第二話 『少女、約束ス』
(1)
「眠…眠…ね…む」
呪いの言葉を吐くように、三破月は呟いた。三破月の横に並ぶ二人、友人のカルカとチエリは苦笑いが張り付いてとれない。
「昨日よりひどい顔してんな」
「朝あった時にもそうだったけど…補習、頑張ってたもんね…その証だよ…そのクマ」
「いやいや、チェリ。頑張ったのは教師側。後半はこいつを起こすのに苦労してたよ」
そう言うカルカに、ははは、とチエリも応えるしかなかった。
当の本人と言えば、
「眠い」
それの一点張りだ。理由を聞くには聞いたが、「へへへ」とニヤニヤするだけで意味がわからない。本人の眠いという言葉から察するに、まだ夢心地なのが理由だとは思うのだが、
「へへへ」
もう聞く気も無くなってきていた。なんと無く意味のわからないことを含めて、いつも通りだな、と思ったからだ。それに、この友人二人は三破月のこんなだらしない顔さえ好ましいと思っていた。
「…だよな」
「…だね」
二人して視線を合わせ、頷き合う。三破月をよく知る人物として言葉を越えて納得したのだった。
そしてこの睡眠を貪るために足元をおぼつかせている友人を、置いて帰るわけにはいかない。二人は途中でファミリーレストランでこの友人を休ませることにした。
昨夜、三破月が家に帰り着いたのは結局十時前だった。少女こと鳴々夜との戦いを経てそんな時間になっていたのだ。それは仕方がない。たまに遊びすぎてそういうことだってあるからだ。
問題は、ご飯だ。
晩御飯前に急に出ていってしまったうえに、連絡もなく遅くなってしまった娘に母親がへそを曲げてしまったのだ。怒るなら謝罪のしようもあったが、こうなってはご飯のお預けは確定事項になった。その証拠に、彼女は炊いていたご飯すべてを一人で食べ切り、あろうことかおかずも父親の分以外はすべて平らげていたのだ。
これはお小遣い没収制限中の三破月にはきつい。精神的にも空腹的にも。
とにかく、朝御飯の確約だけはつけ力なく部屋に戻ったが、空腹というのは睡眠を妨げる。さらにはとれないブーツと刀によってお風呂も入れそうに無かった。唯一の救いは着替えが可能なレベルだったことだけだ。
「ご飯なしはきつい…でも」
着替えも済み、ベットの上でごろんと横になりながら天井を見上げ呟く。続いて器用に自分から付かず離れずの位置にある刀を見る。
「楽しかったのも本当だ」
まだ胸の内側で、あの夢のような体験が血液の流れを早く、熱くしている。この蒸し返るような熱量を吹き飛ばすような興奮だ。それがわずかながらに空腹をまぎらわしてくれた。
「ゲーム…ゲームか、なっるほどね」
体をくの字に曲げてニヤニヤ笑った。あれはゲームだった。しかも条件こそまだ未知な部分も多いが、クリア次第では願い事が叶うというおまけ付きのゲーム。
楽しかった。本当に楽しかった。
超人的な力を使って町を駆け巡ったことも、同世代の人間とのハチャメチャな戦いも、そこに行き着くまでに考えていた時間も、そのすべてが楽しかった。
「ご飯抜きってのはショージキきついけどさ…」
あの体験は捨てがたいものだったのも確かだ。
「…とりあえず明日も色々と行ってみよう…今度はママにちゃんと連絡してから」
そう誓って目を閉じた。
そうして夜は更けるわけでもなく、残る興奮と増える空腹により明け方までうとうとしながらも眠れず、時計が午前六時を差す頃にいつの間にかブーツと刀が消えており、それを喜んで朝からシャワーを浴び、上がってから母親が用意してくれた朝食を貪り終えた頃に、怒涛の睡魔が襲ってきたのだった。
そして今に至る。
(2)
「で、目が覚めたか?」
ファミレスに立ち寄ってから小一時間。友人の間抜けた寝顔を横目に待っていたカルカは、三破月が目を覚まして早々にそう尋ねた。
「ん?んー、かなりまし、かな」
「良かったぁ。本当にふらふらだったもんね、ミーちゃん」
チエリが安堵したように三破月に言った。三破月は、
「いやはや、ご心配をおかけしました」
