25 借金89,543,000ゴル
どこからどう見てもブチ切れた御婦人がわなわなと震えながらそこに立っていた。
身なりからしてもジョンソン子爵の表情から見ても子爵夫人のようだが、ここから波乱が巻き起こる予感しかしない。
私はシュタッと素早くベッドから下りるとマッサージベッドとドア付近の子爵夫人との中間地点に立つユリシーズの後ろに隠れた。
「おい……」
ユリシーズは一瞬戸惑ったが、かと言って私を前に押し出すわけにもいかずに盾となって立っていた。
「あなた……」
子爵夫人が大変低い声で夫を呼んだ。紫苑の館ナンバーツーのジュリアンの地声顔負けの低音ヴォイス。
「マーガレット、これは……誤解なのだ。少し冷静になってくれないか?」
ベッドから飛び起き夫人の前に向かう哀れな子爵。大体の予測はつくが私がお二人に間に入って説明することは身分的に出来ないししたくない。それにちょっと面白そうだからこのまま状況を見守りたい。
「夫人、大変恐れ入りますがこれは……」
「お黙りなさい、ルッツ。ルドルフに隠れてコソコソと動き回るなんて、今すぐここから出て行きなさいっ!」
勇者執事見習いルッツがなんとか取りなそうとしたがバッサリ魔王子爵夫人に切られ早々に退場。流れ的にルドルフっていうのはここの家令だろう。
ルドルフは夫人の味方のようで家令を通せば必ず夫人へ報告が行く事を避けようと見習いルッツを引き込んでの今回の騒動。いや、騒動って言ったってただのマッサージなんだけど、うら若き女性である私を密かに奥まった部屋へ連れ込んだとなれば怪しまれても仕方無い状況、どうするカール・ジョンソン子爵!!
子爵が夫人の前で土下座でもしそうな勢いで言い訳を始めた。
「マーガレット、落ち着きなさい。私には何も疚しいことなどない!これはお前が余計な心配をしないか気遣ってだね……」
「だったらどうしてこんな普段使用しない部屋などお使いになっていらっしゃるのかしら?しかもこんなみすぼらしい冴えないチンクシャな小娘、いかがわしい!」
おふっ、作戦通りだけど刺さるわぁ。
「何を言う!私がこんな色気のない、薄っぺらい女と事に及ぶわけなかろう!」
ガハッ……早く止めなくちゃこっちが傷だらけになりそう。
私は痛む胸を押えながらそっとユリシーズの後ろから顔を出した。
「恐れ入ります閣下!宜しければ奥様から先にマッサージ致しましょうか?」
あぁ?って厳つい声が聞こえそうなほど恐ろしい形相の夫人が私に視線を向けたのでまたユリシーズの後ろに隠れた。
「おい、ちゃんと説明して差し上げろ」
流石のユリシーズも夫人の勢いにたじろいだのかちょっと焦っている。私はまともに夫人を見ては怖すぎるので、ユリシーズの後ろに隠れたまま説明を始めた。
「私はマッサージという施術を子爵へ行うためにここに来ました。これは決して疚しい行為ではありません。医術師の資格をお持ちのロードリック・ウェスト様も効果を保証して頂いているもので、体を揉むことによって首や腰の痛みを軽減する効果がありますが、御婦人であれば頭をほぐせば顔のたるみが軽減されるという効果もみられます!」
勢いに任せひと息に話した。特に顔のたるみ軽減というパワーワードはかなり夫人に刺さるはず、お願い刺さって!!
「ロードリック・ウェスト様、あの方のオススメなんですの?しかもたるみ軽減……あなた!どういうことですの?」
当〜た〜り〜!!
