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天の涯、地の涯  作者: 雨咲はな
第二部・地
26/73

二つの世界



 ニグルから借り受けた──と言うと少々語弊がありそうだが、とにかく「持っていってもいい」と許可を得た地図を持って、ファルは来た道を戻った。

 途中、ネガシのところに寄って、仔牛を返しに行く。仔牛と母牛が揃って鳴き声を上げ、別れを惜しんでくれたので、少し笑って手を振った。

 事前に分けてもらっていた母牛の乳を、昨日の薬草と同じようにニグルの家の扉の前に置いてきたのだが、今回は受け取ってもらえるだろうか。

 もしかしたらニグルは、それが置いてあることにさえ、気づかないかもしれない。勢いよく閉じられた扉は、昨日のように、ファルが遠ざかってから再びそっと開けられることはなかった。家の中に戻ったニグルは、自分の心までも固い殻の中に閉じ込めて、外界のすべてを意識から追い出してしまったのだろう。

 彼女の気持ちは今もひたすら、過去と、もと婚約者であった男のほうへと向けられている。怒り、悲しみ、悔やみ、嘆き、それでもどうしても捨てられない記憶に捉われて、ずっと立ち止まったまま。だからニグルは、決してこの里にも住人たちにも目を向けようとはしないのだ。

 ──あの小さな家の中で、ニグルは今頃、一人ひっそりと泣いているのだろうか。

 ファルにはそれもよく判らない。今までに、誰かを思って泣く、などという経験がないのだから、判るわけがない。ファルにはそんな風に思う「特別な誰か」なんてものは存在していなかった。顔も見たことがない、現在生きているかどうかも知らない、自分の親に対してさえ、なんの感情も抱いたことがなかった。


 ……こんな自分は、どこか変なのか。


「ファル」

 ぼうっと考えごとをしながら歩いていたら、後ろから声をかけられた。

 振り返ると、デンとキースが怪訝そうな表情をして立っている。二人がいるのはデンの家のすぐ前だ。隣にあるネガシの家の牛小屋から出たファルは、どうやら彼らの前を素通りしてしまっていたらしい。二人が、奇妙なものを見るような目をファルに向けているのも無理はなかった。

「どうしたんだい、ファル。ぼんやりしてるなあ。気分でも悪いのか?」

 心配そうに眉をひそめるデンに、ファルはえへへと照れ笑いしながら首を振り、急いで二人の許へと駆け寄った。

「ごめんね、今日は暑いくらいだから、頭の中にも暖かい空気が詰まっちゃったみたい。……ここで何してるの?」

 最後の台詞は、キースに向けて出したものだ。

 キノイの里に来てからというもの、ほぼ毎日のように里の外に出て周囲の様子を探っていたキースは、昨日からそれをぴたりとやめた。徒歩で行けるような距離の場所はあらかた見て廻った、ということもあるかもしれないが、ニグルのところに行ったファルが首尾よく地図を手に入れられるかと気にしていたのもあったかもしれない。

 そうして里の中で何をしているのかといえば、家の補修をしていたり、スーリオの家に行っていたりと、それなりに忙しく過ごしているらしい。ファルはファルでいろんな仕事の手伝いなどでバタバタしているため、キースが日中どんな行動をしているのか、正確には把握していないのだが。

「デンにちょっと頼みたいことがあって」

「頼みたいこと?」

 首を傾げて問い返したが、キースはそれについては答えなかった。その視線は、まっすぐにファルの手許に向かっている。


「……あったんだな?」

「うん」


 頷いて、ニグルの地図をキースに手渡す。これを手に入れた経緯については、あとで二人になってから説明したほうがいいのだろうと思ったので、ファルは何も言わなかったし、キースも特に聞いてこなかった。

 キースはそれを受け取ると、手早く広げ、ざっと一瞥した。

 基本的に無表情を保つことの多い彼が、驚いたように目を瞠る。

「──デン」

 キースが名を呼び、広げた地図をデンにも見えるように角度を変えた。デンは不思議そうな顔でそれを覗き込んで、「ああ」と納得したように頷いたが、その顔には、格別驚きは乗っていない。

