46 借金83,152,000ゴル
コールマン伯爵邸に向かう馬車のなか、相変わらずゲルタは無駄口はきかず体力は回復したが気力が伴わない私は何度目かのため息をついていた。
「取りあえず後四日……」
ぼそっと零した言葉を聞いていたのかゲルタが初めて話しかけてきた。
「引き続き予約を入れたいと言っていた件はお断りされるのですか?」
今朝聞いたばかりの話は有耶無耶のうちに時間がせまり出発してしまってマダムとどうするか相談できていなかった。
「まだ決めていないと言うしかないでしょうね。本当の事だし体力的にも精神的にも少し休まないと倒れそう」
「リーバイ様がいらっしゃいますから倒れる事は出来ませんよ。必ず意識を回復させて休むことなく再び戦場へ送り込む悪魔のような上司として有名ですから」
無表情に恐ろしい事を告げられた。
「知りたくなかった情報をどうもありがとう。そういえばゲルタはコールマン伯爵邸ではまだ情報収集をしているの?」
この十日間、短時間だが時々私と別行動を取るときがあった。私がマッサージをしているときが主だが、直ぐに帰って来るし使用人達も別段気にしている様子も無かったが紫苑の館に帰ると幾つか報告をあげていた。きっと伯爵邸の間取りやどこが寝室でどこに隠し金庫があるかまで知っているんじゃないだろうか?
「そうですね、これまでは伯爵家に重きをおりましたが最近は客の方に重点をおいておりますので引き続き最後まで情報収集致します」
コールマン伯爵邸のお客様は毎日日替わりで違う貴婦人がやって来る。奥様の顧客なのか男爵、子爵、伯爵と色々な階級の人が訪れマッサージを受けて満足して頂いて帰って頂く、うふふっ。
マッサージで接待の片棒を担いでいる身として立派に役目を果たしているだろう。
「因みに情報収集のコツとかってあるの?」
今後の為にも是非拝聴しておきたい。
「コツですか、目映るものは取りあえず記憶しておく。些細なことでも報告をする。初心者にはこれくらいですか」
「なるほど、情報の選別、分析は自分でしないってことね」
「よくお分かりで、考えるのは私達のすることではありません」
ここまで割り切ればそこまで難しい事では無いのかもしれない。どうせ危険な場所なんて私が行くわけない。
「問題は私って記憶力が悪いって事なんだけど」
そう言うとゲルタは自分の耳を指さした。
「なるほど、口に出せば勝手にあっちで記憶してくれるということね」
考え方によってはピアス型盗聴器は自動記憶装置ともいえる。
思わず会話がはずみ、直ぐに伯爵邸に到着するといつも通り執事ホレスが出迎えいつもの部屋に通されたが、そこは何やらちょっとお取り込み中な雰囲気だった。
「困りますわ、侯爵夫人。ここは今、わたくし共の投資にご協力頂いたお客様のご夫人のみのサロンなっておりますの」
感情を押し殺し丁寧ながらもきっぱりと言い切るコールマン伯爵夫人の声から察するに、どうやら戦闘態勢のようです。
「ですから、わたくしも投資をすると言っているではありませんか」
コールマン伯爵夫人と押し問答している侯爵夫人と呼ばれた貴婦人は見目麗しく華やかで上品そうな雰囲気だが、上位貴族らしい口のきき方に押しの強さがある。自分が他の方に迷惑をかけていること気にしていない様子からその後ろでオロオロしている貴婦人は下位の方という事がわかる。
「申し訳ございませんけれど、もうとうに締め切っておりますの。それに、わたくしの記憶に間違いがなければクライスラー侯爵様にもお声がけさせて頂いてお断りされたはずですが?」
爵位が下にも関わらず奥様が強気に突っぱねるのにはそういう事情があってのことか。投資を提案したのに断ってきた相手が今更何なんだってことね。
「あれは、夫が勘違いをして断ってしまったのです。ですから次の夫人のお話しは必ずお受け致しますから、良いでしょう?」
私が部屋に入って来た事をわかっていたクライスラー侯爵夫人が長いまつ毛に縁取られた瞳でチラッと視線を向けてきた。まぁお美しいことで。
「はぁ……仕方ありませんね。ではペトロフ子爵夫人の分はクライスラー侯爵夫人に譲られるということでいいですね?」
これ以上は時間の無駄と判断したようだ。先程からクライスラー侯爵夫人の後ろで申し訳なさそうな顔で奥様を見ている気の弱そうな夫人が小さく頷いた。
まさかのマッサージを受ける権利のカツアゲ?
