第一話 『少女、変身ス。』
(1)
暗く閉ざされた場所を自ら作り、その人物は微笑んでいた。
「もうすぐ会える…もうすぐ。星の導き、年月の流れ。すべては今日から始まる再会の日のための儀式」
その声は、ひどく不気味だった。
(2)
七月後半。夏休みになったばかりだ。補習を終えた不知火三破月は、友人二人と並び、だらだらと帰り道を歩いていた。
「あっついよー」
「あついな」
「あついよね」
輪郭をなぞるように流れる汗を拭いながら三破月が言うと、友人二人もそれに重ね唱えるように言った。
右を歩く友人、カルカは言う。
「なんか冷たいもんでも食べるか?」
「あ、いいね。夏は新作いっぱい出るし」
左を歩く友人、チエリは微笑む。
二人は覗き込むように真ん中を歩いていた三破月を見た。三破月は友人二人の視線を受けながらも、太陽の方を見上げ、うーんと考えた。
「あー、行きたいのはやまやまだけど、今回はパスろうかな」
「えー、行かないの、ミーちゃん」
「どうした…って聞くのは野暮ってところか」
カルカの気の毒そうなものを見るような表情に力なく頷き返した三破月。チエリも少なからず察したようだ。その答え合わせをするように、
「…補習が決まったら小遣い回収された」
そう言った。
「結構厳しいもんな、お前んとこ」
「厳しいってか、信じらんなくない?渡したもんを回収したうえに、一日ごとに分割して返すって」
「あははは」
チエリは誤魔化すように笑った。
「じゃぁ、やめるか?」
「んーどうしようかな」
「少しだそうか?」
「いや…あんましそう言うのしたくないし、今日は本屋で涼んでから帰るよ。二人は?」
三破月が今度は友人二人に問いかけた。
「私は来週に部活の合宿あるから、昼からはそっちのミーティングに呼ばれてる」
「とりあえず明日で補修終わりだもんね、そっか、大変だね。チェリは?」
チエリはもともと補修ではなく、友人二人に付き合って来てくれていただけだ。
「なら私ももう帰るよ。あっ、でも本屋には私も行きたいから着いていっていいかな?家族旅行のときに本のも一冊は欲しいってお母さんに頼まれてたんだ」
三破月は断る理由なんて一つもなかったので喜んで了承した。そのあと、寂しそうなカルカを誘ったのは言うまでもない。
「じゃあね、二人とも」
「ん、また明日な」
「またね」
本屋を出て、カルカとチエリと別れたあと一人になった三破月はだらだらと歩き始めた。友人二人と歩いていた時から感じていたアスファルトの照り返しは、一人になると余計に強く、暑く感じる。汗ばむ服をばたつかせ、なんとか涼を求めるが難とも焼け石に水だった。役に立たないし、何よりその行為そのものに体力の消耗を感じる。
どこか休める避暑地になりえる場所は。そう探して三破月が見つけたのは、どこか町中にありながら人の目にあまり止まらぬような感覚を覚えたバス停留所だ。あくまで感覚だ。それにそんなつまらないことを気にしている余裕は三破月にはなかった。
屋根もある。ベンチもある。少しくらいの手持ちと飲み物の自動販売機がある。助かったと思い、導かれるように向かった。
「プッはぁ、生き返るわぁ…死んでないけど」
自分の言った言葉に思わず笑い、結局、数少ない小遣いから購入した飲み物を飲み干した。
「楽しそうね、あなた」
笑われたような気配がしてふと横を見ると、いつの間にか一人の女が座っていて声をかけてきた。気がつかなかったなと思いながら三破月は少し恥ずかしげに答えた。
「楽しいっていうか、自分の言った言葉に笑えて」
「ああ、死んでないのに生き返るってやつね」
反芻されるとより恥ずかしい。まさか最初から聞かれていたとは。
「死んでたら…生き返れないものね」
「え…」
女の思いもよらない言葉に、三破月は聞き返した。本人はなんとも涼しげな顔だ。よく見ると、汗一つかいていない。それどころか、寒気を感じる。その、女からだ。まさかそんなことは。