「地図かあ。そういやお前さん、見たがっていたものなあ。やっぱりニグルのところにあったかい? あの人嫌いが、よく貸してくれたもんだ」

 のほほんとした口調で感心している。デンは人は好いが、あまり他人の態度や心情に敏感なほうではないので、キースの表情が少し固くなっていることにも、まったく気づいていないらしかった。

「教えてもらいたいんだが」

 キースがそう言った途端、デンは顔を曇らせた。デンに限らず、この里の人々はみんな、あれこれと突っ込んで問い詰められることを嫌う。自分のことも、この里のことも、とにかくすべてのことについて、話したがらない。それらをわざわざ言葉にして、いろんなことを直視しなければならない羽目になるのは御免だよ、とでも言いたげに。

 キースもそこは理解しているのか、まだ何も問いを出していないのに、素早く首を横に振った。


「ひとつだけ。今、おれたちがどこにいるのかを、教えてくれないか。それだけでいい」


 デンは困ったように両手をもじもじと組み合わせて、地図を眺めてから、キースを見た。言いにくそうに一呼吸置いてから、どこか不安げな顔で口を開く。

「……こういう言い方はどうかとも思うんだけど、いくら恋しくても、お前さんたちの親のことはもう諦めたほうがいいんじゃないのかね……探したい、と思うのは、そりゃあ無理もないと思うんだが」

 なるほど。「親に捨てられた二人の気の毒な子供」の話を信じているデンは、ファルとキースが考えなしに里を飛び出して行ってしまうことを案じているようだ。無謀な真似をして野垂れ死にでもしたら、と思っているのだろう。

「そんなことはしない。ただ、今の自分たちが置かれている状況を知っておきたいだけだ。だから教えてくれ、キノイの里は、この地図上のどこにある?」

 キースの声が真剣だったためか、デンはまた迷うような間を置いてから、渋々、もう一度地図を覗き込んで、指の先で一点を示した。

「…………」

 キースは無言で、その指先を凝視している。ファルの位置からは地図の裏面しか見えないので、彼がなぜそのように息を呑んでいるのかも判らない。

「……すると、『呪われた森』は」

 デンの指がわずかに動く。ここでファルも、少し疑念を抱いた。

 咎人の森からこの里まで、随分たくさん歩いたと思っていたのに。その距離は、こんなにも小さな動きで表せるものだったのか。

 キースはしばらく黙り込んで、じっと地図に視線を据えつけたまま動かなかった。

 やがて顔を上げ、「わかった」とデンに言ってから、ファルに向かって目で合図をする。行くぞ、という意味だ。

「おかしなことを考えてはいかんよ。いいね?」

 別れを告げて歩き出したファルとキースに、デンは言い聞かせるように何度も念を押した。ファルはあやふやに頷きながら手を振ったが、キースは厳しい顔つきのまま前を向いて、足を動かし続けた。



          ***



 家に帰ると、キースは床の上に腰を下ろし、すぐに地図を広げた。

 ファルもキースの隣に座り、ようやくそれに目をやる。

 大きな地図には、ファルの目には奇妙としか映らない、見慣れない図形が載っていた。


「……これが、地界?」

 思わず、ため息と一緒に声が出る。


 それは、ファルの知る「天界の地図」とはまったく異なっていた。どこかのお屋敷で見たことのあるそれは、大きな円状の盤面に、細かい文字や数字がぎっしりと書かれている図だったはず。こんなにも複雑で、ところどころが歪んでいるようなおかしな形、これが地界だというのだろうか。

 広い紙面に、大きな塊が三つに分かれて描かれている。逆三角形がぐにゃりと曲がったような塊がいちばん大きく、二番目に大きな塊は不格好な長方形。その二つに囲まれるようにして、いちばん小さくて丸い塊が真ん中にあった。

