傍観令嬢の私が、実は王国を滅ぼす原因であったようです。
ウリィーッス!三作目です。【この物語はフィクションです。人を差別する表現がありますが、他を陥れる意図はありません】
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それはよくある婚約破棄の現場。
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「ステラ侯爵令嬢!私の愛しいロールに対する愚行は許されぬ!!よって、これより婚約破棄を行う!!」
王立魔法学園の卒業パーティーの最中、突如として始まった婚約破棄。始めた張本人はこの国唯一の後継者、シュヴァルツ王太子殿下である。漆黒の髪と瞳はどこまでも光の届かない闇を連想させる…が、本人は至って普通の穏やかな性格をしていた気がする。
「…殿下、発言をお許しください。わたくしの犯した愚行とは何のことでしょう?」
殿下と向かい合っているのは、銀色の髪がとても美しい、殿下の婚約者…ステラ侯爵令嬢だ。以前、魔法解析の研究発表で彼女の成果を見たことがあったが、努力と才能の塊をぶつけられたような素晴らしいものだったことを覚えている。
「ハッ…惚けても無駄だ!私の愛しいロールに嫉妬して、お前は嫌がらせを行っただろう!挙げ句の果てにはロールを階段から落とそうとしたなど、言語道断である!!」
殿下の隣には、桃色の髪が特徴的なロール男爵令嬢が佇んでいた。いかにも大人しい害の無さそうな顔をしているが、本当はかなり我儘で自己中心的な女であることを知っている。私が学園に入学してきた頃、よく庶民の癖に、と揶揄われたことが記憶に残っている。
おっと。そういえば、自己紹介を忘れていました。初めまして、私はナハトといいます。モーント王国の辺境伯領にある騎士の家の一人娘です。
私は貴族では無いのですが、生まれ持った魔法の才と成績を認められ、貴族が通うこの王立魔法学園に特待生として入学しました。卒業後は実家に戻り、魔法具を作って行く予定です。
まあ、今日卒業したので明日にはここを発ちますが…最後の思い出作りであるこのパーティー、何故こんなことになっているのやら…
「殿下、嫉妬というのは…」
「黙れ!他にも、侯爵家の裏帳簿は押さえてある!!横領、人身売買、加えて嫉妬の果ての殺人未遂!!断じて許されぬ!」
ステラ様の発言を遮るシュヴァルツ王太子殿下。なんだか凄いことになっている。殿下、昔はこんな人では無かった筈なのにな…
「侯爵と侯爵夫人は既に捕らえてある!貴様は見せしめの為に隣国へと追放する!!そこの取り巻きも同罪だ!!!」
殿下が周辺の貴族達を指差す。会場にどよめきが広がる。指された貴族はどれも有能な人ばかりだ。殿下は見る目が無いのかもしれない。しかも、隣国へ追放と言うけれど、この国に隣国の関係者が来てたら国際問題に発展しないのか…?
