38 借金88,862,000ゴル
カッチンときて目の前のテーブルをひっくり返してやろうかと思ったが元々小心者であるし、いま馬鹿にされたのは私の事だけだ。私さえ我慢すれば事は収まるんだし考えてみれば無学の平民ということは本当の事でもある。
ここは全部飲み込んで笑え、私!!
無理矢理唇を引き伸ばし口角を吊り上げると何とか言葉を絞り出した。
「申し訳、ござ、いません、でした」
「出来るじゃない、だったら最初からやりなさいよ」
ヒクヒクとひきつる私の頬を見て奥様が鼻で笑った。
「コールマン伯爵夫人、こんな若い平民の娘にそんな事を言っては酷ですわ」
マクブレイン伯爵夫人がそう言って私に優しく微笑んでくれた。
「ふんっ、ひとりで貴族の屋敷で仕事をしようとしている小娘がこれくらいあしらえないでどうするのよ」
「何も知らされず送り込まれたのでしょう」
「マダム・ベリンダはそんなに馬鹿じゃないわ。あの三人とは格が違うのよ」
まるでマダムの味方のような言い方をする奥様に心底驚いた。
「あの、奥様はマダムとお知り合いなのですか?」
まさかのこれも例のスパイ活動するための試験とかじゃ無いでしょうね?
「会った事も無いわ、だけどその界隈じゃただ者じゃないって聞いてる。だからこの娘も何かある気がしてたんだけどね」
探るように私を見る奥様の視線で胃が縮み上がる。
無理無理穴が空いちゃうぅっ!!
「ねぇ、ところで私ってさっきアメリさんを助けたと思うんだけど」
いい感じに空気を読まない風にマクブレイン伯爵夫人が口を挟んでくれる。今も助かりましたよ。
「はい、お気遣いありがとうございます」
この方がいなければ今頃あの三人を蹴り飛ばしてぶっ飛ばして……なんて事は出来なかっただろうが礼を失するぐらいの暴言は吐いていたかもしれない。下手すればバッサリされてたかも。
「だったらどうにかマッサージの予約を入れてくれないかしら?今度は一時間で、ベッドも使って。勿論代金も払うわよ」
可愛く微笑まれたお助け天使の願いは断れないなぁ。
「出来るだけ取れるようにマダムにお願いしてみるとしか言えないのですが」
「それでいいわ」
こうやって持ちつ持たれつの関係が出来ていくのか。まぁ味方は多い方がいいよね。
少なくとも今は良い関係が築けそうな気配を感じていると奥様がマクブレイン伯爵夫人にニヤリと笑った。
「ただの気の弱い夫人かと思ったけどなかなかやるわね、貴方とはいいお友達になれそう。これからはサヴァンナと呼んでちょうだい」
「まぁ、ありがとうございます。サヴァンナ様、私もポーリーンと呼んで下さい」
恩を売って利益を得るやり方がお気に召したようで。お二人が仲良くなり取りあえずこの場は収まったかに見えた。
「では時間も過ぎておりますので私はそろそろ失礼しようかと……」
そう切り出し立ち上がると奥様が眼光鋭く視線だけで私にまだ行くんじゃないと知らせてきたので再び腰をおろした。
「まだ何か?」
「ハナオのサンダルって何?」
直ぐにマクブレイン伯爵夫人の顔を見たが夫人はにっこりと微笑んだ。
「私は言ってないわよ」
と言ってチラリと視線を向けた先に着替えを手伝ってくれていた使用人の二人が静かに立っていた。
はぅっ、ぬかったぁ!あの場にはあの人達がいたんだった!
