51 借金88,612,000ゴル
執事ハーマンのマッサージも終わり片付けをゲルタに任せて公爵様に暇を告げようとしていた。
「ではこれで失礼致します。次回は最低でも一ヶ月以内にマッサージをご予約頂ければ宜しいかと思われます」
お忙しい公爵様ならきっと直ぐに首が痛くなってしまう可能性があるが、マッサージグッズが出来ればマダム・ベリンダが届けるだろうからそれで何とかするだろう。
「わかった、ではそのようにしよう」
公爵様に礼をとり部屋から出るとまたガイオさんが馬車まで送ってくれる事になった。
二人で並んで長い廊下を歩いていると後ろからリーバイ様が追いかけて来た。
「俺が行くからお前はもういい」
そう言って隣にいたガイオさんの肩をグイッと押し退け私と並んで歩き始めるリーバイ様。
「えぇ~せっかくアメリちゃんと仲良くなったのに」
いつのまにかアメリちゃん呼びされ仲良くなったと言われた。ガイオさんはちょっとチャラいがそこそこ顔も良いから別に悪い気はしないけど。
「うるさい……さっさと行け」
リーバイ様はこちらに背を向けているのでその顔は見えなかったがいつもより低い声をだし、凄まれたのかガイオさんが「うわっ」と言って顔色を悪くしたあと私に手を振り来た道を戻っていった。
「ありがとうございましたぁ〜」
私もお礼を言いながら彼を見送り手を振っているとリーバイ様がぐりんと前を向かせた。
「アイツに構わなくていい」
「別にかまってません。お礼を言っただけです」
と言ってしまいハッとした。
また距離感を間違えた気がする、チッ。心の中で舌打ちしたことまでは咎められないだろう。
「あっ、申し訳ございませんでした。気をつけます」
そう言って俯き数歩後ろをついて歩こうと下がった。するとリーバイ様が立ち止まり深くため息をついた。
「その、気にしなくていい。これまで通りの態度でいいんだ」
「いえ、身分が違いますので」
こっちだって面倒臭いが馴れ馴れしくすればマダムにまた叱られてしまう。総隊長で高貴でモテ男でチャラい貴族様だもんね、ケッ。
「俺が良いと言っているんだから良いんだ」
「いえ、恐れ多いですから」
また数歩下がるとガシッと両肩をゲルタに掴まれた。
「その話はそこまで。遅くなってしまいます」
確かにただでさえ睡眠不足なのにこんなつまらないことで削られたくない。
仕方無くリーバイ様の少しだけ後ろを俯き加減でついて歩いた。
「はぁ……まったく。なんでこんな事に……アメリ、頼むからこれまで通りにしてくれ」
いちいち振り返りつつ何故か私の顔色を窺う様に話すリーバイ様。
一体なんなんだ。
「いえ、マダムにも注意されましたし確かに私は閣下に過ぎた態度を取っていましたので」
「チッ、呼び方まで……クソ、命令して、いや、それはなんか違うな。ベリンダに言って……いやあいつはそもそも引き離したがっていたし……」
歩きながらボソボソと考えを口にしている姿もちょっと格好良くてムカつく。こんな風だから女性からのお誘いも後を絶たないのだろう、ふんっ。
外へ出て待っていた馬車に荷物を積み込むとリーバイ様を振り返って礼を取った。
「ではここで失礼致しますありがとうございました」
ちょっと棒読みになってしまったがちゃんと距離感は保てた挨拶が出来ただろう。そのまま馬車へ乗り込もうとすると腕を掴まれた。
「なぁアメリ、お前もしかして、グレンダと俺の、そのぉ、昔の事を気にしているのか?」
はぁ?ちょっと必死感が怖いんですけど。
「グレンダ様とはどなたですか?」
恐らくクライスラー侯爵夫人の事だろうけど察してなんかやるもんか、今も名前呼び捨てとかイヤラシイ奴。
「うぐっ、それは……クライスラー侯爵夫人の事だ」
自分の失言に頬をピクつかせたが、それでも手を離してくれない。
「あぁそうだったんですか、クライスラー侯爵夫人はお名前をグレンダ様とおっしゃるんですね。随分親しかったとお聞きしました。そうそうマッサージのご予約を頂いたのですが私はその時クライスラー侯爵夫人が閣下の親しい方と存じ上げませんでしたので失礼ながらお断りするような形になってしまったのですが、私の一番客である閣下とグレンダ・クライスラー侯爵夫人とお二人でじっくりとお話し合いになられてマダムへ予約を入れて頂ければ良いと思います。では私はこれで失礼致します」
再び礼をとるフリをして掴まれた腕を振り払い馬車へ乗り込むとゲルタが素早くバタンとドアを閉めてくれた。グッジョブ!