あれよあれよと言ううちにステラ様に加え有力貴族が会場から連れ出されていった。私の数少ない友人も近衛兵に囲まれ、連れ去られて行った。「大丈夫だから」と言ってはいたが、震えていたように見えた。
どうにかしたいと思ったが、私は庶民だ。いくら成績が良いからと言って、友人を助けるために貴族…ましてや王族に楯突くことは許されない。
私は私一人だけの命じゃない。私の行いは学園に推薦して下さった辺境伯様や、親の名誉に繋がる。それに……。
私は連れ出されていった人達の顔を思い浮かべていたが、ブンブンと頭を振った。
その行動がおかしかったのだろうか、
一瞬…殿下と目が合った、気がした。
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パーティーもお開きとなり、数時間後。
何故か私は、学園に隣接する王城の中を走りぬけていた。正確には、シュヴァルツ殿下に抱えられてはいるが。
こうなる少し前、学園の寮に突然訪れた殿下は私に向かって「すこし付いてきて欲しい」とだけ言うと、そのまま私を抱え上げて走り出したのだ。拒否権すら無かった。
王城の中は閑散としており、殿下が私を抱えて走っていようが、それを気にする人すら存在しなかった。
やがてある一室に入り、殿下は私を降ろした後に部屋の鍵を閉めた。そして一息ついた後、
「初めまして、ナハト嬢。私はモーント王国王太子のシュヴァルツだ。単刀直入に言おう。この国はこれから隣国に吸収されるので、私と一緒に亡命してほしい」とだけ言い、じっと私を見つめてきた。
…殿下の言葉でいろいろと気になる部分はあるが、拒否権はまたまた無さそうだ。なぜ初対面であるはずの私なのか、ロール男爵令嬢はどこに行ったのか、なぜ鍵を閉めたのか、なぜこの国は今から消えるのか……。
…全て飲み込んで、私は「分かりました」とだけ答えた。
殿下は安心したかのように微笑み、部屋の暖炉の裏に隠された扉を露にした。…ああ、鍵を閉めたのは開ける必要がないからなのか。
謂わゆる隠し通路、と言うものなのだろう。扉を開け中へ入ると、暗く狭い細長い道が続いていた。殿下は暖炉を元の位置へと戻した後、扉を閉めて鍵をかけた。裏からも動かせるようになっている暖炉は、もしかしたらここだけにしか無い物なのかもしれない。
カンテラを持った殿下がもう片方の手を差し出す。手を繋ぐのはかなり憚られたが、殿下は「暗い道で危ないから」と私の手をそっと握った。
暗い道を二人で歩き続ける。途中、分かれ道がいくつもあったが殿下は止まることなく歩き続けた。王城の隠し通路を私が通っても良いのかと聞くと、「勿論だとも。私達にはその権利があるからね」と返ってきた。
この先、何が待っているかは分からない。今現在でも分からないことだらけなのに。
ただ、それでも。「初恋」の人と一緒ならこれからも大丈夫だと思えてしまうのは、私がまだ夢でも見ているからなのだろうか。
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僕が「初恋」に出逢ったのはもう十年以上も前の事だ。幼い頃、僕は生まれつき多い魔力が原因でよく魔力暴走を起こしていた。
魔力暴走と言っても、僕のそれは表に出るタイプのものでは無かった。熱を出し、悪夢にうなされるだけの、他からするととても楽なタイプの魔力暴走だ。
だが本人は楽でも何でも無い。延々と身体中を痛めつけられる、侮蔑される、矜持を砕かれる…そんな、救いの一つも無い悪夢が終わらない。
そんな中、突然夢の中に現れたのがナハトお姉ちゃんだった。怖い夢を見た後、ほんの少しの時間に現れた彼女は「どうして泣いてるの?一緒に木のぼりする?たのしいよ」と僕を元気付けてくれたのだ。
木登りなんてしたことが無かったが、彼女はやり方を丁寧に教えてくれた。背の低い木を登りきり、少しの達成感を得た僕に向かって「たのしいでしょ」と笑った彼女を見て…目が覚めたのを覚えている。
