58 借金86,912,000ゴル
「そりゃ勿論クライスラー侯爵家に対する警戒レベルの変更さ」
イーデン翁がニヤッと悪い顔をした。
「警戒レベルって、一体何をするつもりですか?駄目ですよ、貴族相手に危ない事は!直ぐに止めて下さい」
御隠居クラブの御一行が私を気に入り指名してくださっているのは有り難いが、だからといって私の為に貴族に逆らうなんていくら何でも危な過ぎる!
焦った私はイーデン翁を椅子に座らせて手を取り両手で握りしめた。すると何故か頬を赤らめた爺さまが照れ臭そうにする。
「よせよ、そんなに熱い目で見るのは。お前も知っての通り儂の連れ合いはまだ生きているし未だに滅茶苦茶恐ろしいんだぞ」
「そんな冗談を言っている場合ですか!?」
イーデン翁はガハハッと笑い私の手を握り返した。
「心配するな、これはアメリの為でもあるし儂らの為でもある。儂ら平民は貴族の言いなりで長いことやって来た。それは今でも殆ど変わらんがそれでも少しずつ変わりつつある。
貴族の中にも考えが変化している方がいてその方々のお陰で儂らの若い頃よりは随分ましになった」
確かに最近では傲慢に振る舞う貴族は商人から疎まれ避けられると聞いた事がある。しょせん貴族も平民の協力が無くては生きていけないのだから。
「こうやって何か事件が起きればそれを切っ掛けに訴える事が出来る。そうやって権利を主張をするんだ」
訴える!?それって暴動を起こしたり反対運動なんかをするってこと?えぇっとぉ、なんかマズい気がする。それに、それってマダム達の計画に差しさわるんじゃないかな?
「ま、待って下さい。まさか何か行動を起こすとかじゃ……」
「だからそれを今モージズ達が話し合っているんだ」
だーっ、駄目ダメだめー!
これはマダムに報告でしょう!もし事前に貴族の耳に入ったら大変な事になる!先ずはモージズ翁をどうにか止めて……
ちょっとパニックになりかけていると突然ドアが開いた。
まさかもう誰かに聞かれた!?
「イーデン様、恐れ入りますがマダム・ベリンダがお話があると仰っております」
ユリシーズ……お前は神か!こんな時に盗み聞きしていたなんて奇跡だ。
ホッと胸を撫で下ろしイーデン翁を立ち上がらせた。
「イーデン様、では今日の予約はキャンセルということで良いですね」
きっと今からマダムと長い話になるだろう。私も参加して御隠居クラブの方々が関わらないようにマダムに話してもらわなくちゃ。
「あぁ、だからアメリはゆっくりと休むといい。ジョバンニもキャンセルしているだろう?」
「あ、いえ、私も一緒に……ジョバンニさんも知っているのですか?」
「勿論だ、商人ギルドの上層部は殆ど知ることになる」
へぇ~ジョバンニさんってまだ若いのにそんなに偉いんだ……ってイヤイヤ違う、そうじゃ無くって。
結局私は話し合いには参加させてもらえず今夜は休むようにと言われた。ジョバンニさんのキャンセルも私のせいだと分かれば楽しみにしていたキャロがなんとなく可哀想な気がした。勿論それに関係無く仲良くして頂ければ良いのだけれど。
イーデン翁がユリシーズに案内されてマダムの部屋に向かった。
私は今夜の予約が全てキャンセルとなり何だか気が抜けてしまう。これから客引きをする気も起きずユリシーズからも特に代わりの客を見つけろとも言われなかったので待機していたマッサージ室を後にして自分の部屋に戻る事にした。
廊下を進み物置兼自室のドアを開けると見慣れた道具箱の横にあるベッドに倒れ……込めない。
あれ?部屋間違えたかな?
あるべき場所にベッドがない。僅かな私物が入った箱も無くなりただの物置の姿がそこにあった。
うえぇぇっとぉ……私の私物が一切無くなって……まぁ別に着替えくらいしか置いてなかったから最悪はマッサージ室で眠れば良いんだけど、どうしてこんな事に?
一旦落ち着こうとして深呼吸した。
「アメリ」
「ぶわぁっ!!」
背後から名前を呼ばれ心臓が止まりそうだった。
「ジュ、ジュ、ジュリアンさん!脅かさないで下さい」
アハハハと笑われ手を握られる。
「ごめんなさぁい、そんなに驚くなんて思わなくってぇ。早く、こっちに来て」
ジュリアンさんはそのまま私と手を繋ぎながら廊下を進む。
「アメリには短い期間に随分お世話になっちゃったわね」
いつものカワユイ声で小首を傾げられると身に覚えが無くてもデレてしまう自分がいる。
「はい……いえ、お世話ですか、そんな事しました?」
「したわよぉ、忘れたなんて言わせないぞ。ウフッ」
いやぁもう完璧にハメにかかってるでしょう?可愛い過ぎる!!
