55 借金87,172,000ゴル
そろそろ借金の計算が間違ってそうですが、気にしないで下さい
「まぁ、流石グレンダ様ですわね。なかなか予約が取れないと聞いておりましたのに」
その言葉に満足気な顔をする侯爵夫人。
「コールマン伯爵夫人が予約を取ろうとしていたようですが、わたくしには素晴らしい友人がおりますでしょう?」
それを聞いた貴婦人が意味ありげにフフッと笑う。
「あの方でしょう?相変わらずグレンダ様を崇拝なさっているようですね」
「まぁ、そんな言い方はおよしになってください。本当にただの友人ですのよ」
「ですけれど、グレンダ様が侯爵様とご結婚なさってすっかり傷心されて独身を貫かれているとか」
「嫌ですわ、違いますわよ……多分、うふふっ」
優雅な仕草で噂話を繰り広げる貴婦人方。
えぇっとぉ、この会話のあの方ってリーバイ様の事ですよね。なんだか凄ぉくロマンチックな話に脚色されているようですけど聞いていたのと全然違うんだけど。
そう思って念の為ゲルタを見たら薄っすら苦い顔をしていた。
やっぱりちょっと違うみたいだけど、リーバイ様がまた繋がったのは事実だ。思うところは違ってもかつての恋人だったことは嘘じゃない。
元恋人なら気持ちが再熱することもあり得るのかなぁ……
「ではお先にどうぞ、わたくしがご用意した時間は一時間ですわ。アチラと違ってじっくりとマッサージを堪能なさって下さいね」
暗にコールマン伯爵夫人を貶して自分の方が上だと知らしめるように貴婦人にニッコリと微笑み、私達に一切視線を向けず手にした扇子でマッサージを行う部屋へ行けと促した。
これが本来の貴族の平民への接し方だ、古のね。実際に今はここまでの態度をとる人は少ない。最近では馴れ馴れしいまでは行かなくても平民とも手を組み有意義な関係を結びお互いに利益を得たり、中にはかなり親しくなったりする人達もいる。
クライスラー侯爵家は当主がお年を召しているせいかそこのところが時代について行けていないのだろう。だから斜陽なんだな。
示された部屋へ行くと中に使用人がいて準備は整えられていた。
貴婦人が着替えをしている間にマッサージベッドの準備をしていく。
侯爵夫人が気に入らないからと言って手を抜くわけにはいかないので、貴婦人にはいつも通りに丁寧に体の具合を尋ねながらマッサージを施していった。
「素晴らしかったですわ、グレンダ様」
マッサージを終えた貴婦人が絶賛してくれたが、まるで侯爵夫人が凄いことをしたかのよう見えるのは私の気にし過ぎかな。
「喜んで頂けて良かったですわ」
フフフッと微笑む侯爵夫人。確かにお綺麗だし一つ一つの所作も洗練されている。いかにも上位貴族という感じで誰が見ても素晴らしい淑女なのだろう。
「次はいつ受けられるのかしら?」
貴婦人が当然のように侯爵夫人に尋ねた。
「二週間後でいかがかしら?話によると暫くはあまり間隔をあけずに受けたほうが良いそうですよ」
「まぁ、では二週間後にお願い致しますわ」
ちょ、ちょっと待ってよ。勝手に決めないで!こっちは今日から二週間の予約しか受けていないんだから。それじゃ三週目に入る。
「失礼ながら侯爵夫人、予約はマダムに聞いてみませんと」
そう言うと侯爵夫人がこちらを見ずに小さくため息をついた。
「ではまた二週間後のお待ちしておりますわ」
まるで私の声が聞こえていなかったかのように貴婦人に微笑み、お見送りをしてドアを閉めた。
勝手に予約を受けてそのまま貴婦人を帰してしまい、どうしようかとちょっと焦ってしまう。
「あの、侯爵夫人、ご予約はマダムに……」
カツカツと靴音を鳴らし私に近づいて来る侯爵夫人にそう話しかけると急に顔の左側に衝撃を受けた。
「お黙りなさい!私に恥を欠かせて」
キィーンと耳鳴りがして熱さを感じる。
なに?!殴られたの?