ピアスの向こうでマダムが青筋立てているようすが目に浮かぶ……だけどこのまま白を切り通す腕力は私には無いのでマダムお願いします、あんまり怒らないで下さい。
「それはですね、えっと、まだ開発段階の品という……」
「だったら出来上がり次第私のところに持ってくるんでしょうね?」
食い気味の剛速球。会話のキャッチボールは相手が話し終わってから返して下さいよ。
「私にはそれを決める権限があ……」
「わかった、マダム・ベリンダに直接話を通すからあなたは帰って」
すくっと立ち上がりそのまま部屋から出ていく奥様を見送った。
「えぇっと……」
あまりに素早い奥様の行動について行けず立ち尽くしているとポンと肩を叩かれた。
「大丈夫?とにかくお帰りなさい、きっと助手の方も心配しているわよ」
マクブレイン伯爵夫人が優しくしてくれちょっと気持ちが和む。
ユリシーズの事を助手と思っているようだが実際は監視兼護衛で基本的に私の心配ではなく私がしでかしたことによるマダムへの被害を心配しているだけだ。でも確かに時間がかかり過ぎているしこっちの状況が分からずイライラしてそう。
「ありがとうございます。今日はマクブレイン伯爵夫人のお陰でとても助かりました」
廊下へ出ると他の方々が待つ部屋へ案内される夫人と途中まで一緒に歩いていた。
「いいのよ、私も王都でどう過ごそうかと悩んでいたけれど、あなたのお陰で楽しみが出来たわ」
淑やかに微笑む夫人は別れ際、私に顔を近づけるとそっと囁いた。
「サンダル、私の分もあるわよね?」
「……も、もちろんでございます」
ひらひらと手を振るマクブレイン伯爵夫人が一番手を汚さず思い通りに事を運ぶ恐ろしい人なのかもしれないと思った。
「さて、どうしてやろうかしら」
私は紫苑の館に帰るなりイライラマックスのユリシーズにマダムの前に突き出された。
馬車の中ではコールマン伯爵家で過ごしたあまりに濃厚な時間のせいで口を開くのが億劫だった。
ユリシーズが何を聞いてもちゃんと答えず、まぁユリシーズの苛ついた顔と矢継早の質問にうんざりしたせいでもあるが、この場でさっきの状況を全く知らないのは彼だけだから仕方ないか。
「申し訳ございませんでした」
先ずは謝っておこう。早速座らされた私の隣にリーバイ様が座っていてちょっと疲れた顔をされているけど私の方が疲れているに決まっている。本当に大変だったんだから。
マダムは一言話したきり全く表情の無い顔で黙って私を見ている。もしかしてまだ私のターンですか?
「えっと、鼻緒のサンダルの件は申し訳ございませんでした。マクブレイン伯爵夫人の足が外反母趾と言って靴のせいで指が少し曲がっていて痛々しかったのでつい……」
「……」
まだ黙って見てる……後は……
「それと、マクブレイン伯爵夫人の予約の件もすみませんでした。ですが気遣って頂いたので、出来れば来月位に入れて頂けるとお約束を守れると思うのですが……」
「……」
あれ〜?まだ何かあったっけ?
「それから、えっと、あっ!マッサージグッズの事を忘れてました。あれも直ぐに図面を書かなきゃいけなくて……あの、マイルズさんに連絡をお願いします!」
そうだった、グッズの話を詰める前に仕事に行かなきゃいけなかったから後回しになってしまっていたから……
「違うぞ、アメリ」
マダムに面倒をかけていることをあれこれ思い出しどれを優先して進めれば良いか考えていると横から急にリーバイ様が呆れたような声をかけてきた。
「えっ、なんですか?」
人がこれからしなければいけない事を必死に考えているのに邪魔しないで欲しいと思いながらリーバイ様を見るとちょっと強めにツンっと額を指で突かれた。
「痛っ、何ですかリーバイ様!」
「お前は少し無鉄砲な奴だ。盗聴してるこっちがひやひやした」
「は?何がですか?」
リーバイ様がまるで私を心配しているような事を言った。お貴族様が平民の私を?っと訳がわからず首を傾げる。
「いい加減にしなさいよ、アメリ!!」
突然マダム.ベリンダが爆発した。
「ふあぁぁぁぁ!!申し訳ございませんでした!」
その迫力に押され立ち上がると勢いよく腰を折り頭を下げるとガツンッと凄い音がし一瞬意識が飛んだ。
「あぁっ!馬鹿何やってんだ!!」
何とか目を開くと間近にリーバイ様の端正な顔が迫っていて寝かされているようだが頭がクラクラとして目がぼやけてよく見れない。
折角のイケメンを何とかハッキリと見たくて目を擦ろうとして顔に触れると何かがぬるりとしてその手を確認した。
「赤い……」
「ユリシーズ、ポーション出せ!」
直ぐに視界がハンカチらしきもので遮られバタバタと足音が響きリーバイ様の急かす声がした後バシャバシャと何かかけられた。
「ひゃあ!冷たい!!」
びっくりして起き上がるとびしょ濡れの自分に何がなんだかわからず思考が停止してしまった。




