29 借金89,186,000ゴル
ソファへ座るなりコールマン伯爵夫人は不敵な笑みを浮かべた。
「あのガウンは頂けないわね」
どうやら作務衣風ガウンがお気に召さなかったらしい。
「申し訳ございません」
一応謝っておこう。
「あなたの格好も酷すぎる。それじゃ奴隷のようなものね」
借金奴隷になりかけた身ですし、身を守る為ですんで、などと口にはしないでおこう。
「まぁ、殿方に余計な気を起こさせないという点では多少は有効ね。だけど貴族女性相手では必ず身なり気をつけなければ流行らない。私は下品なのは好きじゃないの」
「はい、配慮いたします」
いちゃもんつけられてるのか?まさか値切ろうってわけじゃないよね。
「それから派遣費が高すぎるわ。マッサージ代に含ませなさい、別途かかると言われると余計にかかっている気がして気に食わない」
「お値段の事は私ではわかりかねます」
やっぱり値切ってきたか、ムカつくなぁ。
チラッと隣に立つユリシーズを見たが全くの無表情で心の内がわからない。これってこのまま黙って聞いていればいいのかな。
「そう、下っ端だものね、仕方ないわ。だったら一日でどれ程の人数をマッサージ出来るかぐらいはわかるわね」
いちいちムカつく物言いだけど答えないわけにもいかない。
「基本は一人一時間でお受けしておりますので単純に計算しても休憩を挟んで最大でも七人くらいでしょうか」
「絶対に一時間受けなければいけないわけじゃないわよね」
「はい、部分的に三十分というのも可能ですが、派遣費の事を考えると……」
「そこはあなたが考えなくていいの。じゃあ、三十分なら十四人はいけるって事ね」
「そ、そうですが現実的には準備時間が必要ですし体力的にも難しいかもしれません」
なんか無茶なことを言ってくるなぁ、何かの嫌がらせ?十四人とか考えた事ないんだけど。
「準備?あぁ、ベッドの準備ね。それはもう一つ用意して常に片方の準備が整っている状態にしておけば出来るでしょう?体力的な事はなんとかしなさい」
何言ってんだコイツ!言えないけど!!
「恐れながら、マッサージベッドは特注品でして、これ一つだけですのでそれは不可能だと……」
「特注品?どこの?」
「はっ?あの……『女神の微笑み』です。そこのオーナーのマイルズ様が私の一番客でして、その縁で……」
「ホレス、直ぐに呼び出して発注して」
「畏まりました」
夫人の隣でメモを取っていた執事が素早くドアへ向かうと外に待機しているらしい誰かに何かを告げ直ぐに戻って来た。その時点でユリシーズの無表情が少し崩れていた。
なに?何が起こっているの?
「あの、夫人……」
「それで、これはどれくらいの頻度で受ければいいの?」
「は、はい。夫人ですとしばらくは七日おきくらいで、その後は一ヶ月おきぐらいで構わないかと……」
「七日おきね、だったら取り敢えず今月いっぱいは私が予約を入れるから他は取らないで。その後はまた連絡するわ」
「はぁ?今なんとおっしゃいました?」
今月いっぱいってあと二週間あるんだよ、それを全部予約ってそんな事をしたらずっとマッサージしてずっとお金が入って来て、それでお金が入って来て、どうなるんだっけ?耳鳴りしてよくわからなくなってきたんだけど……
「空いている日は予約を承りますが既に他のお客様をお受けしている日はお断りさせて頂きます。後ほど日程表をお持ちいたしますのでご再考下さい。それと今はまだベッドが一つですので三十分なら一日で最大十人まででお願い致します」
ぼうっとしているとユリシーズが素早く返事をしたが顔色が悪い。そこからユリシーズが明日の予約時間を聞いて承知し帰るよう言われた。
私はぼんやりとし言われるままに伯爵夫人に礼を取り部屋から出てコロコロと転がすマッサージベッドを頼りにふらついた足取りでただユリシーズの背中を追っていた。馬車へ乗り込み気がつくと向かいに座るユリシーズが難しい顔で私を見ていた。
「どうなったんですか?」
訳がわからず聞いてみた。だってユリシーズは護衛という名の私のお目付け役でマダム・ベリンダの執事だからその辺優秀でしょう?