「あなた大丈夫?顔色、悪いわよ」
「え、あ…大丈夫っスよ。暑くてへばってるからかな」
初見の人間をまじまじと見てしまった。それどころか勝手に不気味さを感じたあげく、あからさまに顔に出たらしい。これは何とも気まずい。
三破月は立ち去ろうとした。すると、
「あら…」
女は何かに気づいたように首を傾げた。三破月を、三破月の着ていた服を見ていた。補習に赴くにあたって着ていた学校の制服だ。
「あの、何か?」
「もしかしてあなた」
学校の名前が告げられる。制服を見て判断できる者は少なからずいるだろう。三破月は無難に頷き返した。
女はやっぱりそうか、と微笑んだ。まるでさっきまでの不気味さが一気に払拭されるようや表情だ。よく見ると、大人なのに可愛さが残るような顔だたちだ。なぜ自分は不気味さなどと思ってしまったのだろうと疑問が浮かぶほどだ。
「部活?それとも…」
「補習に」
自然と笑いながら返していた。女もクスクス笑った。
「そう、大変ね、学生は。でも今、その瞬間は大事なものよ。大切にしなくてはならないわ」
真っ直ぐな目をして女は言う。三破月はきょとんと間を開けた。女は続ける。
「今、このときは貴女が生きている間ずっと貴女の記憶に残るの。それこそ貴女が今生きている倍の年を迎えても…忘れたって、思い出す。もしかしたら忘れないなも知れない。繰り返して、繰り返して。継続して…だから」
そこまで言ってはたと気がついたのか、女は照れくさそうに笑った。
「ごめんなさい。変な話になっちゃったわね。だからね、つまりね」
女はどこからともなく小さく輝く石を取り出して三破月の前に差し出した。三破月が見ていると、
「楽しく過ごしてねってこと。これ、あげるわ」
「これは?」
「これは何でも願い事が叶うイベントに参加できるパスらしいの」
「へぇ…なんか嘘っぽ」
そこまで言って口を押さえた。さすがに怪しさを差し引いても失礼な気がしたからだ。しかし女はクスクス楽しそうに笑っている。
「本当にそう思うわ。だってこれ、イベントに参加するためにはこの石の声を聞かないといけないらしいの。残念なことに私には聞こえなかったから」
「そりゃ」
「だから今度は貴女が試してみて。少しでも夢のある夏休みを過ごせるように…ね」
最後の「ね」は決め台詞だ。三破月がそのキラキラと赤く輝く石を受けとるための。
それから三破月と女は別れた。またね、と言った女の名前を聞き忘れたことを思い出したのは、暑さから解放された自宅のクーラーに救われてからだった。
(3)
どうすればいいんだろう。
三破月は自室のベッドに仰向けに寝転びながら石を掲げて悩んだ。三破月だって別に願い事が叶うイベントなどがそうそうあるとは思ってないし、何より石の声を聞くことが参加できる条件などと言うことを信じているわけではない。
問題は、石そのものの価値だ。
「まさかルビーだったとは…」
あれから簡単に調べてみた。すると、どうやら本物の宝石らしい疑いが出てきた。もちろん素人鑑定だが、本物だとしたら大変なことになる。持ち主に返したい。
「ってもなぁ、よくよく思い返せば連絡先も知らないし…」
何より、一度もらったものだ。返すのも失礼だろうか。
そんなこんなを悶々と考えていると、午後六時を示す時計が目に移った。そのときだ。
ワレヲヨベ。ネガイモトメルモノヨ。
その声が聞こえたのは。
「!?、!!?」
三破月はベッドからとぶように体を起こすと、辺りを見渡した。誰もいない。当然だ。兄弟はいないし、両親はそれぞれの場所にいる。母親はキッチンで父親はまだ帰ってきていない。
なのに、声が聞こえた。
低く、響く、何者かもわからない声。
「幻聴ってやつ…」
