12 借金89,955,000ゴル
ドルフの全く指が入らない肩甲骨をじっくりと緩めていく。骨に沿うように少しずつ少しずつ、首元もホットタオルを当てながら出来るだけ血行が良くなるように揉みほぐす。腰もかなり張っていて足首も硬い。年なりと言えるのかもしれないが長年積り積もった硬さだろう。
指が痛くなってきたけど、ちょっとは緩んできたかな。
仰向けになってもらった後、ふくらはぎを揉んだり少し股関節のストレッチをして腕や首、最後に頭を揉んで時間となった。
「お疲れ様でした。大丈夫でしょうか?」
ベッドから起き上がるドルフに手を貸し水を渡して状態を確かめる。
「かなり肩も腰もかなりこっているようですので出来ればしばらくは十日に一度くらいは来ていただければ楽になると思います」
ドルフはマイルズの所で働く魔術具の職人だと言っていた。職人の収入がどれほどのものかわからないがきっとこのままじゃ体を動かすのが辛いはずだ。
「そんなに酷いのか……ドルフ、どうだった?気に入ったならまた十日後に来るか?金の事は心配するな、私も一緒に来るから予約して帰ろう」
お金の事が気がかりだったがどうやら支払いはマイルズがするらしく、安心してドルフの顔を見た。結構良い雇い主のようだ。
「私のマッサージはどうでしたか?もし痛かったところとかあるならもう少し力の加減は出来ますが……」
終始無言だったドルフのイイ感じがイマイチ掴めていなかった。
「このベッドじゃ少し低いんじゃないか?」
「は?ベッドですか……」
一瞬何を言っているのかわからなかったがドルフがいきなり自分が作ったマッサージベッドの表面をグングンと両手で押して確かめ始めた。ベッドと私を見比べ自分の服を置いていた籠をゴソゴソ探り巻き尺を取り出すと両方の高さを測り始める。
「ドルフ何してるんだよ。ベッドはこれで完成だ」
マイルズがちょっと焦ったようにドルフを止めようとする。
「幅はもう少し広い方がいいんじゃないか?」
全くこちらを見ずにボソボソと話すドルフ。もしかして私に話しかけているのだろうか?
「えっと、そ、そうですね。もっと体の大きな方を施術する場合はコレでは無理かもしれません」
マイルズは細身だし、ドルフもガタイはいいがもし騎士でも来たり肥満気味な方が来れば私が乗る隙間がないかもしれないし、長さが足りないかもしれない。
「でもあまり広すぎても施術しにくくなるので」
ドルフは黙ったまま頷いた。これまで色々な魔術具を作ってきた経験からそれなりにノウハウがあるのだろう。実際今のベッドも使うのには全く問題はない。
「十日後にまた来る」
ドルフはそう言い残し着替えるとさっさと部屋を出て行った。
「わわわっ、マズイな。ドルフのやつどうする気だ?」
マイルズは焦りながらも着替えてドルフを追いかけて行った。
ふぅ、なんだかよくわからないがまた来ると言っていたので一応ドルフが言っていた十日後にマイルズの名で二人分の予約を入れて置くことにした。マダムに言っておけばどうするかマイルズに聞いてくれるだろう。
スイートの時間まではまだ少しあったので、一旦部屋から出ると厨房へ向かった。この時間はいつもかなり忙しいはずだから手伝ってついでに食事もしておこう。
一旦、服を着替えて厨房を覗くとコック長ライラとモニーがいつものように大忙しで動いていた。
「皿洗いに来ました!」
笑顔で入って行くと二人共少し驚き直ぐに溜まった皿を洗うように言ってきた。
「指名が入ってたんだろう?もう終わったのか?」
この二人にも私がマッサージという仕事を始めたことは話してある。皿洗いをしている横で野菜をトントンとリズムよく刻んでいるモニーが興味深気に尋ねてきた。
「はい、お二人様でした。多分上手くいったと思います」
「じゃあ今日はそっちの仕事は終わりかい?」
「いえ、スイートになったらシャーリーさんの一番客に予約を頂いてます」
「なんだって!?」
野菜を刻んでいた手を止めるとモニーが大きな声を出した。それに驚いたのかライラまでこちらの様子を見てくる。
「どうした?」
「ライラ!アメリがハント伯爵様から予約が入ってるって!」
「「ハント伯爵!?」」
