28 借金89,186,000ゴル
私が乗り込むと馬車は直ぐに出発した。勿論ユリシーズは既にいて目の前に座り標準装備の冷たい眼差しを向けてくる。
「これから向かうお屋敷はジョンソン子爵のご親戚にあたるコールマン伯爵家だ」
「伯爵!?」
子爵家から口コミを期待していたとはいえこんなに早くいきなりの伯爵に心臓が跳ね上がる。とはいえこうなれば子爵も伯爵も同じだろう。高額報酬ドンと来い!
本当にドンと来たよ……
昨日伺ったジョンソン子爵邸は貴族街でも比較的小さいお屋敷が並ぶ言わば端っこに位置していたが、今回はまさにドドンと中心街。
ザ・貴族邸という感じの立派な正門から本館まで走っても数分というレベルの絢爛豪華なお屋敷の裏門をくぐった。
いや裏門と言ったって子爵邸の正門より立派だし勿論強そうな門番もいる。馬車の中から見えただけだが護衛騎士団もいるようで貴族ランクの奥深さを垣間見た気がする。誰だ、子爵も伯爵も同じだなんて言ったやつ。
馬車は静かに停車しユリシーズに続いて馬車から下りる。何も知らなければ出迎えてくれた下っ端従僕に「立派な玄関ですね」なんて言ってしまいそうなほど艶のあるドアをくぐり、マッサージベッドをコロコロと転がしながらユリシーズの後ろをついて歩く。
前を行く若い従僕は時々気遣うように振り向いているが実はマッサージベッドが気になっている事がわかるし、同時に私をチラチラと見てくるのもわかっている。私のねずみ色のワンピースが禁欲に効果覿面なことはジョンソン子爵邸でハッキリ、グッサリわかっている。
子爵から話を聞いているはずの伯爵はおわかりだろうが、下っ端従僕までは伝わっていない様でまた新手の性サービスと思われているのかも知れない。
伯爵邸は広すぎてもはやここが屋敷内でどんな場所に位置しているのかよくわからないドアにやっとついた。
「失礼致します。例の者を連れて参りました」
従僕の雑い呼び方にやっぱり何かのいかがわしさを感じていることがわかる。
「通してちょうだい」
中から威厳のある女性の声がし、今回は初めから夫人が同席していることがわかった。視線を下げたまま部屋に入ると直ぐにマッサージベッドを脇に置き礼を取った。チラッと盗み見たがどうやら伯爵はここには居なくて夫人だけのようだった。
「お前がマッサージとやらを行う者なのね、わたくしはサヴァンナ・コールマン伯爵夫人です。早速だけど顔のたるみが無くなるというのは本当なの?嘘だったら承知しないわよ」
いきなりズバッと間違いを指摘しても死なないかな?
私は視線を下げたまま思い切って口を開いた。
「コールマン伯爵夫人、発言をお許し願います。私はマッサージという施術を行うアメリと申します。マッサージには様々な効果が期待できますがお顔のたるみが無くなる事はございません。ですが改善される事があります」
「改善?無くならないってこと?」
ピリッとした空気が部屋に漂いゴクリとツバを飲んだ。
「無くなる事はありません」
「ジョンソン子爵夫人が嘘を言ったというの?」
「どのようにお伝えされたかは私にはわかりかねます。ですがマッサージの説明書にはハッキリと明記しておりますし、それは子爵夫人にもお渡しして説明しております」
正確な情報を伝えてくれなくちゃこっちは命が危ないよ。
コールマン伯爵夫人は説明書を手にしたのかペラっと紙が捲れる音がした。静かな時間が流れ息苦しくなってくる。
「なるほど、本当ね。全くマーガレットには困ったものね、あれ程情報は正確にと言っているのに」
どうやら子爵夫人が早合点なのはいつもの事のようで、伯爵夫人は説明書と私を信用したようだ。
「まぁいいわ、とにかく随分気持ちがいいと言っていたからやってもらうわ」
ほっと息を吐くと失礼致しますと顔をあげ準備に取り掛かった。夫人に作務衣風ガウンを渡そうとして初めてまともに顔をチラリと見た。