落ち着きを取り戻そうと握り拳を胸に当てる。すると、自分が握りしめているものに気がついた。あの石だ。真っ赤な輝きを放つルビー。
まさか、と思いつつもおそるおそる手のひらのルビーを見る。何の変哲もない、単純に綺麗な石だ。が、しかし、
ワレヲヨベ。ネカイモトメルモノヨ。
また聞こえた。気のせいだろうと思うが、視線も合ったような気がする。
「嘘でしょ?本当に…声が聞こえた…」
自分で確認するように呟く。そう、確かに声が聞こえたのだ。あの女の人には聞こえなかったと言う、石の声が。
三破月はなんだか興奮してきた。まさかまさか、本当にこんなことが起こるなんて、と。
振り返ると、冴えない夏休みの始まりだった。成績は芳しくないし、その上でお小遣いも没収制限がかかった。補習はあるし、暑いし、友人たちは長期的に出掛けると言う。
そんな三破月に降り注いだ、数少ないワクワクするようなことだ。興奮しないはずがない。しかも願い事が叶うかもしれないと言うおまけ付き。
三破月は、石がなんと言うのか続きを待った。
ワレヲヨベ。ネガイモトメルモノヨ。
ワレヲヨベ。ネガイモトメルモノヨ。
ワレヲヨベ。ネガイモトメルモノヨ。
しかし、いくら待ってもそれしか言わない。二十三回目になるとさすがに飽きてきた。むしろ煩いだけだ。
ワレヲっ、ぺし。
「なんて呼べばいいか、わかんないっつうのっ!」
怒りのままにベッドに叩きつけた。同じことしか言わない。これではテレビやラジオ、音楽を流していた方がまだましだったとさえ思った。数十秒前のワクワクを返して欲しい。
ワレ、
「あー、また」
もう耳を塞ごうとした。ところが、
シシデアリ、ウマデアル。ナンジトトモニタタカウモノナリ。
「…うぉ!別なこと言った。言ったよね?なんだ、言えるじゃん!!」
三破月は、また興奮して鼻息を荒くしながら石を手に取った。なんだかより輝いて見える。
「なになに、なんて呼べばいいかわからないって言ったから答えてれたの?にしてもシシデアリ、ウマデアルって…」
いくら考えてもこれしか出てこない。
「動物には見えないっつうの」
なんだか笑えてきた。光明も見えたからだ。条件はいまだにわからないが、少なくとも今現在で言えばこちらに応答してくれる。それで充分ではないか。少し反応の遅いのも、田舎のおじいちゃんを相手にしていると思えば大したことはない。
三破月はにやにやしながら次の質問をした。
「なんじとともに…それって私と共に戦うってことだよね?どうすればいいの?」
繰り返して続けていた言葉の意味を整理すると、石はこう言っているのだ。
我を呼べ。願い求める者よ。我は獅子であり、馬である。汝と共に戦うものなり、と。
つまり、願い事を叶えようとするなら、この石を使って戦えと。しかもキーワードは獅子と馬らしい。よくはわからないが、それだけはわかった。
だから楽しみに待った。石が答えてくれるのを。石は答えた。
ワレヲヨベ。シシトウマヲタタエツツ、ナンジノコトバデ。ソノトキ、ネガイモトメルモノヨ、ワレハナンジトトモニタタカオウ。
我を呼べ。獅子と馬を讃えつつ、汝の言葉で。その時、願いを求める者よ、我は汝と共に戦おう。
三破月はにやにやが止まらなかった。
獅子と馬を讃えつつ、自分の言葉で石に呼び掛ける。そうすればこの石は、何かとんでもない楽しそうなことを自分にしてくれるらしいからだ。
「くっふぅ。本当だったんだ。本当だったんだ。本当だったんだ」
ベッドの上でじたばたした。興奮し過ぎでうずうずする。さぁ、獅子と馬を称える魔法使いの使う呪文のような言葉を考えなくては。こういう楽しいときだけフル活動する三破月の頭脳は、なんとなく格好良さそうな言葉を紡いだ。
ベッドから降りて姿見の鏡に自分を写す。石を構える姿はなんとも昔夢見た気がする魔女っこもののヒロインのようだ。さすがにもう憧れこそないものの、それでもこの高揚する想いはそれに近いだろう。