と愛想笑いで答えた。そのまま自分のドリンクバーが注文されてることを確認すると、すぐさま取りに行った。帰ってくるなりカルカは驚いた。
「なっ!!ミーがコーヒーブラックだとっ!」
「コーヒーブラックってへんなヒーローの呼び方みたいで笑えるね」
「えっ!逆に笑うのかよ!ミー、ブラックなんか飲めるのかってことを私は言ってんだよ」
三破月は、ふーん、と軽く流しただけだった。
そう改めて言われると自分はブラックコーヒーは普段飲まない。全くと言って良いほど飲まない。何故なら美味しくないからだ。
甘過ぎるのも苦手なのだが、苦いのはさらに上をいく。
しかしだ、今日はこれにしようと決めていた。だってこのブラックコーヒーという飲み物には、眠気を覚ますという効果があるのだから。今晩またアレをするつもりなら、その効果にあやかりたい事情がある。さらに言えば、コーヒーが苦手だというのも小学生の頃の話だ。あの頃よりも大人になった今なら、
「いただきまーす…ぶっっっっっ!!まっずっ」
「わぁぁ、ミーちゃん、吹きすぎぃ、カルちゃん、お腹抱えて笑いすぎ」
無理だった。苦いものは苦くて、受け付けないものは受けつかなかった。
あたふたとチエリが口元を吹いてくれるのに感謝しながら、眠気覚ましは別な方法をとろうと考えた。
ファミレスからの帰り道。二人と別れる。
「また明日ね、ミーちゃん」
「うん、またねチェリ」
「明日、寝過ごしたら置いて遊びに行くからな」
「わーかってるって。ダイジョブダイジョブ」
週明けから長期的に出掛けることが決まっていたので、明日の土曜日は揃って遊びに出掛けるを約束した。眠気の原因を追求されるのをはぐらかすためだったが、これはこれで楽しみだ。
手を振りながら見送って、自分も帰路につく。
明日は明日で楽しみが出来た。
何よりも、今日も楽しみだ。三破月は思い付いたことがあったのでそれも試して見たかった。
鼻歌混じりの帰り道。なんと昨日よりも足取りの軽いことだろう。夜になるのが待ち遠しかった。
(3)
三破月は八時が過ぎたのを見計らって、自室に戻った。その浮き足だった姿は母親から見ても不審者に見えたが、たまにあるからなぁ、と将来を心配される程度に今は収まったのを三破月は知らない。
自室の扉を閉め、緊張の面持ちでポケットからあの石を出す。あの赤く光るルビーだ。そして言う。不可思議な世界の扉を開くあの言葉を。
「敵穿つ牙持つ獅子よ、風の如く駆ける馬よ、私に力を貸しなさいっ」
昨日と同じだった。光に包まれ三破月の足と腰元に変化が訪れる。違うのは、三破月自身がもう驚くことが無かったことだ。
「さぁて、今日はエネルギーも充分。より高く跳んでみますかね」
窓の縁に足をかけ、行儀の悪いことこの上ないやり方で外に出た。
今日も星がよく見えた。夏の暑さは体を包むが、それでも空を駆ける爽快感は堪らない。風を切る感覚が忘れさせてくれるのだ。
昨日は町伝いに跳んで回ったが、今日は趣向を変えてみようと思っていた。空に近づこうと考えたのだ。要するに、人気のない天体観測スポットを探そうと思っただけなのだが。
とりあえず手っ取り早く昨日と違う方向に向かう。昨日の場所は、鉄塔などの高い建造物もあるが、そのためにまだ街明かりが多く星を見るのが目的ならあまり好ましくない。どんなところが好ましいのかと言えば、
「やっぱ、山とかっしょ」
鼻歌を混じりながら跳んだ。この方向に跳んでいけば、少し住宅街から離れて調度良い山があった。しかも登山用ではないために開発されておらず、人工的な明かりもこの辺では圧倒的に少なかったはずだ。
たん。軽い足取りで辿り着いた。歩いてきたなら一時間以上かかりそうな距離だが、三十分もかかっていない。ふふん、と鼻をならしながら三破月はその山へ辿り着いた。
「さてさてさて、サクッと山頂を目指しますかね」
ニヤリと笑って頂をみた。
山登りは比較的簡単だ。跳べばいいだけだ。枝から枝へ、小刻みにリズムよく、軽い力で。枝が擦れる音を残して三破月はすぐに山頂へ登りきった。
「とぉちゃぁくっ」
