22 借金89,623,000ゴル
モージズ翁をお見送りしマッサージ室の片付けをした後、前室で勧誘をしたが客は見つからず、スイートでの予約も無かったためマッサージは店じまいとなった。
最近マダムのマッサージは三日に一度のペースなっていて、今日は三日目だったので執務室へ向かう事にした。
マッサージベッドを折りたたみコロコロと転がして階段の前まで行き、それを持ち上げてゆっくりと上る。落として壊せば借金が返せなくなると思うと自然と移動は慎重になる。無事にマダムの部屋の前まで行きノックするといきなりドアが開かれ驚いた。
「遅いぞ!」
マダムの執事ユリシーズが睨んでくるのはいつもの事だ。
「……申し訳ございません」
別に遅れていない私は全然悪くないけどね。
部屋に入ると先程前室で見かけたロードリック・ウェスト様がマダム・ベリンダと向かい合って座っていた。
「やぁ、さっき会ったね」
「先程は失礼致しました」
私を見ると笑顔を見せて親しげに話しかけてくれた。貴賤問わず患者を受け入れていた父親を持つだけあって平民にも優しいのは確認済みです。
「あら、話が早いわね。このロードリック様は医師の資格を持っていらっしゃるから、アメリのマッサージを医学的にも有効だって検証してもらおうと思って来ていただいたのよ」
どうやら貴族様をお客とする足掛かりの為に呼んだらしい。
ウェスト様は確か城勤めだとモージズ翁から聞いた。勿論、城勤めならば多くの貴族と接する機会が多いだろうからマッサージにはどのような効果があるかを医師としての知識を持つウェスト様から説明をしてもらえれば宣伝効果抜群だ。
「アメリと申します。宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しく。マダムによると君のマッサージという施術は固まった筋肉をほぐして痛みを和らげるらしいじゃないか。この施術を安全な物だという事を検証してくれと頼まれた。そこですまないが一度私にも試してくれないか?」
「勿論です。マダム・ベリンダ、隣のお部屋をお借りしても良いでしょうか?」
前にマイルズをマッサージした部屋だが最近はマダムのマッサージの為に使っている。
「ユリシーズに用意させてあるから直に使えるわ」
マダムもそのつもりだったようで許可がおり、持って来たマッサージベッドをコロコロ転がし隣の部屋へ向かった。
ベッドを設置している間もウェスト様は様子を窺っているようで視線を感じる。先程までの優しそうな微笑みと打って変わって真剣な眼差しも素敵ですね。なんて思いながら準備を整え終わり既に着替えてもらっていたウェスト様をベッドに上がるように案内した。
「ここに顔を?」
不思議そうにベッドに開けられた穴を見ている。
「はい、先程モージズ様も使っておりました」
そう話すとモージズ翁が娼館に何をしに来たか納得したようだ。
「そういう事だったのか」
やっとうつ伏せになったウェスト様に失礼致しますねと跨った。うつ伏せながらその気配を感じちょっと驚いている。
「気を楽になさってくださいね」
いつも初心者の方に言うセリフを言ってから肩、背中、腰と軽く押していく。ウェスト様は文官タイプかと思っていたが着痩せする方らしくわりとしっかりとした筋肉質な体をしている。キチンと鍛えているのだろう。それでもやはり首や肩が少し張っている。
「お仕事は座ってなさる時間が長いですか?」
「そうだね、基本的には机に向かっていることが多い。時々見回りをするために移動は馬車でなく馬に乗っているよ、運動不足は感じている」
流石に医師だけあって体を動かす重要さはわかっている。
「他の運動もされていますか?」
「あぁ、休みの日なんかに剣術の訓練もしているよ」
やっぱりそうか、いい筋肉してるもんねぇ〜。
首は少し念入りに緩め、肩甲骨まわりを揉んでいき背中は軽くほぐすように、腰を背骨沿いに解して足と頭をじっくりと揉んでひと通り終えた。
「はい、良いですよ、起きてください」
「いやぁ……予想を上回るね」
頂きました!