さて、始めるか。三破月は口を開いた。
「敵穿つ牙もつ獅子よ、風の如く地を駆ける馬よ、私に力を貸しなさいっ!!」
三破月は光に包まれた。
(4)
「ひゃははっ。これは…ヤバ楽しいっっ」
太陽が沈み、夜が来た。完全な闇に包まれるほど街灯がすくないわけではないが、それ以上の高さとなると話は別だ。人工的な光はなく、自然的な輝き、月明かりのみの世界は穏やかに暗い。今、三破月は星に近い場所を跳んでいた。
眼下に見える町。いつも見慣れた家の並びや道、信号機などの設置物も文字通り角度を変えるこんなにも違って見えるのか。三破月はにやつきながら着地した。
三破月は、あくまでも跳んでいるだけなのだ。だから緩やかにだが落ちていく。それでも充分に人知を越えたような所業だったが、すでに慣れ始めていた。そしてこれは全て、あの石の力だったからだ。
あの不思議な石の力だからこそ、三破月はこの不思議な現象を受け入れることが出来たのだ。
あのとき石は、返ってきた答えの通り三破月の考えた言葉を伝えると強く輝きだした。それは三破月を包み込むほどの耀きだった。
あの輝きが収まると、三破月は直ぐ様自分の体に何かしらの変化が起こっていないかを確かめた。変化は直ぐ様わかった。姿見に写る姿を見てさらに確信を固めた。
変化した箇所は二ヶ所。足と腰元だ。
足にはブーツと鎧の合い中のような物がいつの間にか身に付けられていた。飾り、と言うよりも全体的なデザインが鎧のイメージを強くしているようだ。何で靴、などと思わなかった。むしろその靴は何なのか早く聞きたいくらいだった。
その前に腰元も確かめる。腰元には、正確には特別な変化はない。あるのはその腰元を漂うように浮いている曲線を描くような物体だ。これが刀だと理解するのに時間は要らなかった。その分かりやすい形状は、よほどのことがない限り知らない者はいないからだ。
それに体全体を包む何かを感じるのだが、大まかな変化はこの二つだろう。
「で、で、これでどうすんの?何すんの?」
自分と姿見を交互に見つめながら、いつの間にか刀の柄の部分に移動していたルビーに話しかけた。
「………おーい。ルビーくーん?」
が、今度はいつまで経っても返事はなかった。どうやら変化を、いや、変身を促した段階で石の役目は終わったのかも知れない。確かに戦えそうな姿である以上、石は最低限の約束は果たしたのだから。
しかし、それで納得できる三破月ではなかった。
「ちょっと冗談でしょ?こんな中途半端にチュートリアルを終了すんなってのっ!もう少し、せめてこの武器とブーツについてくらいなんか言えってのっ」
怒鳴る。が、やはり返事はない。もう石はただの飾りに成り下がったようだった。先程までの自分に高揚感を与えてくれる存在にはなりえないのだ。今のところ、残念なことに。
それはいい。
もう高揚感は諦めるから教えて欲しい。この変身は解けるのか。切実な願いになる。
一応脱ごうと、剥がそうとした。ところが靴は脱げない、刀は剥がれない。むしろどうして浮いているのかわからない刀を、普通の人間である三破月がどうこう出来るのか疑問しか残らない。
「ぐ………ルビーめ」
石をこずく。返事はない。ああ、もう。三破月はいらいらに床を踏んだ。すると、
ドン。
家全体が地震でも来たのかと思ような衝撃に襲われた。それが、自分が怒った地団駄によるものだと気がつくのに、かなりの時間がかかった。心配そうな母親の声に返事をし、窓を開け、この家以外はそんなことを心配するそぶりもないことを確かめたあとだった。
「私が…今やったんだ…私が力を込めて踏んだから、揺れたんだ」
体が震えてきた。恐怖からではない。新しい何かが見えて来そうで、その喜びに震えているのだ。先ほど諦めかけた高揚感も再び現れている。
