兆し
君が何者か、知りたいだろう?
……などという、思わせぶりな発言をして少なからずファルを動揺させたクイートは、しかしそれについてすぐに説明してくれるつもりが、まったくないらしかった。
「今はまだ、その時じゃないんだ。あとひと月ほど、待っておいで」
そう言われ、もちろん、ファルは大いに不満を表明した。
「なんで、ひと月も? いちいち勿体ぶるのは、クイートの悪い癖だよ。それとも、今そんな話をしても、頭の悪いわたしには理解できないと思ってる?」
唇を尖らせるファルを見て、クイートは軽く笑った。
「勿体ぶっているわけじゃない。こちらにも、いろいろと都合があるということさ」
「忙しくて時間が取れないっていう意味?」
「確かに忙しいけど、そういうことでもない。正確に言えば、『こちら』の都合ではなく、『あちら』の都合が、という意味」
「あちら?」
「でもそうだな、実際、俺がこの場ですべてを話しても、君には理解できないと思うよ。頭が悪いからではなく、どうも今現在の君の許容範囲には入っていないようだから。持っている知識の量は少ないくせに、君はわりと偏狭だよね。常識に捉われすぎて、逆に自分自身をその中に閉じ込めている」
「はあ……?」
「口で言って納得できないことなら、その目で見て納得してもらうしかないじゃないか。俺だってそこまで事を運ぶのは、いろいろと大変なんだし、面倒なんだよ。本当、他人に借りなんて作るもんじゃない。バカな連中の後始末もしないといけないしね」
「だから……」
「というわけで、じゃあこれで」
「ちょっとちょっと!」
相変らずのマイペースさで、クイートはファルの混乱などお構いなしに、さっさと部屋を出て行ってしまう。
「……もう!」
パタンと閉じられた扉に向かって、ファルは思いきり枕を投げつけてやった。
***
そういうわけで、今のファルは、ただひたすら、「その時」を待っている状態である。
忌々しいが、仕方ない。あれからクイートは、すっかり姿を見せなくなった。どうやら本当に、様々な対応に追われて忙殺されているらしい。塔の中の一室に監禁されている身では、こちらからクイートに対してコンタクトを取ることは不可能なのだ。
じりじりとした気分で時間が過ぎるのを見ているだけなのは以前と同じだが、それでもあまり鬱屈せずにいられるのは、多少なり、目標とすべき地点が見えるようになったからかもしれなかった。
「よう、メシだぜ」
錠が開けられる音がして、ぞんざいな台詞とともに、のっそりと部屋の中に入ってきたのはゴウグだ。
あの襲撃騒ぎの後、ファルを取り巻く環境は、ほんの少しだけ変化した。ずっとファルの世話を焼いてくれていたエレネが姿を消し、その代役をゴウグが務めている。
やはり手が足りないのと、警備をより厳重にするということでか、ゴウグ以外の人間の気配もちらほらと感じるようになった。彼らは決して部屋の中には入って来ないので、ひそひそと交わされる声や、ゴウグのものではない足音などを聞くだけで、ファルが顔を見ることはなかったのだが。
「しっかり食えよ」
がっしりとした大きな手が、テーブルの上に食膳を置く。こういうことには慣れていないのか、その手つきはいかにも不器用で、大雑把だ。
少し動きがぎこちないのは、まだ肩の怪我が治りきっていない、というのもあるのだろう。
「エレネさんの様子はどう?」
ファルが訊ねると、ゴウグは一瞬、言ってもいいのかどうか判断に迷うような顔をした。クイートからは、その点について何も指示がなかったらしい。
しばしの間、彼の中で何かと何かがせめぎ合っているようだったが、やがて決着がついたのか、ファルに向かってしっかりと頷いた。
「まだ絶対安静なのは変わりないがな。でも、意識ははっきりしてる。お前のこと、心配してたぜ。俺みたいな無骨な男に世話をされて、さぞかし不自由なさってるだろう、お可哀想に、と涙ぐまんばかりだった」
ゴウグは面白くなさそうに言ったが、その顔には安堵もまた浮かんでいる。
塔を襲撃してきた男によって重傷を負わされたエレネは、現在、どこかの建物のどこかの一室で、治療・静養中であるという。自分がいる場所さえ知らないファルには、彼女がどこでどんな状況に置かれているのかも知り得ないが、クイートの命令のもと、手厚い看護を受けているのは間違いないようだった。
「そう。だったら、よかった」