「キノイの里はどこ?」

 ファルの問いに、キースが黙って指し示す。

 え、とぱちぱち目を瞬いた。


 二つの大きな塊に囲まれた、真ん中の最も小さな塊──の中の、ごくごく一点。


「え……えーと、じゃ、咎人の森は」

 キースの指が滑るように動いたが、それは本当に少し……驚くほどに少ししか、移動しなかった。この大きな地図の中で、ファルが親指と人差し指を開いた分くらいの長さしかない。

 咎人の森は、歪な丸い形の塊の、ちょうど中央あたりにあるらしかった。

「いいか、ファル、この三つがそれぞれ陸地だ。周りにある空白部分が海。海は、知ってるか?」

「もちろん知ってるよ」

 いくら半端な知識しかないファルでも、それくらいは知っている。いささか憤然として返事をすると、キースは一瞬、何かが喉に引っかかった、というような顔をした。

「……この真ん中にある陸地が、今おれたちがいるところ。こちらのいちばん大きな陸地が、『東の大陸』だ。反対側にあるのが『西の大陸』」

 キースの指が次々に動いて、図形を指し示す。地図には線と文字が書き込まれてあって、東と西の大陸は、それぞれいくつかに分割されていることが判った。東の大陸の中で、最も大きく分割されている場所には、「リジー」と記されている。

 ファルにでも読める文字。つまり地界で使われている文字は、天界でのそれと同じということだ。多少、綴りは違うようだが、読むのにさして支障はない。

 そう口にすると、キースは地図に目をやったまま、「……そうだな」と呟いた。

 そのまま何かを考えているようだと思ったら、不意に顔を上げ、ファルを見る。


「──どう思う?」


「地界って、想像していたよりもずっと広いんだね」

 キースが期待していた答えとは違うのかもしれないが、ファルにはまずその感想しか浮かばなかった。キノイの里がある、真ん中の最も小さな陸地だけでも、端から端まで歩けばどれだけかかるかも判らないくらいなのに、それより数倍も大きな陸地が、さらに二つもあるという。

「うん。たぶん、今、おまえが頭で思っているよりも広い」

 キースはそう言って、地図を指でとんとんと叩いた。

「地図ってのは、地形と東西南北以外に、大体の面積がわかるんだ。ここの数字が縮尺を表していて……」

 あれこれと説明してくれたが、ファルには難しすぎて、半分も判らない。それを素直に顔に出したら、キースも途中で諦めたらしく、短く息をついた。

「……まあいい。とにかく、おまえが判りやすいように言うとだな」

「うん」

「おれたちがいる、この中央の陸地。これがほぼ、天界全体の大きさと同じくらい、ということが、この地図から判る」

「ええっ!」

 ファルは仰天して目を丸くした。

 改めて地図を見てみる。キースがそう言うのだから間違いはないのだろうが、容易には信じられない。


 ファルにとってあんなにも広く感じた天界が、地界でいちばん小さな陸地程度の大きさしかない、とは。


「……ん? 待って」

 ファルは眉を寄せた。

 この小さな陸地のほぼ中央に、咎人の森がある。咎人の森は、天界の白雲宮の真下にあったはず。そして白雲宮は、天界の中央に建っている。

 つまり。

 同じような大きさ、同じような形の地が、天界と地界に二層状態で存在している、ということか?

「何か、変じゃない?」

 首を傾げると、キースも頷いた。

「変だ。変なことばっかりだ。この事実だけでも、天界と地界はなんらかの繋がりがあると考えたほうが自然だ。なのに地界人は、天界や天界人のことをまったく知らないなんて……」

 そこで口を閉じ、キースは目線を宙に投げかけた。

 しばしの沈黙の後、それを再び戻して、「ファル」と呼びかける。

「うん?」

「おまえ、『海』を知ってる、と言ったな?」

「うん、知ってる」

「『森』も知ってたな?」

「うん」

「どうして知ってるんだ? その二つはどちらも天界にはないのに。地界のことだって、ほとんど知らなかったんだろ?」

「え……」

 困惑した。どうして、と言われても、そんなこと考えたこともない。

「普通に、常識として」

 常識とは、学校で身につける知識とはまた別のものだ。特に学んだり習ったりした覚えがなくても、なんとなく身について、頭の中に定着しているもの。だから小さい頃からずっと働き続けていたファルでも知っている。

