24 借金89,543,000ゴル
来ました、来ちゃいました、本番当日。いや出発地点が娼館なだけに本番って言い方は語弊があるか。
いよいよ、貴族様へ派遣マッサージをする朝が来ました。
私は一見普通の灰色の地味なワンピースにフード付きマントを着てコロコロとマッサージベッドを押しながら馬車が待つ裏門へ向かっていた。
早朝からマダムに呼び出され身なりのチェックに振る舞いの指導。余計なことは口にしない、何を見ても動揺せず口外しない、その手のお誘いは穏便にお断りするか必死に逃げて後は運に任せる。もしくは覚悟を決めて従うか……はぁ。
とにかく、ベッドを積み込んでもらい馬車へ乗り込んだ。
「宜しくお願い致します」
向かいには助手兼護衛兼御目付役のユリシーズが鋭い切っ先の様な視線で私を見ていて大変不快だがこれが地顔だと思う事にした。
「しくじるなよ」
「マダムの顔に泥を塗るような事はいたしません」
そう言うと少しだけ鋭さが鈍った気がする。マダムってワードに過敏に反応するのはもうわかっている。
紫苑の館の門をくぐり久方ぶりに建物の外へ出た。
借金の形に連れて来られた時は頭の中はドナドナ鳴っていたが今は貴族様に相対する緊張のせいか耳鳴りしかしない。
窓からの景色は見慣れた下町ではなく貴族街の外れの静かな道。行き交う人はまばらで徒歩で移動しているのは平民ばかり。貴族様は安全の為に何処へ行くにも馬車で向かうからだ。
馬車は高級レストランや有名ドレスメーカーが並ぶ比較的賑やかな通りを過ぎた所のとある屋敷へ入って行った。
この辺りは貴族街の中では小さめのお屋敷があるところで、男爵、子爵クラスの爵位持ち貴族が王都での住まいを構えている。
小さいと言ったって平民の私からすれば十分大きなお屋敷で、玄関を通り過ぎ裏へ回って見上げたお屋敷の壁だって立派なもんだ。
「時間通りですね。こちらへどうぞ」
馬車から下りると一人の黒服が出迎えてくれ、荷物として馬車の後ろに積んであったマッサージベッドも丁寧に下ろしてくれた。
「ありがとうございます、あの……」
丁寧な応対ではあるが挨拶もなく、恐らく年齢からみて執事見習いって感じの黒服は余計な口はきかず建物のドアをあけるとスタスタと歩いて行く。
「早くしろ!」
小声でユリシーズに急かされあたふたした気持ちを悟られないように澄ました顔を作りつつベッドを転がし屋敷へ入って行った。
これじゃどっちが助手かわからないよ。
一番大きな荷物のベッドは私が運び、他のタオルとかオイルとかが入った軽めの鞄をユリシーズが運んで前を歩く。召使い専用の階段を使い二階へ上がると執事見習いは廊下に誰もいないことを確認しつつ私達を奥まった部屋へ連れて行った。
部屋の中は綺羅びやかではないものの清潔なこじんまりした感じで、カーテンの開かれた窓は大きく育った木が邪魔をして多少暗いが問題ない。
「しばらくお待ち下さい」
執事見習いが素っ気なく出て行くと部屋の中はユリシーズと二人きりになってしまった。ユリシーズは何も言わないまま部屋中を観察し、恐らく浴室へ続いているであろうドアを開け中を確認していた。
私も早速マッサージベッドを設置して自らもワンピースとして来ていた服のスカート部分を取り外すと下に着ていたズボンがあらわれ、いつもの作務衣姿の地味な灰色B級女になった。これは決して卑屈になっているのでは無く、身を守るためだ。
準備が整いドキドキとしながら待っているとノックが聞こえ執事見習いによってドアが開かれると、細身の目つきの悪い紳士が入って来た。
「カール・ジョンソン子爵閣下です」
執事見習いがジョンソン子爵の名を告げ、私とユリシーズは並んで礼をとった。鼻筋が息子のトマスと似ている。
「お前達がマッサージとかいう方法で腰の痛みを治す者か?」
貴族様特有の上から目線は当たり前だが、誰が吹き込んだのかイキナリ間違った情報が伝わっているようで早速頭が痛い。
「恐れ入ります、発言をお許し願えますでしょうか?」