それからも、彼女は僕が魔力暴走を起こした時には必ず夢に出てきた。そして怖い夢を見た僕を元気づけたのだ。
「ふーん、シュヴァルツはこわい夢を見た後に私と遊んでるのか」
「なら、私は毎回シュヴァルツがこわい思いをしなくなるように、それよりも楽しい遊びをかんがえる。こわいよりも楽しいが上回れば、こわくなくなるでしょ?」
その言葉を裏付けるかのように、ナハトお姉ちゃんは毎回僕と遊んでくれた。兄弟も、歳の近い友達も居なかった僕にとって、ナハトお姉ちゃんの存在はかけがえの無いもので、彼女と過ごす時間ほど楽しいものは無かった。
彼女のおかげか、怖い夢を見る時間も減っていったように思う。それをナハトお姉ちゃんへ伝えると「そっか、こわい夢見なくなって良かったね」と、とびきりの笑顔を僕に見せてくれたのだ。
怖い夢をあまり見なくなってからも、魔力暴走による熱を出した時には、必ず夢の中で彼女と出会うことができた。彼女とは、自身のことや彼女自身のことを話す時もあった。
「私の父さんはね、へんきょーはくさまおかかえの騎士なんだよ。代々ずっとへんきょーはくさまに仕えてるらしい」
「シュヴァルツは、王子様なの?ふーん、それってへんきょーはくさまより偉いの?」
「シュヴァルツはお母さまにあまり会えないんだね、私は母さんと毎日会ってるよ」
やがて、成長期に入ったのか魔力暴走が起こることは少なくなっていった。そのことをナハトに伝えると「へぇー。さみしいけど、熱が出ないならそれに越したことは無いよ。また会えると良いね」と寂しそうに微笑んでいた。
最後に魔力暴走を起こしたのは今から七年前の事だった。
それから、僕は婚約者としてステラ侯爵令嬢を紹介されたが、少し残念だったことを覚えている。どうやら彼女も少し不満があったようで、ずっと彼女お抱えの騎士見習いをチラチラと見ていた。
今でも、ステラ侯爵令嬢は次期王妃として申し分なかったとは思っている。本人の弛まぬ努力と、生まれ持った才能に驕らない性格は仕事仲間として最適であった。
このまま彼女と婚姻し、国を治めることは僕にとって…否、私にとって当然のことであった。
この「当然」は、ナハトが王立魔法学園に入学していたと知っても覆ることは無かった。王族と庶民。到底縮まる距離でない。辺境伯の養女にして、側室として迎える手もあったのかもしれないが、ナハトに王城暮らしは似合わないと思ってしまった。
学園では、ナハトはその美しい顔と魔法の才、そして聡明さから「黒薔薇姫」と呼ばれていたらしい。彼女を崇拝する人達に話しかけられようとも、少し困った顔をして口すら聞いてもらえないのが薔薇のトゲだそうだ。
恐らく、彼女が話をできないのは貴族の話し方に慣れていないからだと予想を立てた私は、護衛の一人にナハトの友人となり、貴族の話し方を教えてくるように命じた。
ナハトは嫉妬からか、入学当初はよく男爵家や子爵家の令嬢に揶揄われていることがあった。なかでもロール男爵令嬢は庶民のくせに注目を集めていたナハトを妬んでいたらしく、よくナハトに向かって吠えていたのを覚えている。
ナハトに相手にされなかったからと今度は私に目をつけたらしい。二年ほど付き纏われていたが全く気づいていなかった。この女、魅了の魔術が得意なようで、知らず知らずのうちに私のグループに紛れ込んでいたようだ。
ナハトを目に焼き付けていた私にこの事は預かり知らぬ話であったが、後々ロール男爵令嬢は良い仕事をしてくれたので特に思うことはもう無い。
ロール男爵令嬢の噂がステラ侯爵令嬢の耳に入ったのだろう、ステラ嬢と恒例の御茶会をしていた折に彼女はこう言った。
「シュヴァルツ様、私としては妾を持つことに抵抗はありませんのよ?王妃も王も仕事ですわ。お互いに利がある契約でありたいと思っております」
ロール男爵令嬢の事は置いておいて、彼女が私と同じような仕事に対する価値観を持っていてくれたことは大変ありがたかった。ただ、だからこそ一つ気になることがあった。