「そうだ。天界には存在しないのに、なぜか常識として、みんなが知っている。それに天界と地界が、互いにまったく干渉しない二つの別世界として生じたのなら、ここまで共通した概念を持っているのもおかしい。文字も数字も単位も大体同じ。デンに見せてもらったが、通貨の形や種類も非常によく似ていた」

「……え、と、それって」

 キースは難しい顔つきでもう一度地図に目を落とし、自分の顎に手をやって、呟いた。


「──もしかして、天界の基礎を築いたという始祖と天の一族は、そもそも地界の人間だった(・・・・・・・・)んじゃないか……?」



          ***



 天界を作ったという始祖と天の一族が地界人であったというのなら、現在天界に住んでいる人々も、地界人の子孫だということになる。

 ──しかし、それならそれで、疑問もまた、溢れるほどに湧いて出る。

 たとえば、昔、地界に住んでいた人が、どういう方法でか空の上に別の世界を作ったのだとして。

 なぜ、現在の地界人たちは、天界の存在をまったく知らないのか。

 それに、文字や通貨は、時間が流れるに従い、少しずつ変遷していくのが普通だ。もとは同じ地界のものであったとしても、ずっと昔に二つの世界に分かれたとしたら、それぞれもっと異なる方向へと進んでいくのではないか。

 現在の天界のそれと、現在の地界のそれは、あまりにも似すぎている。そんな偶然があるものか?

 というようなことを、キースは独り言のように言った。


「──まあ、この場所でいくら考えたって、しょうがないか」


 しばらく地図を前に考え込んでいたが、少し嫌気が差したように黒髪に手を突っ込み、ぐしゃりと掻き回した。どうやっても推測の域を出ないことを考え続けても時間の無駄だと、とりあえずこの問題を投げ出すことにしたらしい。

「で、ニグルってのは、どんな人物だった?」

 胡坐をかいた腿の上に肘を置いて頬杖をつき、ファルのほうに視線を移す。その雑駁な態度といい、無愛想な目つきといい、見た目は愛らしい少年なのに、いろいろと台無しだ。

「せっかく姿は子供なのに、キースってやっぱりどっか、仕草が年寄りくさいよね」

「余計なことは言うな。子供とも年寄りとも言うな」

 どっちを言ってもダメなのか。キースはどうも難しい年頃のようだ。

「あのね……」

 内心で面倒くさいなと思ったことは口に出さず、ファルはニグルのことを話した。それに付随してファル自身が考えたことについてはすべて省略し、見たものと聞いたことの内容だけを、淡々と言葉にしていく。


「……流刑地、か」

 キースがぼそりとその単語を繰り返した。


 おそらく、思っているのはファルと似たようなことだろう。彼の眉が中央に寄っている。

「入口はあっても、出口はない、と、そう言ったんだな?」

「うん」

 ファルが肯うと、キースはまた床の上の地図に目線を落とした。

「おれたちがいる、この真ん中の陸地は、完全に他の大陸から分断されて孤立しているわけでもない」

 そう言いながら、地図上を指し示す。ファルもその位置を見てみたが、確かに彼の言うとおり、中央の丸い陸地と、東の大陸とは、細くだが繋がっていた。

「じゃあ、ここも東の大陸の一部、ってことなのかな」

「地形だけで言うのなら、そうだな。普通に考えれば、ここを通れば東の大陸へ渡ることも可能のはずだ。……ただ、ニグルという女の言葉を考えると、通行が自由、ということではないんだろう。この場所に入ることは出来ても、勝手に出ることは許されない、ってことか」