ファルはそう返事をして、フォークを手に取って肉に突き刺し、口に運んだ。もぐもぐと咀嚼しながら、傍らに立つゴウグを見上げる。
「ゴウグさんは、どう? 傷はまだ痛む?」
「いかにも、もののついで、という感じだな」
「大丈夫? って聞くと怒るくせに」
全身が筋肉に包まれたようなゴウグは、自分の肉体の頑健さと強さを、なにより誇りにしていた。少々過信があったのも否めないが、彼の自負はそれまでの経験と実績に裏打ちされたものでもあっただろう。
それが、不意の襲撃で、しかも圧倒的に敵の数が多かったとはいえ、自分も負傷し、塔への侵入も許して、エレネに瀕死の重傷を負わせてしまった。その現実に、彼自身、身悶えするほどの屈辱と怒りを感じているようなのだった。
「みんな助かったんだから、よかったじゃない」
「励まさんでくれ。余計に落ち込む」
結局、何を言ってもダメらしいのである。ちょっと面倒になってきて、ファルは黙々と食事に専念することにした。
それをじっと見下ろしながら、ゴウグは少しためらうように口を開いた。
「……あのよ」
「うん?」
「こういうことを、俺の立場で言っていいもんかどうか、よくわかんねえんだけどよ」
「うん」
「──エレネを助けてくれて、ありがとうな」
「…………」
ファルは動かしていた手をぴたりと止めた。
そのまま視線をテーブルの上の食膳に据えて、またのろのろと動きを再開させる。食器とフォークが触れ合うカチャンという音が、妙に虚しく聞こえた。
「……別に」
しばらくして自分の口から出てきた声は、どこか惨めさを伴っていた。
──だって、ファルはあの時、確かにエレネを見捨てようとしたのだ。
放っておけば死ぬと判っていて、それでもここから逃げようという冷徹な意志が働くのを止められなかった。
扉を閉じたのは、たまたまそういう衝動に突き動かされただけで、慈悲の心があったわけではないことは、ファルは自分でよく知っている。
結果的に、エレネは助かった。しかしそうならない可能性も高かった。何かひとつでも違っていたら、事態はまったく別の方向へと転がっていただろう。ファルはあの時、ここを逃げてエレネを死なせていたらひどく後悔しただろうが、今も囚われの身であり続けていることをも、やっぱり後悔している。
……どちらにせよ、自分が取った行動は、誰にも「ありがとう」などと言われるようなことではない。
「いいんだよ、お前が何をどう考えていようが、これは俺の問題だ。エレネは俺の大事な仲間なんでな、生きていてくれて本当によかったと思ってる。だから礼を言いたい。それだけだ」
ゴウグが真面目な顔をして、そう言った。
「…………」
ファルは付け合わせの野菜を口の中に押し込んで、何も答えずに済むようにした。
「まあ、エレネが仕事に復帰するまではまだ時間がかかりそうなんでな、お前には実際、少々不自由なこともあるかもしれん」
「ううん、そんなことないよ、ぜんぜん」
若干申し訳なさそうな表情をしたゴウグに向かって首を振る。
有能で、すべてのことを完璧にこなしていたエレネがいなくなり、ゴウグは異性ということもあって、ファルは現在、身の周りのことをほぼ自分自身でやっている。だが、それを不便だなどと思ったことは一度もない。
身体を清めるのも、掃除をするのも、着替えも洗面も、ここに来るまではすべて自分の手でやっていたことである。エレネには悪いが、ちょっと気が楽になったくらいだ。
「それでよ」
ゴウグが再び言いづらそうに躊躇した。どちらかといえば脳筋で、繊細な神経というものをあまり持ち合わせていない彼にしては珍しい。ファルは、ん? と首を傾げて見返した。
「えーと、そのなんだ、これも本当はいけないことかもしれねえんだけどよ」
もぞもぞ口の中で言い訳するように呟いてから、部屋の外に出て、またすぐに戻ってくる。
ドン、と重い音をさせてテーブルの上に置いたのは、太い棒の両端に鉄製の重りが紐で括りつけられた、自作の亜鈴だった。
トレーニングをする時に使うもので、ゴウグのお手製である。自分が使うものはこれの数倍の重さがあるらしいが、ファルのそれはかなり小柄で負荷も軽減されている。
ファルはその亜鈴を見てから、きょとんとゴウグを見上げた。最近バタバタしていてすっかり休みがちになっていたトレーニングを、今から始めようというのだろうか。もしかして、食べながら?