ライラも驚いていたが私も驚いた。貴族なんて聞いてない……いや、聞いてたか。マダムが最初は貴族だけを相手にするって言ってた。マイルズが私の一番客だが平民で商人だったからうっかりしてた。
忘れてたわけじゃないけど実感が無かった。これまでの父親との商売だってほとんど平民相手のものだったし、本当に稀に貴族と絡む取引があっても父さんが相手をしていたから私には関わりがなかったのだ。
「あんたまで驚いてどうすんだい!」
「だって名前も聞いてなかったんだもん。ただシャーリーさんの仕事部屋へ行けって言われた」
段々と怖くなり涙ぐみながらライラにうったえる。
「馬鹿!シャーリーの客は貴族しかいないよ。ちゃんと確認しておかなきゃ駄目じゃないか!仕事舐めてんのかい?」
「うわぁ〜ん、ごめんなさい」
項垂れる私に呆れる二人。
「私に謝ったって何もかわらないわよ。今度からちゃんと下調べくらいしな。貴族と向き合うにはそれなりに覚悟が必要なんだから。ま、今回は事前にわかって運が良かったってことね」
モニーが再び野菜を刻み始めライラも持ち場に戻って行く。二人共これまで何度も貴族に料理を提供してきた経験がある。きっと怖い思いも何度かあったのだろう。
危なかった……どんなお客様を紹介されるかはちゃんと確認するべきだった。マダムやシャーリーさんに丸投げなんて手抜きだと思われても仕方が無い。せっかくの金づる……じゃなくてお二人の好意を台無しにしてしまう所だった。客商売は信頼関係が大事なのに、これじゃ逃げた父親と変わらない。ちゃんとしなきゃ90,000,000ゴルの借金なんて返済出来ない。
なんとか食事を取り、スイートの始まる時間前になって自分の部屋に戻るとマッサージ用の服に着替え深呼吸した。
『応対は過ぎるほど丁寧に、何を言われても反抗しない』と、自分に言い聞かせてシャーリーさんの仕事部屋にマッサージ用のベッドを抱えて向かう。
もし私が何か粗相をすればシャーリーさんにもマダムにも迷惑がかかる。最悪は私の命だけで手をうってもらおう。そんな価値が私にあるのか自信はないが……
二階の廊下を進み高級そうな扉の前で止まった。扉には薔薇を模した形の洒落た真鍮のドアノッカーがついてあり、緊張しつつそれを手にする。
コンッコンッコンッ!と音まで上品そうに響いて聞こえる。
「どうぞ、入って」
シャーリーさんの声が聞こえドキドキとする胸を押さえつつ荷物と一緒に部屋へ入って行った。
「失礼致します、マッサージのご用命をお受け致しましたアメリと申します」
入るなりマッサージベッドを傍らに置いて直ぐに名乗り膝を軽く曲げ両手をお腹の前で揃えて頭を下げて礼を取った。
「いらっしゃい、アメリ。こちらに来てちょうだい」
扉の前で礼を取る私を促す形でシャーリーさんが部屋の中央にある応接セットの方へ連れて行く。いかにも高級そうなソファにゆったりと座る紳士がいてチラリと視線を向けた私と目があった。
あわわっ、ヤバい!
高貴な方と視線を合わせてしまい慌てて顔を伏せた。
「リーバイ様、この娘が例の……」
「あぁ、話はマダム・ベリンダから聞いている。アメリといったか、顔をあげなさい」
「はい」
言われるままに少し顔をあげ、しかし視線は下げたままじっとしていた。一瞬見たハント伯爵は眼光鋭く纏う空気は少しピリついていてまわりの者に緊張感を強いる雰囲気だ。
「ふふっ、緊張しているみたい。大丈夫よ、リーバイ様はお優しい方だから」
シャーリーさんは流石に慣れているのか平気そうで、私の肩に優しく触れながら顔を覗き込んでくる。営業用の化粧を施したシャーリーさんは目が潰れそうなほど輝いており気品漂う美しさで思わず息をのむ。
「シャーリーさん、とっても綺麗ですね……」
緊張のあまりテンパったのか思わず本音が口から溢れてしまい彼女が驚いた顔をした。
「私を褒めてどうするのよ、お客様はリーバイ様よ」
ホラホラと背中を押されリーバイ・ハント伯爵の傍に来てしまった。
「聞いていた年より若く見えるな、そう緊張するな。うまく行けば長い付き合いになるんだからな」
ハント伯爵が気に入ればまた呼んでもらえるってことだろうか。
口の端をあげる貴族の顔をじっと見てしまった。