ドタドタドタ。なるべく静かに階段、廊下を渡ろうとするが大きめの音で軋む。
「ちょっと、さっき凄く揺れたばっかりなんだから静かに歩いてよ。恐いじゃない」
母親の声がする。「ごめん」と台所に顔を出すと声が聞こえた母親がこちらを探している。
「あれ?」
探しているのだ。顔を覗かしている三破月を。おかしいと思いながら、もしかしたら、と近づいてみる。ある程度近づくと、
「あっ、ビックリしたぁ、もぉ。どこに隠れればそんなにいきなり現れるわけ」
ようやく気がついた、と言わんばかりの母親に言われた。
「ごめん、ごめん。今、カルとチェリとでかくれんぼが流行っててさ」
「かくれんぼ?また珍しいことを」
「…で、さ、ママ」
「何よ」
本題に入る。ぐるり、と母親の前で一回りする。
「だから何よ」
「…ん、わかんないならいいんだ」
「髪でも切ったの?」
「んーん」
「何よそれ。あ、ミー、それよりも制服シワになるから早く脱いでよね」
そう言うと母親はまたコンロに向き直った。
見えてないんだ、この姿が。このブーツと刀が。
うずうずする。三破月は早くこの二つの不思議な力を試してみたくなった。そのときには体はもう動き出していた。
「ママ、ごめん、ちょっと出掛けてくる」
「えー、今から…ってもう居ないわ」
母親は玄関を閉める音にそう呟いた。
外に出て、辺りを見回す。住宅街だがうっすらと闇が迫り始め、人影は少なくなってきている。母親に試したことを含め、おそらくだがこの姿の不思議な力に二つ、心当たりが出来た。その一つ目は姿を隠すような力だ。
声は聞こえていたようだが、認識が甘いと言うか、近づかなければ相手に気づかれないようだ。半信半疑ではあるが、そんな夢のような力が宿っている可能性がある。
そして二つ目はあの家を揺らした力だ。
まるで大地を揺らすような脚力。わりと筋力はある方だが、それにしても全体を揺らすとなると無理だろう。だが、この姿の力だと考えれば全て合点がいった。
むしろ、もうそれしか考えられない。
だから、試してみる。
夜と昼をまだ繋げているあの空へ向かって、跳んでみるのだ。
三破月は、力強く、あの高い高い空を目指して跳躍した。
「あー、楽しかった」
この辺では一番高い電波塔。そこにしがみつくように町並みを見下ろす。いい気分だった。雲を突き抜けんとする跳躍も、そこから見える景色も。想像通り、人の目にもつかないこともだ。
気になるのは、空にも町の中にも、ふよふよと漂う緑色のわたあめのようなものが見えるようになったことくらいだろうか。触ると、ぱぁ、と散るだけで別に害もなかったのでそこまで気にしなくてもいいだろうと思うが。
「さてと。ぼちぼち帰りますかね」
時間を確かめると、八時前だ。家を飛び出たのが六時半を過ぎた頃だったから結構な時間を跳び回ったことになる。星空を近場で見れたことと、現実味のない事実にいまだに夢心地の三破月は帰路につくことにした。
跳んで帰ろうかと思ったが、自宅まではそう遠くない。人に見られる心配も無さそうなので歩きながら刀の方を見てみようと思った。
ストン、と地上に降り立つ。重力をものともしない気分はまるで地上に舞い降りた天使のようだ。刀さえ持っていなければ。そう思いながら、三破月は刀を手に持った。
刀は剥がれない。しかし抜けないわけではなかった。ちゃんと柄を持ち、刃を滑らせる所作をすれば鞘から抜けるように取れる。納める場合も、逆に行えばいい。
歩きながら、一応の人の目を気にしながら刀を掲げる。形自体は刀の刃だが、素材は鉄ではなく青白く光るクリスタルのようなものだった。
「武器があって、ルビーが言ってた戦えって言葉から、敵かなんかがいるわけだよね」
ルビーが答えてくれなくなった以上、あとは自分でどうにかするしかない。するしかないのだが、正直なところ三破月はすでにもう満足していた。