最後は思いっきり跳ねた。ぶあっと木々をぶち抜いて空へ出る。すると真円を目指す形の月が出迎えてくれた。
普段は空を、ひいては月は見ない。習慣もないし、興味も薄いからだ。強いて言うのであれば、流星群や月蝕などのイベントくらいだ。しかし今日はちがう。自分の意思で空を、月を見た。
ふわりと無重力の中で見つめる月は綺麗だった。例え欠けた円だとしても、ウルトラがつくほど大きく輝かなくても。
「うわっほぉぃ」
感嘆の声。誰がなんと言おうとそうだった。
まるで暗闇の世界に星たちを従えているようなあの月は、悠然と構える王様のように思えた。なるほど。占いなどのカルト好きが月を崇め奉る気持ちがよくわかるし、天体好きがこぞって見上げたくなる想いもわかる。あの光景はそれだけの価値がある。
無重力が終わり、再び地面へと降りていくまでの間に三破月はそう納得していた。
地面につく。ぺきぺきと整地されていない枯れ枝などを踏みつける。雑草が当たり、少し痒い。蚊も飛んでいる。一気に現実に引き戻された。
「く…はは」
なんだかそのギャップが面白く感じた。しかし蚊に刺されるのも草に負けるのも面白いことではない。もうすでに今回の目的は達したわけで、ここに長居する理由もない。そこで三破月が帰ろうと動くと、
「誰?誰かいるの?」
ざわついている木々の隙間を見る。何者かの気配を感じたからだ。木々が揺れたのはそのせいだ。
獣か、と一瞬動揺しそうになるが、今の自分なら大丈夫だろうと判断。刀を構える。無理に戦う必要はないが、この状況、好奇心が勝ってしまう。興奮ぎみになっている自分。夜に山で獣に会う。こんな非日常そうそうない、と。
「…猪、鹿…狸とかなら可愛いけど…あれ、りある狸って可愛かったかな?まさか熊…じゃないよね」
熊でも負けるつもりはない。だけど傷つけるつもりもないから、確認したらすぐに跳ぼうと決めた。そして、待つ。
居る。確かに。女の勘か、人としての本能か、自分自身がそう告げている。しかし相手は動かない。
あんまり持久戦になるようなら引き上げようか、蚊に刺されるのも嫌だし。そう考え始めたとき、相手の方が先に動いた。暗闇から現れたのは、
「…っ!」
「ご、ご、ご、ごごごめんなさぁぁぁぁい」
人だった。それも自分とそう年の変わらなさそうな少女。慌てふためいている様子だが、攻撃の意思があるかどうかを確かめなくてはならなかった。
なぜなら少女も、同じだったからだ。頭上に不自然に浮かんだベール。ふわふわの素材と装飾が特徴的な肩を被うケープのようなもの。あれは自分の持つ刀とブーツと同じものだ。
「あ、あ、あ、あのっ」
「…何、あんた…あんたもプレイヤー?」
「いえ、あの、その」
たどたどしい、と言うよりも単純に人との会話に慣れていないような少女の言葉。三破月は睨みを効かす。が、月明かりだけの山の上。互いにどこまで見えているか。自分だって姿格好はわかるが、顔の認識まではしづらい。
「プ、プ、プレイヤー…?と言うものはわかりませんが、あの、私、けっして怪しい者ではあり、ありまえん」
噛んだ。
普通、怪しい者ではなどという人物は大概に怪しい者だが、なんだかそう思えてきた。それにつれてだんだんと可笑しくなった。警戒を解くつもりはないが、お互いに話し合いですみそうだ。
「あはは、ありまえんって何」
「あ、あ、あ、すいません。ありませんでした。ありません」
「だと思ったけどさ。で、怪しい者ではないあんたが、あからさまに怪しい私になんか用?」
「あ、あ、あ、怪しい何てそんなっ」
少女はどうやら否定しくれるようだが、充分に怪しいだろう。お互いに。
人気のない人里離れた山の上に女の子が互いに一人ずつ。こちらが声をかける前に見えているということは、あのベールとケープのようなものは、こちらの刀とブーツと同じだという証拠。何よりも、昨日のあのゲームと称して戦いを挑んできた少女のことを思い出す。
どれをとっても一つずつが怪しい。
怪しいが、敵意は無さそうだ。少女の続く言葉は、
「わ、私もっ、その、すっごく怪しいんですっ」