「ほら、なにしろ、今は手が足りねえだろ。クイートさまにはまだ、ちゃんと信頼できる部下があまり多くねえ。それで俺もこれからは、今までのように頻繁にはお前に付き合ってやれそうにないんだ」
まるで急き込むような喋り方だ。どうやらこれは、ゴウグにとって少々後ろめたいことであるらしい。
「効率的に筋肉を強くでっかくするには、短い時間で激しい運動を繰り返すのがいいんだがな、お前はまだ子供だし、無理しすぎると身体を壊しちまう。お前の場合はまず体幹をしっかりさせて……」
それからしばらく、ゴウグによる「筋肉講座」が続いた。よっぽどそういうことが好きなのか嬉々として話していたが、途中ではっと我に返って口を閉じ、頭を掻いた。
「……まあなんだ、とにかくこういうもんは、持続と反復が最も重要ってこった。基本は教えてあるし、俺がいない時でも、器具さえありゃ一人で出来るだろ?」
「──いいの?」
ファルはゴウグのその目を見返して、確認した。
これまで、こういった道具は、この部屋に持ち込まれても、用途が終わればすぐに出されてしまうのが常だった。特に亜鈴のような重量のあるものは、あっという間に「武器」に成り代わってしまうので、ゴウグもファルに持たせる時は油断なく目を光らせ、非常に慎重に取り扱っていたはずだ。
なのに、今後は室内に置いたままにするという。エレネが傷つけられる恐れがない、という点を差し引いたとしても、ずいぶんと甘い対応ではないだろうか。
「わたし、ここから出て行くことをまだ諦めたわけじゃないよ」
「俺だって警戒を完全に解いたわけじゃねえ。……けどよ、お前だって、身体を鍛えようと思ったのは、なにも『暇だから』って理由ばかりじゃねえんだろ? だとしたら、それくらいは協力してやろうかと思ってよ。それに、お前が変なこと考えたとしたって、俺はやられたりしねえし。だからこれは、お前を信用するとかそういうのとはまったく別の問題で……えーと、そのなんだ」
なんか上手く言えねえなあ、と髪の毛に手を突っ込んで、ガシガシと荒っぽく掻き回す。
「…………」
ファルは彼のその様子を見て、なんとなく複雑な気分で小さく息をついた。
エレネとゴウグは、まるで主人であるクイートの性格の悪さを穴埋めをするかのような性質を持っている。いざという時にファルが情に流されることを見越してそういう人間を配置した、というクイートの言葉が事実であるかどうかは判らないが、結果としては、その通りになっているところが腹立たしい。
「……うん。ありがとう、ゴウグさん。一人で頑張ってみるよ」
ぽつりと言って、ひんやりとした鉄部分にそっと触れた。
決して、諦めたわけではない。キースの元に帰るという決意に変わりはない。
ひょっとしたら、このずっしりとした重さは、逃亡のための助けのひとつになるかもしれないけれど。
でも、今はまだ、それは考えないでおこう。
自分が何者か。キースも以前、そんなようなことを言っていたではないか。
おまえには、おまえ自身も知らない、何かがある、と。
ファルはきっと、その「何か」を知っておかなければならないのだ。
顔を動かし、窓の外の景色へと向ける。強い風が、頑丈なガラスを音を立てて叩いていた。
「……寒そうだね」
小さな声で、独りごちる。
──今頃、キースはどうしているだろう。
それきり口を噤んでしまったファルの横顔を見て、ゴウグが目を瞬き、
「……なんかその、お前最近、ちょっと雰囲気が変わったっつーか……いや、成長期の子供ってのは、こんなもんなのかね、よくわかんねえけど……」
と、もごもご呟いた。
***
まったく塔の部屋を訪れることのなかったクイートだが、約束はちゃんと忘れていなかったらしい。
襲撃騒動からひと月が経ち、ファルは、閉じ込められていた塔から、はじめて外に出されることになった。