「よくよく考えてみたら私、既にもう願い事が叶ってるや」
そうなのだ。これほどの体験をさせてもらって、三破月はもう充分に満たされてしまったのだ。願い事なんていくらでもある。ならば三破月が一番優先すべき事は、楽しいこと。
その楽しいと思えることを、一時間以上も体験できたのだ。もはや文句なく、願い事は叶った。
三破月は刀を鞘に納め、あとは使い方よりも直し方だなと考えた。でもなんとかなるような気がして楽観的に鼻歌と共に歩き出そうとした。そのとき、
「あんた、プレイヤーだよねぇ?」
三破月は声をかけられた。
どきっとした。
まさか私に気づくなんて、と。この、他人に認識されづらくなっているはずの、この今の私に、と。
声の方をおそるおそる振り向くと、壁に寄りかかってやたら偉そうに腕を組んでいる小柄な少女がいた。自分とそう変わらないだろうと思っていたが、予想よりと小さい。
しかし、
「でぇ?どぉなのさぁ、プレイヤーなの?違うの?」
態度は大きかった。少女の表情が微妙に腹立たしく動く。
「プレイヤー?何それ?ってか見えんの、あんた、私が」
「見えんのって、あんた…」
少女は驚いたようだ。そして続けざまにお腹を抱えて笑いだした。三破月は不機嫌に顔をしかめた。
「あー、おっかしいぃ、マジうけ、うけすぎて、逆にきつ」
「だから、プレイヤーって何!」
「あんた、頭悪そうだもんね?それともゲームはお子ちゃま向けすぎて私はやりませんよ的なキャラ?まぁ、どっちでもいいんだけどさぁ」
ようやく気がすんだのか少女が動き出した。着いてこい、と促している。三破月は不機嫌なまま着いていった。
場所は脇道に入ってすぐにあった、公園とかかれた広場だった。
「プレイヤーってのは、こうやって石の力を使って変身した私みたいな人間のことを言うのよ」
公園の外灯ではっきり見えた。少女の腰辺りに紫色の紐のようなものが何重にも巻かれてコルセットのようになっているのが。そしてその背後に見えていた大きめのリボンのようなものが、二本の剣だったというのことも。
「プレイヤーなんて呼び方、石は教えてくれなかったし」
「教えてって…ぷは、だから、ゲーマーじゃないの相手にするのは話が遅すぎて困るんだよねぇ」
「いちいち腹立つんだけど、あんた」
「べっつにぃ、あんたに腹立たれようが、関係ないしぃ。ってか説明してやってんだからさぁ、大人しく聞けってぇの」
「ぐぬぬぬ」
振り上げた拳を一度下ろした。話を聞いてからでも遅くないからだ。
「あんたの石もぉ、おんなじこと言ったんじゃないのぉ?願い求める者よ、汝と共に戦おうとかなんとか」
確かに言った。三破月は肯定した。
「てことはさ、逆に言うと、」
少女の目がギラリと光る。
「戦いに勝ったものだけが、願いを叶えてもらえるってことでしょう?少しでもラノベやゲームをかじった人間なら…ってかこんな変身するような力を見せられたら、普通は気づくって」
また笑う。
「だからさぁ、あんた、さっき願い事は叶ったとか言ってたよねぇ?」
「はぁ?だからなに?」
「教えてあげたお礼にさぁ、」
少女が笑って屈めていた姿勢から後ろに手を回し剣を掴んだ。来る、反射的に三破月も刀の柄を握った。
「負けてよ、ねぇ」
強い踏み込み。三破月は知っている。自分もつい一時間ほど前に出来るようになった動きだ。だが、
「なっ、避けるのなしっ」
避けれない速さではない。むしろ少しだが自分の方が早い気がする。刀を抜くよりも先に体がそう判断した。
「ちょっと、ちょっと、ちょっっっとぉ。どぉぉぉして避けるのさぁ。教えてあげたし、あんた願い事叶ってんだからさぁ、別に構わないでしょぉが」
苛立たしげに少女が言う。三破月は答える。
「そうだね。わたしの願い事は叶ったも同然」
「なら…」
「ほぼね」
「ほぼ…だぁ?」
三破月は刀を抜いた。