反射的に手で押えると耳から頬にかけてひりつきを感じる。侯爵夫人の方を見ると手にした扇子が少し歪み怒りのせいか震えている。
「なんなのその目は」
扇子が再び振り上げられ頬を押えていた手にバシッと当たる、と同時に何故か体が傾きその場に倒れ込んだ。
「侯爵夫人、お赦しください。アメリはまだこの仕事にも、貴族様に仕える事にも慣れておりませんので」
どうやらゲルタが私を庇うためにわざと転ばせかなりの衝撃を受けたかのように見せているようだ。それでなくても殴られた頬は十分に痛く衝撃で目がくらみそうだ。顔を上げると侯爵夫人と目があい息苦しいほど鼓動が早くなる。
「そんな言い訳が通じるとでも?」
そう言って今度は倒れたところに脇腹を踏みつけられ体重をかけて靴の先をグリグリとめり込ませてくる。
「ひぃっ、ぐぅ……」
悲鳴をあげそうになった口をゲルタに押さえられた。
「侯爵夫人、なにとぞお赦し下さい。アメリが傷物になってはハント伯爵閣下にご迷惑がかかります」
リーバイ様の名前を出すと急に足の動きを止めた。一瞬の間の後、嘆息すると忌々しそうに離れて行った。
「お聞き入れ頂きありがとうございます」
ゲルタが私に無言で声をあげるなという風に頷き口からそっと手を離した。
「くぅ……」
痛みに耐えながら声を出さないように何とか呼吸し助け起こされて立ち上がった。
頬が切れていたのかツゥーっと血が流れるのを感じ手の甲で拭ったが既に掌も血にまみれていた。結構深く切れていたらしい。
侯爵夫人はそのままマッサージをする部屋へ入って行く。
「行きますよ、今は我慢して仕事する。いいですね」
訳がわからず涙が零れそうになったがゲルタの真剣な眼差しに事の深刻さを感じ黙って頷いた。
侯爵夫人が着替えている間にゲルタが頬の手当をしてくれ血は止まった。だがまだ頬と後から殴られた手は痛みを増して腫れジンジンと痛み、踏まれた脇腹も痛む。
「丁寧にやりなさいよ。あなたの汚い血でわたくしを汚したら承知しないから」
着替え終わった侯爵夫人がそう言ってマッサージベッドにうつ伏せになった。
「失礼、致します」
傷の痛さと悔しさでクラクラしてきたが、ここで泣いたり仕事が出来なくなると侯爵夫人に負ける気がして嫌だった。
何もかも今は飲み込んでベッドに上がりマッサージを始めた。
「まぁ……躾はなってないけど腕は良いわね」
一時間後、頭を揉み終え終了を告げると侯爵夫人が気持ち良さそうな顔で起き上がった。
マッサージの為に力を入れる度に手や脇腹が痛みそれに耐えながら必死に施術し、冷や汗でブラウスの背中はべっとりと張り付いていた。
「明日は私を煩わせないでちょうだい」
畏まりましたと頭を下げる私達の返事を聞きもせずに侯爵夫人が退出していった。
バタンとドアが閉じられた瞬間に膝の力がガクッと抜けた。隣りにいたゲルタに支えられたが直ぐに小声で叱られた。
「まだ気を抜かないで」
ビクッとして足を踏ん張りベッドや道具を片付けると裏門まで来た道を案内もなく戻り建物から外へ出た。
そこには来たときにいた屋敷の護衛騎士はおらず、出入りの業者らしき人と屋敷の使用人らしき人がいて私を見て「あぁ……」という風に顔をしかめた。殴られ手当てしていた頬を見て侯爵夫人がやったことが分かったのだろう。直ぐに馬車に乗り込み出発した。
「帰るまで我慢して下さい。この傷はリーバイ様とマダムに見せなければいけませんから」
ゲルタの言葉に黙って頷きぼうっとしたまま窓の外を見ていた。
馬車に揺られ脇腹がズキズキと痛み熱をもちだしだ。涙が溢れてきたが拭いもせず流れるままにしていた。
痛いなぁ……
紫苑の館に到着すると直ぐにゲルタが馬車を下りた。私も続いて下りようとしたが脇腹の痛みで立ち上がれない。
「イタッ……」
脇腹を押さえて俯き痛みに耐えていると急に馬車がギシッと鳴り顔をあげるとリーバイ様がそこにいた。
「ちょっと我慢しろ」
そう言って抱き上げられ馬車から出された。
「イタッ、あ、申し訳ございません。立たせてくれれば歩けますので」
立ち上がる時に脇腹が痛むだけでなんとか歩ける。
「いいから大人しくしてろ」
リーバイ様はそう言ってそのまま運んでくれる。
いや、あの、助かりますけど、ちょっと、恥ずかしいんですけど……
勝手口から入り厨房の横を通るとライラとモニーがいて駆けつけると私を見てモニーが怒り出した。
「誰にやられたの!?」
「馬鹿、貴族に決まってる!」
ライラがモニーを止めてリーバイ様の顔をじろりと見た。
「いま氷を用意するから待っていて下さい」
それを聞いたリーバイ様が首を振る。
「いや、直ぐにポーションを使う」
「わかりました、ではお願い致します。それから今後こんなことが無いようにしてあげて下さい」
そう言って道をあけた。