「………いや、さっき怪しくないって自分で言ってたじゃん」
決まりだ。この少女は、
「…ぷ、ぷは、あははははははははははは」
敵ではない。
「あわわわ、そ、そうですね、怪しくないって言っておいて怪しいんですって…すみません、おかしいですよね」
「ごめんごめん、ちっとね、警戒バリバリだったからさ。うん、あんたはプレイヤーかもしんないけど、敵じゃない。それは信じるよ」
しょんぼりと肩を落とす少女に、三破月はそう言った。
「私も、怪しいものではあっても、あんたの敵じゃないよ」
月の光が木々の間を割って差し込んで来たからか、それとも不思議な力のせいか。多分、お互いの顔が今、よく見えた。
(3)
少女は友達が少なかった。少ないというのは、『いない』という言葉に対対抗する意思だ。そして数少ない友達の中には命を持たない、けれど大切な友達がいた。女の子の人形の『いのるちゃん』だ。
三破月は蚊に刺されるのを嫌がり、木の上に登ることを提案して一足先に跳んだ。始めはどうしようかと迷っているのか、少女はおどおどした態度をとっていたが、意を決したように頷くと三破月に続いて跳んだ。
三破月は、自分に着いてくる少女を見てやはりこの不思議な姿は凄い力をくれるんだな、程度に考えて一番安定してそうな枝を探して登った。そこは、この周辺では一番高く、主のような木だった。
ちらりと月を見る。少しだけ移動している。
「さてと…」
枝に仁王立ち。着いてきた少女に視線を移す。少女も三破月を見ていた。
「どうしようかな…まずは、自己紹介くらいしとく?それとも怪しくてやめとく?」
少女はふるふると首を振ってくれた。
「よし、じゃぁ私からだ。私の名前は不知火三破月。ミカヅキってよく聞き返されるけど、み、は、づ、き。えと…あんたは?」
「わ、私は、花野 祝と言います。あの、えと…高校二年、です」
「花野ちゃん…高二なんだ…おおっと、ってことは花野さんだ」
「いえ、そんな、さんなんて…シラヌイ、さん」
パタパタと手を付きだして慌てて「さん付け」をやめるよう促す祝。しかしここは三破月もそうそう譲れないものがあった。
「花野さん。私、高一なんだ。私こそさんはいらないよ…いらないですよ?」
一応、年上への気遣いからだ。全然知らない上級生、しかも人当たりの弱そうな人にまで攻撃的な意思を示すような人間に、三破月はなりたくなかった。
「あ、あの、私こそ、その、敬語はいいですっ。私、こんなだし、後輩からも、そんな、さん付けなんてほとんどされないし…」
「…んー、じゃ…花野ちゃんって呼びますよ?」
「よ、呼び捨てでも」
「いや、そこまで仲良くないし」
何気なくきっちりと断ると、しゅん、と聞こえてきそうなほど祝は俯いた。「そうですよね」と、か細く聞こえたのは聞き間違いではないだろう。
「あー、何て言うかさ、私はたんに花野…ちゃんがどうしてここに居るのかってのと、その不思議なベールとケープのことを聞きたかっただけなんですよね…」
「そうですね、そうでしたよね」
「けど」
三破月は枝に腰かけた。隣に座るように促す。
「え?」
「せっかくだし、少し仲良くなるためのお喋りもしてみませんか?」
「……はいっ」
祝は、息を飲んだあと、嬉しそうに答えた。
(4)
「へぇ、花野ちゃんの願い事って探し物のことなんだ」
「はい。とても、大切なものなんです。なのに、私」
枝に腰を下ろし、足を宙に浮かしながらの話はなかなかに三破月と祝の距離を縮めた。気がつけば三破月は敬語を使わなくなっていたし、祝の方も詰まることなく話をすることが出来るほどに。
そして祝から三破月は聞いたのだ。彼女の願い事は、探し物を見つけることだということ。
祝は思い出したのか、俯いて拳を握りしめていた。彼女にとってそれほど大切だったのだろう。悲しそうであり、悔しそうにも見える。
「…あー、何でなくしたのか、聞いてもいい?」
「何で、無くしたのか…ですか?ええと、実はわかりません。気がついたら居なくなってたんです」