「貴女は私に妾を持つことを許容してくれたが…では、私が貴女に愛人を持つことを許可したのならば貴女はどうするのだ?」
私の問いかけは想定していなかったのだろう、ステラ嬢は少し眉を上げた後、頬をほんのりと赤らめ…いつもの真顔に戻った。
「もし…愛人を…ですか。…けれど、私は愛人は持たないと思います。その人を本当に愛しているのならば、私は、巻き込みたいと思いませんの」
「では、貴女がもし愛する人が居たのならば…もうその人とは結ばれないということなのだな」
ステラ嬢は眉を下げて曖昧に微笑んだ。恐らく彼女は私と似た部分があったのだろう。そんな彼女に、彼女が求めているであろう答えを言っておいた。
「ステラ嬢、私にも側室や妾は作れない。ありえない話であるが、もしそのような状況が起こったのならば…最大限、貴女が不利にならないように力を尽くすつもりだ」
ステラ嬢は私のことを愛していない。彼女が好いているのは…と、彼女の後方に目をやると、侯爵家お抱えの護衛騎士と目があった。
視線をそっと戻すと、「私の騎士に何か御用でも?」と聞かれてしまった。あの人は既婚者なのかと尋ねると、そうでも無いらしい。
「姫様が御結婚なさるまでは、私も結婚はしません。姫様を一人には出来ませんから、って言うのよ」
少し表情を和らげながら語るステラ嬢を、私以外の誰かに見られていたのならば…きっとその誰もを魅了していたのだろう。
そのことがあってからも、私の「当然」は変わらなかった。卒業後は実家に戻り、魔法具を作ると進路調査に記入していたナハトを目に焼き付けた日々が続いただけだった。
私の「当然」が揺らぎ出したのは、私が火急の用で父上の執務室を訪れた時からだ。丁度父上は不在で、見張りの者に尋ねると「陛下は王妃殿下を尋ねると言っておりました」とのことだ。
王妃殿下…母上とはもう何年も会話をしていなかった。式典の際に多少顔を合わせる程度でしか無かったし、加えて父上は私と母上を会わせようとしなかった。
あまり気は進まなかったが、いつ帰ってくるか分からない父上を待つよりは、と母上の暮らす離宮へと向かった。
母上の元を訪ねると、どうやら父上はまだ来ていなかったらしく、母上と二人で過ごすことになってしまった。母上は私のことを気にかけていたらしく、色々と話をした。
「うふふ、貴方と話をしたのは久しぶりね。とっても嬉しいわ。
ねえ、シュヴァルツ。ナハトは元気にしている?あの子、私と顔を合わせたく無いのか全く会えないの」
一瞬。母上が何を言っているのか分からなかったが、誰か別の人を言っているのだろうと結論付けた。
「ナハト…ですか?私も存じ上げておりませんが、また会えると思います」
そう…。と、寂しそうに笑う母上の顔は誰かに似ていた。その後も母上と少し話をした後、少し経ってから、花を挿したビン片手に父上がやってきた。私が居たことに少し驚いていたが、母上が穏やかな表情をしていたので特に何かを言われることは無かった。
火急の件を父上に伝えた後、私は離宮を後にした。かなり久々に母上と話すことができて良かったと思う。
ただ、父上を見る母上はかなり怯えているように見えた。気の所為かも知れないが、「ナハト」と言っていた人物のことも少し気になった。
だから私はその足で書庫へと向かった。もしかしたら、何かあるかも知れないと。
王城にある書庫は大変大きなもので、古い年代の本から最近の文学書まで集められていた。まず私が手に取ったのは貴族の名前が記されている本だ。そこから「ナハト」という文字だけを探すが、見つからなかった。母上が話していた「ナハト」は貴族では無いらしい。
ただ、彼女と母上の言うその子が同一人物だとは思っていなかった。彼女は辺境伯領の騎士の家育ちだ。王都から遥かに遠い辺境伯領からだと、まず母上と会うことすらできないのだから。
次に私は王城勤めの者達の名簿を引っ張り出し、「ナハト」の文字を探した。しかし一向に見つからない。では母上は何か不思議な精霊でも見ているのかと精霊図鑑を探すも、「ナハト」の文字は見当たらなかった。
