43 借金88,812,000ゴル
大きく息を吐くと公爵様が気だるそうに起き上がった。
イケメンのちょっと乱れた姿に色気を感じてざわざわしちゃう。マダムはこんな方をお相手にしているなんて流石だ。私なら見てるだけでお腹いっぱいになりそう。
「何なんだこれは……気持ち良いというか、やる気を削がれるというか」
「マッサージの後は軽く運動したくらいの疲れを感じる事がありますから水分をとってゆったりとお過ごしください」
いつものように注意点を話し執事ハーマンにお願いして水を飲んで頂く。後は公爵様が部屋から退出され片付けを済ませれば直に帰れるはず。
ハッキリ言ってもう疲れた。高貴な方の体に触れるというのはかなり気を使うし、あちらだって初めて受けるマッサージをかなり警戒なさっているからやり辛さも感じる。まぁ、皆さん後半になればリラックスされるので次回からは大丈夫だろうけど。
「これは思っていたより凄いな」
皆様そうおっしゃいます、ムフ。
「ありがとうございます」
慇懃に礼を取るふりをしてニンマリしてしまう顔を隠した。
「どれくらいの間隔で受ければ良い?」
「公爵様の状態ですとしばらくはせめて七日ほどの間隔で数回、後は一ヶ月に一度ぐらいで大丈夫だと思われます」
お決まりのセリフだな。後は一週間後の予約を頂いて……
「最初は間隔を短くということか?」
「はい、公爵様のお体はかなりお疲れがたまっておいでですので」
「では今夜もう少し長くマッサージを受ければ良いのではないか?」
おっと、けっこう食いついてくるな。お気に召したなら上々、きっとマダムも喜ぶだろう。
「そうですね、もう少しなら大丈夫かもしれませんが急激に解し過ぎると血流が良くなり過ぎて気分が悪くなったり熱が出る方もいらっしゃいますから」
「そうか、程々が良いということだな」
「左様でございます」
「せめて七日後というのはもっと短くても日を変えれば構わないということか?」
「……そ、そうですね。公爵様はかなり酷い状態ですので……」
なんだか、ちょっと……
「なんだ?ハッキリ申せ」
嫌な予感が……
「は、はい。あの、この場合しばらく軽めに重点箇所を変えて毎日マッサージを受ける事がお体の為には効果的……だと、思われます」
あぁ……と小さくリーバイ様の嘆く声が聞こえた。嘆きたいのはこっちの方です。
「では明日また同じ時間に来い」
有無を言わさぬ高貴な方のお言葉に一体誰が否やと言えようか。
「畏まりました」
落ち込む気持ちと一緒に頭を下げると公爵様が軽快な足取りで部屋から退出していった。
片付けをしている間にリーバイ様が公爵様と何とか話をしてくれたようだが、どうやらマダムから毎日マッサージを受けて首の張りが随分楽になったと聞いていたらしく交渉は決裂。
最初のお約束通り明日もここへ訪れる事が決定し馬車までリーバイ様が送ってくれた。
「決まった事は仕方がない。よほどお前のマッサージを気に入ったんだな、イライアス様は」
「はい、有り難い事です……」
良い事のはずなのに何故かぐったりとしてしまうのは、きっと今後のスケジュールの事があるからだ。
朝からコールマン伯爵家へ、午後は平民の御婦人相手の準備とそして数日後には営業開始。その後スタンダードの時間は男性の平民や下位貴族、その後は上位貴族の時間となりそう。
「まぁ、そこまで長く続かんだろう。イライアス様もお忙しい方だからな」
でも一応予約は入れるんですよね、少なくとも一週間は来なくてはいけないだろう。
ちょっとうんざりしてしまうが諦めて馬車に乗り込もうとすると何故か執事ハーマンが足早にやって来た。
「あぁ、お待ちを、これをお受け取り下さい」
プレゼントのように綺麗に包装された四角い箱が渡された。
「夜分大変でしたね、ささやかですが甘味です。お口に合うと良いのですが」
五十代くらいの落ち着いた雰囲気のハーマンがにっこりと微笑み労ってくれた。
「まぁわざわざありがとうございます」
「いえいえ、足のマッサージがとても気持ちよくとても驚きました」
嬉しそうな笑顔にこちらまで微笑んでしまう。
「立ち仕事は大変ですよね、気遣いも多いでしょうし」
「そうなのです、いつも肩や首、腰が痛くて足までは気にしておりませんでしたが今夜揉まれて疲れがたまっていたのだと実感いたしました」