祝は首を左右に揺らしながら答えた。そっか、と三破月は呟くと視線を流した。流しながら考えた。
「居なくなってたってことは、その探し物って生き物?ペットとか」
「あ、いや…違うんです。ペット…ではなくてですね」
ではなんだろう。そもそも無くしたのに、居なくなってたという言葉はどこか違和感がある。などと、三破月が思案していると、祝は恥ずかしそうに口を開いた。
「実は…人形、なんです」
三破月はすぐには答えられなかった。考えは頭の中にあったのだが、それは祝に対する返事としては相応しくなかったからだ。
人形が居なくなるはずない。無くした、の間違いだろう。しかも、自分で。
人当たりの弱そうな彼女にとって、簡単には言いづらいことは察していた。だから答えは遅くなる。すると、
「変ですよね、人形に対して居なくなる、なんて。自分でもわかっているんです。でも、でも、あの子は、その」
祝が肩に力を込めて言葉を紡ぐ。気持ちまで伝わりそうな祝の熱。三破月はゆっくりと待った。
「……友達なんです。小さな頃から一緒に過ごしてくれた、大事な友達」
「花野ちゃん」
「人形が友達とか、この年になって言うのも変だっていうのもわかってるし、いなくなった、っていうのも自分が無くしてしまったんだっていうものわかってるんです」
「ふーん」
「だけど、だけど、そう言うしか無くて…ううん、そう、言いたくて」
「それで願い事を叶えてくれる石の声に答えたんだ」
祝は頷いた。
「そうなんだ」
三破月は答えた。遠くを見ながら。
そうか、わかってしまった。この子はいい子だ。間違いない。そして、おそらくだがもうひとつ、わかってしまった。その事が正しいなら、確定になる。
「その人形の居場所、本当はわかってるんでしょ」
「……居場所は、わかりません」
「居場所…ね」
それはつまり、彼女にとって友達を誘拐した相手に検討はついている、と言うことだ。
「どうしたいの?」
「私はただ、あの子が戻ってきてくれたらそれでいいんです」
犯人さえも許そうとするのは、彼女の弱さというよりは、優しさなのだろうと思った。三破月は、自分に害なす人間をそこまで許すことは出来ないからだ。しがらみは残すだろうし、やり返そうとさえ考えるだろう。こんな不思議で圧倒的な力を手にしてしまったなら尚のことだ。
それをせずに、恨まず、取り戻せればいいと言う彼女は、三破月にとって初めての人物だった。
願い事が叶うったって、戦わなきゃならないことを知らないはずはないのに、とも思う。最初に石にそれだけは言われているはずだからだ。
ああ、そうか。だから声をかけてきたのかも知れない。友達のために覚悟を決めて。そしてやはり彼女は自分から攻撃することは出来なかった、というところだろう。三破月はなんだかもどかしい気持ちになった。
「この山には練習しに来たの?」
「あ、はい。私、この山の近くで。部屋でもやってたんですけど、わからないことの多さと力加減の難しさで限界を感じて。やり過ぎて家族とかに迷惑がかかったら大変じゃないですか。不知火さんもそうじゃないんですか?」
困ったような笑顔を向ける祝。どうしてそんなにも誰かのことを考えて動けるんだろう。そう思うとますますもどかしさは増していった。
ただ試してみたい、などという己の欲望に忠実な自分が恥ずかしくなる。三破月は笑っていた。
「ううん、私は違うよ。私は単なる月見」
「あ、そうなんですか。そう言えば凄く慣れてそうな振る舞いでしたし、月も、うん、綺麗ですもんね」
「慣れてた訳じゃないよ」
単純に攻撃してくるような相手がひそんでいたら、対抗しようと考えていただけだ。昨日もそうだったとは、あえて言わないが。
「警戒してただけだもん。内心、ビクビクもんだったよ」
「あ、そうだ。私がなかなか出ていけなかったから…すいませんっ」
慌てて頭を下げる祝。
それはあの状況ならお互い様だ。三破月はそんな風にも思っていたが、ふと別のことを思っていた。
普段ならここまで自分を下にするような人間とは、付かず離れず無難な距離感で相手をする。しかし彼女に対してはその距離感を掴めそうになかった。