「私に営業かけないでくださいよ、よろめいちゃいますから」
ジュリアンさんの誘惑能力は性別を問わないね。
「もう、アメリったら。最近立て続けにアメリ関係でコーディネイトの仕事が入って来てるのよ」
私関係といえば忘れたくても忘れられない金五百四十六万ゴル!!別に頼んでないけど仕事は完璧に仕上げてもらって満足している。
「立て続けって、女性専用マッサージ室の他に何かありましたか?」
ジュリアンさんが笑顔であるドアの前で止まった。
「じゃーん、今日からここがアメリの部屋でーす」
と言って開かれたドアの向こうに可愛らしく整えられた部屋があった。
ベッドと小さいドレッサー、二脚の椅子とテーブル、洋服箪笥が置かれている。どれもそれほど高価そうでもなく素朴な感じで私には丁度いい。
「家具類は館の倉庫に置いてあった物で古いけどまだ十分に使えるものを選んだわ。カーテンとベッドカバーは新品よ、私が選んで買ってきたの。可愛いでしょう?」
そう言われ見渡した部屋に白と青の小花柄のカーテンとお揃いのベッドカバーがかけられている。
「可愛い……私こんな風に自分の部屋を整えてもらったのって初めて」
母親を早くに亡くし馬鹿な父親と必死に働く日々の中、部屋を飾る事なんて考えもしなかった。父親と住んでいた店の二階の部屋もベッドと着替えを入れる古い戸棚があるだけだった。
小さい部屋をひと回りしジュリアンさんの元へ行った。
「ありがとうございます!凄く気に入りました。これってマダムが手配してくれたんですよね」
こんなに素敵な部屋なら喜んで払いますよ、コーディネート代金。
「そうよ、今回はアメリがよく頑張ったからってマダムからのプレゼントよ。でも予算が厳しくて、私としてはもう少しやってあげたかったんだけどこれが限界だったの。また何か頑張ればご褒美がもらえるだろうからその時にね」
えぇー!!まさかのご褒美!?そんな事があるの?侯爵夫人のお屋敷で頑張って良かったよ。
お礼を言うとジュリアンさんはゆっくりと休むようにと言って帰っていった。
はぁ……自分の部屋かぁ。
まだ何も無いがまともな部屋を与えられ感慨深い。窓際のベッドに腰掛けキョロキョロと眺めた。
チップでもらったお金でラグを買うのもいいな。食器も無いから可愛いティーセットでも選びたい。せっかく洋服箪笥があるんだから私服も欲しいなぁ……
勿論そんなに多くない手持ちで直ぐに買える物は殆ど無い。まして自分で街へ出て選ぶなんて当分の間は無理だ。
小さくため息をつきふと出入り口と違うドアに気づいた。
小さなこの部屋には勿論バスルームなど無い。洗面所やトイレもなくただ寝るだけの部屋だ。ってことはあれは続き部屋へのドアか。
ここは二階の奥の方だからシャーリーさんやジュリアンさんの私室がある所に近い場所のはず。
彼女達の部屋は勿論全てがそろった貴族が使うような豪華な部屋だが、どうやらここはそういう豪華な部屋に隣接する侍女なんかを待機させる小部屋のようだ。
紫苑の館は元々貴族の住んでいたお屋敷を改装して使っていると聞いたことがある。そのせいで建物もちょっと独特で、娼婦たちが使う仕事部屋とプライベートの部屋がある場所は同じ二階でも直接行き来出来ない構造になっていて、一度一階に下りてから別の階段で上らなくては行けない。
この部屋もプライベートな場所にあり、今の私に丁度いい規模がここくらいしか空いていなかったのだろう。どれどれ隣の豪華な部屋をちょっと覗いて見ますか。
恐らく誰も使っていないと思われるお隣ヘ続く部屋のドアノブに手をかけた。まだ整えられていない部屋だろうからきっと殺風景なんだろうな。
「失礼しまーす……」
何となくそう声をかけながら一歩足を踏み入れたドアの向こうは……
「やっぱり誰もいない」
広々とし大きな部屋に執務机とベッドが一つ。ソファもテーブルもないけれど。
執務机の上に置いてある物が目に付き側に行った。束になったいくつかの書類が積み上げられペンとインク壺が置いてありどう見ても誰かが毎日でも使用してそうな感じがわかる。