「あぁっ!馬鹿ゲルタ、お前は誰に雇われ……」
「私はアメリさんの護衛を命じられていますので」
外にいるリーバイ様にゲルタが窓から冷たく言い放つと馬車は急発進した。
クソっなんて奴等だ!というリーバイ様の声が夜空に吸い込まれて消えていった。
公爵邸を後にして紫苑の館に帰る馬車の中、上手くリーバイ様を振り切ってやったわという気持ちが込み上げクスッと笑ってしまう。
「リーバイ様のあんな顔初めて見ました、ふっ……」
向かいに座るゲルタも薄ら笑いを浮かべて言った。
「本当ね、いい気味だわ。ふふっ……」
私も一緒になって二人でクスクスと笑ってしまった。いつもムスッとした表情のゲルタが笑うところなんて初めて見た。
「はぁ……まぁでもここらで収めて下さい。あんまりイジるとやけになってとんでもない事になるでしょうから」
ゲルタがようやく落ち着くとまたいつもの無表情な顔をして言った。
「え、何が?」
「リーバイ様の事です。あの人はこじらせると面倒臭い事になりますから、明日からは普通に接した方が身のためです」
いまいちゲルタの言っていることが飲み込めない。一体何が言いたいんだ?
「普通って言ったって私はマダムに立場をわきまえろって言われたからそうしてるだけだよ。これが普通でしょう?」
そう言うとゲルタは少し眉間にしわを寄せた。
「忠告はさせて頂きましたから」
そう言ったきりまた黙ってしまった。前よりは多少軟化している気はするが会話も止まってしまい、静かに馬車は紫苑の館へ帰っていった。
コールマン伯爵夫人に予約の返事をしないままに最終日の朝を迎えた。
公爵邸へ最後に行った次の日も私がコールマン伯爵邸に行く前にリーバイ様がマダムの部屋に来ていた。
私はマダムに言われた通りリーバイ様がいても隣には座らずマダムの側に静かに立っていた。
リーバイ様も特別何も言わなかったが苛ついて不機嫌な事は十分に伝わって来ていた。ゲルタが目で何か訴えて来ていたが、だからといって私にはどうすることも出来ずただ神妙に伯爵邸へ向かうだけだった。
帰って来たときにリーバイ様の姿は無く、マダムだけに報告をする日々だった。どうせ盗聴しているから内容はわかっているだろうし、他の事はゲルタが報告しているのだろう。
はぁ……なんだか憂鬱。
そして四日後。
「今日で最後ね」
マダム・ベリンダが意を決したように口を開いた。
「コールマン伯爵夫人の予約は受けないことにしたわ」
引き続き午前中の予約をしたいと言われていたがお断りするようだ。
私は参加していなかったがマダムとリーバイ様が話し合ったのだろう。
「そうですか、では本日で最後ですね」
リーバイ様は何も言わず手にしたカップを口へ運んでいる。
「今日からは平民女性向けの午後からのマッサージを受付が始まるからそのつもりで」
その話は既に聞いていたので驚きは無かった。平民の女性からの要望も殺到しており向こう十日は予約で埋まっている。それを思えば午前中の予約が無くなって少しホッとした。
「わかりました」
私が気を抜いた事を察知したのかマダムが不敵に笑った。
「それから、明日から午前中はクライスラー侯爵家へ行ってもらうからそのつもりで。二週間のご予約を頂いているわ」
「はぁ?クライスラー侯爵家って……」
咄嗟にリーバイ様を見たが無表情のままこちらは見ない。
「コールマン伯爵家と違って一日に二人、一時間ずつよ」
「は、はい。あの、それは侯爵夫人から直接予約が入ったのですか?」
まさか、こいつ……
「いいえ、リーバイ様が一番客だと知った侯爵夫人がそちら繫がりで予約をしてきたの。その方が話が早いでしょうからと気を利かせて頂いたのよ」
……また繋がったんだ……へぇー、ほぉー、なるほど。
「そうですか。昔のよしみが利用出来て良かったですね……」
自分でも訳のわからない感情が込み上げて来てキィーンと耳鳴りがした。