日が暮れ、結局「ナハト」に関する情報は一切掴むことが出来なかった。私はもやもやとした違和感を抱えながらも書庫を後にし、自室へと戻った。
それから少し時間が経った後、私は父上に呼び出された。
「父上、話があるというのは何でしょうか」
父上はにこやかに語りだした。
「シュヴァルツ。夜は好きかな?」
「夜…ですか?」
王家の人間は夜・闇・黒と言った比較的暗い魔力を持っている。そのことを聞かれているのだと最初は思っていた。なので、こう答えた。
「夜は、私たちにとって深く関わりのあるものだと思っています」
父上はにこやかに頷き、続けた。
「では、星は好きかな?」
星…。思い浮かべるのはステラ嬢の事だった。彼女の家系は星に関連する魔術を扱う。彼女と婚姻するのならば、王家にとって星も重要となってくるのだろう。
「星も…これから、私たちにとって重要な働きをしてくれると信頼しております」
父上は一瞬、私の言っていることが分からなかったのか眉を上げたが、ステラ嬢について私が話していたのだと気づいて表情を戻した。
「そうか…では、改めて聞こう。シュヴァルツは、夜は好きなのかな?」
何故ここまで夜について聞いてくるのかはその時は分からなかったが、「はい」と答えると父上はにこやかに「そうか」とだけ呟いた。
「父上も、夜はお好きですか?」
雑談のように父上にそう聞き返すと、父上は視線を少しずらし、真顔でぽつぽつと言った。
「夜は好きだ、愛しているとも。だが…夜はいけない。母さんが悲しい思いをする。夜はここにあってはいけない。だからといって無いのもいけない。だから…棚の奥深くに仕舞っておくのだよ。いつでも取り出せるように」
何を言っているのかさっぱり分からなかったが、それで良かったみたいだ。父上は私の顔を見てにこやかに微笑み、「シュヴァルツ、お前はそれで良いのだよ」と話は終わった。
後々、父上の言う夜が母上の語った「ナハト」だと気づき、父上が「ナハト」について詮索をかけていたと察したのは話が終わって数時間後のことだった。
母上の言った「ナハト」と、父上の嫌がる夜…棚の奥深くとは何なのか…。ふと、書庫の奥深くにある禁書について思い出した。夜と言うのは、禁書に記されているのかもしれない…。
そう思い立った私は、後日また書庫を訪れようと思ったのだ。
後日、書庫を訪れた私は禁書の類を漁った。王城にある禁書は呪いの本や神話、禁術などが記されているものが多方だが、私の目に止まったのは手帳のようなものだった。
その表紙は「王妃殿下の記録」と書かれており、中は何も書かれていなかった。恐らく、書かれてはいるのだが見えないように魔術がかけられているのだろう。
私はその手帳に魔力を流し込み、文字を読めるように試みた。推測ではあるが、王家の人間しかこれは読めないようにされていたのだろう。白紙のページに文字が現れる。最初から読むことにした。
"何某歴辰年 王妃殿下が身籠られた。
王妃殿下は悪阻が重く、陛下も大変心配なさっていた。出来るだけ殿下に気苦労をさせぬよう、我々も気をつける必要がある。
王妃殿下と御子の状態は良好だ。巳年には元気な子が産まれるだろう。"
私が産まれる前の母上の話だろうか。本来の目的とは違うものだったが、何だか温かい気持ちになり、手帳を読み進めた。
"何某歴巳年 王妃殿下が双子の男子と女子をお産みになられた。
双子は不吉の顕である。男子をシュヴァルツ、女子をナハトと名付け、ナハトを忌子として辺境伯へ預けた。
シュヴァルツ殿下を一人息子として扱う。
これは王家と辺境伯家の密約であり、誰もこれを口外してはならない。"
………………。
この時、僕の「初恋」は私の「当然」を道連れにして崩壊した。
ナハトお姉ちゃんはナハト姉さんだったのだ。血縁者ならば、何故姉さんが昔、夢で出てきたのかも分かる。元々繋がっていたからだ。
