36 借金88,862,000ゴル
ブクマありがとうございます
若い貴婦人は自分の腕に触れ手のひらで冷えを確かめているようだ。
「マクブレイン伯爵夫人、では貴方からどうぞ」
ここぞとばかりに奥様が若い貴婦人にロックオンするとマッサージ隣の部屋へ誘おうとする。
「えっ!?いいえ、私は、その、ちょっと……」
狼狽えるマクブレイン伯爵夫人が必死に抵抗するが誰も止めようとしない。恐らく此の方は新参者でまだ他の人と親しく無いのだろう。年齢的にも一番若そうだ。
「大丈夫ですわ、私も受けたのですよ。まさかお断りなさいませんわよね?」
有無を言わさず奥様がマクブレイン伯爵夫人と私を強引に隣の部屋へ追いやった。
「はぁ……」
後ろでドアが閉じられると最悪だと言わんばかりの伯爵夫人はため息をついたが、私に何か言うわけでも無くただ戸惑っているようだった。
「あの、伯爵夫人。お着替えを……」
嫌がる人に無理矢理マッサージを受けさせる訳にはいかないが、奥様が貸し切り料を払う以上、私も何もしないわけにはいかない。
出来ればマッサージを受けて頂きたくて着替えを勧めたがそこでさらに抵抗された。
「えぇ!?着替えですって?ここで?」
部屋の奥には衝立が用意されていてそこにはさっき私を着替えさせた使用人も待っていた。
貴婦人の着替えは一人では出来ない。豪華なドレスやコルセットなどの下着は最低でも二人がかりで着せるものだ。恐らく初めて来たであろう場所で見知らぬ使用人の前で服を脱ぐなんて嫌でしかないだろう。オマケに用意した作務衣風ガウンを見せると更に拒否された。
「い、嫌よ着替えなんて」
ちぎれんばかりに首を振り抵抗するマクブレイン伯爵夫人。
見ず知らずの人に囲まれ得体の知れない施術を受けさせられるとか恐怖でしかないのかも。なんだか可哀想になってきた。
「あの、ではそのままの服装で構いませんから今回は足のマッサージだけ致しましょうか?」
「足のマッサージ?」
「はい、そのまま椅子に腰掛けて頂いて少しスカートを捲りあげますが膝から下だけをマッサージいたしましょう」
それぐらいなら良いと思ったのかマクブレイン伯爵夫人は素直に言うことを聞いてくれ腰を下ろし、なんとかマッサージを始めることが出来た。
この世界の貴族女性の足は建前上人前にはさらさないことが淑女の嗜みとされていて、ドレスの下は長い膝上靴下を履いている。
勿論マクブレイン伯爵夫人もそれを履いていたので脱いで頂き、一度盥のお湯で足を温めながら洗いその後オイルを塗り込みマッサージを始めた。
夫人の足は乾燥して白っぽく皮膚がかさつき踵の皮が固くなっていた。最近流行りの踵の高い靴のせいか、前世でいうところの外反母趾ぎみの足の歪みも見られる。
「この辺りが痛みませんか?」
足の親指の付け根あたりを優しく押していく。指同士もピッチリとくっつき血行も悪そうだ。
「そうなの。靴が合っていないのでしょうね」
マクブレイン伯爵夫人も自分でわかっているらしく困り顔を見せた。
「これは靴が合わないせいというより踵の高い爪先の狭い靴そのものがこういった症状を引き起こす原因と思われます」
「えぇ!でもドレスにはこういう靴でないといけないでしょう?」
流行り廃りはあるものの基本はこの形が主流だ。
「そうですね、貴族様がこういう靴を履かない訳にはいかないでしょうから出来れば公式の場以外では履かない方が足にはいいですね」
「それってずっと室内履きを履けってこと?」
「まぁそれでもいいですが出来れば鼻緒のついたサンダルがオススメなのですが……あっ!……この辺りでは見かけませんね、アハハ……」
ヤバい!鼻緒のついたサンダルなんてこの世界には無いかも!?