といっても、自由になったわけではない。傍らにはゴウグがぴったりとくっついて、ファルから目を離さずにいる。しかし、目隠しをされるでも、手足を拘束されるでもない。長く続く塔の螺旋階段を降りた時には、こんな風に足を使うのは久しぶり過ぎて、少し眩暈がしそうになったくらいだった。
塔から出ると、今までに感じることの出来なかった空気が頬に当たった。
ぴりぴりとした痛みを覚えるほどに、冷えきった風が吹きつける。口から吐き出す息が白い。「外」というのは、こんなにも寒いものだったかと、認識を新たにした。まるで、たった今母親の胎内から出て来た赤ん坊のように、何もかもが目新しく映る。
広い敷地の地面は、すべて芝に覆われている。そこかしこに配置された木々や花から、生命の息吹を感じた。気温は低いが、陽射しは眩しい。
ファルのいた塔は、やはり敷地の端にあった。周りを取り囲む塀とは反対方向に視線を移すと、奥のほうに、真っ白で大きな二階建ての建物が見える。今は木々の葉もすっかり落ちてしまっているけれど、暖かくなれば、葉の緑や花々のとりどりな色彩がよく映えて、さぞかし美しい眺めなのだろうなと思った。
ゴウグに促され、敷地内の小道を歩く。塔の上から見かけた制服姿の男たちの姿は、どこにもなかった。見回りの時間帯から外れているのか、そのように手配されているのか、どちらかなのだろう。そこだけ石の敷き詰められた小道は綺麗に手入れされていて、この場所がきっちりと管理されていることが窺い知れた。
小道の先にあった、これまた大きな門を出ると、すぐそこに馬車が待っていた。
ギルノイ屋敷からキースに連れ出された時もこんな感じだったなあ、となにがし懐かしい気分で中に乗り込む。今のファルはどこも黒くないので、馬車を汚すことがないかとドキドキしなくて済むのはよかった。
馬車の中には、クイートが一人で座っていた。
では、とクイートに頭を下げ、ゴウグが外から扉を閉じる。彼は一緒には来ない、ということらしい。御者を除けば、馬車の中はファルとクイートの二人だけだ。
「やあ」
と、クイートはいつものように軽い調子で挨拶しかけ、中途半端なところで口の動きを止めた。
向かいの腰掛けに座ったファルを上から下までざっと見渡して、楽しそうに微笑む。
「……ちょっと見ない間に、ずいぶんと変わったね、子猿ちゃん」
「何が?」
ファルは首を傾げて聞き返した。やっぱりどこか汚れていたのかと、慌てて自分を見下ろしてみたが、特に変なところは見当たらない。エレネに世話をされることがなくなり、服も自分で適当に見繕って着ているので、組み合わせがおかしいとか、そういうことだろうか。残念なことに、子猿と言われるのは慣れすぎてしまって、今はもうファルの頭に引っかかることすらない。
「判ってないんだ? 君って本当に、何事につけて、自覚がないんだねえ。だから俺も余計な苦労をする羽目になるんだけどさ」
やれやれといった調子で肩を竦められ、ファルは頬を膨らませた。
「そういう恩着せがましいこと言うの、やめてくれないかな。どこが変?」
「変じゃなくて、変わった、と言ったはずだけど。顔を合わせることのなかったこのひと月、どうやって過ごしていたんだい?」
「別に、特に変わったことはしてないよ」
勉強して、運動して、食事をして、の繰り返しだ。狭い一室内では、どこかの集団に襲撃されるということがなければ、毎日はそう変わり映えなく過ぎていくだけのものだった。
無論、ファルの内心を度外視すれば、の話であるが。
「なるほど。君って変なところが真面目そうだから、エレネがいなくても、さぞきっちりと規則正しい日々を送っていたんだろうね。きっとエレネもびっくりするだろう。まったく、ゴウグはホントに……」
くくっと可笑しそうに肩を揺らして笑い、「子猿が小鹿になった……」と意味不明なことを言っては噴き出している。ファルはもう無視することにして、話題を変えた。
「エレネさん、元気?」
「ああ、元気だよ。本人は仕事に復帰したいと意欲満々なんだけどね、大事を取ってまだ休ませている」