そうそう、他に酷く痛む所があるとそこまで気が回らないことがあるよね。
「私が押えて痛かった場所はご自分で押してもいいですよ、痛すぎない程度に」
「えぇ、えぇ、そうします。足は自分で届きますからね。ですから足以外の場所を明日からはお願い致します」
膝から崩れ落ちた。
サクサクサクサクと途切れることなくクッキーを嚙じる音が馬車の中に響いていた。
渡された箱の中身は美しい缶で、中には色取り取りの花の形をしたクッキーがパズルのようにぴっちりと何段も詰め込まれた、見た目にも楽しめるものだった。
貴族様の間で流行っている物らしく平民の借金まみれの私には手の届かない高級品だとユリシーズが教えてくれた。ついでに食べてもいいかと聞いてみたら私個人がもらった物なので勝手にしろと言われ、今夜の疲れやこれからの予定を考えながら一つ頬張ると手は止まらず缶と口を何度も往復している。
「いい加減にしないか」
取り憑かれたようにクッキーを食べ続ける私にユリシーズが呆れた声を出す。
馬車がもうすぐ紫苑の館へ着く頃なのかと見つめていたクッキーから目をあげた。
「すみません、ちょっと色々と考えてしまって」
ながら食いは食べた記憶が薄いから満腹感が後から押し寄せるよね。
「チッ、口を拭え。これからマダムに報告しなければいけないんだぞ」
今回の派遣マッサージは急だったし、リーバイ様が公爵邸にいたのでマダムは私が誰と何を話していたのかピアスの盗聴器を通じて知ることは出来ていない。きっとやきもきして待っているだろうから早く知らせてあげたい気持ちはあるのだが、もう時間は深夜をまわっていて本音を言えば今すぐにシャワーを浴びて眠りたい。
また明日の朝からコールマン伯爵邸へ行かなければいけない……
「わかってます」
手の甲で口を拭うとザリっとした感触がありクッキーの食べカスがパラリと膝に落ちた。
「チッ」
またユリシーズが舌打ちすると馬車がとまり直ぐに外へ出て行った。
「早く来い!」
うっざいなぁ、いちいちムカつく言い方しなくてもいいじゃない。
口を開くのは億劫だが思うことは止められず、不満が顔に出ていたと思うが隠しもせずにユリシーズの後を追って馬車から出た。
「うわっ」
馬車は裏門から入り厨房の勝手口を通って建物へ入って行く。深夜をすぎた今は厨房で働くライラもモニーも帰ってるはずで、そこには誰もいないはずだった。
だが建物沿いの壁際に三つの影がありもそもそと動いている。
「おぅ、お帰り」
振り返って声をかけてきたのはルーだった。よく見ると三つの影は三婆でパティとノーマもいる。
「三人ともこんな時間まで何やってるんですか?!」
驚いて駆け寄ると三人は両手を泥まみれにし草むしりをしていた。
「裏門を綺麗にしてマッサージのお客様を迎えるんだろ?いつもの仕事があるから夜しかここの掃除は出来ないからね」
ルーが何ともないって顔で仕事を続ける。
「あんたも今帰ってきたのか?明日も朝からだろ、早く行って寝な」
「やっと出来た指名客を逃すんじゃないよ。掃除はあたしらがやっとくから頑張んな」
パティとノーマもそう言いながら手を休めない。こんな真っ暗な中で時間外に黙々と仕事を続けるなんて……
「三人共もう帰ってくださいよ、無理したら倒れちゃいますよ」
三婆が心配でそう言うと鼻で笑われた。
「小娘が生意気言うんじゃない、あたしらは好きでやってんだ」
「そうだよ、仕事が忙しいなんて人生でほんのいっときさ」
「直ぐに廃れちまうんだから人気のある内に稼ぐだけ稼いどきな」
言い方はキツイが人生の大先輩のお言葉は重みが違う。それになんだかユリシーズと違いほんのり思いやりが見え隠れする。きっと三婆も私みたいに借金背負って賢明に働いてた時期があるんだと思うと気持ちが奮い立つ。
「ありがとうございます!これ食べさしですけど良かったどうぞ」
半分に減ってしまったクッキー缶をルーに渡すとマダムの部屋へ急いだ。予定外の仕事が入ってなんだか目まぐるしくてうんざりしてしまっていたが、よく考えれば借金大幅返済のチャンスが巡って来たって事だ。
今やらなくていつやるんだ!
さっさと先に行ってしまったユリシーズを追いかけるようにマダムの執務室へ急いだ。