外反母趾予防には足のストレッチも有効だけど鼻緒のついたサンダルを履いたりして足裏の足底筋群を鍛える事が有効のはず。腰痛や膝にもいいと聞いたからこの際マッサージグッズと一緒に作るのもありかな、って駄目駄目そんな事を考えている場合じゃない。一度マダムに話してからでないと叱られそうだ。
余計な事を言ってしまい、足を揉みながらどうにかごまかそうと考えていた。
「ハナオのサンダルってどこへ行けば買えるの?」
あぁ〜、マクブレイン伯爵夫人がちょっと食い付いて来ちゃってる。やっぱりヒールの靴で足が痛かったんだね。っていうか不味いなこの状況。勝手に話を進めたら絶対にマダムに叱られる。どうにか諦めてもらわないと……
「あの、そ、それはどこにも売っていません」
「まぁ、それじゃあアナタに作ってもらわなくてはいけないのね?」
うわぁ〜、ちょいとヤバい方向へ向かってる気がする。
「えっとですね。ここでそういうお話はまだ出来ないんです」
「まだって事はいずれ出来るのでしょう?」
あやや、どうしてまだって言っちゃうかな私!マズいマズい!マダムが怒っている顔が目に浮かぶよ。お願い、マクブレイン伯爵夫人もう黙って下さい!
「いえ、言い間違えました。あの、この話は……」
私が焦ってしどろもどろになっている様子に何かを察してくれたのか夫人がハッとして手で口を押さえた。
「わかった、まだ誰にも言ってはいけない事だったのね」
声を潜め顔を近づけてそう言った。
「そうなんです!」
良かった、わかってくださった。
何とかなりそうだと安心してマッサージを続けた。
「安心して、私は口がかたいのよ。と言ってもまだ王都には親しい友人がいないから話す相手がいないというだけなんだけど」
「まぁ、そうだったのですか。こちらへいらしたばかりなのですか?」
確かに今日集まっていた中では一番若くて慣れていない感じだった。
「そうなの。私は結婚してすぐ王都へ来たばかりで全然ここに馴染めてないの。今日の集まりもコールマン伯爵から私の夫へ出資のお誘いを受けてその関係でこちらのサロンへ来たのよ。都会のサロンも初めてで、さっきもちょっと緊張していたのよ」
どうやらコールマン伯爵夫人は夫の仕事の関係者の婦人達を相手にサロンを開き親交を深めているようだ。
「そんな中で聞いたことのないマッサージを受けてくださりありがとうございます」
「ふふっ、そうね。はじめは怖かったの、もしかしてイジメなのかと思って。でも、はぁ……これすっごく気持ち良いわね」
でしょ〜!足の甲とかリンパが滞っているとちょっと痛いけどその後浮腫が取れるし、ふくらはぎも腓腹筋とかヒラメ筋を揉んでいくと段々と血流が良くなって温まってくると……
「なんだか眠くなってきそうだわ」
なんですよねぇ〜。緊張なさっていたせいか、かなり足が冷えていたから余計に気持ち良いんでしょうね。
マクブレイン伯爵夫人がやっと気を緩めて気持ち良くマッサージを受け入れ始めた頃、無情にも時間となった。
「はい、お疲れ様でした」
そう告げた時の悲しそうなお顔。頂いちゃいました!
「もう終わりなの?」
素早く使用人達がそばに来ると伯爵夫人に靴下を履かせて身なりを整え始めた。さっきからそわそわしていたからきっと時間が押していることを気にしているのだろう。
凄い速さで元通り綺麗に着飾ったマクブレイン伯爵夫人と一緒に奥様が待つ隣の部屋へ行った。
「あら、やっと帰って来たわね。如何でしたか、マッサージは?」
奥様は部屋の応接セットで皆様とゆったりお茶会をなさっていたようだが、にこやかに感想を聞いてくるその目は鋭く私を見つめ「てめぇ、ちゃんと仕事したんだろうな?」ってモノローグが頭に響いてきちゃう。
「コールマン伯爵夫人、本当にありがとうございます。とっても良かったですわ」
血流が良くなったせいか頬を赤らめるマクブレイン伯爵夫人が可愛らしくてあらぬ誤解を生みそうだ。
「喜んで頂けで私も嬉しいですわ」
奥様がやっと心の底からの笑顔を見せてくれ私もホッとした。
お二人のやり取りの後ろで他のお三方がヒソヒソとお話なさりながら私をチラチラと見てくる。
「そんなに良いものなのかしら?」
「でもご覧になって、あんなに顔色も良くなって」
「サヴァンナ様のおっしゃる通りかも知れないわね……次は私が参りますわ!」
一人の貴婦人がサッと立ち上がりそのまま隣室へ向った。