頭を下げたまま視線は上げずにじっと待つ。
「……構わん、言ってみろ」
ジョンソン子爵は勿体ぶった後許しをだした。
「ありがとうございます。先ほどのお話でございますが、私共は痛みの軽減を目的としてマッサージを行っており根本的に治す事は出来ません」
「なに?ルッツ、話が違うのでは無いか?」
執事見習いに確かめているようだ。
「いいえ、旦那様。ウェスト様は腰痛の軽減と仰っておりました。何度か行えばかなり効果があるであろうと」
話しながら執事見習いは懐から手紙の様なものを出しジョンソン子爵に見せているようだ。
「なるほど、まぁそれでも構わない。兎に角なんとかしてくれ」
よほど腰痛に悩まされているらしく、ジョンソン子爵が急かして来たので早速作務衣風ガウンを渡して着替えるように言った。
きっちりとしたスーツを身につけていた子爵は少し戸惑ったようだがユリシーズが誘導し浴室で着替えを手伝って連れてきてくれた。なかなか使える。
「では閣下、このベッドの上にうつ伏せになって頂いて、ここへ顔をはめて下さい」
「なに!?何故そんな馬鹿げた事をせねばならんのだ!」
苛ついた感じで私を睨みつけるジョンソン子爵。
初めて見る物が全く理解できずに受け入れられない面倒なタイプのようだ。
「このベッドはマッサージをすることを目的として『女神の微笑み』のマイルズに特別に注文して製作したものです。この穴に顔を合わせる事でうつ伏せでも首や腰への負担を減らしながら施術を行う事が出来ます」
『女神の微笑み』は貴族間でも名の知れた店だ。そこの特注だと言えば多少なりとも箔がつくはず。
ジョンソン子爵は思案した後、ゆっくりとベッドに上がった。
「こんな所に顔をはめるのか……」
嫌そうに顔を歪めてなかなか進まない。
もう……
「ここだけの話ですが、とある伯爵にもご贔屓頂いております」
「伯爵!?」
自分より上の身分の人が既にマッサージを受けてしかも贔屓にしていると聞けば、こんな面倒な人でも……はい、やっと始められますね。ハント伯爵が役にたった事は内緒だな。
「ありがとうございます、では始めさせて頂きます。失礼いたします」
子爵がやっとうつ伏せになった所でベッドに上がると跨いだ。
「なっ!何をする!」
いきなり起き上がり怒鳴る子爵に驚いて、私は足を滑らすとバランスを崩した。
落ちる!
背中から床に激突か!?……と、思っていたらガッシリと受け止められた。
「ユリシーズさん!」
「しっかりしろ!全く」
やだちゃんと私の事を守ってくれるなんて、これまでの冷たい態度は誤解だったのね。感動……好きになっ……
「失敗したらマダムに迷惑がかかることになるんだぞ」
……るわけないか。こういう奴だよ、わかってるもんね。
「すみません、ありがとうございます」
こそっとやり取りし、なんとか立ち上がると改めて子爵に説明をする。
「マッサージのやり方は前もって書類でお渡ししていたと思うのですが?」
チラリと執事見習いの方を見ると微かに頷きながら再び懐から先ほどの書類を取り出し、怒り心頭気味のジョンソン子爵へ差し出した。
「こんな書類にいちいち目を通す訳がないであろう!」
ムカつくなぁ、誤解を生まない為にこっちはわざわざ図解付きで説明してやってんだよ!だからアンタの執事見習いもさっきから私のすることに驚か無いんだよ!!
っと、いう気持ちはゴックンと飲み込んで。
「閣下、申し訳ございませんでした。こちらの説明不足でございます。では改めて口頭でご説明申し上げたほうが宜しいでしょうか?」
営業スマイルを張り付けお伺いを立てる。
「もういい、私も暇では無いのだ!直ぐに始めろ」
恥を恥とも思わないジョンソン子爵がやっとベッドに大人しくうつ伏せになり、私もやっとベッドに再びあがると子爵を跨いだ。
ここまで来るのが長かったよ……
ゆっくりと子爵の肩に手をかけ軽く押し始めると急にドアが勢いよくバンっと開かれた。
まだ何かあるの?