姉さんが騎士の家育ちなのは、恐らく辺境伯が姉さんを信頼のおける部下に託したからだろう。
途端に怒りが湧いた。彼女が庶民であると下級貴族から誹りを受けていたことが腹立たしくて仕方がなかった。元々彼女はれっきとした王族だっただから。
「黒薔薇姫」とは何たる皮肉か。彼女の夜を思わせる深く黒い髪と瞳は、私のこれと何ら変わりの無いものだったなんて。
色々と思うことはあった。だが、まだ手帳は終わっていない。私は溢れ出る怒りを抑えながら手帳を読み進めた。
"何某歴巳年 王妃殿下には「娘の方は不幸にも亡くなってしまった」と伝えられてしまったらしい。すっかり心をお病みになられた。
陛下もこれには大変参っていた様子ではありましたが、「愛しい妻が畜生腹と要らぬ誹りを受けるよりは断然良かったのだ」と仰られていた。
それよりも、陛下は王妃殿下の注意が御子に向くのが嫌なようで、産後間もないシュヴァルツ殿下を、ナハト様と同様に王妃殿下から引き離してしまった。
陛下は優秀な治世者ではあるが、王妃殿下への執着心はどうにかならないものなのか… "
"何某歴午年 王妃殿下の精神はますます悪くなる一方だ。恐らく、産後のショックと陛下が王妃殿下をほぼ監禁状態にしているのが原因だろう。
王妃殿下の具合が悪くなると、陛下の偏愛も強くなる一方だ。最近では陛下と親しい者以外は王妃殿下を一目たりとも垣間見えることが出来ない。私もいつ専属から外されるものか… "
"何某歴未年 今日も王妃殿下の部屋から叫び声が聞こえる。陛下がいらっしゃったのだろう。
陛下は既に王妃殿下の事となると正気を失っていらっしゃる。周辺貴族もそれに気がついているようで、王妃殿下を利用して陛下へ甘言を囁いている。「王妃殿下の美容の為、この薬を我が領で栽培したい」と、禁止薬物を出してきた時にはとても驚いた。
陛下もそれが何か分かっていない様子で、私に薬として「これを出すように」と言うのだ。流石にそれを配膳することはできないので、こっそりミントとすり替えてそれは燃やした。 "
"何某歴戌年 陛下が機能していないと分かった周辺貴族は増長する一方だ。誰も陛下を正したり、他を導こうとする者はいない。辺境伯殿も周辺国との小競り合いで手一杯だ。
シュヴァルツ殿下は魔力暴走の影響か、よく体調を崩されている。陛下はシュヴァルツ殿下にも興味が薄いらしい。「もしシュヴァルツ殿下に不幸があったのならば、忌まわしい夜を使えば良い」とだけ残されて行った。
もう、駄目なのかもしれない。 "
"某歴丑年 仕事の引継ぎも終わったので、これが最後の記録となるだろう。改めてこれを読み返してみると、他に知れ渡ってはいけない内容が数多あった。なので、少し小細工をして書庫に隠しておこうと思う。
いつかこれを読んだ人が、この国を導いてくれる事を祈って。
そして王妃殿下、私の無礼をお許しください。逃げてしまった私をお許しください。 "
内容はこれで終わりの様だった。何も、書いてあった事全てを知らなかった訳ではない。姉さん以外のことは、何となくではあったが分かっていた。傀儡となった父、人形にされた母、私利私欲に走る貴族。
それでも、私の代でどうにかしようと思っていた。卒業後に辺境伯領へ帰るナハトに、私のことが良い王だと伝わってくれるように。「それだけ」が私が仕事を全うする理由だったから。
…だが。私は、ステラ嬢とは似て非なる者だったらしい。仕事に理由を求め、それが無いならば私の仕事は無価値だと結論付けてしまう。それが私だった。
いくら私が頑張ったとしても、決してナハトに私が届く事は無い。そう察してしまった。
もう、私という「当然」も、僕にとっての「初恋」も崩れ落ちてしまった。
そして、僕に残ったのは…ただ単に、姉さんへの純愛だけだった。
それからの私の行動は早かった。学園内外に居た貴族の令嬢、令息をリストアップし、成績と人柄、家の財政状況を隅から隅まで調べた。少し時間はかかってしまったが十二分に良い結果は得られたと思っている。