むしろ近づきたいと思ったいたのだ。
それがもどかしさからの探求心なのか、好奇心からの使命感なのかはよくわからなかったが、この目の前の少女と仲良くなってみたい、そう思い始めていた。
なぜなら彼女は、
「花野ちゃん…ううん、祝ちゃんは優しいなぁ…」
「不知火、さん?」
突然の名前呼びに祝は驚いた。三破月は気にせず腕を上げ、背中を伸ばした。
「実はさ、私、不知火って呼ばれ方好きじゃないんだよね。堅苦しくない?字的にも、響き的にも」
「え、えーと、まぁ、そう言えなくもないかと」
「だからさ、祝ちゃん」
立ち上がりながらもう一度呼ぶ。祝はそんな三破月を見上げていた。
「私のことは三破月の方で呼んでよ。ね、祝ちゃん」
月明かりに、彼女の瞳が大きく見開かれるのがわかる。次に息を飲むのも。彼女は人間の友達とのやり取りにあまり慣れていないのだろう。だから静かに、穏やかに答えを待つ。
なぜなら三破月は、彼女の友達になりたいのだから。
「………はい、あの、三破月…ちゃん」
「よし」
三破月はなんだかくすぐったかった。その感覚はとてもいいことを閃かせた。
「そうだ!もし私が願い事を叶えられそうになったら、その人形を取り戻してあげるよ」
「え、そんな、悪いです。三破月ちゃんは三破月ちゃんの」
彼女ならそう言うと思っていた。だが、もう三破月の中では決まったことなのだ。
「私の願い事なんかもう叶ってるんだって。だから大丈夫」
「ええ!もうですか?」
祝は口を覆って驚いて見せた。三破月はそんな彼女の仕草がなんだかいちいち可愛く見えてきた。楽しくなってきた。
「うん、だって私は夏休みを楽しく過ごせたらいいと考えてただけだからね。こんな不思議体験出来たら、もう充分…さらにさ」
「さらに?」
「いい、月見友達も出来たしね。もう、この上なくない?」
瞳を合わせながら微笑む。口を覆っていた祝は息を止めたように固まって、続いてせきを切ったように頷いた。
「はい。はい、はい、そうですね。友達、ですね」
「あはは、祝ちゃん、そんなに首降ったらもげるんじゃない」
三破月はさらに思い付いた。
「明日さ、私の友達と三人で遊ぶんだけど…一緒に来ない?」
「ええ!いやいや、私なんかが参加したら他のお二人にご迷惑が」
「祝ちゃんも、もう友達だよ。それに私の願い事、夏休みを楽しく過ごすってのはそう言うことだよ」
「でも、やはり」
しどろもどろに断ろうとする祝に、今度は三破月が肩を落とした。ぶつぶつと呟く。
「あーあ、だったら祝ちゃんの願い事、叶えられないかもしんないなぁ。私、祝ちゃんとめっちゃ遊びたいからなぁ…祝ちゃんと私と私の友達、んでもってその人形の友達と遊びたいって願っちゃうかもなぁ」
ちらちらと祝を見る。
「そんなぁ…そんな脅迫、ずるいですよ」
祝は困ったように見返している。
「そんな私だけが得するような脅迫、認められないですよ」
「じゃあ、来てよ。そうすれば私も祝ちゃんと遊べて、祝ちゃんの願い事を叶えてあげられる」
どうだと言わんばかりに今度は明るく提案する。祝はずいぶんと迷った挙げ句、
「…時間と場所、教えてください」
折れてくれた。
三破月はとても嬉しくて、祝を抱き締めた。
「決まり!明日、待ってるね。あ、連絡先も教えるね」
「み、三破月ちゃん、苦しいです」
そう言う彼女も可愛らしいな、と思いながら、それが本気の苦悶だと気がついて慌てて解放した。忘れてたが、この姿の時は相当な力が出ていたのだ。
「じゃあ、また明日ね」
「はい、また明日。三破月ちゃん、気をつけて」
連絡先の交換もすんで、三破月は祝と別れた。
帰り道、この不思議な力以上に体が軽く感じたのは、新しい出会いに興奮しているからだろう。この不思議な力のことを共有できる優しい友達との出会いに。
あの石と出会ってから、三破月は最高に充実した時間を過ごしている。
だから、想像もしなかった。
願いを叶えるために必要な戦いを避けられないと言うことを。