見た目はちょっとぽっちゃり、四十代くらいでかなり高価そうなドレスを身に着け手には重そうなドデカイ石がついた指輪、重そうなネックレスをつけ髪を高く結っている。
大金持ち貴族ここに見参!って感じで凄い迫力だが身につけている宝飾品も外して髪も解いてもらうように告げると側仕えを連れて隣の部屋で仕度して頂く。その間にマッサージベッドの用意を済ませて私も着ている服のスカート部分を外して夫人を待っていた。
「なんだか野暮ったいガウンね」
仕度を終えた伯爵夫人が不満気にやって来た。髪をおろし装飾品をはずし作務衣風ガウンを着た夫人は少しぽっちゃり体型も手伝いかなりの勢いでお似合いだったが勿論口にも表情にも出さない。
「恐れ入ります。ゆったりとした着心地で脱ぎ着がしやすく多少体勢を変えても乱れ難い服装をと思いこのようになりました」
私も同じ様な服装でねずみ色だがお客様用は真っ白で清潔感はあると思うのだが改良が必要か。
「あなたがデザインしたの?通りで……ふっ」
あからさまに私を上から下まで一瞥し鼻で笑う。ムカつくけど笑顔を絶やさずベッドへ誘導する。
「恐れ入りますが、こちらの穴へ顔を合わせてうつ伏せでお願い致します」
「なるほど、これが話に聞いた変なベッドね」
どうやら子爵夫人はそこの所は正確に伝えてくれていたらしく抵抗無く伯爵夫人はうつ伏せになった。
失礼致しますとベッドに上がり伯爵夫人を跨ぐと側仕え達がざわついた。だけど伯爵夫人はそれも聞いていたらしく何も言わずにじっとしていたので、肩から背中、腰と順に探るように軽く押していく。顔のたるみ軽減が一番の目的として呼ばれたのだろうが体の状態はなかなか悪かった。
貴族女性の職業病のようなものと言える首のはりと体の冷え、見た目より体重はない感じだが浮腫が酷い。
早速首から肩、背中と解していき浮腫んだ足を揉む。
「失礼ですが夫人は一日にどれほどの水分を取ってらっしゃいますか?」
「あぁ、足が浮腫んでいるっていうのね。出来るだけ減らしているけど変わらないわね」
うわ、困ったな真逆の処置だよ。
「夫人、失礼ですが浮腫が酷いのは恐らく水分が足りていないせいかと思われます」
「浮腫んでいるのに水分を取れというの?」
「はい、ご健康でいらっしゃるなら水分制限はいけません。そうですね、あの水差しに二杯は必ず取って頂かないといけませんね」
部屋の隅に置いてあるを指していうと側仕えが驚いた顔していた。
「二杯?そんなに飲んだら……」
「はい、お小水が近く感じるかもしれませんが一日に七回は行って頂かなくてはいけません。体の中の悪い物を外へ出す事が重要ですから」
前世では私も仕事中にトイレに行くのが面倒で水分を減らしていたから気持ちはわかるけど。
「それで浮腫が無くなるの?」
うつ伏せから仰向けになってもらうと眉間に皺を寄せながら睨まれたが少し目がとろんとしている。足を揉んだせいで体がポカポカしてきているんだろう。
「改善されるはずです。塩分の取り過ぎも注意なさってください」
軽く股関節のストレッチをし、腕を揉み首から頭に移る頃には何も話さなくなった。
ふっ、チョロいわ。
「はい、お時間です」
大きくため息をつくと伯爵夫人がゆっくりと体を起こす。それを助けながら側仕えに頼んで水を飲むように促した。
「マッサージ後は軽く運動をしたくらいの怠さを感じると思います。水分を取りゆったりとお過ごし下さい」
さっきまでと違い言われるままに黙ってグラスの水を飲みほしベッドから下りると私をじっと見た。何か気に入らなかったのだろうか?
「待ってなさい」
夫人は側仕えを連れて隣室へ着替えに行った。
お咎めを受けるわけでは無さそうだったので私も帰るために片付けをし、ベッドをたたむと静かに待つことにした。
着替えるだけにしては時間がかかっているなと思っていると隣室ではなく部屋の入口から着替えを終えた伯爵夫人がいきなり入って来てちょっと驚いた。向こうのドアから出てどこかへ行っていたようで、側仕えの他にも執事らしき人を伴っていた。