「…………」

 ニグルは、「疎まれ、嫌われ、弾かれた人々が、他に行くあてもないからとやって来る、掃き溜めのような土地」と言っていたっけ。

 まるで、この真ん中の陸地そのものが、地界から隔離されているようだ。

「東の大陸も西の大陸も、複数の国に分かれているらしい。天界はそれ自体がひとつの国家だったが、地界ではそういうものがいくつもある」

「へえー……」

 国家がいくつもある、というのが、すでにファルには想像の範囲外だ。すると地図上を縦横に走っている線で囲まれているのが、それぞれ国、ということか。天界も街ごとに区画されて名がついていたが、地界ではスケールが違う。

「でも、この場所には特に名前が書いてないよ」

 東西の大陸では、ちゃんと国ごとに名がついて、大きく記されているようなのに。ファルたちがいるという、真ん中のこの丸い陸地にだけ、何も文字がない。

 キースは地図を見つめたまま、頷いた。


「……だから、ここはおそらく、『国』じゃないんだ」


 その意味を問う前に、キースがいきなり広げてあった地図を手に取り、くるくると巻きはじめた。

「キース?」

「やっぱり、ここであれこれ考えているだけじゃ、埒が明かない。そのニグルという人物の家に行ってみよう。すっかり諦念に包まれてるような他の連中に何を聞いても返ってくるものはないだろうが、そちらならまだ取っ掛かりがありそうだ」

「そう……かなあ」

 ファルは眉を下げ、首を捻った。さっきのニグルの様子を思い返すに、そうそう友好的にあれこれと教えてくれるとは、まったく思えない。

 それに、これ以上、ニグルの気持ちを波立たせるような真似をするのも、気が進まない。

「もちろん、落ち着くまでもう少し時間を置く。どちらにしろ、おまえだって、もう一度様子を見に行こうと思ってたんだろ」

「……よくわかるね」

 確かにそう思ってはいたが、口に出してはいない。きょとんとした顔をするファルに、キースはなんでもなさげに肩を竦めた。


「自分のすぐ目の前に翼を傷めた鳥がいたら、なんとかまた飛べるようにしようと思う、んだろ?」


 ファルはさらにきょとんとした。そんなことを以前、言ったような覚えはあるが。

「よく覚えてるね、キース」

「まあな。おれの顔さえ覚えていなかったおまえとは違うからな」

「…………」

 キースは記憶力がいい。そしてけっこう根に持つタイプである。

「……ま、いいや。話が出来るかどうかはわからないけど、とにかく後でちょっと行ってみようか」

 ファルはそう言って、小さな息を零した。




 夕方になって、キースと二人でニグルの家まで行ってみると、果たして扉の前にはファルが置いたミルクがそのままの状態で放置されていた。

 気づかなかったのか。気づいても、触れる気になれなかったのか。ニグルはあれから、一度も家から外には出ていないのだろうか。

 ファルはそっと扉を叩き、遠慮がちに呼びかけてみた。

「ニグルさん。……ファルです」

 返事はない。中からは、ことりとも物音がしない。やって来たのがファルだと知って、頑なにじっとしているのか。あるいは眠っているのかもしれない。

 何度叩いてみても、無反応なのは変わらなかった。ファルは困ったようにキースを見たが、彼は扉を見据えて、かすかに顔をしかめている。

「やっぱり無理みたいだよ、キース」

 今日は諦めて引き返そう、と言いかけるのを遮るように、「いや」とキースがきっぱりした口調で言った。

「扉を開けてみな」

「え、でも」

「いいから」

 ファルがためらっていると、キースの手が横から伸びてきて、ぐっと取っ手を引いた。錠は下りていなかったようで、すんなりと扉は開いた。

 その隙間から中を見るなり、キースが表情を引き締めた。ぱっと大きく扉を開け放って、家の中へと飛び込んでいく。

「ちょ、ちょっと、キース、勝手に……」

 驚いたファルもその後に続こうとして、足を止めた。真っ先に視界に入ってきたのは、床に片膝をつき、下にじっと視線を注いでいるキースの姿だった。

 ──その傍らで、真っ白な顔色をしたニグルが倒れている。





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