そして二通、手紙を認めた。一つはステラ嬢に向けて、もう一つはお忍びで留学に来ていた隣国の王子へだ。
ステラ嬢には「今度、貴女に対して私は無礼を働くだろう。申し訳ない」といった趣旨のものを書き、隣国の王子へは「今度2人で話がしたい。場所はそちらで用意してもらって構わない」とだけ書いた。
隣国の王子と話をした時、最初彼は冗談半分で話を聞いていたが、途中からはまともに耳を傾けていた。「正気か?何かの罠ではないだろうな?」と口酸っぱく言われてしまったので、彼にだけは本来の目的を話した。聡い彼の事だから、私の目的は言わねば信用して貰えなかったとは思う。
優秀な貴族子女に貴族子息、それとこの国全てを渡すと言うのだ。その見返りとして求めたものも僕が差し出したものと比べると規模が小さすぎた。
彼が私と同類で良かったと思う。尤も、彼の場合はその対象が婚約者なので、大きな問題も無く二人で良い国を作って行けるだろう。
姉さんは僕が変わってからも普通の日々を過ごしていた。以前僕が遣わした護衛と編み物をしていた場面を見かけたので、後でその子に何を作っていたのか尋ねると、マフラーを家族の為に作っていたらしい。
きっと、その家族とやらは姉さんの作ったマフラーを喜んで使うのだろう。尤も、姉さんを家族とやらに当分会わせる予定は無いのだ。マフラーくらいくれてやろう。
計画実行日…卒業パーティーの一ヶ月前、全ての準備が整った。当日、私がすることは少ないが今までのことを考えれば十分働いただろう。その後は隣国がどうにかする問題だ。
贅を貪る貴族の裏帳簿も罪も全て取り押さえ、善だと私が判断した領主はそのまま隣国の配下にさせる。民達は、数年かけて隣国の体制に少しずつ慣れさせるように約束させた。
一ヶ月後、この国は無くなるが血を流させる必要は無い。静かな劇場では人は静かになり、見せ物を見る人は和気藹々とする。要するに、静かに国を渡せば良いだけだ。
父上と母上には王族ではなく、隣国の貴族として離宮で残りの人生を過ごしてもらうことにした。母上には悪いことをしたと思うが、いつかまた姉さんと二人で母上に会いに行こうと思う。
親の爵位を継げぬ優秀な者達は一旦隣国へ行き、貴族登録を行ってもらうよう確約した。
後一つ、見返りとして貰った物はあるが…これを含めた全ての見返りと私の差し出したものとだと、まだまだ見返りの方が足りないほどだった。
卒業パーティー当日。腑抜けた馬鹿の振りをして、ステラ嬢と事前にリストアップしておいた貴族達を隣国へと送り出す。ステラ嬢にはあの護衛騎士も付けておいた。数ヶ月以内に上手くいく計算だ。
このふざけた婚約破棄事件の犠牲者は二人だ。一人はハニートラップに引っ掛かって刺された王太子殿下。二人目は、他国のスパイであったピンク髪に襲われてしまった不幸な卒業生。
もちろん他国のスパイなどと言うのは真っ赤なウソだ。ロール男爵令嬢は国家転覆未遂と殺人容疑で拘束されてしまったが、姉さんを僻んだ罪は重い。これくらいの冤罪は当然だ。それに、少しだけ夢を見させてやったのだ、見返りも十分だっただろう。
父上が離宮へ行っている間に、いつも通り王城内に配置してあった兵や侍女は全て下がらせた。父上が王城へ戻る朝までに、城の引き渡しと姉さんの誘拐を済ませる必要があった。
パーティー終了後、来賓として来ていた隣国の国王に権利書など諸々を渡し、学生寮に戻っていた姉さんを連れて王城から他国へ向かったのはなかなかハードだった。
途中、姉さんが「王城の隠し通路なんてもの、私が通っても良いのですか?」と他人行儀に聞いてきたのは少し心が痛かった。
彼女は何も知らされていないのだから、当然だ。僕の中では姉さんであっても、彼女の中ではただの平民でしかなかった。
まあ、この差異は後々埋めていけば良い。姉さんは僕にとっての初恋であり純愛だ。これからどうなるかは分からないが、姉さんはきっと僕のことを愛してくれるはずだ。
見返りとして用意してもらった隠れ家で、疲れて寝てしまった姉さんを見ながら今までのことを思い出す。