「話を聞いていなかったのか?明日からしばらくコールマン伯爵夫人付きのマッサージ師になるんだ」
「はぁ?伯爵夫人付きって、私は紫苑の館のマッサージ師でしょう?」
「専属命令が出たんだ、まだ様子見の感じだがこのままじゃ不味い」
「何が不味いの?」
「完全に取り込まれれば予定が狂う、クソッ」
焦ってるユリシーズの顔がおかしくなってきた。
「クソとか言っちゃ駄目なんだぁ」
私はなんだかふわふわした気持ちのままケラケラと笑った。それを見たユリシーズは舌打ちして口を閉ざした。まだ難しい顔をしているから問題が解決したようでは無さそうだが私には関係ないと思う。心臓がドキドキして少し胃が痛いが窓の外を見ていればこれもきっと直ぐに収まるだろう。耳鳴りが止まないなぁ……
馬車が紫苑の館に到着するとユリシーズが私を直ぐにマダムの部屋へ行くよう急かした。まだベッドも下ろしていないのにせっかちな奴だよ。
館は夕暮れ時になり厨房が忙しそうにしていて娼婦達が騒がしく食事を取っている声が聞こえる。細々と動き回る掃除婦の三婆達を見つけて手を振ると三人で顔を寄せヒソヒソと話した。
「ユリシーズが変だね」
「なんかやらかしたか」
「アメリの顔がボケてるからただ事じゃないようだね」
ヒソヒソ言っている風だけど全部聞こえてるよ。
「私の顔が変とか酷くない?」
ヘラっと笑ってそう抗議するとルーが呆れたように首をふる。
「駄目だね、壊れてる」
更に酷く言われてまた言い返そうとしているとユリシーズに手を引っ張られた。
「いいから早く来い!!」
「ちょっと、痛いって!あ、また後で手伝いに来ますから〜」
サボっていると思われて三婆の機嫌を損ねちゃいけないからと笑顔で手を振ったが三人共私を哀れな子羊のように見送った。わたし大丈夫なの?
ぐんぐん引っ張り私を連行するユリシーズがマダムの部屋のドアをノックし返事も待たずに入った。
「とにかく正確に説明して」
ユリシーズがマダムに呼ばれ、やっと私の手を離し解放された。
「もう〜痛かったよ」
痛む手をさすっていると肩を抱えられソファへ座らせられた。
「大丈夫か?」
「リーバイ様!?まだここに?」
今朝会ったばかりのリーバイ様がまたマダムの部屋に居たので驚いた。
「いやまた来たんだ。ちょっと予想外の展開のようだな」
「また来たんですか?あぁ、シャーリーさんに予約してるんですね。ちょっと早すぎますよ。まだ営業前ですよ、待ちきれない子供じゃないんですから、アハハハ!」
「おい、ベリンダ、アメリが壊れたぞ」
リーバイ様の慌てようが更に可笑しくて笑いが止まらない私をマダム・ベリンダが一喝した。
「しっかりなさい!高額受注確定なの!借金返済のチャンスなのよ!」
「ハハッ……借金返済!?高額受注!?」
急にぼんやりした頭に札束が舞い散る映像が浮かぶ。
「本当ですか?」
「銭ゲバかよ」
リーバイ様が正気を取り戻した私を見て呆れてるがなんとでも言ってくれ、今の私にはお金が必要だ。
やっと我にかえりユリシーズがマダムに説明しているのをリーバイ様と一緒に聞いていた。もちろん私はその場にいたんだから内容はわかっているはずだったが理解が追いついていなかった。
「要するに今月は朝から夜まで一日中コールマン伯爵家でマッサージしまくるって事ですか?」
今月はあと二週間あるが毎日十人、一人三十分なら十万ゴルだがら一日に百万ゴル、それが十四日間だから全部で千四百万ゴル!その三分の二で……
「九百二十万ゴル!!やる!やります!」
勢い良く手を上げたがリーバイ様めっちゃ睨まれた。
「そう簡単な話じゃない。このままじゃコールマン伯爵夫人に取り込まれて一生使われるぞ」
「それって一生お金が入って来るってことでしょう?」
儲かって何がいけないの?
「恐らく伯爵夫人は自分の良いようにマッサージを利用しようとしているのよ。マッサージを受けるならコールマン伯爵家を通さなくてはいけないとか、自分達と何らかの取引をするならマッサージが受けれるとか」
「それの何がいけないんですか?予約を入れたのは伯爵夫人だから人が来ても来なくても支払いはしてくれるんですよね?」
私の言葉にマダムが呆れたようにため息をついた。