「ゆっくりと起き上がって下さいね。お水をお持ちします」
夢から覚めたようなウェスト様にグラスを渡すと目を瞬かせながら、ほぅ……と息を吐く。優男のため息……いいねぇ。
ベッドはそのまま置いておき、ウェスト様が着替えると直にマダムの所へ行った。部屋に入ると机に向かっていたマダムが顔を上げニヤリと笑む。
「ご満足頂けたようね」
少しぼんやりしたウェスト様に嬉しそうにソファに座るように促す。
「いや、モージズがアメリを指名していたから何かあるのかと思っていたが。流石に街の長老達は情報が早いね」
ジョバンニからの紹介で始まった御隠居クラブの方々は、既に半数が来て頂いているらしく今やお得意様御一行となりつつある。リピーターもチラホラいて今後はそのご家族も取り込めれば商売繁盛間違い無し!
「イーデン様から訪問マッサージをして欲しいと言われました。奥様に受けて頂きたいと仰って」
マダムに早速話を振ると少し背筋がゾッとするような笑顔を見せた。
あれ?何かやらかした……
「そうね、そう出来れば良いけどこういう事は上から始めないと」
しまった、先ずは貴族様から発信していかなくてはいけないと言われていたっけ。
紫苑の館に来る客は富裕層か貴族だけで、ここへ入れる人は限られている。だけど訪問を始めると所謂下々の平民や木っ端貴族の目に止まり流石のマダムも館以外の場所で貴族に逆らうのが難しくなってくる上に上位貴族だけの特権意識が薄れてしまうし、勿論お値段にも関わる。外部の人間が居るところで話す事じゃなかった。
「申し訳ございません……」
項垂れる私の肩ウェスト様がそっと手をのせる。
「まぁ、私としては貴賤問わずこのマッサージというものを広げていって欲しいというのが本音ですが、決定権はこれを見出したマダムに当分は委ねられるでしょうね」
ウェスト様は商売人の気持ちを汲んでくださる形で、暫くはその効果の事以外の口出しは控えてくださるようだ。もしウェスト様がすぐに平民にも広げるべきだという考えを広めてしまえばディアス侯爵の所へ私をスパイとして送り込むマダムやハント伯爵の企みが泡と消えるだろう。
「ご理解頂きありがとうございます、ロードリック様。このアメリはここにいる以上おわかりと思いますが借金がある身です。この新しい事業を立ち上げて返済に充てると言っていたのに、思慮が浅くて困りますわ」
貴族相手の方が単価が高いに決まっているからそれだけ早く借金が返せるのに、という事情を醸し出しウェスト様の同情を引くようだ。
「そうだったのですか。貴方も大変なのですね」
馬鹿な小娘という印象を持たせる事に成功したのかずぶ濡れのネズミを見るような目で見られていると感じるのは灰色の服のせいだろうか?
「では改めて、ロードリック様のお墨付きということでこのマッサージを広めて行くことで構いませんか?」
マダムが仕切り直し書面を提示した。
「えぇ、私も時々利用しようと思っていますよ」
そう言いながら書面にサインをしていく。後ろから内容を確認するとウェスト様がマッサージの痛みを緩和できるという効果の保証と、その代わりに街の無料診療所に定期的に資金を提供するという事をマダムに約束させるものだった。
自分自身の見返りを求めないなんて本気なの?
「この無料診療所はロードリック様のお父様が開いている所よ」
私の考えを読んだのかマダムが教えてくれた。
「ここは全て父の持ち出しで診療しているからね、こうして援助を取り付けるのが私の利益にも繋がるんだよ」
とはいえ私財を投げ打っているなら僅かな資金提供なんて利益とは言えないだろう。他にも寄付をしてくれる方もいるようだが、定期的に援助を出してくれる相手を探すのは苦労するのだとか。
「お互いの利益にならなければ長い付き合いは期待出来ませんものね」
マダムが妖艶に微笑んだ。