国は導いた。隣国は約束を守るだろう。守らないと言う選択肢は与えていない。生きる理由はここにいる。私と言う脆い仮面も時間をかけてゆっくりと外れるだろう。
僕は長い息を吐いた。
偶然にも、当然から外れてしまった僕にとっての終わらない悪夢は終わりを迎えた。どこまでも光の届かなかった闇は今から優しい夜を過ごすのだ。
ガバガバ設定〜パチパチパチ〜
シュヴァルツ王太子殿下…モーント王国の後継者。一人っ子。婚約者としてステラ公爵令嬢。→小さい頃に魔力暴走を起こし、ナハトと夢の中で繋がってしまう。それからずっとナハトに片想いをしていたが、王太子として諦めていたところでナハトと再会する。ナハトが庶民であることを知り、関わりを持とうとはしなかったがあること(→偶然知ったナハトの出自の真相、既に腐っていた両親とその他貴族)がきっかけで国を滅ぼすことに。どこまでも理由付けを必要としてしまった王子様。
ナハト…この物語の主人公(?)。辺境伯領にある騎士の家系の一人娘。口調は尊敬する父を真似ていた。うまれながらの魔力と成績を認められ、庶民ながらも貴族学院に入学する運びとなった。シュヴァルツのことは覚えているが、身分の差ともし勘違いだった場合のことを気にし、関わろうとしなかった。王家の忌子である。騎士の家の両親はナハトのことを「辺境伯様の隠し子」だと思っている。実際、忌子としての役割は十二分に果たすことになった。アーカワイソ。
ステラ公爵令嬢…シュヴァルツの婚約者。聡明で公平、皆が認める次期王妃。本人は努力家であり、王妃は貴族としての仕事だと割り切っている。仕事に理由など必要ない。幼馴染の護衛騎士と両片想いであるが、二人とも気付いてはいない。ロール男爵令嬢とシュヴァルツが両想いであると誤認し、「妾を持つことに抵抗はありませんのよ?王妃も王も仕事ですわ。お互いに利がある契約でありたいと思っております」と言い、(良い意味で)シュヴァルツの背中を押してしまう。シュヴァルツは彼女が有能であることを認識しており、護衛騎士と共に隣国へ逃がそうとした。
ロール男爵令嬢…ピンク髪の典型的な乙女。男爵家で甘やかされて育ってしまったため、全てが自分のために動いていると信じて止まない乙女。入学当初、庶民であるナハトへ嫌がらせをするも無自覚でいなされてしまい、それ以降絡むことは無かった。シュバルツがナハトを観察していた時、大体隣に居てアピールをしていたらしい。シュヴァルツが気づいたのは2年ほど経った後であったらしいが…
モーント王妃殿下…ナハトとシュヴァルツの産みの母。国王が王妃を愛するあまり、ほぼ監禁状態となりシュヴァルツと顔を合わせることは数えるほどであった。生まれたばかりのナハトを忌子として辺境伯へ預けた際、彼女は殺されたと伝えられ発狂。国王に恐怖しており、病んでしまっている。
モーント国王…王妃殿下以外何も目に入っていない。パーフェクト人間であり、政治もよくできた優れた王様であるが、病んでいる。国王は仕事と言い切ってそうな人物。王妃殿下をほぼ監禁しているが、それは愛故だと思っている。王妃と共にいることができればどうでもいいと思っている。
隣国の王子…婚約者スキー。最初、シュヴァルツが何をいっていたのか分からなかったが、彼の国が彼の求める愛を得る為に不必要であったことに気が付き、シュヴァルツに全面協力することとなった。WIN-WINだと思っている。
僕と私の違い…シュヴァルツであるか、王太子殿下としての矜持かの違い。恐らくガバ。
ナハトとシュヴァルツのこれから…各地を転々としながら幸せに過ごしているでしょう(予想)
吸収された国のそれから…国民の暮らしはそれほど変わりませんでした。少しだけ、贅を貪る貴族が消えて暮らしやすくなったくらい。辺境伯領に居るナハトの両親は、時々手紙を貰っているそうです。
最後に、ここまで見てくださり本当にありがとうございました。圧倒的感謝。皆様の御多幸をお祈り致します。