私の放った矢は見事に夫人に的中したらしく今度は違う勢いで子爵に詰め寄っている。
私は恐る恐るユリシーズの後ろから出るとお二人の傍へ向った。
「だからだね、聞いたこともないマッサージというものをいきなりお前に受けさせてもしものことがあってはいけないからね、私が試して安全だと確信してから話そうと思ったんだよ」
「まぁ、本当ですの?」
おぉ、上手いことまとめてるな、よしよし。
お二人の仲直りの邪魔はしたくないが始めない事には終わらない。
コホンッ、と咳払いをするとジョンソン子爵はやっと私の存在を思い出した。
「ではどうするね?先ずは安全を確認するためにも私が……」
「いいえっ!わたくしが先に検証しなければいけませんわ。あなたはこの子爵家の当主ですもの。もしものことがあってはいけません」
なるほど、夫人は『待て』が出来ない子なのね。
私はキラキラした目で見てくる夫人に作務衣風ガウンを渡すと着替えて頂きベッドの穴に顔をはめるように説明し、やっとの事でマッサージを始めることが出来た。
夫人は日頃の運動不足からか大変体が硬く血行も悪そう。痛くないようにゆっくりと肩、背中、腰へとほぐしていき、仰向けになってもらって頭を揉みだす頃には完全にリラックス状態だった。
「はい、お時間です」
丁度一時間経ち声をかけたが大きくため息をついたまま起き上がろうとしない。
わかるよ、マッサージの直後って動きたくないよね〜。
なかなか起き上がらない夫人にどうしたものかと子爵へ目を向けるが無表情で手助けしてくれる様子はない。何か言って夫人の機嫌を損ねたくないのだろう。
起きてくださぁい!と催促していいものか悩んでいるとユリシーズと目があったがそらされた。ここで助手としての力を発揮しろよ!
今日の予約は子爵だけだがこのままでは時間ばかりが過ぎていく。
私は仕方無く子爵へ向き直ると小声で告げる。
「閣下、恐れ入ります。マッサージは時間制でして、このままですと延長ということに……」
金が絡むと子爵は途端に動き出した。
「マーガレット、具合はどうだい?そろそろ交代しようじゃないか?」
夫人は子爵からの呼びかけにまたため息をついて緩慢な動きで起き上がった。
「もう少し寝かせて置いて欲しかったわ……気持ち良くて……」
はい!頂きました。初めての派遣マッサージの成功の兆しが見えてきましたよ!
夫人の言葉に子爵もあれ程嫌がっていたマッサージベッドにいそいそ乗り込み顔を穴にはめた。
直ぐにマッサージを開始し、首や肩をほぐし背中へいったあたりでもう腰の張りが半端無かった。
勿論肩も凝っていたが、肩甲骨まわりからして指が入らず背骨に沿って両サイドから少しずつ上下に移動しながら押したり擦ったりしていく。
あまりの張り具合に子爵が痛みを感じたのか少し身動ぎしたため更に力を緩め、夫人に了解を得てお尻もぐりぐり解していった。太腿も脹脛も順に解していき、仰向けになった後も股関節のストレッチとお腹のあたりも揉みほぐし、やっと頭を解し始めると子爵もリラックスし始めた。
なかなかの強敵だった子爵のマッサージが終了した。
「はい、時間です」
両手のダルさを感じながら告げると子爵はゆっくりと起き上がった。
黙ったまま両手で顔を覆いながら深呼吸するとポツリと尋ねてきた。
「どれくらいの頻度で受ければ良いかな?」
はぁぁい!リピート決定ですね?
「ご満足頂けたようでこの上ない喜びです。マッサージは閣下の場合は七日程の間隔で何度か受けて頂けると解れていく実感が伴うと思います。その後は一月に一度位で良いかと」
夫人にも最初は同じ頻度で受けると効果的だと話すときっちり七日後に二人分の予約を頂いた。
今日は少しダルさを感じるであろう事、水分をよく取ることなど注意事項を書いた書類を渡し、念の為口頭でも説明し、子爵邸を後にした。
「はぁ〜〜〜〜、疲れたぁ」
馬車の中のシートにぐったりともたれ掛かり全身の力を抜いた。
「だらしない態度を取るな」
ユリシーズがきっちりと背筋を伸ばして座り本日初の派遣マッサージの報告書を書きながら注意してくる。
アンタはいいわよ、ただ立ってるだけだったんだから。
なんて言葉は口にしないけど流石に見苦しいかとゆっくりと座り直した。
「まぁ、良くやった」
ええ!?ユリシーズから褒められるとは……
なかなか良いやつじゃ無いかと思った。