エレネもファルと同じで、働いていないと落ち着かない気質なのだろう。わかるわかる、とうんうん頷いてから、
「そういえば」
と、思い出して口を開いた。
「あの時、エレネさんに傷を負わせたのは、なんていう武器?」
「銃だよ。火薬を使って弾丸を発射させる。君は知らないだろうけど」
銃か。確かに、ファルは見たことも聞いたこともない。エレネも持っていたし、女性にも扱える武器であるようだが、あまり好きにはなれそうもなかった。
「わたし、そういうものに詳しくないんだよ」
「これは、詳しい、詳しくないの問題じゃない。天界の人間は、誰一人として、銃というものを知らないんだ」
「地界にしか、ないものなの?」
「そうだね。あちらに伝えていないから」
「伝えて……?」
「その話は後でしよう、ファル。そんな枝葉末節よりも、まず君は、もっと基本的なことを知らなければならないから」
そう言われてしまえば、ファルも口を閉じるしかない。「後でしよう」と言うからには、クイートはそれについての説明を拒むつもりがない、ということだ。
「クイートも、いつもその銃を持ってるの?」
「今は持っていないな。なにしろこれから向かうところは、ちょっとうるさくてね。武器の持ち込みは厳禁、ということになっている」
一体、どこに向かっているのだろう。
「じゃあ、今のクイートは、丸腰なんだ」
「そういうこと」
「大丈夫? わたし、クイートを叩きのめして逃走を図るかもしれないよ?」
せいぜい脅しつけるように言ってみたが、クイートは驚くでもなく怖がるでもなく、笑い出した。予想はしていたが面白くない。
「さすがに、君にやられるほど俺はか弱くない」
「わからないじゃない。小さな鼠だって、追い詰められたら必死の反撃に出るんでしょ。その時には、わたしの手足を縛りつけておかなかったことと、ゴウグさんを連れて来なかったことを、うんと後悔すればいいよ」
「まあ、もしも君が本当にその気になれば、いつでもどこでも逃げるのは可能だよ。たとえ俺が銃を持っていようが、ゴウグが何人いようが、君をぐるぐる巻きにして拘束しておこうが、関係ない。でも、『今の』君には、まだ無理だ」
「……?」
ファルは首を捻った。クイートの話は、相変わらず意味不明だ。
「鳥を手の中に閉じ込め続けておくのは難しい、って話。鳥自身が、そこに留まろうという意志を持たない限りはね」
そこでクイートは話を打ち切った。ゆったりと寛いだ姿勢で頬杖をつき、窓から外を眺めて目を細める。こうなるともう、彼はこちらが何を問いかけても答えない。
「鳥……」
困惑気味に呟いて、ファルも窓に目を向けた。
ガラガラという馬車の音と共に、塔の中の部屋よりもずっと小さな四角い枠から、流れていく景色が見える。
──鳥、って。
視界に入るそれを意識の外に置いて、ぼんやりと心の中で呟いた。
……ユアンは、なんて言ったんだっけ?
ファルがイーセンを天界に戻すからと、そう告げて彼を地界に堕としたのではなかったか。
天界に人を戻す方法なんて、ファルは知らない。たとえ知っていても、そんなことが出来るわけがない。そうだ、そんなことは不可能のはずなのだ。
空にある天界に戻るなんて。
鳥のように飛べでもしない限り。
ファルが知らないことを知っている、クイート。
そもそもどうして彼は、あんな高い塔の上の部屋に、ファルを閉じ込めたのだろう。
敵に狙われたら逃げようのないところ。ファルを隠しておきたいのだったら、もっと目立たない場所がいくらでも選べたはずではなかったか。騒ぎがあってからも、あそこから移そうという素振りもなかった。あんな、これみよがしに大きな窓があるだけの部屋に、どうして。
クイートが最初から言っていたのは──
逃げたくなったら、窓から飛んでいけばいい。
「…………」
ファルはぐっと口を結んだ。途方もない考えが頭を掠めて、突然、足許からザワザワしたものが這い上がってくるような気持ちになる。
心臓が不規則に脈打ちはじめた。
まさか。
──まさか、ね。