「楽しいことをこの夏休みに体験するのが私の願い。そして今、」
今度は少女が構えた。三破月が突っ込んでくるのを予感したからだ。そしてその予感は当たる。
「あんたに勝った方が、もっと楽しいことが続きそうな気がする。だから、勝つことにするっ!」
(5)
三破月の前に現れた少女の名前は 雷 鳴々夜。蟹と蛇と共に戦う少女だ。
「くっそ、早い…ちょこまかちょこまかと…」
「なにそのコルセットモドキ。キモい動きで攻撃防ぎすぎ」
速さでは三破月は有利だった。最初に感じていた通り鳴々夜の方が遅く、また動きもしっかりと捉えることが出来る。ところが鳴々夜は逆に防御に優れた武装のようなのだ。紫色のコルセットが帯状の、まるで蛇のように近づくことを許さない。しかも刀で切りつけるも、その本体は硬い。
一進一退。
正直なところ、もう疲れてきたし三破月は手早く終わらせて帰りたかった。時間ももう九時前だ。このままでは母親から晩御飯抜きをくらいかねない。お小遣い没収のうえにそれはなんとしてでも避けたい。
「仕方がない」
だから、この一撃で、
「決める」
逃げようと思っていた。
こちらの方が速いし、向こうもなかなか疲労困憊のようだから逃げる切れるはずだ。こちらには引く理由があって向こうには勝った気分を与える。それで良い。
「…だね、私もそろそろそうしようかと思ってた。あたしさぁ、ゲーマーだから、あんま体動かしすぎる系は苦手なんだよね」
「なら、いくよ」
「来なよ」
「だぁっ!」
掛け声と共に鳴々夜に突っ込んで行った。と、見せかけて真上に跳ぶ。不意をつかれた鳴々夜は一瞬こそ見送ったが、すぐさま跳んで追い付いてきた。しかし、届かない。
やはり自分の方が早く、高く跳べる。それを確信に変えた三破月は逃亡モードに切り替えようと刀を納めたが、
「なっ!」
コルセットに捕まった。蛇のように絡み付く。
「逃がさないってぇの」
「あーもーっ!」
完全に一対一の相手を倒すまで逃げられない状態にまで追い詰められてしまった。なら、やるしかない。
鳴々夜も二本の剣を交差させるように動かしてくる。なら、どうする。
この超人的になった体ならあの剣でも傷つかないかもしれないし、この刀でも傷つけないかもしれない。だけど、あんまりそういうのは楽しくない。なら、何が楽しくて正しい。
─そうか、武器破壊だ。
楽しいときにだけフル稼働する三破月の頭脳は、これをゲームと捉えて攻略法を考えた。最善の策だ。
もう迫る鳴々夜の刃に臆しては間に合わない。迫るその刃そのものを狙い打たねばならないから。三破月は柄を握りしめ、刃を鞘に滑らせるように勢いよく抜いた。
三破月は知っていた訳ではない。それが武術の道で「居合」と呼ばれる高速剣術であることも、今の自分がそれを何倍にも活かせる力があることも。
ただそれは、鳴々夜の二本の剣を砕くには至らなかった。鳴々夜の手から弾いただけだ。ふと、そのとき、やたらと輝く箇所があることに気が付いた。おそらく三破月の刀にも着いているあの不思議な石だ。
三破月は本能的にそれを追撃した。
どさ。
もつれるように地上に落ちてきた三破月は地面に叩きつけられた。痛みこそ少ないものの、現状把握が出来ず焦って立ち上がった。そこにはもう鳴々夜の姿は無かった。
「あれ…どこ行ったんだろ」
見回してもいない。代わりにあの、砕いたはずの鳴々夜の石があった。
「これ、あいつんだよね?…逃げた?ん?」
しばらく考えたがそうとしか考えられない。それは、つまり、
「私の勝ちだっ!ひゃほぉう!」
三破月は喜びを噛み締めながら勝者の印としてその石をしまいこんだ。今度あの少女に出会ったときに、余裕の笑みで返してやるためだ。
「さて、それじゃぁホントに帰りますかね」
こうして気分よく帰り道についた。
その日、三破月が母親から怒られ、晩御飯が抜かれたのは言うまでもない。