どうやらマッサージの噂を聞いたクライスラー侯爵夫人がペトロフ子爵夫人がその権利を持っていると知り押し掛けて奪い取ったようだ。
爵位が上の侯爵夫人だからといってもその目に余る行動を誰も止められないのは、もしかしたら子爵夫人が何かを弱味でも握られているのかもしれないからだろうか。顔色の悪い子爵夫人はすごすごと退出して行った。
なんだかとっても気分が悪いが顔には出さず営業用の笑顔を張り付けた。
「ではアメリ、早速だけどクライスラー侯爵夫人からお願い」
暗に奥様がさっさと受けさせてさっさと帰らせようとしていることがわかりコクリと頷く。
直ぐにクライスラー侯爵夫人をマッサージの部屋へ通し着替えをして頂く。ウキウキ気分を隠そうともしない侯爵夫人が珍しそうにマッサージベッドを眺めたあとうつ伏せになって頂く。
「失礼致します」
いつも通り声をかけマッサージを始めた。肩、背中、腰、足と順に解していき、時間までもう少しだなと思って足を揉んでいる最中に着替えを手伝っている使用人が突然声をかけてきた。
「時間でございます、お疲れ様でした」
そう言って夫人をベッドから起こし水を差し上げて着替えをさせるために連れて行こうとする。
「随分短い気がするわね」
マッサージの気持ち良さに少しうっとりしていた侯爵夫人が不満の声をあげた。時計を見ると三十分のところ正確には二十五分位だった。きっと騒いでいた時間を差し引いたのだろう。せこいがちょっとだけいい気味だと思ってしまった。マッサージ自体に手は抜いていないが満足させるのがちょっと嫌な気がする。
「皆様もう少し長くやって欲しいとおっしゃいます」
別に嘘じゃない。侯爵夫人は皆より五分短いけどね。
「そうなの?でも本当ね、凄く気持ちが良かったわ。あなた、アメリと言ったわね。次の予約をするわ、今度は長めにね」
奥様がいないところで話を進めたかったのかクライスラー侯爵夫人は着替えながら言ってきた。
「恐れ入ります、私には決める権利がありません。ご予約は紫苑の館へ連絡をして下さい」
「あぁ、あの勘違い女の所ね。公爵様と親しいから皆が何も言えないようだけど所詮はただの娼婦でしょう?全く目障りだわ」
小馬鹿にしたような物言いにギリッと奥歯を噛みムッとした気持ちを押え込む。前回ここで我慢が出来なくて危うく貴族に逆らいかけた所をマクブレイン伯爵夫人に助けて頂いた事を思い出す。
今回はここに他の優しい貴族はいないし、ここで騒ぎを起こしては奥様にもマダムにも、そして私の後ろで肩を力強くノシッと押さえ込んでくるゲルタにも殺されかねない!
怖い、怖すぎる!背後からの圧で背中にビッシリ鳥肌が立っている。
わかってるって、私も少なからず学習能力があるんだからそんなに力を込めないで!
着替えを終えた侯爵夫人が衝立から出てくると再度私に予約を迫ってきた。
「サヴァンナ様の予約を受けて私の予約を断る事なんて無いでしょうから別にいいわよ、ただあなたが叱られるだけ。そこの手間とあなたの事を守ってあげるために言っているのがわからないほど馬鹿じゃ無いわよね」
貴族相手に言質を取られてはいけない。ゲルタ、私だってそれくらいわかってるから眼力で背中を刺さないで!
「申し訳ございません。只今スケジュールは調整中でして、私では把握しきれておりません」
「侯爵夫人である私が優先されるのは当然でしょう?」
「恐れ入ります、私では……」
かなりのしつこさだな。絶対に仲良くなれないタイプ。
「あぁもういいわ。だったら誰の予約が入っているか言いなさい」
きっとまた無理矢理奪い取ろうとするんだろうな。
侯爵夫人は苛つき私に厳しい視線を向けてずいっと迫って来た。
「それは……」
とはいえ流石に個人情報をそう簡単に明かすわけにはいかないだろう、と本気で困っていると背中に突き刺さっていた圧がふっと無くなった。
「恐れながら私が存じております」
突然後ろのゲルタが口を開いた。
「まぁ、そうなの?さっさと言いなさい」
前方の侯爵夫人からの視線もそらされ一瞬ホッとしたが、ゲルタは一体どうするつもりなの?




