期に接近が見られるという情報はお伝え致しましたよね」
マダムからの情報もあってクライスラー侯爵と繋がる作戦を進めていたのか。リーバイ様が積極的に侯爵夫人と再び繋がった訳では無いとわかり少しホッとしてしまう。
結局クライスラー侯爵家ではゲルタは私から目を話さないことが一番の任務とされ屋敷内での情報収集は控えるということで馬車で出発した。
馬車の中では相変わらずゲルタは無口で車輪の音だけが延々と聞こえている。貴族街を抜け上位貴族が住む王城近くへ来ると段々と落ち着かない気分になり何度も深呼吸を繰り返していた。
「あまり緊張なさいますと過呼吸になる恐れがあります。息を吐くということを意識なされたほうが宜しいかと」
ゲルタに指摘されて自分が緊張していることに気がついた。馬車は侯爵邸目指して順調に進んでいるが昨日の出来事が繰り返し思い出され掌に汗が滲んでくる。
大丈夫、貴族が平民を手酷く扱う話なんて掃いて捨てるほどある。他の人だってこんな事に耐えながら働いているんだから私だって頑張らないと。
侯爵邸の裏門をくぐるり馬車が昨日と同じ場所に停車すると、動悸がいつもより激しく感じられ体が震えている気がしてきた。
「いいですか?」
ゲルタがいつも通り無表情に話しかけてくるが、少し目を細めて私を見てくる。
「ふぅ、勿論よ」
それを合図にゲルタは立ち上がり荷物を持つと馬車から出た。私も後に続いて下りると辺りを見回す。
昨日いた護衛騎士らしき男達は見あたらず、少し離れた場所に一人の出入りの商人らしき男がこちらを見ていた。もしかするとあの人はイーデン翁が言っていた色々な所に目を光らせている御隠居クラブの協力者ほ一人なのかもしれない。
ゲルタが目で行くように促して来たのでお屋敷へ入って行った。昨日は入った所に使用人がいて案内してくれたが今日は誰もおらず、口にはしなかったがゲルタと二人で呆れながら廊下を進んで行った。
思っているよりもずっとクライスラー侯爵家は財政が逼迫しているのかもしれない。ただ護衛や使用人達が持ち場を離れているだけではなく、そもそも人手が足りていないため行き届いていない感じだ。
薄暗い廊下を抜け、綺羅びやかな区画へ入ると数人の使用人達がいそいそと働いていたが私達を見ても何の反応もなく素通りだ。
そのまま昨日部屋の前まで行き、ゲルタがドアをノックする。
「失礼致します。マッサージ師アメリでございます」
入るよう声がしたのでドアを開けるとクライスラー侯爵夫人と見知らぬ貴婦人がテーブルをはさみお茶を楽しんでいるようだった。
侯爵夫人の顔を見て、声を聞いた瞬間に昨日の事が頭に浮かび動悸が激しくなり手が震えるのがわかる。
「遅かったわね」
殴った事など何も覚えていないかのような冷たい言葉にムカッとする。
絶対に負けたくない!
涙が滲みそうになったが必死に堪えて気持ちを飲み込んだ。
「申し訳ございません」
勿論遅れてなどいなく時間通りだ。
「これが話していたマッサージという施術が出来る者なんですよ」
私を殴って壊れた物ではなく新しい扇で口元を優雅な所作で隠しつつ貴婦人に微笑む侯爵夫人。
「わたくしも話に聞いて予約をしようとしたのですが駄目だったのですよ。流石グレンダ様ですわね」
「嫌ですわこれくらいの事で。伯爵様とはこれから長いお付き合いになるんですもの、これくらいの融通はきかせて頂きますからいつでも仰って下さいね」
そう言いながら私達へ隣のマッサージ室へ行くように指示し貴婦人にも促した。昨日と同じく使用人達の手によって貴婦人が着替えさせられている間にマッサージベッドの準備をしていった。
一人のマッサージを終えてドアを開けクライスラー侯爵夫人の元へ送り出すとそこにもう一人の貴婦人が待っていた。入れ替わりまたマッサージを施して送り出し今日の予定は終了。
片付けようとすると着替えを手伝っていた使用人の女がそれを止めてきた。
「奥様もマッサージを受けると仰っていたわ」
「はぁ!?」
思わず声に出してしまい慌てて口を押さえた。予約は二人で二時間、この上侯爵夫人をマッサージするとなれば時間が押して午後からの営業にギリギリ間に合うかどうかというところだ。
どうしようかとゲルタと顔を見合わせていると侯爵夫人が入って来て当たり前のように着替えるために衝立の向こうへ行こうとした。
「あ、あの、恐れ入ります侯爵夫人」
このまま黙って引き受けるわけにもいかず声をかける。
ピタッと足を止めた夫人から小さく舌打ちが聞こえ、振り向いた蔑むような目と振り上げられた扇子を見てぎゅっと目を閉じた。




